せかいのしゅごしゃ
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大聖堂の懺悔室で少女は壁越しに“声”を訊いた。
「シスターヘレナ。先日、貴方に尋ね人が来ました。エルフの男女で、男性の方は白魔法を使いたいという、少々変わった方でしたね」
本来は信徒が告解するための施設だが、話すのは少女ではない。
「…………」
「十一階層で二人を助けたというのは本当ですか?」
若い男の声には苛立ちや怒気といったものはなく、どこまでも穏やかで小さな子供に諭すようだった。
「……肯定」
「二人は封印地域に達しましたか?」
「……否定」
少女の声は淡々としていて起伏が無い。
「姿を晒してまで助けた理由を教えてください。シスターヘレナ」
「…………」
「言えない理由があるのですか?」
「……言語化が困難。自分でも……理解不能」
椅子があるだけの暗い小部屋で少女はうつむいた。
壁を挟んだ向こうで事情を訊く若い司祭と、顔を合わせることはない。彼女は教会という強い光が落とした、ほんの小さな影だった。
「そうですか。もう一度、貴方の使命を仰ってみてください」
「……封印地域に近づく可能性のあるエルフの監視」
教会が指定した、いくつかある封印地域のほとんどはダミーだ。
だが十一階層のそれは違う。本物である。
「なぜ、監視が必要なのですか?」
「……エルフによる黒魔法と錬金術の行きすぎた発展は、世界の調和を乱すため」
「その通りです。では、もし探究心の強いエルフがいた場合、貴方はどういった行動をとるべきでしょうか?」
「……封印地域に侵入したエルフを監視」
「そう、ただ見ているだけですね。我々は救いを求められれば手を差し伸べます」
姿を消す魔法で見えなくなっている相手には、誰も助けを求めはしない。
存在が透明な少女はずっと、エルフたちが魔物に倒されるのを見続けてきた。
封印地域に棲息する魔物はどれも強力だ。並みのエルフが太刀打ちできるわけもない。
彼女が教会に与えられた使命とは、その死亡を確認するというものだった。
「……もし封印地域すら踏破する者が現れた時は?」
「良いですかシスターヘレナ。秘密は守られなければなりません。たとえどのような手段をとってでも。我々教会は……いえ、天使族は守らねばならないのです」
「……なにから……なにを?」
「世界の破滅から、すべてをですよ」
言い残すと壁の向こうで青年の気配がスッと消えた。
このあとすぐにも、錬金術ギルドからギルド長が来訪するらしい。
新しいギルド長に変わってからというもの、錬金術は拝金主義の一途をたどって加速度的に衰退しつつあった。
そのやり方に反発する少数派は、居場所を失い故郷に帰る。
だが、少数派の中の、さらに一部のエルフたちは独力で新たな知識の世界を開拓しようと、封印地域に挑むのだ。
己の力量不足を棚に上げて。
「……警告を推奨」
仮に封印地域ですら戦い抜けるだけのエルフが現れたなら、その時は天使族として使命を果たさなければならない。
自身の命と引き換えてでも。
少女は椅子から立ち上がる。
その姿がスーッと音も立てずに消える。
ただ、黒い羽毛が一枚、ふわりと懺悔室に残るだけだった。
※
試運転は上々で、魔導式手甲も杭打式杖も動作確認は二十階層にある浜辺で完了させた。
十一階層の城塞廃虚では死にかけたこともあって、新装備の本格的な運用に選んだのは十四階層――遺跡平原だ。
昼間の平原は緑の砂漠のようで、どこまでも似たような風景が広がっていた。
吹き抜ける風がどこから来てどこへと向かうのか、この地下迷宮世界で目覚めてしばらく経つけど、未だに不思議に思う。
ナビが草原を跳ねながら、俺にしか届かない声で「道はボクが記憶しているから、安心して迷子になってね」と言った。
導く者の面目躍如って感じだな。
あの日、俺を殺したのが嘘のようにナビはずっと協力的だった。
今回の“狩り”は久々に、シルフィと……そして、ガーネットも一緒だ。
シルフィの装備は変わらず白地に青の差し色が入ったローブと杖の組み合わせだが、ガーネットは戦鎚に軽鎧と片手持ちの盾を装備していた。
「頼むからアタイごと吹っ飛ばすのは無しにしておくれよ?」
冗談交じりにドワーフの女鍛冶職人は笑って見せる。
「だ、だだ大丈夫ッスよ姐御! ゼロさんみたいな改編は無理ッスけど、雷撃系の魔法のコントロールは得意ッスから」
例えば街中で周囲を巻き込まず、話しかけてきた半裸のオークだけを消し炭にするのも、シルフィにとってはお茶の子さいさいだ。
遺跡平原にも教会の指定した封印地域があるという。
ひとまず、その近くまで行くことにした。
なだらかに続く丘陵の先に、ひときわ大きな巨石の塔が六本立っていた。
およそ八百メートルから一キロ先といったところだろう。遮蔽物が無いのでわかりやすい。
そして、道はここで途切れていた。この先はただの草原が続いている。獣道すら存在しないのだ。
ナビがヒゲをビンビンにして俺に警告する。
「このあたりの魔物はとても強いみたいだね」
交戦するまではナビにも敵の情報はわからない。
エルフの目をこらして見ると――
「なるほど、こいつはすごいな」
これまでに見たことの無い、灰色のエレメンタルたちが草原を埋め尽くしていた。
赤は炎。青は氷。黄色は雷。だが、灰色とはどういうことだろうか。
宝石か雪の結晶のような美しいエレメンタルたちと違って、灰色のエレメンタルの形状は平べったい板だった。
鉄板が浮いている。無数に、乱雑に。
「とりあえず進まなければ襲ってこなさそうだ」
あと数歩前に進めば、連中は領域侵犯と見なして攻撃を仕掛けてくるに違いない。
ガーネットが溜息をついた。
「あんたら鉱石も宝石も鉱床じゃ見分けがつかないくせに、昼間っからエレメンタルが見えるってんだからおもしろいねぇ」
夜間にボウッと鬼火のように光るため、遺跡平原の夜は星空の中を進むような光景が広がるのだが、そうならないと見えないのもたちが悪い。
ドワーフの遺跡平原攻略方は、エレメンタルのいる場所を避けて、できるだけ道なりに進み、魔法力を高めてくれる石柱付近で強化と回復の魔法に頼った力押しだったと、以前にナビが教えてくれた。
ドワーフにせよオークにせよ、エレメンタルとまともにやり合うのは、相性が悪い。
「ガーネットは下がっててくれ」
「あいよ。見えないエレメンタル相手なら、専門家のお二人の腕前を後ろから観賞させてもらうことにするよ」
そっとシルフィに目配せする。
「見たこと無いタイプッスけど、基本はぼくが魔法防御と援護。ゼロさんが攻撃ッスね」
「ああ。じゃあ、準備はいいな?」
「はいッス!」
杖を構えて、エレメンタルからの攻撃魔法に身構えるシルフィ。
俺は左手の指先に魔法力を込めた。
瞬間――
平原のあちこちでバラバラの方角を向いていた板状のエレメンタルが、一斉に俺にその“面"を向けたのだった。
こちらの魔法力に反応するタイプか。
うむ、このまま魔法を放って大丈夫だろうか。本当に一筋縄じゃいかないな……この世界は。




