死んだと思ったら異世界来たし助けてくれた人は王様だし何なら自分はドラゴンになってた
…っていうタイトルとあらすじから始まる長編ファンタジーを書きたかったけど導入で心が折れたので供養です
月の青白い光に照らされた夜の森を、一人の男が歩いていた。
がしりとした体躯に草臥れたマントを羽織り、その下からは使い込まれた長剣が姿を覗かせている。その容貌と、枝や落ち葉が敷き詰められた道を音も無く行く足取りから、男が凄腕の戦士であることは明白であった。
男は何かに導かれるように歩いていた。
目を凝らして見ると、男を先導するように小さな白い光がふよりふよりと飛んでいる。規則性もなく上下へ揺れながら飛ぶソレには、おおよそ生物らしい特徴は見られない。光は時折、男が付いてきているのを確認するかのように止まっては進み、止まっては進んだ。
男は剣に手をかけ、少し警戒した面持ちで歩を進めている。
この白い光は先刻、男がこの場所より少し離れた小川の側で食事をしている最中に突然現れた。男はこの光自体にはさして驚きは感じていない。というのは、この不思議な光、幼い頃から時々見ていたものであった為だ。よって左程気にすることもなく食事を続けた。
しかし気付けばいつの間にやら姿を消す平常と異なり、今回は中々視界から消えることがない。やがて光は動きと点滅の激しさを増し、何かを訴えかけるように男の周りをくるりくるりと回り始めた。終いには目の前にへばり付かれて視界が真っ白になったのには男も参り、いよいよこの白い光が導くままに夜の森を奥へ奥へと進む羽目になったのである。
どこへ連れて行くつもりなのやら。男は心の中でぼやく。不穏な気配がないのが逆に不自然で、それが男の警戒心を強めていた。
静かな月夜の行歩は続く。
やがて元いた場所に戻るのさえ億劫になるような距離と時間が進み、いよいよ男が化け物の類にでも化かされたかと確信し始めた頃。
進むほどに木々が空を覆い、月の光さえ届かなくなっていた暗い森が突如開けた。
「…ほう」
これまで足音どころか息すらも殺してきた男が、己に纏わりつくしがらみを全て忘れ去った表情で感嘆の声を漏らした。
鬱蒼とした森にぽっかりと花畑が拓け、前日の雨に濡れた花々が月の光を反射してキラキラと輝いている。
男を案内していた白い光は、いつの間にか消えていた。
なるべく美しい花畑を踏み荒さぬよう戦士らしい大きな体を縮めて動かしつつ、幻想的な光景に歩を進める。何処にでも咲いている様な花もあれば、見たこともない様な花もある。いくら月が明るい夜と言えども明るすぎるほどに、その花畑は神秘的で男の心を揺らす光を纏っていた。
瞬きをすれば消えてしまいそうな儚さを感じさせる美しさだ。人界から切り離されたその空間で、幻が消えてしまわないことを願うばかりだった。
そうして男が花畑に心を奪われながら暫く歩いていると、その一角で景観がひどく乱れているのが目に付いた。
その箇所は土砂に覆われていた。おそらく花畑のすぐ背後にそびえ立つ崖が雨で土砂崩れでも起こしたのだろう。美しい花々が埋もれてしまったのは残念だ、と眺め見る。
その他にも花畑をぐるりと回って見たが、結局それ以外に目ぼしいものもない。
ここまで男を連れてきた例の白い光の姿もなく、仕方なく男は踵を返すことにした。
そうすると、背後でゴロリと音がする。大きな岩が転げる音だ。パラパラと砂や泥も振動している。男は再び振り返った。
音の鳴る元は、先程見つけた土砂で埋まった一角だった。
剣に手をかけた男が警戒してじっと見ていると、土砂がもそりもそりと蠢いている。何やら男より遥かに大きな生きものが土砂の下に埋もれているのだと気が付いた。
