ある、一つの結末
指輪を、そっとガーネットの左手の薬指にはめた。
「あはっ……こっちからプロポーズしようかって思ってたのに、ちゃあんと用意してくれるなんてさ……ううっ……やばっ! 絶対振り向かないで! こんな顔見せて、アンタに嫌われたくないから!」
指輪を撫でるようにしながら彼女は俺に体重を預けたまま続ける。
「そっか……指輪が作れるようになったんだねぇ……これ、最初にアンタが掘り出した金鉱石だろ? 製錬して叩いて磨いて……よくできてるじゃないか?」
「指導するやつが街一番の鍛冶職人だったからな」
「そーだね。これくらいできて当然さね。ああ……けどさ……今まで見たどんな指輪よりも、キラキラしてるよ」
彼女を離したくない。
彼女と別れたくない。
俺はなんでこの世界に生まれたのかわからない。
もしかしたら彼女のために生まれてきたのかもしれない。
ガーネットと出会い、その夢を叶えるために。
俺の背中でガーネットは囁いた。
「な、なあゼロ……あのさ……前に話したよね。アタイの故郷にこないかって……ここじゃあさ……子供とか……生まれないじゃん」
「お、おう……」
「アンタの子を産みたい。それでずっとずっと一緒にいて、子供を育ててさ……オークの子種は強いんだろ? 種族の違いがなんだってのさ。それに、アンタの英雄譚を訊かせりゃ故郷でもきっと人気者さ」
俺は足を止めた。
目の前に青い小動物が回り込んで、じっと俺を見据える。
ナビが言うのは、俺は外の世界に出られないらしい。
だけど……それは本当なんだろうか?
青い毛を逆立ててナビは鳴いた。
「ねえゼロ。この世界を離れるなんて、まさかそんなことはしないよね?」
そういえばしばらく、しゃがんでコイツの頭を撫でていなかった。
俺を最初に救ってくれたのはナビだ。
けど……。
俺は首を小さく左右に振った。
それに気づいてガーネットが訊く。
「どうしたんだいゼロ?」
「いや、なんでもない。俺も行くよ……お前と一緒に」
「そっか……うん。嬉しい。あのさ……これからもずっとずっと、よろしくな」
ナビの耳と尻尾がぺたんとうなだれた。
「やめてよゼロお願いだから考え直して。ボクにはキミしかいないんだ……お願いだよ……お願いだよ……」
歩き出す俺の後ろからずっと呼び止める声に、俺は振り返ることができなかった。
翌日――
炎竜王征伐の噂は最果ての街を駆け巡り、俺とガーネットは一躍時の人となった。
岩窟亭で俺の財布を飲み干したドワーフたちが、あっという間に情報を拡散したらしい。
噂には尾ひれがついてすっかり英雄譚だ。
鍛冶職人ギルドに報告がてら、街を歩いていてもいつのまにやら人だかりができてしまう。オークを怖がるエルフの女の子にまで握手を求められるほどの人気振りだった。
「ちょっとアタイの旦那を誘惑しようなんて良い度胸だね胸平らエルフども!」
そんな追い払い方をしなくてもいいだろうにガーネット。
「まったく、アンタってばいい男なんだからサキュバスとかに誘惑されたら、しょ、しょうちしないからね」
腕に巻き付くようにぎゅうっと抱きついて、ガーネットは口を尖らせた。
そして――
ガーネットは最果ての街の店を手放し、極力荷物を減らして帰郷を決めた。
俺も一緒だ。
懐かしい第十階層、蒼穹の森を抜けると洞穴の前にやってきた。
「ん? なにじっと穴なんかのぞき込んでるんだい?」
「いや……別になんでもないんだ」
unknownだった俺がナビと出会った場所だ。
立ち止まった俺の後ろに、ずっと気配は着いてきている。
ガーネットが言った。
「第九界層に続く祭壇はこの先だよ」
「あ、ああ。先に行っててくれ。すぐに追いつくから」
「変なこと言うねぇ。ま、アンタがそう言うなら待ってるから」
赤毛の鍛冶職人はあくび混じりに次の階層に続く祭壇に向かった。
ゆっくり振り返ると、ナビがちょこんと座って俺の顔を見上げる。
「ねえゼロ。本当に出て行くの? ボクを残して……そうしたらボクはもう……」
「なあナビ。どうしてそんなに不安そうなんだ? お前が言うには、俺は外の世界に出られないんだろう?」
ずっと気になっていたことだ。
本当に俺が出られないのなら、ここまでナビが引き留めようとするのはおかしい。
「俺に嘘をついたのか?」
「…………」
ナビは黙り込む。伏し目がちに小さな口が震えた声で告げた。
「キミを止めるには他に方法が無かったんだ。今のキミをボクは止めることができない。どうしてこんなことになったのか、ボクにもわからないよ。キミがいないとボクはダメなんだ。ねえゼロ。考え直して。一緒に真理に通じる門を探してよ。きっとこの鍵は門に繋がるなにかなんだ。騙したことは謝るから……だから……お願いだよゼロ」
ナビの額から赤い光が漏れる。それは炎竜王アグニールを倒した時に、虹の種火と一緒に落とした赤い鍵だ。
「なあナビ。お前もこのまま一緒にガーネットの故郷にこないか?」
「この先の祭壇にボクは乗ることができないんだ。ねえゼロ。キミはボクをおいて行ってしまうのかい?」
遠くから「おーい! まだかー!」とガーネットの呼ぶ声が響いた。
その手の指には金の指輪がキラキラと光る。
俺はゆっくり頷いた。
「ごめん……」
他に言葉が浮かばない。身勝手だろう。俺には外の世界に帰る場所ができてしまった。
歩き出すと子供が泣くような声が響き渡った。
声は、悲鳴は、絶叫は……きっと俺以外の誰にも届かないのだろう。
「ゼロ! 待ってよゼロ! 行かないで! ボクを独りにしないでよ! ゼロ……ゼロぉ……ぜろおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
胸が重い。
本当にこれで良かったのか?
