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Hopes and Dreams

 全員で門を通り抜けた先に広がっていたのは、何も無い十五階層だった。


 ガーネットが首を傾げる。


「お宝があると思ったんだけどねぇ。ここってただの通り道じゃないさ?」


 シルフィもキョロキョロと見回して「新世界にしては殺風景ッスよね。っていうか、十五階層だし」と、白い空間に落胆の表情だ。


 ドナはといえば「きっとこの真っ白な世界をぼうやの色で染めてね……って、ことなのね。ここにハーレムの楽園を作りましょう」と、前向きだ。


 ヘレンは淡々とした表情のまま、あえてナビを見なかった。


 そして、俺たちの前を行くナビが足を止め、そっとこちらに向き直ると告げる。


「どうして戻ってきてしまったんだいゼロ?」


 ナビもすべてを思い出したようだ。


 “真理に通じる門”とは、ナビが自分の正体――邪神であるという真理に通じている。


 答えない俺を青い猫の赤い瞳がじっと見据えて続けた。


「キミはボクをこの閉鎖された世界から連れ出してくれた。二人で料理のお店をやって、幸せに暮らせる未来もあったんだ」


 ああ、そうか。そういう可能性もあったかもしれない。


 ナビの額の紅玉が怪しく光る。


「キミとボクだけの決着は憶えているよね?」


 ガーネットもシルフィもドナも、息を呑んでいる。ナビから溢れる不気味な気配に、異変を察したようだ。


 ナビの質問にゆっくりうなずいた。


「憶えているさ。でなきゃこうしてまた、やってきたりしないだろ?」


「キミは愚かだよ勇者ゼロ。今度はボクに人の姿を与えずここまでやってきた。それがどういうことかわからないのかい?」


 小さな猫の毛が全身坂撫でられたように立つ。ナビを中心に雷撃のような稲光が走った。


 ガーネットが声を上げる。


「ちょっとわからないんだけど、いきなりケンカなんてらしくないよ二人とも」


 シルフィも加わった。


「そうッスよ。新世界に通じてなかったのは残念ッスけど、また新しく探せばいいじゃないッスか!」


 ドナが優しく微笑んだ。


「母はどこまでもついていきます。だからぼうやもナビちゃんも、悲しい顔はしないでね。今夜はみんなが無事だった記念に、たくさん美味しいものを作るわ」


 ヘレンは一度、白槍をナビに向けかけて――その鋭利な先端を地面に突き刺した。


「……戦う以外の方法を模索」


 邪神を倒すことも人類を守護する天使の役割だ。ヘレンはその運命さだめから手を離した。


 俺は膝を折ってしゃがむとナビに手を差し伸べる。


「なあ、もう止めちまえよ。お前には……俺たちがついてるんだから」


 俺一人では受け止めきれなかったナビの……邪神の孤独と悲しみだ。


 ガーネットに、シルフィに、ヘレンにドナにここまで来てもらったのは、分かち合うためだった。


「もう孤独ひとりぼっちじゃないだろ? 悲しみも喜びもここにいる全員で分け合って一緒に生きよう。この世界で」


 ナビは目を細める。


「ふふふ……バカだね。バカがつくほどの……お人好しだ。人の姿でなければボクは力を取り戻せるんだ。前回とは違う……キミらが猫だと思っていたのも認識の歪みによるものだよ。今からそれをただしてあげるね」