視界をふと白いものが横切る。先程から姿を見せなくなっていた白い光が、また男の前で忙しなく飛び回っていた。言葉がなくともその光がなにかを訴えかけているのは容易に分かった。
「…助けろと?」
返事を期待していない問いを苦笑まじりに空中へ投げ掛けると、白い光は肯定を返す様に小さく点滅した。
土砂の下に埋もれているのはその大きさからして明らかに人ではない。そもそもこの森の奥地に滅多に人など入るはずもない。そして苦労して助け出したとして、ソレが男にとって害あるものである可能性は非常に高い。メリットがあるとも限らない。
だから男が袖捲りをしながら岩に手を掛け始めたのは、単なる気まぐれであった。この頃は血生臭い日々が続く中、かつて類を見ない程美しい光景を見たことで機嫌が良かったのかもしれない。もしくは男の心の中にある善良な感情が叫びをあげたのかもしれない。
「何処の何とも知らぬが、手は貸すのだからお主も少しは抜け出す努力をしてくれ…よっ」
頭付近の大きな岩を転がしてまず落とし、せめて呼吸の確保だけでもと急ぎつつ、男は土砂に埋もれたソレに声を掛けた。
この男も戦士然とした体つきをしているが、それでも自身の身長を遥かに超える岩を一人で転がすというのは至難の技だ。額に汗をかき、全身泥にまみれながら、男は黙々と土砂を除いてゆく。土砂の下の生き物が、その息を示すように小さく声をあげた。
真上にあった月が緩く傾き、そろそろ朝日も見え始めるだろうかという頃。粗方の大きな岩が退き、ある程度土砂が軽くなった時、ソレは急に動きを始めた。
男は土砂の上で作業していたものだから慌てて飛び降りて離れる。
暫く様子を見ていると、まず男の目には美しい白銀の光が飛び込んだ。
丁度登ってきた太陽が、土砂を振り落としながらのそりと体を起こしたソレを照らす。
全身を覆う白銀の鱗に、巨大な一対の羽。鉤爪は大地を抉るほどに鋭く、尻尾は丸太のように太い。
見たこともないような生き物だった。
男はソレから目が離せなかった。この花畑に先程来た時と比べ物にならない程の大きな感動のようなものを男は感じていた。
荘厳であり、異様であり。そして神々しい光景であった。
同時にどこか懐かしさ、あるいは旧知の友に会ったかのような感動すら覚えていることを男は遠くで自覚していた。
『ドラゴン』
人が名前をつけて呼ぶことが許されるのならばこう呼ばれる、神話の中に生きる伝説。
人ならざる、人智を超えた生き物。
見ることも烏滸がましいかと思わせるような圧倒的な存在の差。神に近しいその雰囲気。
男は目を見開いて固まっていた。目を離してはいけないと思った。しばし、惚ける。
ずっと土砂を掻き分け続けたのもあって疲労困憊していたし、まさかこんなものが出てくるのは想像もしていなかったからだ。
ドラゴンはじっと男を見つめていた。心なしか不安そうな面持ちであった。男も突然の出来事に黙り込んで、その瞳を見つめていた。
「…美しい目だな」
沈黙を裂くように思わず口をついたのは、男の素直な感想だった。男自身も何故そう言ったのか分からない程、唐突な言葉だった。
気が付いたことを伝えねばと、ふと謎の義務感に駆られた。
戸惑ったように泳いでいたドラゴンの真紅の瞳と目が合う。
「貴殿の白銀の鱗に良く映えている」
勢いに任せ、重ねて言うとドラゴンはパチリと目を瞬かせて、首を傾げた。疑問を示すようにぐるると声が漏れている。
随分と子供のような仕草だと男は思った。その見た目に圧倒されていたが、意外と年は若いのかもしれない。
どうなるやらと思ったが、一先ずこの白銀の美しい生き物に喰い殺されることはないだろうと、心の奥で何故か確信していた。否、そんなことは起こり得る筈がないと男は初めからどこかで知っていた。
