椅子の上の戦い
こうして錬金術士街での、新たな生活が幕を開けた。
寝床はシルフィの地下工房にあるソファーである。生活用品を買いそろえ、彼女に家賃を払うことにした。毎日の宿代を考えると格安で、下宿先としては上々だ。
ガーネットと協力関係を取り付けた翌日、さっそく黒魔法の修行と張り切る俺にシルフィは言う。
「ちょっとどこに行くつもりッスかゼロさん?」
地下室から階段を上がろうとする俺を引き留めて、シルフィは不機嫌そうにほっぺたを膨らませた。
「そりゃあ魔物を倒しにだろ。修行だからな。黒魔法の扱いに慣れるには一番じゃないか?」
彼女はレンズの入っていない眼鏡を装着すると、白衣のようなローブの裾を翻した。
「黒魔法は学問ッスよ。とりあえず筆記の小テストでどの程度理解しているか、確認するから机に座るッス」
彼女が普段使っている机について、ペンを持たされる。試験用紙には見たことも無い文字や記号が並んでいた。
「それじゃあ制限時間は三十分ッス」
「なあちょっと待ってくれシルフィ」
「なんスか? あ! ちゃーんと名前を書かないと0点ッスよ。書く時は共通語じゃなく古代語ッスからね」
「いやそのだな……古代語が俺にはさっぱりなんだ」
言った瞬間、シルフィは伊達眼鏡を外すと俺に投げつけてきた。
「痛ッ! なにするんだよ!」
「それでどうやって黒魔法を使ってるんスか! ただ信じれば夢が叶うとか思ってるんスか! 夢見る少女じゃあるまいし!」
「どうやってって、イメージしたら出るだろ魔法なんて」
わなわなと小さな肩を震えさせて、シルフィは俺をにらみつける。
「なんて無茶苦茶な……感覚で魔法を操るなんて……理解不能ッス」
「要領は白魔法と同じだろ?」
オークの頃に信仰心を少しだけ高めて回復魔法を使った時の感覚で、俺は黒魔法も使っていた。ナビからのアドバイスもあったが、イメージでなんとなく出来てしまっている。
「信仰心で黒魔法を使うなんてあり得ないッスよ! 思考にて執行してこそ至高の黒魔法ッス」
「おいおいダジャレかよ」
「そんなつもりないッスから! ほんと規格外にもほどがあるッスよ。どうやって最果ての街までたどり着いたんスか」
それからしばらく、シルフィによるお説教が続いた。
どうやら魔法は古代文字や古代語を理解し、数式のようなものを用いて理論的(?)に構築するらしい。それに自身の魔法力を走らせ、その効果を発揮するのだと師匠は言った。
光の神の加護を求めたり、誰かをいやしたいとか守りたいという想いを奇跡の力に変える白魔法とは、考え方が違うというのだ。
そしてエルフの知性は“知りたい”という気持ちが邪魔をして、神の存在にすら疑問を持つようになり、白魔法を失った……のだとか。
ざっくりと言えば、エルフは神を疑った罪で白魔法を使えなくなった。
だが、その探究心が古代語の一部を解き明かし黒魔法として使えるようになった。
うーん、わからん。
「ともかく古代語の基礎からッスね。エルフらしくきちんとした黒魔法を使えるようになるまで、明るい天球を拝めると思わないことッスよ」
「監禁するつもりかよ!」
「異論も議論も挟む余地は無いッス」
投げた眼鏡を拾って掛けなおすと、シルフィによる地獄の特訓が始まった。
基礎となる文字の書き取りから始まり、その組み合わせによる単語をひたすら反復書き取りして覚える。
そして単語の組み合わせに、文字や記号のようなものが加わり、文法を用いて魔法を実行する短文を作る。
詩歌のような情緒は欠片も無く、文法や数値に誤りがあれば魔法は実行されず失敗となった。
イメージでぶっ放していた初級炎撃魔法が、古代語の文字と数列に置き換わる。
頭の中で式となった魔法にとてつもない違和感を覚えつつも、一方でエルフの脳はその魔法をすんなりと受け入れていた。
実際に魔法を放たなくとも、頭の中でどのような規模で、どれだけの威力か演算できるのだ。
と、つらつらと並べたが、それが出来るまでに一週間ほどかかった。
その間、朝昼通して勉強漬けだ。食事はシルフィが用意してくれるが、乾いたパンとお茶だけという簡素なものだった。
夜にはなぜか、毎晩ガーネットがシルフィの家に押しかけてきて岩窟亭に連れ出される。
俺の修練の進捗状況を報告しつつ、気前の良い赤髪のドワーフにごちそうになった。
この一週間で、シルフィは自分の体重が増えたことをなげいていた。まあ、元々ほっそりとしていたのだし、少しばかり肉付きが良くなった方が健康的だと思う。
今朝も二日酔いの毒気をオークの超回復力でねじ伏せて、机にかじりつく。
そのうち、椅子と尻が一体化するんじゃなかろうかと不安になるほどだ。
実際、半分監禁されたような生活が始まってから、まだ一度も魔法を実行していない。
全部机上か頭の中で処理するだけで、不安になる。
