▶再生
このジメッとした洞窟の空気も四度目だ。
甦った喜びが後悔を上回った。もう一度やり直せる。チャンスをもらったんだ。
この地下迷宮世界の第十階層から……もう一度。
いつものようにじっと自分の手を見ると、崩れた透明なゼリー状だった。
視線を上げる。
洞窟の出口から光が射し込んでいた。
そこに小動物がちょこんと座る。
俺が目覚めたのを確認して、小さな四肢を早く速く動かしてそいつは俺の元までやってきた。
「やあ、目を覚ましたようだね」
開口一番そう告げて青い猫――ナビは目を細めた。
ともかくナビに相談しよう。今のままじゃあの門番には太刀打ちできない。
黒魔法による攻撃は必須なんだ。
「おい訊いてくれナビ! 今のままだと、どう進んでも俺たちは真理に通じる門にはたどり着けないんだ」
そういえば、前回もナビには俺が記憶を持って失敗した未来から戻ってきたことを告げていなかった。
ガーネットの無事を確認したい一心で、そういった相談をしていなかったんだ。
ナビは黙ったままだ。
「ともかく装備に関してはガーネットが最強のものを用意してくれる。だけど俺もガーネットも黒魔法はまるでダメだ。たしか黒魔法が得意なのはエルフなんだよな? 連中の協力が必要なんだけど」
赤い瞳がじっと俺を見据えたまま、瞬きすらしない。
「ああ、そうだった。門に挑むには俺以外の分の“鍵”が必要になるんだよ! 炎竜王以外にも階層の主級を倒さなきゃならん」
ヒゲの一本すらピクリとも反応してくれないなんて……。
「仲間が必要だ! けど、ドワーフとエルフは対立してるし、オークの俺は英雄になってもやっぱりエルフを説得して命掛けの戦いに連れ出すのは難しいんだ」
なんでナビは何も言わないんだ?
俺は続けた。
「あとはナビの存在についても、ガーネットにきちんと伝えておきたいと思う。まあ、いきなり説明しても変なヤツって思われるのがオチかもしれないけどさ。彼女の目の前で……そうだ! テーブルの上の瓶を動かしたりとかして、存在をアピールってできるか?」
ナビの声が暗い洞窟の中に響き渡った。
「どうやらキミは危険な存在のようだ。コード66と認めて……」
ナビの瞳に赤い炎の魔法力が宿った。
「お、おい……ナビどうしたんだよ? 俺だよ! お前には導く者が必要なんだろッ!?」
「焼却処分する」
ナビが放ったのは上位レベルの炎熱系の魔法だった。
一瞬で火の渦に全身が包まれ焼かれる。蒸発する。
名乗るよりも前に俺の意識は炎の中に溶けて消えた。
ナビは……俺の味方じゃ……無かったのか?
――トライ・リ・トライ――
呼吸が荒い。
肺の無いゼリーのような体でも、心の鼓動は早まり吐き気すら催してきた。
ナビに焼かれたはずの洞穴は、じめっとした湿気を保ったままだ。
ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……。
いくら呼吸をしても心が落ち着かない。
俺はナビに殺された。
前に置いていったことへの報復か?
だったらそれくらいされてもおかしくないが、ナビに記憶は無いはずだ。
あの未来はすでに無かったことになったはずの、過去なんだ。
赤い視線が洞窟の入り口から俺を見据えた。
「やあ、ようやくお目覚めかい?」
スタスタと青い小動物が俺の前までやってくる。
「あれ? どうしたのさ。もしかしてボクの言葉がわからないのかな?」
わかっている。けど、ついさっき俺はお前に殺されたんだ。
コード66ってのはいったいなんだったんだ。
訊いてみるか?
いや、同じ結果になるのが目に見えている。
ナビは前足で俺のプルプルな身体をツンツン突いた。
「眠っているのかな? ほら起きて。ボクはキミを導く者だよ」
無言を返す。
それから一時間ほど、俺はナビの呼びかけに一切反応しなかった。
「おかしいな。キミにならボクが見えると思ったんだけど……」
ついに諦めて青い猫は耳と尻尾をぺたんとさせると、トボトボと洞窟の外に出ていった。
まだ動かない。
不思議とこの姿だと喉も渇かなければ腹も減らなかった。
一晩、俺は洞窟の中でじっと待った。
翌朝――
崩れかけたゼリーのような身体を這わせて、俺は洞窟の外に出た。
この姿で戦えるのだろうか?