 ナビの額の紅玉が、ぎょろりとした三つ目の瞳になる。


 瞬間――小さな猫の身体は数十倍に膨れ上がった。


 巨大な青い獣は、氷神にも似て非なるものだ。


 全身に青い稲光をまとった巨大肉食獣。星の命を食らう獣。生命を滅ぼし支配する存在――邪神ナビの姿に、俺は再び立ち上がると見上げる。


 すっかり立場が逆転してしまった。これまでナビは俺をこうして見上げていたんだな。


 深く重く低く巨獣の声が白い空間の隅々にまで響いた。


「さあ勇者。もう一度、この世界を賭けて戦おう。ボクがキミを殺すか、キミがボクを殺すかの二つに一つさ」


 話しについていけないだろうガーネットだが、目の前の恐ろしい獣の姿に恐怖ではなく哀れみの表情を浮かべた。


「本気ならとっくに噛みついたりしてるんじゃないかい? 憎しみの目じゃないよ。悲しそうじゃないさ」


 シルフィが杖を手放して両手を天に掲げた。


「事情は全然わからないけど、感じるッスよ。ゼロさんと……ぼくらとこれからも旅をしたいんじゃないかなって。怖がらなくていいッスから」


 言いながら膝がガクガクと震えているあたり、シルフィの身体は本能的に邪神を恐れていた。それでも意志で恐れを抑え込み、彼女はナビに手を差し伸べる。


 ドナはいわずもがな、たった一言ナビに告げる。


「愛しているわ」


 ヘレンが翼を広げた。


「……想いが消えない限り、何度でも再生できる」


 ナビが吼え、空気が震えた。


「ゼロはこんなことでボクを説得できると思ってたみたいだけど、愚かなことだよ。ボクはキミを殺したいんだもの。邪魔モノには少し黙っていてもらおうかな」


 瞬間――


 邪神の赤い瞳が光ると、ガーネットたちの身体を琥珀のようなものが覆って凝固させた。


 水晶柱の中に俺以外の全員が閉じ込められ、それがふわりと宙に浮かぶ。


「どうだいゼロ? キミから大切なものを奪うのなんて簡単なんだ。殺しはしないよ。殺したところで今のキミなら蘇生できてしまうからね」


「俺を殺したいのか?」


「そうだよ。前にも言ったじゃないか。生も死も等価値なのさ。ボクが生き続ける限り勇者のキミとは相容れない。どちらか消えて無くなるか、どちらも消えて無くなるかだよ」


 ナビの孤独を癒やすことはできなかったのだろうか。


「理屈でも理由でもない、これは本能なんだ。キミだって呼吸をするだろう。食べ物を摂取して命を長らえさせるだろう?」


 倒すしかないのか? ナビは呪いにかけられているわけではない。


 すべての状態異常を回復する超級治癒魔法エリクシアを使ってもこのままだ。


「だからさ……早くボクを倒してよ……ゼロ」


 邪神がそんなことを言うはずがない。


 本当に邪悪な存在なら、こんな言葉は出てこない。


 思えば俺が勇者だったころ、最初にこいつは言ったんだ。


 俺を救いたいと。


 ともに消えたくはないと。


 結局あれは駆け引きでもなんでもなく、生きたいと願う邪神の……いや、ナビの本心だ。


 俺が勇者と呼ばれるのも邪神を倒す存在として作られたからでしかない。


 ナビを邪神と名付けたのも滅ぼされかけた人間だ。


 俺は腰に提げた二本の剣を抜き払った。


「わかった……」


「そうだよ。それでこそ勇者さ! キミは世界を救い、今のキミには祝福し、キミがどうなろうと愛し続けてくれる仲間がいる。ああ、憎いよ。それを見せつけるつもりで、ガーネットたちをここに連れてきたんだね? ますます殺したくなった。さあ、キミのすべてをボクに見せてよ。最高のキミだからこそ倒したいんだ」


