シルフィの成功
誰もが討伐できなかった氷神ヴァナルガンドを撃破し、氷塊石をたっぷりと採集した。
精製した氷結晶は錬金素材としても優秀だ。
討伐の証である青い鍵は俺が持つことになった。が、功績はシルフィに譲る。
久しぶりに足を運んだ錬金ギルドのギルド長執務室に通されると、巨大な机に脚を投げ出した金髪痩躯のゴージャスエルフ――リチマーンが不機嫌そうに言う。
「まさか落ちこぼれがこんなことするたぁ思いませんわな。で? 本当に倒したのかしらかしら? あたくしは信じられないのでございますのよ」
相変わらずのねちっこい糸引くような口振りだ。
「ちゃんと倒したッスよ。ぼくら三人でッスけど」
俺も青い鍵を見せつける。
「エルフなら、こいつを視ればわかるだろ」
細い瞳をくわっと開いてリチマーンは鍵を注視したかと思うと、軽く顎を手で撫でた。
「見たことがありませんわねぇ。ただ、ずいぶん奇妙な術式ですこと。意味消失してなにがなにやら」
その点については俺もシルフィも気づいていた。
この鍵をエルフの目で見れば、そこには古代文字による術式の半分だけが刻み込まれていた。意味を成さないが俺だけは理解している。
恐らくこいつは真理に通じる門への挑戦権だ。
ただ、今の段階では俺も「これがなんなのかはわからない」という態度でいなければならない。
ナビの反応がどう転ぶのか読めないからな。
シルフィが胸を張る。
「どうッスか? 恐れ入ったッスか? 何の鍵かはわからないッスけど、階層の主を倒して手に入れた貴重なお宝ッスよ。未知への探求は錬金ギルドの査定項目ッスよねぇ?」
「……クッ。あーたみたいな落ちこぼれがずいぶん言うようになったものですこと。とはいえ、あれだけ大量の精製済み氷結晶を錬金素材向けに加工までしてくるなんて、錬金ギルド史に残る偉業と認めざるを得ないわ」
リチマーンは椅子から立ち上がると、机の引き出しから小箱を取り出した。
「とっとと受け取って立ち去ってちょーだいね。まったく……気にくわないわぁ」
指輪でも入っていそうな小箱には小さなバッジが入っていた。
金色に輝くバッチにはカエデの葉のレリーフが彫られている。
「そうそう、天才のぼくに授与できて光栄でしょ?」
「誰の差し金かしらないけれど、口まで達者になりましたわーね」
リチマーンがギロリと俺を一瞥した。
いやいや、元からシルフィはこんなもんだったぞ。
小箱のままバッチを受け取るとシルフィは俺を見つめた。
「錬金ギルドのAランク錬金術士の認定バッチッス。これがあればAランクの実験器具はもちろん、ギルド内の研究施設も利用できるッス。あ、あの……つけて……くれるッスか?」
「ああ。おやすい御用さ」
バッチをつまみ上げて、彼女のローブの襟元に止める。オークの指だと苦労しそうだが、エルフの器用な指先ならピン留めも一発で成功だ。
リチマーンがあきれ顔で「パン……パン……パン」と、緩慢に手を叩いた。
「ほれとっとと出ていきなさいってば。これであーたも故郷に帰れるでしょうに。勘当も解けるでしょーに」
シルフィはフンッと鼻を鳴らした。
「ぼくは帰らないッスよ。まだまだやることがあるッスからね。それじゃ失礼しますッスねギルド長」
ローブの裾をはためかせてシルフィが背を向けた途端、リチマーンの口振りから奇妙な抑揚が消えた。
「あーたはカライテンの家名に恥じない功績を挙げた。家長に逆らった汚名もすすがれたのだし、悪い事は言わないから故郷に錦を飾ればいいでしょうに?」
「最強魔法を手に入れて、ぼくはここよりも先の世界を目指すって決めたんッスよ……独りじゃ無理だけど、仲間もいるし」
「…………」
リチマーンは黙り込んでしまった。軽く会釈をして俺はシルフィと一緒に退出する。
ギルド三階の長い廊下をシルフィと並んで歩きながら、彼女に訊いた。
「やっぱりシルフィにも帰る場所があるんだな」
「な、なんスかその言い方! まるで木の根のまたからでも生まれたと思ってるんッスか?」
「いやいや、そうじゃないんだが……リチマーンのやつ、お前のことを心配してるみたいだったから気になってな」
立ち止まるとシルフィは小さく息を吐いた。
「そうッスね。ゼロさんになら……話すッスよ。ぼくの故郷は森の都にあって、代々学者の家系だったんス。ぼくの父上は学長なんスよ。だからぼくが主席卒業したのも、周りの子たちはみんなエコヒイキだって……」
小さな背中がしゅんと丸まって、さらに小さく見えた。
「家族が立派だと苦労しそうだな」
「ぼくもぼくなりにがんばってみたんスけど……錬金術をやりたいっていったら、父上は許してくれなかったんス。大喧嘩の末に勘当を言い渡されたッス」
それで地下迷宮世界に挑んで、最果ての街にたどり着いたわけか。