ナビがいない、誰でも無い何者かもわからない今の俺でも倒せそうなのは、襲ってこないタイプの魔物だろう。
森の奥に進めば、はぐれ銀狼のような魔物と遭遇する。
勝てるとは思えない。レベル上げが必要だ。
洞穴から第九界層に通じる祭壇方面に向かった。草原で水饅頭のようなスライムを見つけて、こちらから襲いかかった。
気づいたスライムが体当たりをしてくる。衝撃で身体が千切れそうだ。
手を触手のように伸ばし、鞭の要領でスライムに叩きつけた。
手応えはあったが、スライムは倒れない。
体当たりと腕の鞭の応酬は三度続いた。
満身創痍だ。それでも……この低レベルな……地下迷宮世界で最低ランクの戦いに俺は勝利した。
スライムの身体が赤い光に溶けて消える。
そう……消えてしまったのだ。
戦った記憶は残ったが、経験を得た手応えは無い。
「はは……ははは……そうか……俺独りじゃ……ダメなのか……」
全身をブルッブルッと震えさせて笑う。
もう、これまでのような気持ちでナビと接することはできそうにない。
あいつは嘘をついている。
頼れるのが俺しかいないというのなら、なぜ俺を殺すんだ?
あんな魔法を使えるなら、どうして戦わないんだよ。
もう何も信じることができない。
また死んでやり直しても、ナビと出会う場面からだ。
見上げると空は赤くなった。
傷は時間で癒えるらしく、こちらから攻撃さえしなければスライムたちも俺のそばを素通りしていく。
身体を揺らしてなんとか第九界層への祭壇にまで到着した。
外の世界に助けを求めよう。
どうやってガーネットの故郷まで行けばいいかはわからないが、魔物のほとんどいない外の世界の方が安全だ。
祭壇の上に乗ると……魔法陣は起動しなかった。
俺には階層を行き来する力は無いらしい。
閉じ込められた。
「そ、そうだ……冒険者だ! 冒険者に頼ればいい!」
この九階層に続く祭壇で待っていれば、外の世界から新米冒険者がやってくるかもしれない。
事情を説明して協力を仰げばいいんだ。
食べ物も飲み物も必要としないことは、待つだけなら最強のスキルと言えるかもしれない。
二週間が経過した。
冒険者は誰も通らない。
三週間が経った。
スライムたちの顔を覚えて見分けがつくようになった。が、向こうは俺を気味悪がっているようだ。友達はできそうにないな。
一ヶ月が過ぎ去った。
植物になった気分だ。ただ、一日ずっと天球を眺めている。
さらに二週間が経過したある日――
九階層の祭壇からではなく、十階層側の祭壇から蒼穹の森を抜けて、一人の冒険者が姿を現した。
赤髪を風に揺らして、自慢げに胸を張りながら九階層に続く祭壇へと向かうドワーフの女鍛冶職人――ガーネットだ。
俺はガーネットの前に飛び出すと立ち塞がった。
すがりつきたい気持ちが身体を勝手に動かした。
「マッテクレ……ガーネット! オレハ……エエト……」
ガーネットは腰に提げた戦鎚を手にする。
「うわっ! 喋る魔物なんて初めてかも。故郷に帰る前にチョーレアじゃん。これも光の神様の思し召しってやつかねぇ」
「オレハ……マモノジャ……」
「地下迷宮世界卒業記念あたーっく!」
ニコニコ笑顔で笑いながら、ガーネットの戦鎚が俺の身体をベシャリと潰した。
透明な肉片が四散する。
そのどこかにかすかに残った自我が、ガーネットの言葉を聞いていた。
「うわぁ……なんかベッシャベシャだし、経験にもならないし。魔物じゃなかったのか? つーか……なんでアタイの名前を知ってたんだろ。気味悪いな……帰ろっと」
愛した女性に潰されて、俺の意識も潰えていった。
門番との戦いで彼女を無駄死にさせた報いだ。
まだ俺はやり直せるんだろうか?