俺に自習を命じてソファーで古代語の本を読み込むシルフィに確認した。
「もうずっとこの調子なんだが、そろそろ外で魔物と戦わないか?」
「ダメッスよ。そこにある参考書を全部こなしてからッス」
机の上には分厚い本が塔のように積まれている。全部終わるまでどれほどかかるんだか。
三年以内――それで世界が滅ぶなら、もっと早く動き出さなければならない。
下手をすれば一ヶ月でガーネットが「やっぱ故郷に帰るわ」なんて、言い出すかもしれないし。
「あんまり時間をかけたくないんだ」
本を閉じてシルフィは俺を見据えた。
「エルフには他の種族にはない時間がたっぷりあるッスよ。みっちりきっちり学べばいいのに、焦っても良いことなんてないッスよ?」
そうはいかない事情を説明するには、足下であくびをするナビが怖い。
世界崩壊については、うかつに口にはできないな。
「ガーネットを待たせすぎるのは良くないだろ。毎晩、修行の進み具合を聞きにくるのは、時間がいくらでもあると思ってるエルフを急かすためなんじゃないのか?」
「え? そうなんスか。ぼくはてっきり、ゼロさんとお酒を飲みたいだけだと思ってたッスよ」
それも一理ある。というか、そっちがメインかもしれん。
シルフィは困り顔だ。
「とりあえずこの調子でいけば一年で学院卒業レベルまでいけるッスよ。というか、ゼロさんの学習の進み具合はある意味異常ッス」
「異常とは穏やかじゃ無いな」
ムウッと唸るような声を出して、シルフィはソファーから立ち上がった。
「これはぼくの見立てッスけど、もしかしたらゼロさんはかなりの使い手だったかもしれないッス。今は記憶喪失のポンコツッスけど、大体のことは一度教えれば理解するし、ちゃんと再現もできてるッスから。ハッキリ言うと……むかつく」
「なんでむかつかれなきゃならんのだ。師匠なら弟子の成長を喜ぶべきところじゃないのか?」
「むかつくものはむかつくッスよ! もしゼロさんが学院で学んでいたら、あっという間に飛び級卒業ッスね。ぼくより頭の良いエルフはみんな死ねばいいのに!」
無茶苦茶だな。最後のは訊かなかったことにしよう。
シルフィは悔しそうに続けた。
「だから、ゼロさんはきっと魔法を知ってたんスよ。記憶喪失で一時的に忘れているだけで、それをこうして“思い出している”最中ってことにしておくッス」
俺が黒魔法を知っている?
そうでもなければ説明のつかない吸収の早さってことらしいが、そんな自覚はさらさら無い。
元々、俺はunknownだ。
いや……けど言われてみれば、黒魔法の概念がスッと頭の中に入ってくる感じや、イメージだけで魔法を使えたのが……自分でも不思議だった。
俺は本当に、ただのunknownとして生まれたのだろうか?
その前に俺は……。
「ウッ……なんか勉強しすぎたのか頭が痛いんだが。ちょっと休憩させてくれ」
頭を万力でキリキリ締め付けられるような痛みが走った。
しばらく脳を酷使し続けた反動かもしれない。
毒ではないので回復力でどうこうもできなかった。
痛みは危険を知らせる信号だ。無視すれば壊れてしまうかもしれない。
まあ、それでもやり直せるんだろうが。
シルフィは小さく息を吐く。
「ハァ……仕方ないッスね。じゃあお茶にするッス。淹れてくるから待ってるッス」
彼女が一階に上がっていったところで、足下の青い猫が鳴いた。
「ずっとレベルを上げていないから、なんだか強くなっている実感が無いねゼロ?」
「そうだな。こんなことで本当に強くなれるのかって気はするよ」
ナビは小さく頷いた。
俺自身もこの机と椅子に縛り付けられ続ける苦行の成果を知りたい。
シルフィを上手く言いくるめ……もとい説得して、適当な魔物と戦う機会を作ってもらった方がいいかもしれないな。
名前:ゼロ
種族:エルフ
レベル:45
力:G(0)
知性:C(77)
信仰心:G(0)
敏捷性:C+(79)
魅力:G(0)
運:G(0)
黒魔法:初級炎撃魔法ファイアボルト 初級氷撃魔法アイスボルト 初級雷撃魔法サンダーボルト
中級炎撃魔法ファイアストーム 中級氷撃魔法アイスストーム 中級雷撃魔法サンダーストーム
脱力魔法ディスパワン 対象の力を下げ攻撃と物理防御を弱める
鈍重魔法ディスアグレ 対象の敏捷性を下げ速度や命中率を落とす
種族固有能力:エルフの目 魔法によって隠されたものを見つけ出す探求の眼差し
学習成果:黒魔法の最適化 学習進度によって魔法力の効率的な運用が可能となる
師匠:シルフィ
仲間:ガーネット
――隠しステータス――
特殊能力:魂の記憶 力を引き継ぎ積み重ねる選ばれし者の能力
種族特典:雄々しきオークの超回復力 休憩中の回復力がアップし、通常の毒と麻痺を無効化。猛毒など治療が必要な状態異常も自然回復するようになる。ただし、そのたくましさが災いして、一部の種族の異性から激しく嫌悪される。




