近づく距離は少しだけ、少しずつ
鉱山から出て山の中腹を十七階層方面に向かって降りる。
逆方向だと言われたが、俺はシルフィを連れて川沿いまでやってきた。
赤い荒野のような大地に流れる清流脇を行くと――
「あったあった! ここで一息つくとしよう」
川の水面の一部が積まれた石で区切られた、露天風呂にたどり着いた。
乳白色の湯にシルフィの目が点になる。
「え、えええッ!? これってもしかして……お風呂ッスか!」
「一汗流していこうぜ」
背中のザックを降ろしてローブを脱ごうとした瞬間――
「なんで一緒に入るのが前提なんスか!」
顔を真っ赤にしたシルフィにツッコミを入れられて、ハッとなると俺は脱ぎかけのローブを元通りにした。
言われてみればそうだった。
「悪い悪い。周辺は警戒しておくから、先に入ってくれ」
彼女に背を向け川縁の森に視線を向ける。
「い、いいんスか? その……これって誰かが作ったものみたいなんスけど……もしかしてゼロさんが!?」
「いや、俺じゃないぞ。ただ火山の近くだから温泉が湧くのは不思議じゃないだろ? 川縁で温泉が湧いてたら、冒険者の誰かが見つけて湯船を作ってるかもって思ったんだ」
青い猫が川原の石を前足でツンツンしながら鳴いた。
「勘が冴えるねゼロ」
赤い瞳に疑いの色は無い。俺はシルフィに背を向けたまま軽く手を振った。
「ほら、早く入って汗を流してくれ。後が使えてるんだから」
「そ、そんなに急かさないで欲しいッス。あと、絶対にこっち向いちゃダメッスからね。別にフリとかなんでもなくガチで見ないで欲しいッスよ……み、見ても……楽しくないだろうし」
ごにょごにょと言いよどみながらも、しばらく沈黙が続いた。
俺の代わりと言わんばかりに、ナビが湯船の方を向いている。
「今ローブを脱いだね。それから下着に手を掛けたよ。上を脱いだね。下も手を掛けて……なんだかじーっとゼロの背中を見つめてるよ。それから服を大きめの石の上に並べて干してるね」
実況しなくていいぞナビ。
しばらくして――チャポンと湯船に浸かる音が川のせせらぎに混ざって消えた。
俺は比較的大きな岩のような石に腰を降ろすと、じっと森側を見つめ続ける。
鉱山内部よりも外の方が魔物も弱い。万が一、襲ってくるようなのがいないか警戒するという素振りで、シルフィの方には向き直らなかった。
「あっ。淡水マーマンが川から這い上がったきたよゼロ」
ああそうか淡水マーマン……って。
「きゃあああああああああああああああああああああああ!」
悲鳴があがった。振り返ると川から半魚人の魔物が現れたのだ。
声を上げてシルフィが湯船から飛び出して、こっちに走ってきた。全裸で。
マーマンはぎょろりとした魚眼でシルフィめがけて走る。べたんべたんとヒレのような足をばたつかせ「ギョモオオオオオ!」と奇声を上げていた。
粘液を口からヨダレのように垂れ流し、シルフィに襲いかかるマーマンに俺は――
「初級炎撃魔法」
指先に収束させた熱線を放ち、その頭部を撃ち抜く。
ヒトのカタチの魔物というのも少なくないが、彼らに言葉は通じず文明も文化も持ち合わせていない。加えて問答無用で襲いかかってくるのだから、こうするより他無い。
赤い光の粒子となって分解されたマーマンに安堵すると、俺の胸に顔を埋めるように抱きついてシルフィが震えた。
「マジびっくりしたッス……うう……」
「ごめんな。まさか川側から魔物が来るとは思わなくて」
胸もお尻も小ぶりで肌は雪のように真っ白だ。それが温泉の熱でほのかにピンクに染まっていた。
密着したまま顔を上げて、真っ赤な顔でシルフィは桜色の唇を開いた。
「は、離れちゃだめッスよ。こうしてくっついてる分にはその……前は見えないわけだし」
「目を閉じればいいのか?」
「願わくばそうして欲しいッス」
どうやら淡水マーマンは一匹だけだったか。俺の炎撃魔法が威嚇になったのかもしれないな。
「ヘクチゥッ! 湯冷めしちゃうッス」
「あはは、変なクシャミだな」
「笑ってる場合ッスか! もう一度お風呂で温まり直したいので、このまま密着状態で湯船のそばまで行くッス」
しょうが無い。付き合うしかなさそうだ。
向き合ったまま足下に気を配りつつ、ゆっくり湯船まで戻ると――
「目を閉じるッスよゼロさん」
俺は頷いて、ぎゅっと目を閉じると天を仰いだ。その間にシルフィが乳白色の湯船に肩まで浸かれば問題無い……はずだった。
「クシャミを笑ったお返しッス!」
突然、ぐいっと腕が引かれて、俺の身体は服を着たまま湯船に引きずり込まれた。
バッシャーン!
