第四話
さっぱりとした髪を片手でいじりながら学園長の家を出る。最後まで名残惜しそうにしていたが、無理に引き留める姿は見られなかったため仕事が忙しいのだろう。……彼女にしてはとても珍しいことだ。
――何かあったのだろうか。
柄にもなく不安になってしまう。以前忙しそうにしていたと思ったら「見てみて、この子拾った!」と蛇を片手に微笑んでいた。しかも大蛇サイズ、そして話す。蛇に話を聞こうとするも「我はヒューダルという名がある!」と一点張り。どうやら学園長が「へっちゃん」と呼んでいたのがお気に召さなかったらしい。
しかし、新しいおもちゃを見て喜んでいる子供のように見えた学園長は、実はちゃんと仕事をしていたのだ。学園の近くに住み着いてしまった大蛇を恐れて鳥が近寄らなくなったことで、自然を愛し、愛されていた学園長は異変を感じ取ったそうだ。ほかっておけば自然の形態を崩しかねないと判断し、捕獲に至ったそうだ。
ちなみに、そうして捕らわれた彼(?)は今現在も学園長の家のどこかにいる。学園長の部屋のあまりの汚さに驚き、できる範囲で整理整頓をしてくれているそうだ。長い尻尾を器用に使って物をしまう姿には、もはや最初感じていた彼のプライドの高さが消え失せていた。
――と、彼女はこのように仕事をしていないように見えて実は働いている……というケースが数多く存在する。いつもは学園内の、特に商店街辺りをうろうろしている彼女が家に閉じこもるほど忙しいという事は、すなわち面倒事を持ってくるという事。俺達はもちろん、特に担任のマルガータ先生が胃を押さえる姿が容易に目に浮かぶ。
前回の時は、大蛇――ヒューダルが大人しくしたから良かったものの、あのまま暴走をし始めていたら大変なことになっていた。そうならないためにマルガータ先生が毎日学園長の家へ赴いていたのを今でも覚えている。
「何もなければ、いいが」
声に出した後、何故か言わなければよかったと後悔の念が押し寄せてきた。
***
「そんなこと言って――」
「――だから――!」
ふと、学校内に戻ってきた俺の耳に、誰かが言い争っている声が聞こえた。どうやら中庭で誰かが喧嘩をしているのか、と止めに入ろうとするも、俺がその場に辿り着く前に走り去る複数の足音がした。
どうやら、喧嘩は終わってしまったようだ。だが、一応と確認するために声のしたほうへ顔を出し――
「レイモンド?」
――見知った顔を目にし、思わず声が出てしまった。
「……レオンさん?」
「レイモンド、こっちから何か言い争っている声がしたんだが……」
「え? いや、僕には何も聞こえなかったよ」
「そうなのか? おかしいな……」
と、首をかしげる。
レイモンドも同じように首と傾げた後、苦笑いを浮かべた。
「レオンさん、休んだ方が良いかもしれないね。空耳が聞こえる程疲れているんじゃないかな?」
どうやらレイモンドは俺の髪を見て、俺がどこに行ってきたのかを把握したようだ。彼も学園長の性格をよく知っている。
それもそうだな、と俺は頷いた。確かに疲れる要素は沢山あった。
「そうだな、今日はもう寮に戻ろう。……レイモンドはどうする、一緒に行くか?」
「あー、そう、だなぁ……」
「何か用事があるのか? それなら、一緒じゃなくとも」
「あーいや、別に用事ってほどの用事じゃないんだけどね」
……何となく、言葉を濁しているレイモンドが怪しく見えた。何かを隠しているのでは、そう考えるも、これほど言うのを渋るという事は「用事」について俺には知られたくない何かがあるのだろうと悟った。
ならばこれ以上長居する必要はない。そう思い、踵を返そうとしたその時。
「レイモンドさんに……レオンさん、ですか。そんなところでどうしましたか?」
――まさかの二人目登場である。
「セレシアか」
「ううん、何でもないよ。ちょっとお話しをしていただけ」
「あ、もしかして私、お邪魔しちゃいましたか……?」
不安げに目を揺らしたセレシア。首を横に振れば、安心したように小さく息をつき笑顔を浮かべた。
「それにしても、このお二人の組み合わせって、なんだか珍しいですね」
「そうか?」
「ええ、いつもレオンさんはドラキリーさん、レイモンドさんはルークさんと一緒にいるイメージがあったので……」
言われてみれば、確かにそうである。レイモンドとルークは兄弟であるため、一緒にいる姿がよく目撃される。だが、俺とドラキリーは好んで一緒にいるのではなく、ただあいつが勝手に俺に喧嘩をふっかけてきて……と言い訳がしたい。
レイモンド達とは「一緒にいる」の意味が違うのだ。同じにされては困る。
「ああ、うん、まあね」
レイモンドも同じようなことを思い浮かべていたのか、俺を見るなり何とも言えない、遠い目をしているような苦笑のような表情を浮かべていた。
だが、ふと何かを思い出したようにレイモンドは「そうだ」と呟く。
「セレシアさん。レオンさん疲れているみたいだから、寮まで一緒に行ってくれないかな?」
別に、そんなことはしなくてもいい――と喉の途中まで言葉が出かかったが、二人の表情を見てすぐさま飲み込んだ。レイモンドはどうやら一人になりたがっていて、セレシアはそんなお願い事を断るわけもなく「もちろんです」と満面の笑みを浮かべていたからだ。
ならばお願いするかと流れのままに身を任せる。セレシアは笑顔から一変し、不安げな表情を表に出した。
「体調が悪かったのですか? すみません、気付かなくて……」
「いや、体調は普通だ。だが、学園長の家へ行ったからな」
そう言った途端、セレシアの表情は何かを悟ったものに変化した。どうやら彼女も知っていたようだ。
「それは、……行きましょうか」
言葉を飲み込んでくれたセレシアに感謝しつつ、俺はレイモンドに別れを告げる。
中庭を離れる間際、ふと振り返った俺の目には彼の輝く銀髪がどこか暗い色を帯びているように見えた気がした。
四日ほど家を留守にするため、今度の更新は早くとも十四日となります。ご了承ください。