 巨獣の全身が逆毛立ち、白い空間を火花と雷光が満たすと――


 闇が広がった。


 ナビを中心に白は黒で埋め尽くされ、そして星々のように点々と、そこかしこに光点が生まれる。


 まるで星の宇宙そらに放り出されたようだ。


「気に入ってくれたかな。最終決戦に相応しいでしょ?」


「言葉じゃ伝わらないこともあるからな。お前の望みなら……かなえてやるさ」


「手の内はわかってるんだ。せいぜい楽しませてよね勇者ゼロ」


 青い獣はその場で高く飛び上がると、俺めがけて襲いかかる。


 巨大な前足を振るえば幾千の斬撃となって俺の身体を引き裂いた。


 輪廻魔法リインカネーションで蘇生する。


 ナビは顔を歪めてわらった。


「今のを防げないようじゃ、これからあと何百回、何千回と死ぬよ」


「そうだな。だけど俺の心を折るつもりなら、そんな攻撃じゃ生ぬるいぜ」


 これまで何度死んでは再生リトライしてきただろう。


 ナビは後方に跳ぶと距離をとって、べろんと舌を出し荒く息を吐いた。


「興奮してきたよ。勇者のキミが強くなればボクだって成長するんだ」


 ナビの額にある第三の瞳が輝くと、荷電粒子砲となって俺の全身を焼き尽くした。


 再び魔法で蘇生した瞬間、身体が凍結して砕かれる。


 三度復活と同時に雷撃が俺を再び消し炭にし、さらに復活したところへ死者すら殺す冥王の黒槍が、俺の全身を射貫いた。


 ナビは玩具をいたぶるように俺を痛めつける。


「キミはすごいね。死になれているよ。諦めて復活してこなきゃいいのに」


 俺は殺されながら一歩ずつ、ナビとの距離をつめる。


「ねえ、なんでボクに近づいてくるんだい? ほら、得意の魔法でボクに攻撃をしてくればいいじゃないか?」


 俺は前に進む。一歩進むたびに百度殺された。


「その聖剣と星剣は飾りかな? 二つを重ねて使いなよ。世界を滅ぼせる虹の光を。そうでもなきゃボクは滅ぼせないよ?」


 両手に剣の柄は握ったままだ。さらに一歩踏み込むと、ナビは俺を殺さず痛めつけるようになった。腕や足を切断する真空刃だ。


 超人魔法で肉体を強化していようと、お構いなしに身体がバラバラにされた。繋がっているのは首と胴体だけだ。


超級回復魔法アムリタ……」


 口が動けば魔法を言の葉で唱え、手が残っていれば印を結び、それさえできなくとも意志の欠片があれば肉体を時を巻き戻したように元に戻る。


 俺はナビへとまた、一歩近づく。


「ボクに近づいて抱きしめてくれるのかい? それまでにキミはあと何回死ぬのかな?」


 ありとあらゆる毒を身体に注ぎ込まれた。


 身体の内部から炎で焼かれた。


 細胞の99.9999999999999999999999999999999999999%まで消滅させられた。


 世界中から集めた痛みと苦しみをこの身体に受けようとも、俺は止まらない。


 意識が消されても足は前に進む。進むうちに超級治癒魔法エリクシアによって回復する。


 ナビの巨体がかすかにブルッと身震いしたように見えた。


「キミは本当に勇者なのかい? キミこそどうかしているよ? そこまでする意味がわからないッ!!」


 俺は全身の皮が剥かれて赤い筋肉繊維が剥き出しになっても、傷を癒やしながら笑う。


「お前じゃ俺は殺せないよ……ナビ。お前は生きたいと願った。勇者だった俺も同じことを願ったんだ。お前は俺が強くなるほど力を増すんだろ。俺の願いが強くなるほど、お前も……この世界の存続と自分の存続を願うはずだ」


「やめろ……やめろやめろやめろ……やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろおおおおおおおおおッ!!」


