岐路
力の項目以外を捨てたことが裏目に出た。
城塞廃墟に出現する魔物の中に、天敵が存在した。見た目は土を焼いて作ったような人形で、目は大きくまるで女のような乳房があり、腰のくびれた奇妙なデザインなのだが、羽ばたくわけでもなく空を浮かぶこの魔物――ドグーラは、黒魔法で遠距離から攻撃を仕掛けてくるのだ。
使うのは火炎を矢の如く飛ばす黒魔法――ファイアボルト。得物のモルゲンシュテルンで弾くこともままならない。せめて盾でもあれば違うのかもしれないが、無い物ねだりだ。
ともかく一発もらえばそれだけで、オークの肉体の頑強さが嘘のように、炎熱地獄の苦しみを味わうのである。
命からがら逃げ出して、建物の廃虚の影に隠れてやり過ごす。スタート地点の祭壇から、まだ100メートルと進んでいなかった。
「ハァ……ハァ……ったく。近づけさえすればこっちのもんなんだがな……」
一階層降りただけで、こんなにも敵が強くなるものなのか? 十階層の祭壇を守っていた獅子ウサギが可愛く思えてきた。
足下でナビが言う。
「どうやらキミは魔法に極端に弱いみたいだね」
「なるほど。弱点を突かれてるってことか」
武器も手に入れて当分は楽に魔物狩りができると思っていたんだが……いや、選択を間違ったと後悔はしないぞ。あくまで相性が悪いだけだ。
幸いドグーラも獅子ウサギと行動パターンが同じなようで、ある程度距離を取ると元の場所に戻っていった。生き物らしさがまるでない。魔法によって生み出された自動人形という印象だ。
結局、大して探索もできないまま俺は祭壇近くに戻ってきた。十一階層のスタート地点から道が三方向に分かれている。一つは今し方、死ぬ思いで逃げてきた中央通りで、残り二つはそれぞれ左右に伸びる入り組んだ小道だ。
「なあナビ。ドグーラがいないルートはないか?」
「ボクはこの城塞廃虚の中央通りをまっすぐ進んできたからね。その道にはさっきの魔物がたくさんいたよ」
出くわしたのが一匹で本当に幸運だった。二匹相手なら逃げ切れず、今頃ファイアボルトで物言わぬ炭の塊にされていただろう。
「とりあえず中央の道はやめておこう……そうだ、右の小道を偵察してきてくれないか?」
ナビにお願いすると、途端にその青い毛が逆立った。
「それはできないよ。ようやく見つけたキミと、万が一離ればなれになったらボクはおしまいだ」
珍しく語気が強い。小さな牙をむき出したその顔には、寂しさや悲しみよりも怒りが感じられた。
「どうしたんだ? 俺が逃げたりするわけないだろ。この世界で頼りになるのはお前だけなんだし」
「絶対にだめだよ。ボクはゼロのそばにいる」
「魔物に見つからないお前なら、偵察にはうってつけなんだけどな。まずは俺が無事、二十階層にある最果ての街に着くことが、行く行くはお前のためにもなるんじゃないか?」
偵察任務をこなしてもらえれば、俺としては危険を冒さずに済むので助かるんだが……ナビはますます毛を逆立てて俺に抗議の構えだ。
「キミを見失ったらボクはまた独りぼっちだ。お願いだからボクをこれ以上不安にさせないで。戦闘の時は邪魔にならないようにするけど……ともかく、キミが視界から消えてしまうようなことだけはやめてほしいんだ」
「わ、わかったわかった。偵察任務の案は無しだ」
どうやら別れて行動するというのは、ナビにとっては最大級の禁句みたいだな。
中央通りを捨てて、低い建物が入り組んだ左右の小道から先に進めないか探ってみたのだが、結局どちらのルートにも避けられない場所にドグーラが配置されていた。
しかも、他に魔物がいないのだ。蒼穹の森では倒せそうな相手を選んで戦うことでレベルを上げてきたが、ここではそうもいかない。
「まいったな。こりゃあ十階層に引き返してレベルを上げた方が良いかもしれない」
俺は舗装路に視線を落として溜息をついた。正直なところ、獅子ウサギを倒してレベルも上がったため、森に戻って戦ってもなかなかレベルが上がらなさそうだ。
同格の魔物なら充分な戦闘経験を得られるが、格下が相手になるとガクッと落ちて何十匹、下手をすれば何百匹を狩らなければならない。早くも“壁”を感じた。
足を止めるとナビが顔を上げて俺に言う。
「今のままだとドグーラと戦うにはレベル10は必要じゃないかな」
「ったく……ポイントの振り方を間違えたかなぁ」
途方にくれながら足下のナビを見ていて、ふと気づいた。舗装された道には時々、丸い金属製の板のようなものがはまっている。
今もナビがその上にちょこんと座っているんだが……金属板には窪みがあって、持ち上げられそうな感じだ。