と、豪快に着水する。
「あっはっはっは! 騙されたッスね!」
「お、お前なああッ! 服ごとはひどいだろ!」
「これでおあいこッスよ。お尻見てたのくらい気づくんスから」
湯船に身を隠して満足げに笑うシルフィに、怒る気力も失せてしまった。
風呂に入っている女性に近づくと、決まってこうなるのは運命なんだろうか。
先に湯から出ると身体を拭いて、シルフィは乾かした服を身につけた。その間も、彼女が「いいッスよ」と言うまでは、俺は目をつぶりっぱなしだ。
一通り自分の準備が終わると、シルフィは俺が脱いだ服類の水を切り、炎撃魔法をコントロールして乾かした。
「悪かったッス。ほら、これで元通りッスよ」
びしょ濡れだったローブが、ほんのり生乾きだ。まあ、絞っただけよりはマシか。
暑い火炎鉱山だ。着ているうちに乾くだろう。
「俺はどうどうと湯船から出るから、見たければご自由にどうぞ」
「きゃああああああああああああああああああああああ! やめるッスよいきなりは!」
両手で顔を隠すようにしてシルフィはそっぽを向いた。
その間にサッと身体を拭いて服を着る。
街に戻る準備を整え、荷物をザックに詰め直して背負った。
「もういいぞ」
「ゼロさんって羞恥心が無いんスか?」
「別に見られて減るものじゃないだろ」
「本当にエルフらしくないッスよね。無駄に堂々としてるところとか」
そういう意味じゃ錬金術ギルド長のリチマーンも相当だと思うんだが。
常識的というよりも、シルフィも含めてクセの強いヤツが多くないかエルフって。
俺の隣を歩くシルフィだが、その距離が今までよりも半歩近い。
「お前だってけっこう変なヤツだと思うぞ」
「えー!? ぼくは優秀かつ模範的なエルフッスよ?」
おかしなヤツほど自分は普通と言い張るってことだな。おっと、俺自身のことは棚に上げておこう。
川辺から山道に戻っても、シルフィとの距離は近いままだ。
「さっきはちょっと驚いたけど、温泉自体はとっても良かったッス。ゼロさんらしくもない気遣いに感謝ッスよ」
「らしくもないとは失礼な」
怒ってみせるとシルフィはニヘラ~っと口元を緩ませた。
「冗談ッスよ冗談♪ さっきも助けてくれたし、鉱山の中でもけっこう危ないところで、何度も……それこそ身を挺して助けてくれたのは、本当に感謝してるッスから」
シルフィは戦い慣れしていない。
黒魔法の力は本物だが、魔物と戦うこと自体が苦手というかぎこちないという印象だ。
だとすると、どうやって最果ての街までたどり着いたんだろうか。
ここに着くまで守ってくれるような誰かと一緒だった……とか。
「俺だってシルフィの黒魔法と錬金術は頼りにしてるんだ」
「後者の方はお任せッスよ。ゼロさんって黒魔法は天才級だけど、錬金術はからっきしみたいだし」
実際、彼女に錬金術のさわりの部分だけ教えてもらったのだが、鍛冶や冶金の方が断然わかりやすいというか、俺はエルフのくせに錬金術の適性は無いらしい。
今日、手に入れた火炎蜘蛛の糸繭を高値で買い取ってもらえるかは、シルフィの手にかかっていた。
最果ての街に戻ると、シルフィが糸繭からアラミダの糸を精製した。
本来なら糸繭のまま錬金術ギルドに持ちこむところだが、リチマーンに目をつけられてしまったこともあるので、売却は裁縫ギルドだ。
ここでも効いたのはガーネットの名声だった。彼女の紹介もあって買い取りの取次をしてもらい、余計な手間賃を差し引かれずに済んだのである。
さらに、普通の糸よりも上質と判定され、しめて九万七千メイズになった。
裁縫ギルドの買い取り担当者をしている熊獣人曰く「同じ品を納品するほど買い取り価格が下がる」とのことだ。
また、ギルドの掲示板で素材募集の張り紙などもあるので、欲しがっているヤツには高く売れるらしい。
火炎鉱山ばかりでなく、他の冒険者たちが面倒がって行かないような階層まで足を伸ばし、需要に応えて良い品を供給するのが、儲けのコツだ。
稼いだ金で装備を調え、さらなるレア素材を手に入れる。今日の稼ぎが次の狩りの軍資金に消えても、今は少しずつ前に進むのがよさそうだ。
その日の夜にレベルが上がった分のステータストーンを振って、俺は明日以降の冒険に備えて早めに寝ることにした。
まだシルフィとの連携はぎこちないが、こちらも回数を重ねて呼吸を合わせていくしかないだろうな。
名前:ゼロ
種族:エルフ
レベル:49
力:G(0)
知性:B+(87)
信仰心:G(0)
敏捷性:B(86)
魅力:G(0)
運:G(0)
黒魔法:初級炎撃魔法 初級氷撃魔法 初級雷撃魔法
中級炎撃魔法 中級氷撃魔法 中級雷撃魔法
上級炎撃魔法 上級氷撃魔法 上級雷撃魔法
脱力魔法 対象の力を下げ攻撃と物理防御を弱める
鈍重魔法 対象の敏捷性を下げ速度や命中率を落とす
魔法障壁 敵意ある魔法による攻撃を防ぐ盾
呪封魔法 魔法を打ち消し封じる魔法殺しの術
種族固有能力:エルフの目 魔法によって隠されたものを見つけ出す探求の眼差し
学習成果:黒魔法の最適化 学習進度によって魔法力の効率的な運用が可能となる
師匠:シルフィ
仲間:ガーネット
――隠しステータス――
特殊能力:魂の記憶 力を引き継ぎ積み重ねる選ばれし者の能力
種族特典:雄々しきオークの超回復力 休憩中の回復力がアップし、通常の毒と麻痺を無効化。猛毒など治療が必要な状態異常も自然回復するようになる。ただし、そのたくましさが災いして、一部の種族の異性から激しく嫌悪される。