 ついに俺はナビの足下までたどり着く。死んだ回数は憶えていない。


 もう、何度死んだかなんて関係ないんだ。


 ナビの攻撃が止んだ。


「わかったよ。そうだね。ボクじゃキミは殺せない」


 俺は顔を上げてナビを見上げる。


「やっと観念したか」


「ああ、認めるよ。ボクじゃキミをどうすることもできない。キミがボクに手を差し伸べ続ける限り……けどねゼロ……キミは過ちを犯したんだ」


「失敗なら何度もしてきただろ? 今さら一つ増えたくらいなんてことないさ」


「その一つが致命的だったね。キミが切り札のつもりで連れて来た仲間が、キミを殺すのさ」


 水晶柱に封じられたガーネットたちが、ゆっくりと降りてくる。


「人質のつもりか?」


「そんなことはしないよ。キミの仲間がキミを殺すんだ。ただしこの方法はボクにとっても危険なものだけどね。キミに連動してボクの力も弱まるから」


 ナビの額の第三の瞳が怪しく光る。


「「キミには再生リトライの力がある。けどね、ボクも持ってるんだよ。これがボクの力。還元リセットさ」


 瞬間――


 俺の身体がグズグズに溶ける。力が抜けて何もかもが指の隙間から落ちる砂のように消えていった。


 これは……やばい。


 魔法も剣の技もなくなって、意識まで濁り始めた。


 手足の区分がなくなり透明に戻っていく。


 unknownだ。


 目の前の巨獣もまた、小さな猫の姿に戻っていた。


「キミに再生の意志があれば、ボクの力がこうしてやり直しをさせてきたんだ。この場でまさか還元リセットをすることになるとは思わなかったけどね」


 そして――


 ガーネットを包んでいた水晶の柱が砕け散った。


「ガーネット! 大丈夫かッ!?」


 地面を這いつくばって彼女に叫ぶ。


 見上げれば彼女の顔にうっすらと霧のようなものがかかっていた。


 表情が読めない。嫌な予感がしても、俺は彼女のそばに這い寄った。


 赤毛の女鍛冶職人はハンマー片手に呟く。




「うわっ! 喋る魔物なんて初めてかも。故郷に帰る前にチョーレアじゃん。これも光の神様の思おぼし召めしってやつかねぇ」




 どこかで耳にした記憶のあるセリフとともに、ガーネットはハンマーを振り上げた。


 彼女の記憶まで還元リセットされたのだ。


 unknownの俺と出会った時の反応だった。


 まずい。俺を魔物と勘違いしている。このままだと俺は彼女に殺される。いくら軟体といえど今の俺のステータスはすべてがゼロのunknownだ。


「待ってくれガーネット! 俺は悪いスライムじゃないんだ!」


 振り上げたハンマーが頂点でピタリと止まった。


「なんで魔物がこっちの名前を知ってんのさ?」


「思い出せ! 俺たちはもっと前に出逢ってる。こんな出逢いもあったかもしれないけど、最初はもっと違ったはずだ」


 軟体の身体は思うように動かず、ガーネットは無情にも俺にハンマーを振り下ろした。


 終わりだ。


 この状態で死んで、果たして俺は再生リトライできるのだろうか。


 閉じるまぶたもないのに目をつむったその時――


「ん? 最初って……そういやアンタの声さ……いや、しゃべり方って言った方がいいかな。なんだか聞き覚えがあるんだよ」


 ハンマーを寸前のところで止めて、ガーネットはしゃがみ込むと俺を指でツンツンとつつく。


 次第にその顔を覆っていた霧が晴れて、俺は彼女の顔を見た。


 ガーネットが思い出したように声を上げる。


「あっ! なんだいこんなとこにいたのかい。アタイの素敵な旦那様。まったく、いつまで待たせてくれるのさね」


 俺の身体が肥大化した。


 丸太のような手足が生える。腰蓑一丁に樽のような腹。背は二メートルを超えたどっしりとしたそのフォルムに、懐かしさすら憶えた。


 緑色の肌もこうして戻ってみれば悪くない。


 ガーネットは俺に抱きつき頬にキスの雨を降らせた。


「おかえりゼロ。あはは! やっとアンタとまた会えた。ずっともやもやしてたんだけどさ……そっか……魂と肉体ってのが一致してなくて、きちんと思い出せなかったんだね。アンタの身体のことは隅々まで憶えてるよ」


 そっと彼女の手が俺の股間に触れる。


「が、ガーネット……あの……俺……」


「ま、人間になったアンタも好きだよ。もうちょっと太ましい方が好みだけどね。ああ……アンタと結ばれる未来があったんだね」


「あの時は守ってやれなくてすまなかった」


 オークの口から出る言葉にガーネットは苦笑いだ。


「いいっていいって。それよりこっちこそ、アンタを殺したりもしてたみたいだし。水に流そうじゃないさ。全部可能性の未来の話だったんだろ? まだこの世界では起こっていない不幸や悲しみを、なんで謝罪する必要があるんだろうねぇ」


 目を細めて俺の首に巻き付くように密着し、ガーネットは囁くように言う。


 青い猫の姿に戻ったナビが吼えた。


「まったく……けど、キミを殺す仲間は一人じゃないんだよ? さようならガーネット。使えない道具は処分しなきゃ」


 赤い光がナビの額で揺らめくと同時に、だんだんとガーネットの姿が薄れていった。


「おや、どうやらアンタともお別れみたいだね」


「待ってくれガーネット!」


「大丈夫だって。しっかりやんな。成すべき事を成し遂げれば、きっとまた会える日もくるって」


 まるで蜃気楼のようにゆらりとガーネットの姿が星の宇宙そらから消失した。


 取り戻そうにも今の俺には腕力しかない。高度な魔法は使えない。


 ナビが再び声を上げる。


「ちょうどいいや。オークを殺すのにうってつけの人材がいるんだ」


 シルフィを封じ込めていた水晶柱が割れ砕けた。


 彼女の顔にも霧がかかって表情が見えない。




「お、おお、お……オークッ!?」




「どうしたんだ? オークがそんなに珍しいのか?」


 今にも泣き出しそうな涙声のシルフィに、つい言葉が漏れる。言って後悔した。これじゃああの時と同じだ。


 オークになって最初に最果ての街にたどり着いた時と――


 シルフィはサッと後方に飛び退き、背中の杖を両手に構えて吠える。


「上級雷撃魔法(「サンダーフレア)ッ!!」


「おい早まるなッ! シルフィーネ・カライテンッ!!」


 彼女の魔法が発動するか、俺の言葉が届くか。


 タッチの差で、発動した魔法はあらぬ方向へと火線を走らせ雷撃が宇宙を駆け抜けた。


 どうやら間一髪、オークの姿の俺は焼豚にならずに済んだようだ。


 なんとかギリギリのところで魔法の標的を俺からズラすと、シルフィは杖をこちらに突きつけたまま俺に訊く。


「ど、どこでその名を知ったんスか」


「お前に教えてもらったんだ。名前だけじゃない。黒魔法の知識や錬金術についても。まあ、俺には錬金術の才能は無かったみたいだけど、自由自在に黒魔法を操れるようになったのは、誰でもないお前のおかげだシルフィ!」