「お! ちょっとそこから退いてみてくれナビ」
俺の言葉にぴょんと小動物は跳ねた。さっそく地面にはまった金属板の窪みに手を掛けて、持ち上げる。オークの腕力なら楽々だ。
「やったぜ。こいつをなんとか盾代わりにすれば……って、なんじゃこりゃ」
見れば地面にぽっかり穴が開いていた。丸い金属板はこの穴を塞ぐ蓋だったのかもしれない。かすかに水の流れる音と、腐敗臭が穴から漂った。
「地下通路か?」
ナビが目を丸くする。
「すごいよゼロ! こんなルートを見つけるなんて。キミはやっぱり選ばれた存在だ」
暗い闇の底をナビは見下ろしながら、額の宝石から光を放射して照らす。
穴の縁にはハシゴがついていて、これを伝えば安全に下まで降りられそうだ。
「他に進める道も無いし、行ってみるか」
蓋になった円形の金属板を盾として持ち込みたかったのだが、綺麗な真円だからかどう角度をつけても穴の中に持ち込むことはできなかった。ああ、丸い蓋だと間違って落ちるってことがないんだな。
ナビに聞いてみたが、この金属板は素材として取り込むことができないらしい。しぶしぶ諦めて俺は縦穴に入った。
正直、身体のサイズのせいでギリギリだ。突っかかりそうになる腹をなんとか引っ込めて、肩にナビを乗っけたまま降りる。降りる。降りる。
底について見上げると、地上から十五メートルほどだろうか。入って来た穴がずいぶんと小さく見えた。
俺の肩からひょいっと降りると、ナビが周囲を額の宝石から放たれる光で照らす。
地底には小さな川が流れていて、俺たちが降り立ったのはその脇にある狭い通路だ。
「見てよゼロ。向こうに明かりがあるみたいだよ」
まっすぐ伸びる通路は十メートルほどで突き当たり、右に曲がっていた。道の折れた先から光が漏れている。
誰かいるのか。はたまた魔物か。
「ナビ。光量をしぼって足下だけ照らしてくれ」
「わかったよ」
足下だけを照らしてもらって、俺はモルゲンシュテルンを構えると、足音を立てないよう慎重に進んだ。とはいえ敏捷性の低さもあって、どうあっても足音を消すことができない。
地下通路は音が響きやすいようで、奇襲の算段は早くも水泡に帰したが……俺とナビが通路を曲がると、その先には松明を手にした二足歩行する巨大ネズミの魔物――火付けネズミの群が待ち受けていた。
初見の魔物が三体だ。地下通路には彼らが灯したのであろう、松明の明かりが点々と続いている。
どうやらここは連中の巣穴になっているみたいだな。
目が合った瞬間、驚きのあまり足の止まった火付けネズミの頭めがけて、俺は容赦なくモルゲンシュテルンを突き込んだ。
火付けネズミはドグーラのように黒魔法を使わず、気をつけるべきは手にした松明くらいなものだった。
狭いこともあってモルゲンシュテルンを充分に振るうことはできないが、突きでもそれなりに打撃を与えられている。リーチは圧倒的にこちらが長く、松明の炎は届かない。
水路脇の通路は狭い。火付けネズミが二体並べばぎゅうぎゅうだ。三体を相手にしても囲まれることはない。
全力スイングなら一撃で倒せそうだが、そうはいかずとも四~五発叩きつければ魔物を無力化できた。
モルゲンシュテルンの突きでよろけたネズミの頭を左手で掴んで、通路脇の壁に叩きつける。
「まずは一匹」
おののく二匹目、三匹目も同じ要領で片付けると、あっさりレベルが「8」に上がった。
ナビが嬉しそうに尻尾を振る。
「おめでとうゼロ。ステータスストーンを振るかい?」
黙って頷く俺にナビは集めた経験値を結晶化させて、ステータストーンを生成した。
今回も「6よ出ろ」と念じて振るう。
結果は――5だ。かなり良い目だが、問題はその配分だった。
もっぱらの議題は信仰心にポイントを注ぐかどうかである。
傷を癒やしたり毒や麻痺を回復する白魔法は、旅の命綱だ。ただ、ドグーラのように相性が極端に悪い魔物でさえなければ、腕力頼りで倒してこられたことを考えると、信仰心に浮気をしていいものか悩ましい。
オークの肉体の自然治癒力は高いし、魔法を使う敵は避けて通るか、場合によっては戻ってコツコツレベルを上げるという手もあるわけだ。
何日以内に最果ての街に到達しなければならないという期限もない。
結局――
名前:ゼロ
種族:オーク
レベル:8
力:F+(29)
知性:G(0)
信仰心:G(0)
敏捷性:G(0)
魅力:G(0)
運:G(0)
装備:ゴルドラモルゲンシュテルン レア度B 攻撃力80
スキル:ウォークライ 持続三十秒 再使用まで五分
ナビが「もうすぐ力がFからEになりそうだよ」と、嬉しそうに呟いた。