最果ての街、目覚める
ガーネットは鍛冶職人ギルドに神代鋼を納め、その腕前を名実ともに地下迷宮……いや、世界一と認められた。
エルフと組んでの功績だと彼女は言うが、神代鋼を製錬加工できるのは虹色の種火を自在に操ることができてこそだ。
最果ての街は転換期を迎えようとしていた。
今や錬金術ギルドにおいて、誰もが一目置く存在となった新進気鋭のシルフィと、名実ともに世界最高となったガーネットが成し遂げたことで、ドワーフとエルフの間に長年強固に積み上げられてきた対立構造に、風穴が空いたのである。
錬金ギルド長のリチマーンは所属する錬金術士たちに自制を呼びかけているが、二つの街区で始まった交流の波は、もはや誰にも止めようがない。
ぬるま湯のような心地よい怠惰が支配していた街は、まるで目覚めたかのような活気を手に入れた。
無論、無制限に仲良くなるというわけではない。ドワーフは相変わらず頑固でエルフは頭でっかちのままだ。
二つの種族が街のいたるところでぶつかり合う事は以前よりも格段に増えたが、それも技術交流の一環である。
ドワーフの建造技術とエルフの錬金技術を結集し、船を建造して、この最果ての街が抱える湾から遠洋に出航する計画まで持ち上がったのだから、世界は広がりを見せようとしていた。
その影に一人の名も無き冒険者がいたことは、知る人ぞ知る事実だった。
エルフ連れのテーブルが見られるようになった岩窟亭では、以前よりも野菜を使ったメニューや果物の果汁のレパートリーが増え、ますます繁盛していた。
最奥のテーブルは俺たちの特等席だ。
揚げ芋に茹で豆と、スパイシーな肉類や酒のつまみがずらりと並び、今日はいつにも増してのごちそう攻めである。
すべてガーネットのおごりだ。こちらも稼ぎは安定したのに「せめて酒くらいおごらせろ」は、今や赤毛の女名工の口癖になっていた。
「「「「かんぱ~い!」」」
本日、技術交流に強固に反対を続けていたリチマーンが錬金ギルドを辞任した。書き置きを残して彼は痕跡も残さず“消えて”しまったのだ。
後任にシルフィの名前も挙がったのだが、現場にこだわるエルフの少女は謹んでこれを辞退。
ギルド長の人事については、以前に俺たちが持ち込んだ時に、買い取りカウンターで厳格なルールのもと査定をした、厳しく真面目で融通の利かないエルフの青年が選ばれる運びである。
有能で錬金術士としても一流だが、金満主義のリチマーンのやり方に異を唱えて閑職に回されたというのだ。
ま、厳しすぎるのも困りものだが、私怨で個人を攻撃するような不平等は無くなりそうだな。
なんてことを考えているうちに、早くもガーネットがピッチャーを空にした。
「プッハアアアアア! 今日は一段と美味いねぇ。錬金ギルドの御家騒動も片付いたみたいだし。けど、ギルド長の椅子を蹴っちまったのは、もったいないんじゃないさね?」
小さく首を傾げるガーネットに、シルフィが眉尻を下げて苦笑いだ。
「毎日執務室で書類に判子を押して、報告を聞くばっかりなんてまっぴらッスよ。まだボクにはやらなきゃいけないこともあるし」
ちらりとシルフィが俺の方に視線をよこした。ジョッキをテーブルに置いて俺は頷く。
「最強魔法を探すのがシルフィの夢だからな。そして……その先を目指す……か」
「他人事みたく言わないで欲しいッス。最強魔法は黒魔導士みんなの夢なんだし」
ガーネットは骨付き揚げ鶏のモモにかじりついた。バリッと衣と皮目の香ばしい音がして、ふわりと香気をはらんだ湯気が上がり、揚げたてで行き場の無い肉汁がボタボタ落ちる。
前世の俺ならむしゃぶりつきそうな品物だ。
「熱っつ! けど美味い! ん? アンタもやるかいゼロ?」
「いや、今日は止めておく。それで、このごちそうっぷりはどんなお祝いなんだ? まさかリチマーン失脚祝いじゃないだろうな?」
ガーネットは「あっはっはっは」と豪快に笑う。
「それもついでだけどさ……この前あずかった二人の装備を神代鋼で強化しておいたのさ。軽さと強度ももちろんだけど、神代鋼は魔法伝導率の高さすごく高いみたいでね。かつて世界を救った勇者様は、剣技はもちろん魔法にも精通してたっていうじゃないさ?」
俺が首をシルフィに向けると、オレンジ色の果汁を飲みながらショートボブがコクコクと二度、縦に揺れた。
「ぷはっ! そうらしいッスね。勇者様は最強の剣士にして超一流の黒魔導士。その上、奇跡ともいえる蘇生の魔法さえ修めた白魔法の達人でもあったみたいッス」
「蘇生って……死んだヤツを生き返らせるのか?」
「そうらしいッスね。まあ、使えるのは勇者様と限られた天使族だけみたいッスけど」
俺はチラリと足下に視線を落とす。ナビが顔を上げて「ごめんねゼロ。噂話でかすかに耳にしたことはあるけど、詳細はボクにもわからないや」と、少し悲しげな口振りで言う。
テーブルの上で、シルフィにうんうんと相づちを打ちながらガーネットが付け足した。
「しかも女ったらしどころか、男も惚れるくらいの魅力があったんだとさ。完璧すぎるのって、ちょっとしたギャグじゃん」
俺は溜息交じりに返す。
「世界を救うなんて偉業を成し遂げたんだから、本当かもしれないが……そこそこ話が誇張されて伝わってるって考えるのが自然じゃないか?」
シルフィが青いサヤ入り豆をムニュッと剥いて口に運ぶ。
「心配しなくても大丈夫ッスよ。たとえボクの前に完璧な勇者様が現れたとしても、ボクはゼロさん一筋ッスから」
「そういう心配はしてないんだが……」
ガーネットが「ひゅーひゅー! 見せつけてくれるねぇ。あー、アタイにも素敵なガタイの良い男ができないもんかねぇ」と冷やかした。
俺の心に軽く刺さる。が、止めてくれなどと言えようものもない。
給仕係の狐少女にお代わりをコールして、ガーネットは楽しげに目を細める。
そういえば……シロガネと岩窟亭で遭遇したのは一度きりだ。あれ以来、店で出くわすことは無かった。
改めて女鍛冶職人は俺とシルフィの顔を交互に見つめて胸を張る。
相変わらずのはち切れんばかりなそれに、シルフィは憧れの眼差しを向けた。
俺はといえば、エルフになろうと視線誘導されてしまう。が、シルフィも「姐御のは許すッス」と、なぜかガーネットに限り寛容だ。
ガーネットは笑って言う。
「んで、明日にでも都合の良い時間に、二人一緒にうちに装備を取りに来て欲しいんだよ。最終調整はシルフィにも協力してもらうけど、構わないね?」
「もちろんッス! ぼくの杖も強化されて、少しだけゼロさんに近づけるッスね」
杭打式杖改も魔導式手甲も、真理に通じる門番との最後の戦いに向けた決戦仕様になりそうだ。
今日は装備完成の祝いというわけらしい。
「んじゃあ、バンバン飲んでジャンジャン食べてよ!」
ドワーフのペースに真正面から付き合うとエルフなんてあっという間に潰れてしまうのだが、俺は前世の力を最大限に解放するつもりで、酒宴に臨んだ。