第一話
「――このように、この世界には天界、地上界、魔界の三つが存在し、地上界はさらに人間側、魔族側と分ける事ができるのです。人間界、魔族界という学者もいますが。そして、基本的にはそれぞれの世界に分かれて興亡が繰り返されています。ところで――ドラキリー・エンドリム。授業は寝ないものと、何度教えればよいのですか」
「うわっ!?」
眠気を誘発させる、昼食後の座学。窓際に座っている彼が眠くなるのも仕方ないと納得しつつも、彼の目の前で爆ぜた小さな火球を目撃してしまい、決して寝まいと心に誓った。
よくある光景に、暖かな日差し。今日も平和な一日が過ぎていると思った、その時――
窓の外に閃光が走った。
「……え?」
十数秒の間、その教室内で発せられた言葉はただそれだけ。誰もが沈黙し、唖然と窓の外を眺める。
ようやく耳に入ってきたのは主に女子生徒たちの泣き声。それと、先生達の叫び声に――誰かが走ってくるような大きな足音。
ああ、来る。
「せんぱーい! ホルク先生が、また魔法のコントロールをするのを忘れて……」
涙目で教室の扉を開けた彼の言葉を聞き終える前に、先輩と呼ばれた女性――俺達の担任が、猛スピードで現場へ向かった。ついでに涙目の彼も連れていかれており、俺達には「自習」という文字のみが残されていた。
「……先生、反応も行動も早いですよね。毎回驚いてしまいます」
「あー、まあ……あの若さでここの主任なんだぜ?」
少々的外れな返しである。柔らかな色の栗毛を揺らした少女は、苦笑いを浮かべた。
「え、ええ、そうなのですが……」
抑え気味な自己主張だ。彼女はもっと胸を張って発言しても良いと思うが、自分の意見を強く言うことに慣れていないのか、「私が言いたかったのはそうじゃないんです」と瞳では語りたそうにしているものの、少年をいたわってか口にはしなかった。
そんな彼らを、狐耳を揺らした少女が笑い飛ばす。
「あははっ、そうだね! あの強さなら主任であることも納得なんだけど、素早さには慣れないものだよねー!」
「こんなこと、慣れちゃいけねェ気がするんだが……」
ぼそりと小さく呟かれた一人の少年の言葉に反応するものはいない。
「あ、そうだドラン。寝ちゃったね」
「ねねね寝てないんだぜっ!?」
その反応が何よりも真実を物語っていることに彼は気が付かないのだろうか。だが、俺がそういった指摘の類の言葉を口に出せば、彼――ドラキリー・エンドリムを怒らせてしまうことを知っている。俺は何故かドラキリーに敵視されていて、口を開けば喧嘩が勃発してしまうような仲なのだ。
しかし、このまま放っておいてもドラキリーと狐耳の少女――ライラ・スリザンカとの言い争いが起き、しかもドラキリーが負け、悔し気に炎を出すドラキリーを宥めようとした俺に八つ当たりし、喧嘩勃発……という流れが簡単に想像できてしまう。しかも、それは俺がいくら喧嘩しないよう努めても、そもそもドラキリーを宥めようとしなくても、喧嘩が起きてしまうという最悪な流れ。彼は俺と喧嘩を起こす天才といっても過言ではない。
どうにかならないか。助けを求めて辺りを見渡せば、苦笑を浮かべたままの少女と目が合う。彼女は少し目を見開いた後、何かを察したように頷いた。
「まあまあ、ドラキリーさんもライラさんもそこまでにしましょう? ほら、こんな状況ですから、こちらでも騒ぎを起こしてしまえば先生方が困ってしまいますよ」
「そうだよ! ドラキリーさん、ライラさん、あの状態のマルガータ先生に怒られたいの? 僕は……やだなあ」
心優しき少女――セレシア・フローレンスは俺の救助要請を見事に感知してくれたようだ。しかも、それに続いて心優しき少年が助け舟を出してくれた。激怒した担任、マルガータ先生を想像したのか、彼――レイモンド・メリオは肩を震わせる。
ああ、たしかに……激怒したマルガータ先生は怖い。思わず姿を消して逃げ出したくなるぐらいには。
「もー、わかったよう。ごめんねセレちゃん、レイ君。泣かないで?」
