令嬢とカミングアウト
10日ほど前に、私の家——シュヴァルツヴェルダー公爵家の王都にある邸宅——へ、王妃陛下に連れられてやって来たルドルフ殿下は、他の貴族婦人に連れられてきた子供たちを前に、せっかく集まったのだからと、かくれんぼを提案した。
格の高い貴族の子女と言っても、王子と複数人が揃って遊ぶ機会はさほど多くない。ましてや子供らしいかくれんぼなんて遊びはそうそう出来ないので、私のお父様の許可が下りると、みんな喜んで参加した。
そんな経緯で、何故か一緒に小さなテーブルの下に潜っていた私とルドルフ殿下は、別の子供が花瓶を落として割った派手な音に驚き、思わず立ち上がった。
いや、立ち上がろうとした。
が、私たちが隠れていたテーブルは、低めに出来ていた。
結果、二人揃って重厚なテーブルにガコンッと思いっ切り頭をぶつけ、二人揃って気絶し、二人揃ってコテンと倒れた。
私の目が覚めたのは、次の日だった。
気絶している間に前世を思い出し、どうしたものかと思ったが、私が無事目覚めたことを喜ぶ両親を見て、
——まあ、いいか。
と、あっさり状況を受け入れ、今まで通り生活していたのだが、ルドルフ殿下から、僕がかくれんぼを始めたせいで申し訳ない。お詫びに是非、と王宮のお茶会に誘われた。
そうしてかくれんぼ気絶事件から半月後の今日、昼食の時間を過ぎたくらいの時間に王宮に着いた私は、殆ど待たされることなく、部屋に案内された。殿下がどう言いくるめたのか、お付きの者達は私を案内した後、すぐに部屋から下がって行った。
滅多に会わない第二王子と二人きりになり、私が若干緊張していると、殿下が口を開いた。
「突然すまない。僕は君と失神したあと、自分の前世を思い出したんだ」
まだあどけない顔をしたルドルフ殿下のとんでもない発言を皮切りに、私たちはお互いの他人には言えない秘密を告白し合うことになった。
私は、前世が受験間近の女子高生だったことを。ルドルフ殿下はかなりガッツリな腐男子であったことを。
元腐男子という点がかなり気になったが、話が進まなくなりそうなので、声に出すのは辞めておいた。
そう、それどころじゃない話をされたからだ。
元腐男子殿下曰く、この世界は前世でヒットした乙女ゲーム『甘い恋のレシピ』に酷似しているらしい。しかも、
「私が悪役令嬢で、殿下は攻略対象……」
元腐男子殿下の説明はこうだ。
『甘い恋のレシピ』(通称甘恋)は甘い恋シリーズ最初の作品で、剣と魔法のファンタジー世界が舞台の、王道乙女ゲーム。ヒロインは男爵家の庶子で、14歳までは自分の出自を知らずに下町で過ごす。が、15歳の時に跡取りを亡くした男爵家に引き取られ、貴族やお金持ち、一部の優秀な平民が通う中央学院に入学することでゲームがスタートする。前世でいう科学のように魔法が扱われ、魔術と呼ばれる国で、主人公は魔術の才能を開花させながら、学院に通う男子生徒と卒業までに婚約することを目指す。
王道故にベタだが安定のシナリオと、豪華な声優陣に非常に美しい絵という、シンプルイズベスト・テンプレイズベストを極めたゲームとして人気が出た。
そんな王道ヒロインの攻略対象は6人おり、それぞれのルートにプレイヤーから悪役令嬢と呼ばれることの多い、主人公のライバル役がいる。
第二王子——つまりルドルフ様——ルートでは、王子の婚約者で公爵令嬢の私ハーフェルナ。
公爵家一人息子ルートでは、ルドルフの妹王女とその友人のハーフェルナ。
侯爵家二男ルートでは、幼馴染の伯爵令嬢とその友人のハーフェルナ。
男爵家長男ルートでは、子爵家の一人娘の令嬢とその友人のハーフェルナ。
天才術導士ルートでは、魔法学研究で名高い侯爵家の令嬢とその友人のハーフェルナ。
第一王子ルートでは、野心を抱く第二王子とその婚約者の公爵令ハーフェルナ。
ハーレムルートでは、各ルートのライバル女性キャラが勢揃い。
どのルートを選んでも、ライバル役は良くて婚約破棄されたうえで修道院行き、最悪処刑。家が取り潰されることもある。
「……そして主人公のライバル役、いわゆる悪役令嬢は全員、婚約関係にあるうえ、私が悪役令嬢として活躍し過ぎな気が……」
「第二王子ルート以外はちょっとしか出てこないんだけどね。でも、メインの悪役令嬢が罰せられると、ハーフェルナも少なくとも修道院行きにはなるよ」
私は溜息を吐くと、肝心なことを聞いた。
「この世界は本当にゲームと一緒なのですか?」