 それが行く行くは、白魔法の応用や黒魔法の重奏ユニゾンに、白と黒の融合を経て無限色彩アンリミテッドへと繋がったのだ。


 シルフィがいたから俺は魔法を使えるようになった。


「ぼくが……教えた? お、オークに知り合いなんていないッスよ」


「よく見て思い出してくれ」


「その声……そのしゃべり方は……ゼロさん? ゼロさんなんスね! いったい今までどこに行っちゃってたんスか……ずっと寂しかったんだから」


 シルフィの顔にかかた霧が晴れると、彼女は涙目になって俺に抱きついた。


 俺の身体は――オークの巨体からエルフのそれへと変化している。長い耳に人間の時よりもやや高めの目線だ。


 細身ながら鍛えられた肉体は、修練と敏捷性の項目強化のたまものだ。


 胸に抱いてシルフィの頭をそっと撫でる。


「懐かしい匂いッスね。ショウロ茸の次に好きッスよ」


「二番目なのかよ」


「じゃあ、一番にするッス……ゼロさん……そうだったんスね。ぼくが最初にゼロさんを殺しちゃったなんて」


「いいって。驚いただけだもんな。けど、今後は控えるように」


「わかったッスよ。危ないと思っても全力で雷撃魔法を使わずに、痺れさせるくらいで勘弁してあげるッス」


 冗談っぽく笑うとシルフィはそっと顔を上げた。


「大好きッスよ。ゼロさん」


 かかとを上げて俺の頬にキスをした途端、シルフィの身体がゆらりと消えた。


 ナビが俺をにらみつける。


「みんなキミを思い出すなんて……けどエルフになったのはマズったね。ここにはエルフ専門の殺し屋がいるんだ」


 もう何も怖くはない。水晶柱の拘束を解かれたヘレンが、白槍の先端を俺に向ける。


 広げた翼は黒く染まり、彼女は最初に出逢った時の姿へと戻っていた。


 顔に霧がかかっていても、彼女の淡々とした、それでいてどことなく寂しげな表情が目に浮かぶ。


 エルフの黒魔導士に死天使は言う。




「…………封印地域への侵入は許可されない…………命令により排除」




 踏み込んで槍で一突きする。軌道は俺の顔面を打ち抜くそれだ。


 だが、そこにエルフのイケメンはいなかった。


 小柄な少年の頭上を槍が空気を裂いて通過する。


 見上げると俺はヘレンに告げた。


「ヘレンお姉ちゃん。僕だよ」


「……ゼロ少年」


 顔を覆う霧が晴れた。


 俺の記憶を持つ、もう一人の自分とも言える彼女には説明など不要だった。空を斬った槍を投げ捨て、ヘレンは俺を抱きしめ胸に顔を押しつけるようにして言う。


「……人間を守護するはずが、貴方の障害となり立ちはだかり続けた」


「く、苦しいよヘレンお姉ちゃんってば」


「……貴方が少年でいられる時間はきっと短い。お姉ちゃんらしく……守ってあげたかった」


「これまで充分守ってもらったよ。ありがとねヘレンお姉ちゃん」


 俺の代わりに世界を救おうとしてくれた、ヘレンはもう一人の勇者だ。


 そっと後ろに回した腕を離すと、ヘレンは半歩下がって微笑んだ。


「……出逢えて良かった。ゼロ……どうか想いを……願いを……夢をその手で現実に……希望を捨てず最後まで……」


 言葉はそこで途切れ、死天使の黒い翼は純白に浄化されながら引き潮のようにその存在もはるか遠くへと消える。


 俺はナビに告げる。


「まだ続けるのか?」


「と、当然だよ! 苦難がダメなら堕落させてあげる。キミの旅を終わらせるのに暴力は必要ないんだ」


 最後の一柱が砕けて、ドナが解放される。


 彼女の顔にも霧がかかったままだ。




「あなたには五〇人以上もお姉ちゃんがいるのよ。みんなあなたのことを、すぐに好きになるわ」




 そっと両腕を開いて俺を抱きしめようとするドナに告げる。


「ありがとうドナ。最後まで優しくしてくれて。だけど俺は、ここで止まるわけにはいかないんだ。こうして立派に成長しただろ?」


 俺の身体はいつの間にか、人間の姿に戻っていた。


 ドナはそっと両腕を下ろし、呟く。


「そうだったわね。ぼうや……」


 ゆっくり霧が晴れて、そこには目を細めるドナの顔があった。


「いつか子供は旅立つものだもの。こどものいないあたしをママにしてくれて、とっても幸せな気持ちをたくさんくれて、だから少し寂しいけれど、あなたを送り出すことにするわ。いってらっしゃいゼロ」