おどけたように話すライラは、楽しそうに尻尾を揺らした。彼女は妖狐の子供であるため、狐耳の他にも、髪色と同じ毛並み豊かな黄金の尾を持っている。
……と言っても、彼女は両親のことをこれっぽっちも知らないらしい。顔も、名前すらも。
「え、いや、僕達別に泣いてないけど……」
「レイ君ってば冗談通じないな~。どう思う、お兄ちゃん」
「俺はライラの兄貴じゃねェよ」
口が悪く、人によってはただ挨拶を交わすだけで喧嘩を売ったと勘違いされる彼――ルーク・メリオは、心優しきレイモンドの実の兄である。口調や性格などは全く似ていない二人だが、灰色――いや、日の光に当たると輝くそれは銀と言った方が良いかもしれない――の髪に、夏草のような緑の瞳は全く同じだ。
ちなみに、レイモンドは俺達の中で唯一の年下である。そんな彼と何故同じクラスなのかと言えば、それは……この場所自体が『ワケあり』だから、としか言いようがなかった。
さて、ここまでずっと沈黙を貫いてきた俺だが、実はこの教室内には俺を含めて七人いる。
俺、ドラキリー、レイモンド、ルーク、セレシア、ライラ……。
そう。もう一人、沈黙を貫いていた人物がいるのだ。
「はあ……そろそろそこの蝙蝠を黙らせてくれないかしら? いい加減うるさいのよ」
黒髪をかき上げ、冷気を宿しながら真っ赤な瞳を向けたのはフィオナ・ガイデニー。いつもは無言で教室内が治まるのを待つが、今日はセレシアとレイモンドによって宥められたドラキリーを無視していたのがいけなかったらしい。
「え、な、蝙蝠? ――もしかして」
「言わなくても分かると思うけれど……名前をちゃんと出した方がいいのかしら、ねえ?」
彼女はまさに「女王」という言葉が似合う。気怠そうに頬杖をつき、その瞳には苛立ちと冷気を乗せ、ドラキリーを貫いた。教室の温度が一気に下がったのは気のせいではない。……むしろ。
「フィオちゃんさあ……氷魔法使ってるよね」
「相当苛立ってんなァ」
きっと、彼女自身が故意に温度を下げているのだ。相手に恐怖をより強く感じさせるために。
「フィオナ、もうやめろ」
俺は、ようやく口を開いた。言葉は伝えたいことだけを簡潔に。それだけでフィオナ相手ならばきっと通じる。
何秒間か視線を交わした。鋭い目は俺を刺し、その表情はありありと不満を訴えている。
「フィオナ」
今度は名前だけを呼んだ。そうして、フィオナはようやく冷気を収めてくれた。
誰かが安堵の息を吐く。フィオナはもうドラキリーに関心を示さず、机の上に広げられていた教科書に向かい勉強に集中していた。
「レオンさん、ありがとうございます」
こっそりと隣の席のセレシアがお礼を伝えてくる。ようやく彼女の表情が苦笑いからいつもの微笑みへと変化しており、俺は内心安堵した。
「気にするな。こちらこそ、ありがとう」
「いいえ、お役に立てたのならなによりです」
今度は優しい色を灯す空色の瞳が俺を捕らえていた。そういえば、笑顔も瞳も性格すらも優しい彼女が怒ることはあるのかと疑問に思う。じっと彼女を見つめ思案していると、不意に彼女の長い栗毛が肩から流れた。
「れ、レオンさん?」
首をかしげた彼女の頬は、やや桜色に染まっている。……見つめすぎてしまったようだ。
「何でもない」
ゆるく首を振った時、今度は自身の青毛が視界に入った。随分長くなってきたためそろそろ切るかと考えているそれは、今は後ろで一纏めにしてある。鬱陶しくてかなわないが、ここには「髪師」は存在しない。誰か、切ってくれるものを探さなければならないが――
ドラキリー、論外。
レイモンド、何だか申し訳ない。
ルーク、俺の首も切りそうだから除外。
セレシア、すこしドジなところがあるため怖い。
ライラ、セレシアとはまた違った意味で怖い。
フィオナ、……やってくれそうもない。
先生、は、普段忙しそうにしている。
――あの人に頼まなければならないのか。
あの人を探すところから始めなければならないため、やや手間がかかるが、それが一番無難だ。しかし面倒くさい。
教室の喧騒に紛れ、俺は一つため息をついた。