今の自分に出来ること
回廊には女の子たちの個室があった。
女執事レパード曰く、彼女たちはこの宮殿から常闇街でドナが構える店に出勤するので、宮殿内で男の姿を見ることは無いそうだ。
男の住人は俺が初めてだそうな。ハーレムと喜んでもいられない。なにせ、ここでは俺が彼女たちの餌食になりかねないのだから。
宮殿で暮らす女の子たちはたっぷりと常闇街で稼いで、自立できるようになるとそれぞれ故郷に帰るらしい。ドナから学んだ経営術で大成功を収めた女の子もいるとのことだ。
女の園たる宮殿を守るために腕っ節の強い男たちが雇われ、門番の強面オークなど闇の種族が守っていた。
ドナの経営する店でトラブルが少ないのも、乱暴な客を黙らせる男衆の仕事ぶりによるものである。
前々世でガーネットと出会えなかったら、俺もドナの元に流れ着いていたんだろうな。
元は邪神側の存在だったという闇の種族。。
邪神が倒されたことで解放されたが、他の種族たちとの溝はある。
エルフのオーク恐怖症っぷりしかり。
過去にいったいどんなことがあったのか、教会で聖典を学んでもいまいちわからなかったんだが……。
と、ぐるりと宮殿一階の回廊を一巡りして、宮殿が抱える中庭に出ると縦断して正門に向かう。
外に出るつもりは無かったのだが、門番のオークが俺の前に立ち塞がった。じっと俺を見据えて首を左右に振る。
ドナの外出許可が必要そうだ。
正直なところ、教会にドナの事を報告していいものか迷っている。
「あっ! ごめんなさい。ドナママと一緒じゃないと外に出ちゃだめなんだよね」
生傷だらけのオークはコクリと頷いた。
「ねえねえお兄さんはドナママのこと好き?」
「…………感謝しきれない。オレはあのお方に救われた。こうして生きていられるのもドナ様のおかげだ」
なにがあったのかはわからないが、その声は低く落ち着いたものだった。
敬愛しているという感じだ。無理に外に出ようとして、困らせるのも気が引ける。
もし教会に戻る時は、このオークの青年に累が及ばないよう、どこか出先で迷子になった……という流れが良いかもしれないな。
今はまだ情報収集不足ということで、きびすを返して宮殿に戻る。
朝の賑やかさが嘘みたいに、宮殿は静かだ。
遠くから聞こえた教会の鐘の音が正午を告げる。
腹が減ったな。ドナが料理をすると言っていたが……。
着ぐるみを着ていったということは、彼女は身分を隠して外出中だ。
まいったな。昼飯をどうしようか悩んでいると、正門の方からピンクの毛玉が女執事と数人の女の子を引き連れて戻ってきた。
足取りはどことなく重く、レパードが「しっかりなさいませ。貴方がそのようでは、他の者が不安がります」と、厳しくも支えるように声を掛ける。
キューの姿だとキレッキレの動きをするのに、しょんぼりしてピンクの毛玉が小さく見えた。
門番のオークが小さく一礼し、戻ったキューが俺を中庭で見つけるなりギューっと抱きしめる。
「ごめんよゼロ! ご飯はレパードが買ってきたパンを食べてね!」
「え、ええと、うん。僕、パン大好きだから心配しないで」
俺はいつも抱きしめられてばかりだ。
そっとモフモフとした身体を抱きしめ返すと、キューは一層俺を身体に埋めるように抱いて言う。
「ごめんね……本当に……」
「ね、ねえいったい何があったの?」
苦しげに訊くとレパードが応える。
「キュー様。お坊ちゃまが苦しげです。解放してさしあげては?」
抱きしめる力が緩くなり、俺は人心地ついたところで顔をレパードに向けた。
レパードの後ろには、獣人族の少女が五人、心細そうにしている。
黒豹女執事は「お坊ちゃまの心配には及びません」と、俺には言わない方針のようだ。
「レパードさん。僕に出来ることなんてなにも無いかもしれないけど、キューが苦しそうにしているのを放っておけないよ」
レパードは白い手袋に包まれた手でそっと、自身の顎を指で挟むような仕草をしながら、キュー――ドナに視線を送る。