 小さく手を振るドナの姿が闇の中に溶けていく。


 俺は猫の姿のナビに告げる。


「また二人きりになったな」


 ナビは憎しみを込めた瞳で、人間の姿を取り戻した俺をにらみ続けた。


「どうして誰もキミを殺さないんだ!」


 思えば俺は全員に殺されているな。直接であれ間接的であれ。


「これで終わりみたいだな」


 俺は自分自身の状態を確認した。


 一巡りしたことで、力は戻っている。人の姿に戻ると、衣服は戻り腰にはベルトと鞘が有り、聖剣と星剣もいつのまにかこの手に握っていた。


 一方ナビは巨獣ではなく猫の姿のままだ。荒く息を吐いてナビは俺に言う。


「ハァ……ハァ……こうなると……わかってたのかいゼロ?」


「いいや。行き当たりばったりさ。そんなことくらいナビが一番わかってただろ? 俺は取り扱いの説明書は見ないタイプなんだ」


「そうだったね。キミは挑戦して失敗から学ぶんだ。本当に効率が悪いよ。最初から失敗を避ければいいのに……」


「言うなって。失敗だって無駄じゃないんだ。なにより喜びも悲しみも経験してみなきゃわからないだろ?」


 ナビは尻尾を下げて、耳を伏せる。


「おめでとうゼロ。キミの勝ちだ。ボクじゃキミは殺せないし、ボク以外でもキミを殺せない。そしてキミは諦めない。ボクが諦めるしかないんだ」


 小さな身体をフルフルとさせるナビと間合いを詰める。


「俺はまだ諦めてないぞ」


「何を言ってるのかわからないよ? キミは勝ったんだ。邪神に勝って本当の英雄になったんだよ?」


 俺は剣を腰の鞘に納め直す。


「思い出せナビ。お前は邪神なんかじゃない。俺とともに笑い合ったり修行したじゃないか」


 そっと伸ばした俺の腕が獣毛に覆われた。


 全身が獣の――狼の特徴をもった獣人族へと変わっていく。


 しゅんとしたままのナビに俺は訴えた。


「獣人族の青い猫種のナビという可能性だってあるはずだ」


 みんなが俺に“姿”を与えてくれたように、俺もナビの在りし日の、少女の姿を思い描いた。


「ゼロ……いいのかい? ボクは……世界を破壊する……存在……なのに」


「お前は俺の妹弟子のナビだろ?」


 猫の姿が光に包まれる。unknownの俺が人の姿に変わるように、ナビもまたその姿を変えていった。


 巨獣のそれではなく、人の姿だ。


 青い毛並みも美しい獣人族の少女に……戻る。


 困惑するナビの手をとって俺は抱きしめた。


「ゼ……ロ……」


 力無くナビは呟く。


「ああ、聞こえている。感じている。お前の体温も匂いも感触も」


 ナビの背に腕を回して包むように抱く。


 ドナが俺にしてくれたように。


 すると、俺の魂に何かが宿った。


 それがなんなのか、うまく言葉にできないが……きっと、この感情はガーネットやシルフィや、ヘレンやドナとの間にも生まれたものなのかもしれない。




名前:ゼロ

種族:人間族 勇者を越えた者

レベル:100


力:SR(100) ガーネットとの絆により限界突破

知性:SR(100) シルフィとの絆により限界突破

信仰心:SR(100) ヘレンとの絆により限界突破

敏捷性:SR(100) 過去の自分を越えたことにより限界突破

魅力:SR(100) クインドナとの絆により限界突破

運:SR(100) ナビとの絆により限界突破


流派:天星流免許皆伝 最終奥義取得――天流星舞メビウス 森羅万象救いし勇者の剣技


装備:神聖剣エルメサイア――何度でも立ち上がる消えることのない希望の剣

  超星剣ネメシスノヴァ――未知の未来を夢みて切り開く決意の剣


特殊能力:魂の願い 人が向かいたいと思い願う未来へのしるべ これまで得たすべての力が“解放”される




 ナビがそっと呟く。


「ボクが邪神だと、ボクが思い出すよりも前に知っていたんだねゼロ。そして幾千幾万の再生を繰り返し、ついにはかつての勇者だった自分すら超越したんだ」


「幾万は言い過ぎだがな。世界なんて果てしなく思えても、結局自分の目が届いて触れられる範囲がせいぜいなもんさ。勇者ってのはその範囲がちょっとばかり広かったんだ。邪神のお前に手を伸ばせば触れられる。だから俺はお前を救う。他の誰にも手が届かない、お前を救えるのは俺しかいない。そうだろナビ?」