先ほどとは一転した穏やかな心持ちで男が見守っていると、ドラゴンは警戒を解いた様子で体を地に横たえた。大きな体が大地に乗ると、静かな振動が辺りを伝う。
やがてドラゴンは耐えきれなくなったのか瞼を落とし始めた。うつらうつらと頭を振る様子は、あどけない子供の仕草のそれである。
男は物音も出さず腰を下ろしてその様子を眺めていた。幻想的な花畑、神話の生物。ここは現ではないのやもしれぬ、そんな思いが男の頭をよぎった。
そうしていると太陽が完全に姿を表す頃、静かな寝息が聞こえ始める。男はそれが寝静まるまで見ていたが、完全に寝たのを見て取ってようやく腰を上げた。男の下に敷かれていた花々が、ひょこりとまたその美しい姿を起こす。
「達者でな、白銀の竜よ」
ドラゴンに背を向け、森へと向かう。
目を覚ました時に剣を持った戦士のいでたちの男がいてはドラゴンも気が休まらないだろうと気遣っての行動であった。それに男は追われている身である。このような美しい場所と美しい生き物を、血で汚すのは忍びない。
淡い光を放つ花畑から離れ、一人薄暗い森へ足を向けるというのはどうしても少しばかりの哀愁と心残りもある。きた時よりその足取りは随分と重い。
落ち込んだような感情で視線を下に向けると自分の影がやけに長く、はっきり伸びているのを見て取った。そうして、男は背後から差し込む眩い光に気が付いたのだ。朝日にしてはやけに角度がおかしい。
振り向いてみると、太陽光を淡く反射していた美しいドラゴンの白銀の鱗が、目を突き刺すほどにその眩しさを増して辺りを照らしていた。
男は咄嗟に身構えた。どんどん強くなるドラゴンの光に呼応するように、花々も光を放つ。四方から花びらと光が飛び交い、視界は徐々に全ての輪郭を曖昧にしていった。全てが白に染まってゆく。
男はとうとう耐えきれずに、ゆっくりと、目を閉じた。
瞼の裏まで焼きつくような光がようやく収まったのを感じ取り、男は恐る恐る目を開いた。時間にすれば大したことない、刹那の出来事であっただろう。
そうして見ると、先程まで花畑に横たわっていたはずのあの美しいドラゴンの姿がない。花畑もその様相こそ変わらぬものの、どこかあの心揺さぶる幻想的な雰囲気を失っていた。
男はキョロりと辺りを見渡す。何処ぞへと飛び立ってしまったかと思いドラゴンがいた場所に焦点を当てる。するとあの大きな白銀の姿こそないものの、何やら小さな影がある。
近づいてみて男は驚いた。
人だ。一人の少女が花々をベッドにでもするかの如くスヤスヤと寝息を立てている。
白い肌に、白銀の髪。
まだ四肢も伸びきっていない未成熟な体は、彼女が成人もしていない少女であることを表していた。
畑仕事などの傷もなければ、奴隷につく刻印もなく、手足は仕事など知らぬような淑女のものだ。サラリと美しい髪を見ても整った上品な顔立ちからしても、相当に良い家の出とみえる。
そして、男の予想が正しければ、今は瞼に遮られているその瞳は、きっと綺麗な真紅の色をしているのだろう。男が讃えた、白銀に良く映える真っ赤な瞳だ。
「ふむ…なんとも言い難い」
現実から目を背けるようにぼそりと呟きながら、男は一先ず自身の外套を脱いで少女にかけた。見ず知らずといえど、一人の少女が一糸纏わぬ姿であるのをそのままにする程、腐った人間であるつもりはない。ましてや成熟しきってもいない幼い子に性的な目を向けるほど飢えてもいない。頭を抱えたくなる衝動をぐっと抑える。
「面倒事を抱え込む余裕はないのだが…」