「見返したいとか、思ったりするのか? 俺にはここに来る前の記憶もないし、家族もいないからちゃんと理解してやれるかわからないんだが……」
シルフィは驚いたように目を丸くする。
「ゼロさん、ぼくのこと心配してくれてるんスね! さすが恋人ッス」
真正面からまっすぐな眼差しで言われると、なんだかもどかしい気持ちになった。
「そりゃあ心配するくらいいいだろ……」
にへへっと顔を緩ませてシルフィは俺に抱きついた。
「もう! 家族がいないなんて寂しいこと言わないでほしいッス。ぼくがその……ぜ、ゼロさんのお嫁さんになって、家族をいっぱいつくるッスよ」
ぎゅーっと俺を抱きしめてシルフィは瞳を潤ませた。
「だーい好きッスよゼロさん。最近、ますます好きになっちゃったッス」
家族をつくる……か。
オークだった前世の記憶が甦ると、背筋が冷たくなった。
そっと彼女の頭を撫でる。
「ありがとうシルフィ。俺は独りじゃないんだな」
「そうッス! ぼくはもちろんだし、ガーネットの姐御もいるし、鍛冶職人ギルドのみんなや岩窟亭の人たちや、クインドナさんもみんなゼロさんの仲間ッスから」
彼女の優しさに応える資格が俺にあるんだろうか。
その日の夜――
岩窟亭は大賑わいだ。シルフィがAランク錬金術士になったお祝いということで、野菜や果物をふんだんに使った特別料理がガーネットのおごりで振る舞われた。
氷結晶の取引で得た俺とシルフィの取り分二千万メイズは、一旦ガーネットへの返済に充てたが、彼女はそのお金でさらに装備の強化を提案した。
ジョッキ片手に赤毛のドワーフが豪快に笑う。
「あっはっはっは! これでギルドと錬金素材の取引もできるし、Aランク錬金術士の看板にヴァナルガンド討伐の功績だろ? シルフテックの売り上げも伸びてるっていうしさ……ホント、アンタら二人ともエルフにしとくにゃもったいないタフさだよ」
柑橘のジュースを飲みながらシルフィが小さく首を左右に振る。
「ぼくは全然ッス。もっと身体を鍛えた方がいいッスよね。姐御にもゼロさんにも守ってもらってばっかりで」
ガーネットは気にしてないと言わんばかりに、ジョッキの中の残りを飲み干すと、お代わりをコールしてからシルフィに向き直った。
「いいかいシルフィ。アンタにゃアンタにしかできない役割がある。分担してるだけなんだからさ。なにより早く魔物を倒してくれりゃあ、アタシも安全なわけだし。自分ばっかりが守ってもらってるなんて、思いなさんなって話だよ」
俺も頷くとジョッキの麦酒を飲み干した。
これまで以上にキンキンに冷えている。普段、世話になっているので店の氷室に高純度の氷結晶を一つ寄付した効果が、早くも発揮された格好だ。
俺は改めて二人に告げる。
「次の標的はもう決めてるんだが……二人が良ければ近々、挑もうと思う」
「が、がんばるッス。あの、やっぱり火炎鉱山ッスか?」
シルフィに軽く頷いて返すと、俺はガーネットをじっと見つめた。
「火炎鉱山の奥深くにいる炎竜王を倒す。たぶん……そこに神鉱石があるんじゃないか」
お代わりの麦酒を片手にガーネットの表情が引き締まった。
「アタイにとっちゃありがたいけど、炎竜王だって相当な化け物だろ?」
「だからこそ、俺とシルフィが手伝うんだ」
神代鋼の装備は真理に通じる門の門番相手にも、必要な装備だ。
ただ……あの戦いの場に二人を巻き込んでいいのだろうか。
ガーネットが口元を緩ませた。
「ってことはさ、やっぱり装備強化はしなくっちゃなんないねぇ。アタイも実はちょっと悔しいんだよね」
「悔しいって何がだ?」
「杭打式杖は軽さと強度の限界を攻めたんだけど、ヴァナルガンドを一撃で抜けなかったじゃないさ」
2カートリッジを叩き込んで、ようやく貫通させたわけだが……。
「あれ以上強力なスピアの素材は無いだろ?」
シルフィが揚げ芋をほおばりながら手を上げる。
「ふぁいふぁーい! ふぉれふぁら! んぐ……ぷはっ! それならボクにお任せッスよ。強化型の錬金炸薬を作るッス」
今のシルフィなら錬金ギルドの協力を得られる。まあ、ギルド長は相変わらず敵対的に見えるが、シルフィの街での名声と評判は文句のつけようもないだろう。施設を貸さないとは言わせない。
が、問題が一つ浮かび上がった。
「あんまり強力な炸薬だと、俺の腕力で支えきれるかどうか……」
「じゃあ筋トレッスね!」
「アンタはもっとムッキムキの筋肉エルフになるんだよ! あっはっはっは!」
しまったな。エルフになろうと筋肉の呪縛からは逃れられないらしい。
杭打式杖が扱える最低限の筋力があればと思ってたが、端数を魅力に充ててしまった。
おかげでますますシルフィと親密になれたのだが……。
俺の成長の余地もあとわずかだ。ここから先は、残る全てを力に割り振って杭打式杖の強化に備えるのがよさそうだな。