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聖堂教会の使用人

 華美な装飾に彩られた大聖堂の影に隠れるように、建物裏手に作られた修道院は、実に質素なたたずまいだった。


 薄い木の扉を開けて、食堂を兼ねた談話室に通される。八人が横並びできる長いテーブルがずらりと並ぶ。


 他の修道士たちはそれぞれ仕事に出ているらしく、今はがらんとして寂しい雰囲気だ。


 食堂は広さだけなら岩窟亭の倍ほどあるものの、ともかく無駄なものがない。


 本当にあるのは椅子とテーブルくらいで、絵の一枚も壁に飾られていなかった。


 出された食事は温かかった。パンと野菜のスープである。が、味が薄く、腹に詰めたものの、まるで食べた気がしない。


 子供だからと葡萄酒も無しだ。


 信徒から巻き上げた寄付金は、いったいどこに行ってしまったのだろうか。


 なんてことを考えている間も、ずっと彼女は――シスターヘレンは隣に座って、じっと俺が食べ終えるまで見つめていた。


「え、えっとぉ……さっきからお姉さん、ずっと僕のこと見てるよね?」


「……最後まで残さず食べるか確認」


「ほ、ほらぁスープも飲み干したよ。ごちそうさまでした。ああ、やっと生きた心地がしたよ。ありがとうねお姉さん」


「……その呼び方では個人を特定できない。変更を推奨」


 ヘレンの赤い瞳がかすかに揺らぐ。もしかして、名前を呼ばれることに何かこだわりがあるのか?


 ともかく今は、彼女にも気に入られる可愛い男児であるべきだ。


「うん! わかったよヘレンお姉ちゃん!」


「…………悪くない……かも」


 ヘレンはぼそりと呟くと、かすかに頬を赤らめた。


 感情を抑制する術に長けた天使族らしからぬ、はにかんだ笑顔だ。


 同族相手だから油断してるのか?


「ねえねえヘレンお姉ちゃんは、教会ではどんなお仕事をしてるの?」


「……司教様に命じられた雑務を片付けるのが使命」


 雑務で片付けられた命が、果たしてこれまでいくつあるんだかな。


「そっかぁ。僕にもお手伝いできるかな?」


「……貴方のような子供には無理」


「雑用くらいなんてことないって。お姉ちゃん心配性だね」


「……雑用にも……色々……あるから」


 無邪気な少年の言葉に、すっかりヘレンはタジタジだな。


「それじゃあまずは、自分の食べたお皿を洗うね」


 キッチンのある方に向かうと、シンクの台が高すぎて自分の小ささに思わず辟易へきえきした。


 二十階層にたどり着くまでの冒険では、周囲の何もかもが大きくなったと感じたが、そもそもオークの時ですら、自分よりも大きな魔物相手に立ち回っていたので、子供になった事をさほど実感しなかった。


 遠距離戦主体の魔法攻撃ばっかりだったし、そもそも近づいて切り結ぶような状況におかれなかったのも大きい。


 オークの時には手狭に感じたガーネットの家のキッチンや、鍛冶職人ギルドの待合室にある椅子の小ささが、エルフになってやっと“普通”になったのに、今度はどれもこれもがデカくなるなんて、同じ街なのにまるで印象が変わるな。


「……私が代わる」


 背伸びをする俺の背後から、ひょいっと食器を取り上げて、ヘレンはさっとローブの袖をまくると、黙々と手際よく洗って片付けた。


「ありがとうヘレンお姉ちゃん」


「……問題無い」


 やっぱりこいつは……良い奴なのかもしれない。


 そもそもヘレンは俺とシルフィにとって命の恩人だ。俺が再生リトライできるからこそ言えるのだが、前世の最後のアレは、この十日ほどのうちに冷静に受け止められるようになっていた。


 むしろ革新的エルフだった俺を止めようと、あれこれ奇妙なアプローチをしてきたくらいだから、命令さえ無ければ俺もシルフィもヘレンに殺されることは無かったんだろうな。


「ねーヘレンお姉ちゃん。お姉ちゃんも魔物と戦ったりするの?」


「……場合によっては」


「そっかぁ。もしかして、すんごく強かったりして」


「…………」


 お前の強さを俺は良く存じ上げているぞ。超巨大自動人形ヘカトンケイルすら、単身で撃破するんだからな。


「なーんて、冗談冗談。お姉ちゃんみたいな優しい人が、誰かを傷つけたり戦ったりなんて、僕には全然想像もつかないや。あははは!」


「……私は優しくなんてない」


 シンクの前に立ち、俺に背を向けたまま呟いた彼女の声は、どことなく寂しげだった。




 こうして俺は新たな拠点を大聖堂裏の修道院に定めた。


 仕事は朝夕の掃除だけで、昼間は大聖堂にある書庫で聖典の読書である。


 勇者が世界を救うまでの数々の出来事を物語りにしてあるのだが、内容はまるで詩のようで、いまいち勇者が何をしたのか理解できなかった。


 解釈の仕方でどうとでも受け取れる内容なだけに、聖典について信徒が語り合う勉強会なんてものもしているのだとか。


 あまり楽しそうな集まりじゃないな。うん。


 で、聖典には記されていない教会のことや、祈りの捧げ方といった初歩の初歩について、ヘレンは俺に手取り足取り教えてくれた。


「……腕の角度。誤差コンマ2修正」


 脇がほんの少し甘いだけで、彼女は容赦なく俺の腕を整体でもするように、ぐいっと動かした。


「ヘレンお姉ちゃんちょっ! わきの下とかくすぐったいから!」


「……大人になるためには我慢が必要」


 完璧な祈りの姿勢ができるようになったのは、特訓から三日目のことでした。


 飯は薄いし酒も無し。ただ、仕事は掃除なので楽だった。とはいえ真面目な少年を演じるために、手を抜かずしっかりと“やっている”アピールを欠かさない。


 ヘレンはもちろん司教のニコラスティラも「貴方はとても頑張り屋のようですね。あまり根を詰めずに、ゆっくり仕事を覚えてください」と、俺を気遣うくらいだった。


 一週間で清掃業務を一通り覚え、次からは庭園の掃除だ。


 使用人のような毎日は穏やかで、魔物と切った張ったの世界から自分がずいぶん遠くにやってきたんだなと、思うようにすらなった。


 司祭からは「そのうち葡萄園の仕事もお手伝いしてもらうかもしれません」と、次のステップアップの仕事を鼻先にちらつかされた。


 ナビは「キミは黒魔法の天才なんだから、奉仕活動なんてしなくても、もっと色々なことができるのに」と、修道院入りした俺に若干態度を硬化させたものの、俺は秘策があるとナビに言い続けた。


 そう――せっかく天使族になったのだから、彼らの白魔法に関するあらゆるノウハウを奪ってやるのだ。


 かつてガーネットは多額の寄付とひきかえに、白魔法を強化させていた。


 シルフィは黒魔法が学問だと言い、白魔法の強化は“学ぶ”とは別の方法なのだと教えてくれた。


 俺が「白魔法の天才少年」として、教会関係者の噂に上がる日もそう遠くないだろうな。

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