眠る少女の傍にどかりと座り込み、男は頰をついた。まだ幼い少女だ。細い腕でなにに勝てるというのだろう。ましてやこの森は普通の森とは一線を画した場なのである。
捨て置くのは、男の良心が咎めた。
しかし、相手が一瞬前までドラゴンであった場合の対処法はそれに属するべきか否か。
男はぬぅ、と唸りながらこめかみを押さえた。
少女の穏やかな寝息と、男の悩ましげなため息が、朝の森に溶ける。
花々が、木々が、森が、新たな出会いと(運命の再会)を祝福するようにざわりと風に揺らめいた。それに呼応するように鳥が一斉に飛び立ち、獣が遠くで吠える。
男は頰を撫でる暖かい風がそのまま耳元で囁く声に、目を細めた。
「精霊の導きに従うのもまた一興、か」
出会いも突然なら決意も突然だ。男はこの不思議な出来事に身をまかせることに決め、気楽な面持ちで立ち上がった。
そうと決まれば、と食料でも採ってくるかと予定を練る。普通の人間とは随分とかけ離れた図太さであった。
これがこれから運命を共にする少女と男の出会いであった。
◆◆◆
なにか大きなものが閉じた瞼の上を動くのを感じて、少女はゆるりと目を開けた。
ボヤけた視界が戻ってくると、眼前にあるソレは大きな手だと分かる。見るものが見れば一目で熟練の戦士の手であると見抜けるような使い込まれた手だ。
少女は生憎、剣などとはいうものは実物すら見たこともなかったからそんなことは分からない。ただ大きくて暖かそうな手だと思うばかりである。暫く状況が飲み込めず瞬いていると、手がスッと顔の上から退けられた。
「あぁ良かった。やっと起きたか」
「…?えと、おはよう…?」
相対しているのは黒髪の精悍な顔立ちの男だった。歳の頃は二十数歳といったところだろうか。表情は大人びていて年配の凄みすら感じさせるが、肉体から溢れ出るオーラは若々しい。すっと通った鼻筋と凛々しい眉は随分と男らしいが、不思議と威圧感は感じさせない柔和な顔つきだ。
少女が起き上がったのを見て取って安心している所をみるに、中々起きてこない少女を心配していたのだろう。
男はあくびをしながら呑気に返す少女に、呆れたように眉を下げた。
「何処がおはやいものか。お主が眠ってかれこれ一日は経っているのだぞ」
「そうなんだ。じゃあおそよう?」
「まぁ、それなら間違ってはないな」
「いいんだ」
「よくはない」
男は少女が眠ったきり、置いていくわけにもいかず立ち往生していた。周辺で食料を調達したりと色々しつつも、少女の起床を待ちわびていたというのに第一のやりとりがこれである。この不思議な少女に対して警戒していた男の気も抜けるというものだ。
「して、体に何処か大事はないか?服は生憎それしか用意出来ぬのだが」
「ありがとう、あったかいから大丈夫。ところでお兄さんどちら様?」
「こちらも是非尋ねたいと思っていた所だ。一体お主は…」
ぐううう、とおかしな音が鳴る。男の言葉は途中で遮られた。男が音の元に目をやると、少女は悪びれる様子も恥ずかしがる仕草もなく自身の腹を指差した。見てわかるでしょ、と言わんばかりの目に、小さく一度頷く。
「そうだな。一日も眠っていたのだから当然だ」
「なにか食べたい」
男はこのドラゴンの少女の人間らしい側面を垣間見て、安心したかのように小さく笑った。立ち上がりながら少女に手を差し伸べ、もう片方の手で森を指し示す。
「少し先の小川で魚を焼いている。話は飯でも食いながらしよう」
パチリパチリと弾ける火の側で、少女は魚にかぶりついている。見た目からして箱入りのお嬢様のような容貌であるのに、その食いっぷりは随分と獣じみている。
「随分と口が忙しそうだから先に俺が名乗ろうか」
「んぐっ…うん」
「アルフレッド.ラルク.ディルリオス」