キューが俺の身体からそっと離れて告げた。
「そうだね。ゼロも宮殿の住人だもんね」
レパードは「お坊ちゃまに出来ることはきっと無いかと思いますが……」と前置きをしてから歩き出した。
「ついてきてください。さあ、皆も」
レパードが五人の獣人族少女を先導する。
最後尾で俺はキューと手を繋いでついていった。説明するより見た方が早いってことか。
宮殿の一室――
小さなベッドと机に本棚とクローゼットという、簡素な部屋だ。窓から光が射し込む中、少女が病床に伏せっていた。
犬系の獣人族の少女だ。青い瞳に金髪で、グレーの耳と尻尾をしていた。
狼だろうか。机の上には篭いっぱいのリンゴがおいてあった。
見舞いの品だ。
部屋に入ると着ぐるみから脱皮して、ドナがベッドの脇に寄りそうようにかがむ。
「マリア。身体の調子はどうかしら」
「すぐに良くなるとおもいます。だから……そんなに悲しそうな顔をしないでドナ様」
そっと毛布の下からマリアは手を伸ばした。
手は石になっていた。灰色でゴツゴツと硬化している。触れなくとも冷たいのがわかるくらいだ。
どうりでドナとレパードが俺に隠そうとしたわけである。
レパードが連れて来た五人の少女に言う。
「順に使える白魔法で彼女を癒やしてください。手はず通りによろしいですね」
コクコクと頷いて、羊系の獣人少女が祈るように回復魔法を使った。
優しい波動の光に包まれ、石化したマリアの腕は……そのままだ。初級回復魔法が通じなかったため、今度は狐少女が治癒魔法を使う。これも初級レベルだ。
清らかに浄化する光も弱々しい。
残る三人もそれぞれ、使える白魔法でマリアを癒やそうとしたが……マリアの顔に苦悶の表情が浮かんだ。
「うっ……あ、ありがとうね、みん……な……ドナ様……本当に……ありがとう……ございました。あの子たちもきっと……ドナ様を……恨んだりなんて……」
マリアの声はだんだんと弱まっていった。
最後の一人は魔法力を絞り出すように、回復魔法を使い続ける。
ドナも鎮痛な面持ちだ。レパードは気丈に振る舞おうとしているが、その手は震えていた。
「教会も錬金ギルドもクズばかり」
黒豹女執事が牙を剥く。そうか……俺がいなかったから、万能薬の材料が集められず調合ができないんだ。
時期的なズレも感じるが、起こってしまう出来事については日数のブレがあろうと発生してしまう。
前世と前々世で最果ての街についた時に、日数が違っていても俺はガーネットとシルフィがぶつかる場面に出くわした。
俺がここに来たからなのか?
それでマリアは死ぬのか。
石化はむしろ進行した。彼女の身体を蝕むように腕から胸へと進んでいく。
かけられた白魔法を糧にしているようだ。
ドナが涙をこぼして彼女の手を手袋ごしに握り締める。
「しっかりして。必ず治してあげるわ」
前々世でも前世でもない、今の俺にならマリアを助けられるかもしれない。
代償は正体バレだ。俺が中級天使だとわかれば、ドナは言わずともレパードがどう思うだろう。
だが、迷っている時間は無かった。これ以上の治療は危険なのだ。
白魔法の心得がある五人の少女が、一斉にそれぞれの魔法でマリアを治療しようとする。
「ちょっと待ったあああ!」
俺はそれを阻むようにマリアの前に立って両手を広げた。
誰もが驚いて目を丸くする。ドナはどうしていいのかわからないと、らしくもなくオロオロしだした。
レパードが俺をじっと見据える。
「お坊ちゃま。治療の邪魔はなさらないでください」
俺は首を左右にブンブン振った。
「治療は逆効果なんだ! マリアお姉ちゃんの容態が急激に悪化したのが見えてないの?」
ドナが声を震えさせる。
「急にどうしてしまったの?」
「ドナママ……何も訊かずに僕に任せて」
マリアを治療できるかは賭けだが、このままじゃどのみち彼女は死ぬ。
ドナのアッシュグレイの瞳が揺らいだ。
俺はじっと彼女を見つめる。どうか……頼む。うんと言ってくれ。