教会のために
赤く薄ぼんやりと光った眼光が、うつむくように下を向いた。
自分の胸を見つめてヘレンが呟く。
「……ゼロ君はおっぱいが好き」
「ち、違うよ! 僕、そんな子供じゃないよ!」
あっぶねぇ。いやらしくてよかった。偉いぞ俺。
どうやら彼女に伝わったのは、ゼロ少年がムッツリなエロガキであるという事実のみだったらしい。
「……ゼロ君が希望する場合、服の上からなら許可」
「しないよ!」
どうせなら直接手を下したい。って、バカか俺は。
「……了解。ゼロ君、私以外にそういった相談はしないこと。君の信頼に悪影響」
「う、うん……あのね……ヘレンお姉ちゃん。恥ずかしいから誰にも言わないでね」
「……君の秘密を守ると約束する」
天使族のよりにもよって修道士になろうというなら、以後気をつけます。
いやいや気をつけていたよ。ちゃんと純真な少年を演じきっていたよ。
しかし――
ヘレンの力が俺に上書きされたらしく、力が溢れるのを感じた。
「……中級魔法の使用は可能?」
「えっと……うん! なんだか力が湧いてきたよ。お姉ちゃんの勇気を少しだけ、分けてもらえたのかも」
試しに各種白魔法を使ってみた。といっても、さわりの部分だけだ。
それでもヘレンには俺が全てマスターしたのが解ったらしい。
「……君は中級の白魔法を習得した。能力的には私と同じ中級天使となる。通常、力を与えてもそう簡単には使えない。ゼロ君には才能がある」
「は、恥ずかしいなぁ。僕なんて全然だよ」
不思議と俺は魔法の素養が高い。黒魔法を教えてくれたシルフィも言ってたな。魔法を改編することが、俺にとっては自然なことに感じられた。
自分が何者かはわからないままだが、もしかしたら魔法使いだったのかもしれない。
ただ、この世界じゃ白魔法か黒魔法、どちらかしか使えないって大原則がある。
俺と、目の前で口を結んで何か決意したような顔をするヘレンは例外だ。
「……ゼロ君。修道士として二つの道がある」
「え? 急にどうしたのヘレンお姉ちゃん?」
「……君には才能があった。もしかすれば、記憶を失う前の君は、とてつもない力を持った存在だった可能性有り」
ヘレンの表情は苦しげだ。感情を隠さなくなっていた。
「そ、そっかなぁ。あははは。僕にはわかんないや」
「……君のような少年でありながら中級天使の力を持つのは、珍しい。私は君を諦めさせるつもりだった。君は私の与えた力を自分のものにした」
「きっとヘレンお姉ちゃんの教え方が上手だったんだよ」
「……その力を司祭様に報告するかどうか、君に決めてもらいたい」
即答出来なかった。子供なら「うん! そうしてよ!」で済むんだが、これは状況を大きく変える選択肢だ。
あまり黙ってるとヘレンに不審がられるな。
「うん! そうしてよ! 僕は司祭様とヘレンお姉ちゃんに恩返しがしたいんだ。その力をお姉ちゃんからもらえたなら、ちゃんと使わないと!」
「……そう」
ヘレンの瞳が悲しげに揺らぐ。彼女の瞳に込められた赤い光は消え、背中の翼も白く染まった。
元のシスターヘレンに戻ると、彼女はゆっくりと頷く。
「……君に力があるとわかれば、ニコラスティラ司祭様から修道士として正式な任命を受ける。そうなれば、君は司祭様の命令に従わなければいけない」
宣誓と誓約くらいなら余裕でぶっちぎるが、何らかの魔法による制約……例えば、裏切れば死ぬ呪いのような魔法でも掛けられるんだろうか。
白魔法は生と死を操る。ヘレンは死の魔法を使い、死者を生き返らせる魔法の使用を禁じられていた。
使えなければ、禁じられるなんて言い方はされない。
ヘレンはその魔法を知っているのだが、俺が彼女からもらったのは中級の白魔法全般だ。
彼女は力を持っていることを司祭に知られて、脅され利用されているのかもしれない。