だが、前を向けばそこにも俺を待ち、俺を必要としている彼女がいる。
どこにあるかもわからない門を、何のために探すのかもわからないそれを……見つけることにどんな意味があるっていうんだ?
「遅かったじゃん」
「いや、ちょっとな」
「なんか寂しそうだけど、だいじょーぶか?」
「心配してくれてありがとな。俺は……大丈夫だ」
「うん、そっか! なら良し! じゃあ行こっか?」
ガーネットの差し出した手を握り返して、俺は祭壇に足を踏み入れた。
光が身体を包み込み、視界が白く染まって次に目を開くと、もう俺を呼ぶ泣き声は聞こえず、俺の胸には金の鎖で繋がった紅玉のペンダントが下がっていた。
まるでナビという存在なんて、最初からいなかったかのように。
ガーネットの言葉は全て本当で、彼女の故郷には宮殿のような屋敷があり、メイドや執事が居並んで彼女と俺を迎え入れた。
外の世界でも最大級の工業都市国家。その中心となる名門名家。それがオルタニア家だ。
とはいえ、ガーネットが突然お嬢様らしく、おしとやかに豹変してしまうことは無かった。
彼女はずっと彼女らしく、俺をオルタニア家に迎え入れるため父親を説得した。
まあ……似たもの親子というべきか、オルタニア家の当主であるガーネットの父親とも酒で勝負し、飲み勝った途端、すっかり気に入られたのである。
こうして俺はガーネットの家に厄介になった。
外の世界の魔物は地下迷宮世界とは比較にならないほど弱く、脅威も強敵も存在しない。
だから神代鋼の装備なんものは、もはや伝統として作られるのみなのだ。
ここは勇者によって救われた平和な世界だった。
ガーネットは無事、神代鋼の剣を叩き上げた。使命を全うしてから、彼女は俺のためにも神代鋼で武器を打つ。
白色に煌めく巨大な戦鎚だ。勇者の聖剣と同格の、彼女が夢に描いた武器だった。
俺はといえば、戦いの無い世界で少しでも役に立とうと、あれこれガーネットに教わった。
そのうち子供を授かり、オルタニア家に婿入りすることとなった。
挙式は盛大なもので国内だけでなく、各種族がとりまとめる諸外国からも祝福された。
そうして――三年の月日が流れた。
屋敷のバルコニーで俺は幼女を肩車する。
「ぱぱぁ! あれなぁに」
母親似の娘がそっと空の向こうを指差した。
空は青く雲一つない。本物の太陽の日差しが降り注ぐ朝なのに、太陽が昇った東の空が黒く塗りつぶされている。
「なんだろうな。いったい」
たしかあの方角は地下迷宮世界の入り口があるんだが……。
「どうしたんだい朝っぱらから?」
薄いネグリジェ姿であくび混じりにガーネットが俺の隣に並ぶ。
「見てくれ。空が黒いんだ」
まるで溢したシミのように青空は闇に覆われていった。
ガーネットの左手が俺の右手をそっと握る。薬指にはずっと金の指輪が静かに光を讃えている。
嫌な予感がした。
何か禍々しいものが吹き出したような感覚だ。
背筋に汗が浮かんだ。
闇は急速に広がり世界を覆い尽くす。
大地は灰色に枯れ果て、命あるものが次々と……消えていった。
俺は咄嗟に娘を背中から降ろすと、ガーネットともども身を寄せ抱きしめる。
次の瞬間――
世界の全てが闇に呑み込まれた。
――トライ・リ・トライ――