『甘い恋のレシピ』どころか乙女ゲーとやらをプレイしたことのない私には、全く判断することが出来ない。
「残念ながら、登場キャラの殆どは存在している確認が取れてる。舞台となる中央学院も、ゲームと一致しているんだ」
ルドルフ元腐男子殿下は、淡々と答えた。
ゲームの舞台となる中央学院は、日本でいうところの中高一貫の中等教育学校にあたり、前身は貴族の寄宿舎学校だ。大体12歳で入学して6年間所属し、最初の3年は寮に入ることが義務付けられている。残り3年は希望者のみの入寮で、王都に自宅や別邸がある者は、そこから通うことが多い。
中央学院入学までの間、貴族を中心に上流階級は、自宅に家庭教師を呼んで初等教育を受ける。
一般の庶民(主に国の大多数を占める中流階級)は、近場にある初等教育の場である、ほぼ無料の基礎学校に通う。それからそこを卒業した者のほとんどは、職業訓練を目的とした寮付きの専門学校のようなところ、修行期間が3年の職業学校か、6年間の専門学校に入学する。
だが、庶民でも返済無用の奨学金制度はあるので、奨学金交付試験に合格した優秀な者は基礎学校卒業後、あるいは職業・専門学校の途中から、中央学院に通うことが出来る。
ヒロインは職業学校から、貴族枠で中央学院の第4学年に編入する形だ。
ちなみに中央学院を卒業した者の半数と、専門学校を卒業した者の一部は、大学にあたる教育機関、中央学院大学に通う。
中央学院を卒業した貴族全てが中央学院大学に進まないのは、その後の進路に応じて、国で唯一の専門大学である、中央専門大学に進むからだ。この中央専門大学には、専門学校を卒業した一部の庶民も入学して来る。こちらも奨学金制度が充実しているからだ。
この辺りの細かい描写はゲームに出てこないそうだが、魔法が存在するファンタジー世界な割に、教育が進んでいてそのシステムもしっかりしているし、意外と実力主義だ。
「結構リアリティがあるのですね。いえ、そもそも既にリアルなんですけれど。それに魔法……魔術があると言っても、いかにもなモンスターがいる訳ではないし、中世ヨーロッパというより、蒸気機関がない産業革命頃な感じですし?」
そうなのだ。ゲームで科学のように魔法が扱われる世界とされているのと同じらしく、こちらでは魔法が学問としても技術としても確立されており、魔術・魔術学と呼ばれている。その魔術を支える形で科学も意外と進んでいて、国民の生活水準も高い。
そして人間が魔術を使えるように、魔術を使う動植物は存在するが、モンスターという認識とも違う。少なくともキルシュトルテ国では。
「ゲームに出てくる描写は一致していて、描写されていなかった部分はリアリティがある。これが問題なんだ」
ルドルフ元腐男子殿下も、私と同じように感じているようだ。
「今まで通り私と殿下は、婚約しない方がいいと思うんですが……」
二人セットになると危険度が増すので、と各ルートの概要を思い出しながら伝える。
「だけど僕たちが婚約しないことで、もしくは別の相手と婚約することで、先が読めなくなるのも危ないと思う」
この世界はリアルなだけあって、妙にリアリティがある。そんな中で私達だけが婚約を避けて、無事に凌げる保証はない。むしろ予測が立てにくい分、厄介だろう。特に私は実際にプレイしていないのだから、知らないうちに巻き込まれて危険なルートに入ってしまっても、気付くのがギリギリになる可能性がある。
「ゲームと完全に一致しても、一部が一致しても、危険なことには変わりはないようですね」
いや、全くの別物だとしても、自覚のある転生者という時点で、大いに不安がある。
すっかり冷めてしまった紅茶に視線を落としながら、齢10歳で己の人生について考え出したところで、そもそもさー、とルドルフ元腐男子殿下が口を開いた。
「婚約破棄だよ、婚約破棄。いくら攻略対象が全員、僕みたいにゲームと同じかそれ以上に容姿端麗才色兼備だとしても、ここまで現実的な世界である以上、浮気した挙句一方的婚約破棄を突き付けた方が無事なうえにハッピーエンドになれると思う?」
「思わないですし、思えないです」
あえて前半の発言はスルーして同意する。仮に私が直接主人公達に関わらすに済んだとしても、他の婚約破棄騒動次第で、国家レベルの問題が勃発する可能性がある。攻略対象もライバルの悪役令嬢も、貴族や王族だからだ。前世の世界でも、色恋が絡んで国が大変なことになった例は、アホらしいことに結構ある。
「僕は影から、尊い世界を堪能したいだけなのに」
……ん?