少し、ほんの少しだけ目つきを鋭くしながら言い放った男…アルフレッドに、少女は小さく首を傾げた。その反応に意外そうな表情を浮かべつつ、アルフレッドは重ねて言う。
「俺の名だ」
「ふーん、長いね」
「…っはは!そうか、長い、長いとな!確かにその通りだな、覚えにくくて仕方がない!俺も常々名乗りにくい名だと思っていたのだ」
少女から間髪いれずに返ってきた反応に、アルフレッドは思わずといった風に天を見上げて大笑いした。あまりの笑い方に少女はびくりと肩を震わせて可笑しなものを見る眼差しでじとりとアルフレッドを眺める。
「えー…なんでいきなり笑ってんの?」
「いや随分と斬新な反応をされたものでな。気にするな。そうだな、長いのは不便だ。…では俺のことはアルとでも呼んでくれ」
「そっちのがいいよ呼びやすいもん」
もぐもぐと魚を齧りながら言う少女に、アルフレッドは小さく微笑んだ。
「それで俺はお主を何と呼べばよい」
「んー」
時刻は少女が眠って丸一日経っているため、丁度朝方だ。まだ肌寒い気温に指先を焚き火にかざして、少女はアルフレッドからの質問に考え込む。
次に顔を上げた時の少女の表情は、風に煽られた髪に遮られて伺えない。
「化け物とか怪物とか、色々呼ばれてたのはあるけどどれがいい?」
どことなく含みを持ったからかうような声で、少女はアルフレッドの返事をじっと待った。放たれた言葉はこの少女には中々似つかわしくない不穏なものだった。
アルフレッドは、ふむ、と顎に手をやり一瞬考えるようなそぶりをした。そしてとぼけたような、なんでもないような顔でダメだ、と首を横に降る。
「随分センスがない呼び方ばかりだ。俺の性にはあわん」
「ありゃ、予想と違う反応だ」
「反応に困る事を言われてしまったのでな」
「そっか、そりゃ僕が悪いや」
食べ終えた魚の骨を川に投げ捨てながら、少女はアルフレッドに近づいて隣に腰かけた。
アルフレッドは流れてゆく骨を横目に、少女の言葉を待っている。
朝日が照らす快晴の空を背中を反って見上げながら、少女は暫く黙り込んでいた。
「何だっけ名前。み、みー…みなんとかだったかな。まともに呼ばれた事ないから忘れちゃった」
先程とは一変して、茶化した雰囲気もなく、少女は真面目な声色でポツリと漏らした。
「そうか、それは困ったな。呼び名がないのは不便だ」
アルフレッドは、静かに微笑んで言う。少女もまた、口元を緩めていた。
「これから一緒に行動すると決まってるわけでもないのに不便かな?」
「おお、それは知らなんだ。お主が獣も出るこの山を無事に一人出られる程熟練の者だったとは。そうかそうか、これで俺も一安心というものだ」
「わー必要だね呼び名!アルがつけてよ!」
「調子のいい奴だなお主」
まったく、と笑いを漏らしながら、どうしたものかと考え込む。こうして見ていると普通の少女だ。腹も空けば冗談も言う。とてもあの月夜に美しい花畑でみた白銀のドラゴンと同じものと思えない。ましてや先程から匂わせている過去の事など、微塵もその表情からは伺えないものだ。
そうして連想ゲームの如く、花畑、ドラゴン、と記憶を遡っているとアルフレッドの脳内に、赤い色がふと思い浮かんだ。
「ミーシャ、というのはどうだ」
「僕の名前に?」
「うむ、お主がいた花畑に多く咲いていたあの赤い花の名だ。その、白銀に映える瞳の色とピッタリであろう?」
「ミーシャ」
「気に入らなかったら別のものを考えるが、どうする?」
「…ううん、これがいい。センスあるね」
『み』から始まる名前だったと言ったからこの名前をつけてくれたのだろうと少女は一人こっそりと頬を緩めた。ミーシャ、ともう一度確かめるように呟く。