できたとしても……このまま諦めてしまっても……。
いや、まだだ。
ナビは信用できない。それでも利用することはできる。
俺が戻らなかったら、どのみちこの世界は終わるんだ。
なんでだろうか。オークのゼロになる以前の記憶なんてないのに、義務も使命もないっていうのに……。
ガーネットがこの先も生きる世界を、俺は守りたかった。
たとえ他人同士になったとしても。
代償を支払ってでも、別の可能性を追い求めることで状況を変えられるかもしれない。
さあ、もう一度俺を復活させてくれ。
世界を救うために。
――トライ・リ・トライ――
ジメッとした薄暗い洞窟で目が覚めた。
「やあ、どうやら目が覚めたみたいだね」
ナビと六度目の遭遇を果たした。
そういえば、ステータストーンの目も最大は六だな。
関連があるかはわからないが、これが最後の復活かもしれない。
と、毎回思うくらいがちょうど良いかもしれない。
ナビの自己紹介を聞き終えて、俺はその言葉を鵜呑みにするように見せかけた。
「今のままじゃキミは何者でもないunknownだからね。さあ、このステータストーンを振ってみて」
小動物の額に輝く赤い宝石から、六面体ダイスが取り出された。
それに手を伸ばして、俺は触手のような腕を天にめがけて投げ放つ。
ステータストーンは低い天井にぶつかると、落ちてからコロコロと転がった。
出た目は……3だ。
ギリギリセーフだな。1や2だったらどうすることもできなかった。
ナビが俺に促す。
「さあ、どの項目にポイントを割り振るんだい? すべてキミの自由さ」
これまでは“力”につぎ込んできた。
だからこそ勝ってきた戦いがある。
得られた宝や武器や防具がある。
出会えた女性がいる。
その全てを俺は投げ捨てた。
あのまま何度続けたって、門番は倒せない。
黒魔法が必要なのだ。
エルフが仲間にできないというのなら……。
俺はポイントを二つの項目に割り振った。読みが正しければ、このグズグズの溶けかけた肉体は、知性と敏捷性を得てまったく別の存在になることができるはずだ。
光が溢れて不定形な身体の四肢を形作った。
すらりと伸びた長い手足に、細く引き締まったあごのライン。顔は小さく耳は尖って長い。肌の色は白かった。
長い金髪は背中を覆い尽くすほどだ。
胸板の薄さが寂しいな。
一つ驚いたことがある。エルフは服を着ているのだ。簡素な麻の服だが、褌と腰蓑だけのオークと扱いが違いすぎるだろうに。
身長は以前より三十センチほど縮んでしまった。
足下のナビとの距離が近くに感じる。
というか、小さく見えてたが意外に大きいな……こいつ。
俺の顔を見上げてナビは首を傾げた。
「そういえば名前を訊いていなかったね」
「俺の名は……ゼロだ」
繰り返す時の中でずっと使い続けてきた名前だ。
こいつから与えられたものだから、いっそ変えてしまっても良かったんだが……。
もう、この名前が魂にまで染みついてしまった。
名前:ゼロ
種族:エルフ
レベル:1
力:G(0)
知性:G(1)
信仰心:G(0)
敏捷性:G+(2)
魅力:G(0)
運:G(0)
特殊能力:魂の記憶 力を引き継ぎ積み重ねる選ばれし者の能力
種族特典:雄々しきオークの超回復力 休憩中の回復力がアップし、通常の毒と麻痺を無効化。猛毒など治療が必要な状態異常も自然回復するようになる。ただし、そのたくましさが災いして、一部の種族の異性から激しく嫌悪される。
ナビの額から俺の現状を表す数値が放出される。
が、その続きに本来ならあるはずのない表記がうっすらと残っていた。
「さあゼロ。まだキミにはなんの力も無いけれど、成長すれば使える魔法も増えていくよ」
もしかして見えていないのか? 俺の特殊能力の項目が?
見えていて見ないフリをしているのかもしれなが……それならそれで構わない。
ナビとは利害が一致し続ける限り協力関係を築いていこう。
悟られて焼かれるのはもうごめんだ。
ああ、しかしこれがエルフの身体か。
細くて弱々しい。こんな身体じゃ……ガーネットはきっと振り向いてはくれないだろう。
ドワーフとエルフはライバル関係にもあるしな。
守るために捨てた未来を悔やみながら、それでも俺は洞穴を抜けて蒼い森の入り口に立った。




