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海の幸と山の幸

 降り注ぐ日射しに目を細めると、俺は白砂の上で小さく溜息をついた。


 エメラルドグリーンの潮騒が耳にくすぐったく聞こえる。


 椰子の木には椰子蟹の魔物が張り付いているものの、俺たちに襲いかかってくる気配は無い。


「海ッスよゼロさん! どうッスかこの水着! 似合うッスよね似合ってると言うッス!」


 地底湖島の白い砂浜を、裸足で駆け回る水着姿のシルフィに溜息が出た。


「水着なんて買ってる余裕無いだろうに」


「何を言ってるんスか! せっかくの海なのに」


「海なら二十階層にもあるじゃないか?」


「あっちの海はリゾート感無いッスからね」


 紺色のワンピースタイプの水着はデザインも簡素で、シルフィのフラットボディをぴっちりと包み込んでいた。


 しかしまあ、信頼されているのか男として換算されていないのか、普段のローブ姿と比べるとかなり肌を見せる格好なのに、シルフィは恥ずかしがるでもなく楽しげだ。


「今日はジャンジャン獲るッスよ!」


「まあ、たまにはこういう日もいいか」


 ここ最近はずっと魔物討伐の戦利品で小銭を稼いで来たのだが、今日はすっかり顔なじみになった岩窟亭からの依頼で、食材ハントだ。


 小さな金属製の熊手は「美味い貝をごちそうする」という約束で、ガーネットに借りたものだった。


 水際や浅瀬で濡れた砂を掘っていくと――


「わーい! あったッスよ! やったー!」


 虹色の貝殻に包まれた二枚貝を手に、シルフィが笑顔になった。彼女の手の中にすっぽり収まるサイズだ。それを彼女は金のネックレスの紅玉に素材として収納した。


「今日はどっちがたくさん貝をゲットできるか勝負ッスね!」


「数よりも種類が大事だぞ」


「わかってるッス!」


 シルフィは霧中になって潮干狩を始めた。こちらに小ぶりなお尻を突き出すようにして、紺色の薄い布地に包まれた曲線が強調される。


 うーむ、俺の視線に気づかないくらい集中しているみたいだ。


 時々バランスを崩してお尻の方からコテンと転ぶ。


 濡れて砂のついたお尻をものともせず、再びシルフィは熊手を振るった。


「負けないッスよぉ! うりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃー!」


 砂をまき散らしては、桜色の貝や青い貝をゲットしていった。


 どれも食用に適しているものだが、貝殻は装飾の素材になる。


 俺も彼女にならって地道に貝探しを続けた。目標は桜色の貝――ピンククラムを百個だ。これで作るチャウダーというスープ料理が絶品なのだとか。


 しばらくして――


「あうぅ困ったッス」


 こちらに顔を向けたままシルフィがしゃがみこんだ格好で眉尻を下げた。


「どうしたんだシルフィ?」


「お、おお……あう」


 周囲は白砂の浜が広がって、背の高い椰子の木はあるものの、隠れられる茂みがない。


 水分補給は大事といって、美味しい美味しい、しかもこれが無料ただ! と、椰子の実のジュースをがぶ飲みしていた誰かさんの姿が思い出された。


「ああ、それなら海に入ってすると気持ちいいんじゃないか」


「だ、ダメっすよ! っていうか、どうしてわかったんッスか!」


「恥ずかしいなら相談するなよ」


 ますます彼女の顔は赤くなり、呼吸も乱れ始め、膝をスリスリさせるようにしだす。


 ムズムズと我慢していたのだが、不意に彼女は言う。


「ちょ、ちょっと……泳いでくるッス! せっかく水着なので!」


 熊手を放り出してシルフィは腰まで海に浸かると、俺に背を向けた。


 泳ぐわけでもないのだが、プルルッと身震いしたかと思うと、こちらに向き直りニッコリ微笑む。


「他の誰かにこのことを言ったら……殺すッスよ」


「俺はなにも見てない」


「それでいいッス」


 スッキリとした顔で戻ってくるシルフィの、濡れた下半身に紺色の布地はよりピッチリと密着していた。


「それにしてもなんというか、ちょっと……野蛮というか野生に戻ったみたいな行為ッスね。あ、いや、別にしてないんスけど」


 知性を尊ぶエルフらしからぬ、微妙に興奮した口振りだ。シルフィしっかりしろ。


 ともあれ、これからは水分補給はほどほどにな。




 依頼というのは上手くこなせば増えるらしく、地底湖島で集めた貝の納品で、俺とシルフィはすっかり遠方の食材ハンターと思われてしまったらしい。


 魔法で魔物を倒せるようになったのに、今日も今日とて雪山を越えて砂漠を渡り、俺たちは十階層まで戻ってきた。