「その名でボクを呼ぶな! ボクは導く者じゃない……キミを……世界を壊す存在だッ!!」


「そうじゃない可能性だってあるんだ。そして……俺たちは再生やりなおせる」


「救う救うってバカの一つ覚えみたいに言わないでよ!」


「バカでけっこう! そもそもバカでなきゃ思いつかないだろこんなこと」


 星の空が光で満たされた。


 光は溢れ、俺とナビは足下から長い影を引く。


 だが、ナビの影は人の姿をしていなかった。


 巨大な獣だ。


 ナビは俺から離れて呟いた。


「やっぱり行けないよ。ボクがどれだけ願っても……ほら、この影を見ればわかるでしょ?」


「俺は諦めない」


「そうだね。ねえ……ゼロ。こんなことを考えたことはないかい?」


 ナビは俺に背を向けた。尻尾を力無くうなだれさせたまま、天を仰ぐ。


「ボクらは観測されているんだ」


 少しだけその存在を感じることはあった。


「そいつはもしかして神ってやつか?」


 チューラのことがかすかに脳裏に浮かんだ。大聖堂のステンドグラスには、神が勇者を使わせたとある。


「さあ……そこまではわからない。けど、観測者はキミが死ぬのを楽しみにしているんじゃないかな? 何度も死んで苦悩する。キミを苦しめるためにボクがいるんだ! だから彼らが満足するまでボクはキミを殺し続けるようになっているんじゃないか……って」


 まだあと一歩、ナビに俺は届いていない。


 ナビの心はもう開いている。俺の魂は羽化する直前の卵のように、今にも内側にある力が溢れて内圧で外壁を崩壊させそうだ。


 俺はゆっくり首を左右に振った。


「そいつは違うぜナビ」


 背を向けたままナビはうつむく。


「結末なんてやってこない。こさせない。だって……怖いんだ。終わってしまうことが。そうしたらボクはまた独りぼっちになってしまうから。だから……いつまでも旅を続けようよ。まだいくらでも可能性の世界は広がってるんだ。このルート以外の、キミがみんなにもっともっと愛される世界だってあるかもしれないよ? だから何度でも旅をやり直そうよ。キミが死んでもボクが甦らせるからさ」


「なあナビ。そろそろハッピーエンドを迎えようじゃないか。俺も……お前も」


 ナビは再び振り返るとその両手に剣のシルエットが浮かんだ。


 獣人族の少女と、禍々しい巨獣が混ざり合ったような魔人へと変容すると、ナビは言う。


「もう一度殺し合いができるねゼロ。ずっとずっとキミと旅をしてキミを助けてキミを殺し続けていたいんだ。永遠にッ!」


 それがナビの夢であり、希望だ。


 両手の剣で俺に斬りかかる。もはや速度は意味を成さない。俺も聖剣と星剣を手に応じた。時の流れは極限まで緩やかになり、ともに静止した世界で鐘を打ち鳴らすように刃と刃をぶつけ合う。


 このままじゃ前回のリプレイだ。


 集中が途切れる。ナビの願いに迷いはない。


 一方俺は、勝つことでナビの希望を打ち砕いてしまうんじゃないかという恐れを抱いている。


 すべてが互角なら迷い無き者が勝つのは必然と言えた。


 少しずつ刃で身体を削り採られていくように、俺は傷を負う。


 治療はできない。同じ速度でその回復魔法を妨げる力をナビが働かせる。


「さあ、受けてよゼロ。ボクからキミへのレクイエムさ。またあの洞穴で待ってるからね」


 ナビが左右の剣を交差させ掲げる。


 そこから放たれる技は一つしかない。




「最終奥義――天流星舞メビウスッ!!」




 同じ力で抗おうと思えばできなくもなかった。


 ここでこれまでの俺なら諦めていた。


 だが、俺はお前とも絆を得られたんだぜナビ?