「俺としてはまだ聞きたいことがあるが、流石に目覚めてすぐというのは不躾か」
「いーよ別に。アルいい奴だし」
「それはどうも。では率直に聞くが、ミーシャはあの時のドラゴンで相違ないか?」
「多分そうだよ」
「なんだ、随分とあやふやな答えなのだな」
「そりゃ僕にもよく分かんないよ。だって今まであんな事一度もなかったし。そもそも他の状況もよく分かってないんだ」
「他の状況?」
「うん」
ミーシャは大き過ぎる外套を踏まないように気をつけながら立ち上がり、自らの指で地面を指差した。
「まず此処がどこなのか。僕が何なのか。君が誰なのか。幸せとは何だろう。命とは、人生とは…」
「こら、巫山戯るでない」
「ごめんって。まぁ要するに僕は何にも分からないって事だよ」
腕を広げ空を仰ぎながら演劇を始めるミーシャを小突いて、アルフレッドは困ったな、とぼやく。
「目が覚めたら暗くて重いものの下にいて、そしたらアルの声が聞こえて、今ここに至る!!以上解散!」
「殆ど俺が知っている所からじゃないか。それ以前のことは全く思い出せないのか?」
「ん?いーや、記憶喪失とかそういうのじゃないから。ちゃんと覚えてるよ」
「そうであったか」
「でも自分でも上手く説明出来る気がしないんだよね」
「む…?」
訝しげな表情のアルフレッドからの視線を受け流して、ミーシャは自分の髪をつかんで眺めたのち、首をサラリと撫でた。
「まず髪の毛は普通に日本人らしく黒色だったよ。目はもともとだけど」
「ニホンジン…?」
アルフレッドは職業柄と言うべきか幼い頃よりの教育の結果などから地理や世界の国々に関してはかなり詳しい部類の人間である。ほとんどの国名、人種は大雑把に把握しているつもりであった。しかしそんな彼が全く聞いたことのない名を耳にして思わず繰り返して首をかしげる。
「…やっぱりここ海外ってわけでもないんだ。言葉が通じる時点でおかしいと思ったんだ。だとすると、やっぱり天国か地獄かな」
「待て待て話についてゆけぬ。何故天国だの地獄だのと出てくるのだ」
「まぁアルは天使って図体じゃないし、死神にしてはいい人すぎるから違うよね」
「何だその判断基準は…」
「やっぱり違うかぁ。此処にくる前に、確かに首を切られて死んだ筈なんだけどな僕」
川辺で水面を覗き込んで傷一つない喉元を撫でながら、ミーシャは首を傾げている。アルフレッドは、首を傾げることもなく、眉間を抑えていた。
「…すまぬミーシャ、もう一度」
「だから僕一回死んでるんだってば」
「幽霊か?」
「水面には映るから違うと思うけど」
「つまりどういうことだ」
「どういうことだろうね」
「本当に考えているのか?」
「どうでしょう」
「お主というやつは…」
「いいじゃん、気楽に行こうよ」
気が重い、と言った風のアルフレッドと対照的に、ミーシャは随分と楽しそうに辺りをぐるりぐるりと見渡している。
しかしそれを非難する気は、アルフレッドにはない。
アルフレッドは決して鈍い男ではなかった。むしろ人の機敏には人一倍敏感で、聡い部類である。
そんなアルフレッドには、少女が自らに随分と心を許して始めているというのが手に取るようにわかる。知り合って一日しか過ぎていない男に対して、である。
同時に、自らもこの少女と共にいるとどこか落ち着いた気分になる自らの心も感じ取っていた。隣にいるとしっくりくるのだ。初めて会った筈なのに。
そして分かる。少女ーーミーシャは決して嘘を言っていない。つまり彼女がドラゴンであったことも彼女自身状況を理解していないことも、彼女が一度死んだということも全て真実なのだ。決して嘘ではないという確固たる自信がアルフレッドにはあった。