 蒼穹の森は祭壇で終わるわけではない。さらに奥地に進むと、鬱蒼と生い茂る森の中、出会う魔物も変化した。


 猪系の魔物――グレートボアーとテリトリーだ。


 猪を相手にするのは元オーク的に少し気が引ける。が、魔物は俺がどんな姿だろうと、攻撃してくることに変わりない。


 全長二メートル近くある巨大猪は、丸い筋肉の塊のようだ。


 十階層とはいえ、深入りしたため、魔物の強さは二十階層以上。


 とはいえ、茂みから突撃してくる不意打ちにさえ気をつければ、収束させた初級炎撃魔法で撃ち抜くことができた。


 まあ、何度か鋭利な牙に腹を刺し貫かれはしたのだが、止血してしばらく休めば傷はふさがった。


「ほ、本当に大丈夫ッスか?」


「ああ。問題無しだ」


 シルフィを庇うこと三回。さすがの彼女も俺に気後れしているようだった。エルフが街で錬金術にいそしむのも、一度のミスが命取りになりかねないからだろう。


「それにしても、まるでオークみたいな回復力ッスね」


「ええと……そうかもな」


「まさかゼロさんの正体ってオークだったりして?」


 冗談っぽく笑うシルフィに「そうだよ」と真顔で返す。


「ま、まままマジッスか?」


 少女の笑顔が凍り付いた。


「そんなわけないだろ。まあ、この回復力については自分でもよくわからないんだけどな」


 シルフィのことだから「そんなのあり得ないッス」とでも言うかと思ったんだが、彼女は俺の返しを真に受けたようだ。


 驚きつつも彼女は「ゼロさんは魔法に関しても特別みたいッスし、不思議だけど回復力が高いのも不思議じゃないッス」と、独り納得した。


 そんな話をしながら森を進んで、目的地に到着する。


 そこは菌類の魔物――マタンゴラが棲息するエリアだった。巨大茸に小さな手足が生えた、ずんぐりむっくりとした魔物だ。


 死毒沼地にも同系統の魔物がいるのだが、あちらは笠の色が紫で毒の胞子を振りまいてくる。


 一方、蒼穹の森の奥に住まうマタンゴラは赤い笠をしていた。


 このキノコの魔物は先ほど戦ったグレートボアの好物らしく、二つの魔物の群の境界線では、時折魔物同士の小競り合いが行われているらしい。


 特に満月の翌日は血気盛んにつぶし合いが行われて、双方共倒れになるのだとか。


 移動の日数を計算すると、今日がちょうどその日に当たる。


「なんか魔物の気配が一気に減ったッスね」


「マタンゴラが食い荒らされたのかもしれないな」


 マタンゴラのコロニーは閑散としていた。


 朽ち木や倒木は普段ならマタンゴラの憩いの場なのだろうが、彼らにとって居心地の良い環境というのは、群生する他の茸――魔物ではなく食材となる採取物にとっても、最適な繁殖地なのだ。


「おおお! あの松の根元を見るッスよゼロさん! 小さく膨らんでるッス」


 エルフの目をこらして見ても俺には違いがわからないのだが、生粋のエルフであるシルフィには腐葉土の不自然な盛り上がりがわかるらしい。


 さっと木の根元に駆け寄って、こちらにお尻を向けたまま手で枯れ葉をそっとどかす。繊細な手つきはまるで、高価な錬金素材を扱っている時のようだ。


「あったッス! このサイズなら三万メイズはくだらないッスね」


 茶色い笠の茸が生えていた。笠は小ぶりで小さく膨らんでおり、柄は太く白い。


 採取したのは十センチほどの大きさで、その笠にそっと鼻を近づけてシルフィはスンスンと匂いを嗅いだ。


「ふああああ! こんなところにシメリマツタケがあるなんて!」


「なんだそのシメリマツタケって?」


 振り返るとシルフィがほっぺたを膨らませる。


「ほんっとにエルフの知識だけは記憶喪失なんスね。岩窟亭のマスターが言ってたキノコって、これのことッスよ」


 言われてみれば特徴は一致していた。


「うは! あっちにはポルチノ茸があるッス! それにもしかしたらこの匂いは……」


 再び鼻を鳴らすと、シルフィは俺の背負った荷物からスコップを取り出して、ブナの木の下を掘り始めた。


「おいおい、今度はなんだ?」


「ここッスよ! ここから良い匂いがするんス!」


 俺の鼻には何も感じられない。シメリマツタケでも膨らんでいるくらいしかわからなかったが、何も無い柔らかな土をシルフィは懸命に掘り返し……。


 白いこぶし大の物体を掘り当てた。


「なんだそれ? 芋なのか?」


「ショウロ茸ッス。しかも白! こんなところにあるなんて……やばいッス。この香り! うへ、うへへあはは!」


 おいおい、何か本当に危険なキノコじゃあるまいな?