自分と同じ境遇に俺を引きずり込むかもという、心配をしてくれたんだ。
「大丈夫だよ。僕は何があっても、ヘレンお姉ちゃんの味方だから」
「……ゼロ君」
どうして味方だなんて言葉が出たのか、自分でもわからなかった。
ヘレンはそっと手を広げると俺の身体をぎゅっと包むように抱きしめる。
胸に顔を埋める感触に、つい、心の中の鼻の下が伸びてしまった。
自分でもだらしないと思う。美少年の皮を被って、彼女の抱擁の純粋さを汚すゲスな中身だ。
けど、良い匂いがして柔らかくて気持ち良いんだからしょうがないだろう。
身体が小さくなって色々不便に感じたが、こんな風に抱きしめてもらえるんなら悪くない。
覚悟は決めた。俺を手駒に司祭が何をしようとするのか、きっちり見極めさせてもらおうじゃないか。
――数日後。
執務室に独り呼ばれた俺は、司祭から正式に修道士として任命を受けた。
ヘレンの口添えもあり、司祭の前で使える白魔法をすべて披露し、教会のために働くことを誓ったのだ。
階位も中級天使と認定され、子供のサイズに仕立て直されたフード付きのローブと銀の十字架が与えられた。
この十字架があれば、最果ての街はもちろんのこと、外の世界に出ても教会所属の聖職者としての特別な待遇を受けられるらしい。
「まさか貴方にこれほどまでの才能があるとは思いませんでした。シスターヘレンは貴方に諦めさせようとしたそうですが……これも光の神のお導きなのでしょう」
樫の机について椅子に掛けたまま、司祭は俺に告げる。
執務室はまるで書庫のようで、大きな窓を背に司祭がそっと手を組んで俺を見つめる。
「司祭様の部屋には本がいっぱいあるんですね」
「どれも大切なものです。興味があるのでしたら、いつでも言ってください。どれもためになる本ですから」
司祭は相変わらずの穏やかな笑みだ。何を考えているのか、さっぱり読めない。
それにしたって、これらの本は値が張るのだろうか。宝飾品や装備品と違って、ぱっと背表紙を見ただけでは価値がわからんな。
寄付された金で部屋を飾る調度品の一つや二つや、三つ四つと買ってるんじゃないかと思ったが、司祭の部屋は修道院の食堂兼談話室と大差の無い簡素さだ。
机だけは立派だったが、それだけといえばそれっきりである。
「さて……ヘレンの報告では、貴方の心にはいささかのやましさはあるそうですね?」
誰にも言わないって約束したじゃないか……と、
「え、ええと……」
「恥ずかしがらなくとも良いのです。感情の制御も少しずつ出来るようになってください」
「が、がんばります」
司祭はそっと組んでいた手を解いた。
「他には特に報告も受けませんでしたし、貴方を信頼できる人物と見込んで頼みがあります。教会のために働きたいという希望でしたが、もし無理だと思うなら辞退してくださって構いません」
任命の儀式は前座で、ここからが本題らしいな。
俺にも監視者の仕事をさせようというんだろうか。
「司祭様。なんでも言ってください。強い魔物とだって戦ってみせます!」
「いくら中級天使の実力があるといっても、君に戦いは向いていないでしょうね。教会では冒険者が階層を行き来しやすいよう、十階層からここまでの道を整備するなどの仕事もあります」
ってことは、砂漠越えや雪山越えの装備類なんかも、教会が用意してくれてたのか?
「街の信徒からの寄付でまかなっていますからね。助け合いの心です。が、物資の運搬については、他の修道士に任せてください」
「じゃあ、僕は何をすればいいんですか司祭様?」
相変わらずの掃除や雑用だったら逆に驚くぞ。
「君には……別の意味で危険な任務に就いてもらおうかと考えています。他の誰にもできない、大切な仕事です」
緊張が走る……と、不意に部屋のドアがノックされた。
ガチャリと開いてそこに立っていたのは、錬金術ギルドの長――リチマーンだった。