「それだけなのに、下手をすると影からじゃなくて、草葉の陰からになっちゃうんだよ?!」
ルドルフ殿下は転生を自覚して、元腐男子殿下ではなく、腐男子(現役)殿下にジョブチェンジをしたようだ。年齢とか年齢制限とかこの世界では合法ですかとか、私が考えている間にも、腐男子殿下の残念な独白は続く。
「美少年になったことは、素直に嬉しい。だけど!」
残念な第二王子殿下は一呼吸置くと力強く言い切った。
「美男子を眺めるポジションになりたかった!!」
……。
「まあ、私も美少女になれたことが嬉しい反面、平凡な顔でいいから安全に生きられる方がありがたかったと思っていますので、気持ちは分からないでもないですが……」
「せっかく美少年が多い世界に転生したのに、不誠実な色恋沙汰に巻き込まれて死ぬかもしれないなんて、最悪だよ!! 僕は静かに美少年達を眺めていたいだけなのに!!! 不誠実で汚い恋愛は守備範囲外なんだ!! ウェルカムピュアラヴ・レッツビーエル!!!」
「私だって、誰にも迷惑を掛けずに身を潜めて生きてきたのに、いきなり美少女になった挙句処刑ルート完備なんて最悪ですよ。折角公爵家に生まれたのに、上げてから落とすとか、そんなドMな人生は望んでいません! 巻き込まれるよりも見ているだけの方がいいです!!!」
お互いノンブレスで言い切り、幾分荒い呼吸が部屋に響く。揃って息を整えると、無言で冷たい紅茶を飲み干した。
「……一般的な恋愛関係や夫婦になれるかはこの際置いておいて、僕は僕に理解のある人と手を組みたい……」
空になったティーカップを両手で持ったまま、腐男子殿下はぽつりと呟いた。
「手を組むっていう言い方はなんだか微妙な気がしますが……それは私も同じです」
私は静かに同意した。
「これから他に気になる人や、好き合う人が出来るかもしれない。僕も君も」
先のことなんて分からない。ゲームを知っていたとしても。それは当たり前のことだ。
「仮にそうなったら、私はきちんと殿下に話します」
カチャリと小さく音を立てながら、私はティーカップをソーサーの上に置く。
「ですから殿下にも話して頂きたいです。声を上げることを放棄して、自分の人生が決まってしまうのは、もう嫌ですし」
ティーカップに視線を落としたままの腐男子殿下に、私は続ける。
「ですから殿下とはきちんと話をしたいです。だって私と殿下は、結局のところ、いずれは婚約者になるのでしょう?」
腐男子殿下は顔を上げると、少し驚いたように碧い瞳をパチパチと瞬かせながら言った。
「え、あ、うん。婚約者で、友達だよ。一緒に気絶した仲だもん」
一言余計だと思いながらも、にっこり笑う腐男子殿下と目が合って、私は笑ってしまった。
「そんな訳で、僕は正式に君へ婚約を申し込むね。今日中に両陛下に伝えるから」
「思ったよりも大分早急ですが、まあ、私もお受けしますと、お父さまとお母さまに伝えておきます」
婚約はさておき、友人が出来た。
それがとても、うれしかった。