 俺はシルフィの手からショウロ茸を取り上げた。


「興奮しすぎだろ。それに香りって言われても……まあ、たしかに独特の感じはあるけど……」


「この官能的な良さがわからないんスか! 返してください!」


 俺が高く掲げるとシルフィはかかとを上げて背伸びして、奪いかえそうと必死になった。


 ちょっと面白いのでしばらくこのままにしておこう。


「官能的ねぇ」


 上目遣いで口を半開きにして、ヨダレをたらしながらシルフィは笑う。


「もう! いじわるしないでくださいよぉ! ぼくが見つけたんスからぁ!」


「ここまでこられたのは俺のおかげでもあるだろ」


「食べようなんて思いませんからぁ! もう一嗅ぎでよいので匂わせてほしいッス!」


 こんなに乱れた(?)姿を見せるなんて初めてだ。


 俺の身体に身体を密着させて妖しく腰を振り始めた。


 ガーネットだって酔い潰れても、ここまでおかしなことにはならなかった。


「ともかくこいつは岩窟亭に納品する」


「ええぇ! そんな殺生なぁ!」


 俺はナビに目線で合図をして呼び寄せると、シルフィの見つけたショウロ茸を素材として紅玉に保管した。


 俺に身体を密着させてくねらせていたシルフィが、ハッと目を丸くする。


「あ、あれ。ええと……これは誤解ッス! 別に好きとか嫌いとかじゃなくて、誤解なんスよ! ぼくのショウロ茸返して!」


 最後のは確実に本音だろうが、取り出すとまた猫にマタタビ状態になりかねないので、俺はそっと首を左右に振った。


「とりあえず暗くなる前に、集められるだけキノコを集めるぞ」


「ううぅ。しょうがないッスねぇ。ちゃんとがんばるから、ご褒美にショウロ茸を匂わせてほしいッス」


 あのキノコはエルフにとって中毒性が高いものなんだろうか。媚薬の原料と言われてもなんの不思議も無いのだが、俺が元オークのだからか俺には変わった匂いにしか思えなかった。




「ゼロさんゼロさんお疲れじゃないッスか? 肩を揉んであげますからアレ出してくださいよぉ」


「いや、肩は凝ってない」




「ゼロさん……ハァハァ……砂漠越えるのキツイッス……アレを一瞬拝むだけで元気が出るんスけどね」


「しっかりしろ。少しくらいならおぶってやるから」




「今日はここで野宿ッスね。そうだ! せっかくたくさんキノコを採ったんだし、一つくらい食べちゃっても……ええと、表面を舐めるだけでもいいからお願いしますぅ!」


「夕飯は予定通り、パンと乾燥野菜を戻したスープな」




「ゼロさんゼロさんゼロさんゼロさんゼロさんゼロさんゼロさんゼロさんゼロさんゼロさんゼロさんゼロさんゼロさんゼロさんゼロさんゼロさんゼロさんゼロさんゼロさんゼロさんゼロさんゼロさんゼロさんゼロさんゼロさんゼロさんゼロさんゼロさんゼロさんゼロさん」


「怖いからやめてくれ」




「ゼロさんのばか! もう知らない」


「こっちのセリフだ」




「ショウロ茸持ってますよねゼロさん? ほら、ちょっとジャンプしてみてくださいッス」


「小銭狙いの小悪党かお前は」




「お願いしますからなんでもしますから、最後に一目だけでも! 二十階層に着く前にどうか……お慈悲をくださいッス!」


「お断りします」




 そんな会話をしつつ、俺たちは街に戻ってきた。


 岩窟亭で納品すると、最後の別れを惜しむようにシルフィはショウロ茸に頬ずりしていたのだが、依頼主の前であんまりにもはしたない&だらしない顔になったので、さっさと取り上げてクエスト完了だ。


 今回の総額――なんと驚くことに五十万メイズ。その半分が、あの白いショウロ茸一個の値段だったのには驚きだ。


 十階層までわざわざ取りに迷宮を戻る冒険者が少ないことと、その香の魔力に取り憑かれて大枚はたいてもいいというニッチな需要が合致した結果だった。


 しかし、大きめのジャガイモくらいのアレが一つ二十五万メイズ以上するとは……。


 俺もあやかって頬ずりくらいしておけばよかったか。いや、それで買い取り価格が下がって矢身も蓋もないな。


 しばらく岩窟亭の前をうろうろするシルフィを無理矢理引っ張って、報酬を手に俺は錬金術士街へと戻ることにした。




 後日――岩窟亭のマスターに訊いた話だが、ショウロ茸を探すのに雌の豚を使うのが外の世界では一般的なのだとか。


 なんでも雄の豚のおしっこに含まれる成分とショウロ茸のそれが似ているらしく、雌が興奮するというのだ。


 エルフの中にも特に嗅覚の秀でた一部の女性には、この匂いが嗅ぎ取れるのだという。


 そしてオークには豚のような外見的な特性もあり、エルフの女性が雄のオークを恐れるのには……。


 これ以上の話は訊かなかったことにしよう。

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