正直に言うなれば、現在の彼は面倒ごとを抱え込んでいい様な状況ではない。ここで見て見ぬ振りをして放り出せたら如何程楽であろうか。しかしその選択肢が微塵も出てこない。魂がミーシャと離れるのを拒むが如く、そこには決定された選択肢しか残されてはいなかった。
刹那ほどの時間を逡巡して、アルフレッドは悩むのを諦める。
「まぁ分からぬものをいつまでも考えても仕方あるまい。兎に角、最低でもこの森を出るまでは同行者としてお主を守ると誓おう」
「ふふ、ありがと」
「気にするな、この短い間に何が分かると言われるかも知れぬが俺がお主を気に入ってやっている勝手な行動だ」
「僕も、アルのこと気に入ってるよ。不思議なくらいね。多分今のところ人間の中じゃ一番好きだ」
「それは光栄だな」
軽い口ぶりでいて決して破らない堅い誓いを終え、アルフレッドは立ち上がる。
「さて、俺は今からしばし眠るがあまり遠くへ行くなよ。何かあればすぐ起こせ」
「え、朝だよ。何で寝るの?僕起きたばっかりなんだけど」
「何処ぞのやつの為に見張りをしておってな、ずっと寝ておらんので随分と眠いのだ」
「それはご苦労様で。おやすみぃ〜」
「…あぁ。眠る前に一つ。これを」
欠伸をしながら、アルフレッドはミーシャに腰から取り出した手の平大の棒のような形状のものを手渡す。受け取ってみると大きさの割にずしりと重みがあった。
「これ何」
「短剣だ。お主にやろう。これからの護身用に持っておくと良い」
「おー…本物の剣とか初めてー」
軽い装飾が施された短剣をしげしげと眺めて、抜いてみる。鏡のように曇りのない刀身が、キラリと太陽光を反射して輝いた。
「持っておくだけでもマシだろう。なくすでないぞ」
「けどいいの?こんな会ったばかりの奴にいきなり刃物なんか渡して」
「お主に襲われて死ぬならこの森では3日と持たぬ」
「寝込みならワンチャン僕でも勝てるかもよ」
「試したいならやってみるといい。寝起きで手加減が効くかは保証せぬが」
「やめとくよ」
調子のいいやつめ、とアルフレッドは肩をすくめた。ミーシャは暫くは短剣を物珍しげに眺めていたが、それが人を殺め得る武器だと理解してか、そっとそれをローブの内ポケットに仕舞い込んだ。
アルフレッドは川から少し離れた木陰に腰かけ、長剣を抱き込むようにして眠りにつく。
ミーシャはその近くに腰かけて、川を眺めていた。
川の音の中にポチャリと何かが跳ねる音がする。木々の擦れる音の中に、生き物たちの声ら、興味本位に地面に耳を当てれば、聞いたこともない音が聞こえた。
外の世界はすごく面白い。ミーシャは風を手の平で撫でながら、一人微睡んでいた。
ふと隣に視線をやる。
不思議な人だ、とミーシャは思う。体つきは随分とがっしりとした長身の男だが、威圧感はまるで感じない。柔和な顔つきをしているが、その実何を考えているのかは読み取り辛い。黒髪黒目な上言葉も通じるから日本人なのかと思えば、日本の存在すら知らない様子。
普通の人間はドラゴンを見て平然と出来ないし、訳の分からぬことを言う見ず知らずの少女の面倒をここまでみない。相当なお人好しであるかと思えば、過去を匂わせてもまるで同情の言葉をかけてこない。
なんとも不思議な男だ。だが、一緒にいると随分と心地いい。過去に自分に優しくしてくれた人はいたが、一緒にいて気分がいい人間というのは初めてだった。
また、風が頰を撫でる。
空っぽだった自分がゆっくりと美しいものと楽しいものに満たされて、今この瞬間に帰るべき場所にようやく帰って来たのだという不思議な実感を得ていた。
前書きを読んだ上でここまで読んでくださった優しいあなた、きっと明日いいことありますよ