 お前は気づいていないが、俺のステータスはたった今、タッチの差で完成カンストしたんだ。


 世界を救える。お前のことも。


 ナビの放った剣が空間を切り裂き虹の光が無限の軌道を描いた瞬間――


 俺は自分の中の殻が破れ砕け散り、全ての数値が消し飛ぶのを感じた。




名前:ゼロ

種族:人間族 救星の主

レベル:∞


力:∞

知性:∞

信仰心:∞

敏捷性:∞

魅力:∞

運:∞


流派:天星流免許皆伝 最終奥義取得――天流星舞メビウス 森羅万象救いし勇者の剣技


装備:神聖剣エルメサイア――何度でも立ち上がる消えることのない希望の剣

  超星剣ネメシスノヴァ――未知の未来を夢みて切り開く決意の剣


特殊能力:魂の願い 人が向かいたいと思い願う未来へのしるべ これまで得たすべての力が“解放”される




 俺を消し去るつもりで放たれた天流星舞メビウスを受けても、俺はまだ立っている。


 続けてナビは同じ技を繰り返した。


 間違い無く俺は死んでいる。何度もこの場で。すでに魔法は相殺されて輪廻魔法リインカネーションも発動しなくなったのに。


 衝撃を受けて倒れる。


 それでも立ち上がる。


 繰り返す。何度も。


 次第に意識まで飛び始めた。


 それでも身体は動き続ける。


 ナビは涙をこぼしながら叫んだ。


「どうして死んでくれないんだ! なんで立ち上がるんだよ!」


「お前がなにものであろうと、受け入れると決めたんだ。戻ってこい……ナビ」


 身体が自然と神聖剣エルメサイア超星剣ネメシスノヴァを構えさせた。


 俺の背に息吹きを感じる。誰かが支えてくれている。


 解き放てという声が聞こえた。


 ガーネットの。


 シルフィの。


 ヘレンの。


 ドナの。


 それだけじゃない。


 この地下迷宮世界はこぶねの中で出逢った人たちの声が。


 剣を交差し天に掲げ……俺は祈るように言葉を紡いだ。


「天星流最終奥義……森羅万象救いし天流星舞メビウス


 剣を振るう。


 ナビは避けることも防ぐこともしなかった。


「やっと……ボクを殺してくれるんだね……ありがとうゼロ。ここまでしなきゃキミは諦めてボクを消してくれなかった。キミの強情さは星の海よりも深く広いよ」


 ボロボロと涙をこぼすナビに、俺が放った一撃は――


 外れる。


 いや、その手に持つ聖剣と星剣の現し身を七色の光彩が砕くと、ナビの背に伸びる獣の影を、虹の光が削り採った。


 ナビの身体が小さな少女に戻り、その影は――ナビの背負った邪神という宿命を消し去った。


 さすがレベル∞だ。ナビを邪神ではなく、ただの獣人族にしたいなんて……願いを叶える神の領域に俺は足の先から頭のてっぺんまでズブズブに浸かっちまったみたいだ。


 いくら元勇者だからって、こんなことをして代償無しなんてことはないよな。


 だんだんと意識がぼやけて視界は白く染まっていった。


 いや、絶対にこのまま死なないぞ。あの時――俺がナビと相打ちになって終わったあとで、チューラと約束したんだ。


 自分自身も救うって。


 だけど、ああ……やばいな。今回ばかりは再生リトライできないかもしれない。


 俺をやり直させていたもう一つの力である、ナビが持つ還元リセットを、俺自身の願いによって消してしまったのだから。




 また、真っ暗な世界だ。


 先ほどの星の海の光景や、白い閃光の世界が懐かしくなる。


 白い影が闇の中にボッと浮かんだ。


 ああ、こいつに会うってことはやっぱり俺は死んだのかもしれない。


「なあチューラ、俺は死んだのか?」


「先に申し上げておくであります。ハッピーエンドでありますぞ」


 訊いた俺の責任でもあるが、ネタバレかよ。と、思わず口元が緩んだ。


 そうかそうか。


 俺はついにたどり着いたんだな。


 森羅万象――手の届く範囲内とはいえ、すべてを救ったんだ。


 満足げな俺に、後ろに手を組んで小さな影は言う。


「じつはずっと見てきたのでありますよ。何度か終わってもよいかとも思っていたのでありますが、ここまで一緒にたどり着いたのであります。ゼロ殿が苦しい時もただ、見ているだけだった。時にはリトライが起こることを予感して……けれどは警告しなかった。ある意味では見殺しにしたとも言えるであります。自分を恨むでありますか?」


 傍観者。それがチューラの正体だ。いや、すでにこいつは傍観者や神じゃない。


 この世界の内側にいて、俺とこうして接点をもち、教えてくれた共犯者プレイヤーじゃない。


「見守ってくれてありがとう。それに見てるだけじゃなく、力を貸してくれた……」


 天星流を俺に伝える。その手助けをチューラはかなり直接的にしたのだ。


 小さな影はホッと胸をなで下ろした。


「ああ、よかったであります。ゼロ殿はナビ殿とご自身のみならず、こちらまで救ってくださった」


 一緒に幸せな時間を共有できて、俺も良かったよ。


 俺はチューラにそっと手を差し伸べた。


「これからは俺たち自身の足で歩いていくよ」


「そうでありますな。きっとゼロ殿たちであれば、うまくやっていけるでありましょう。良き旅を」


 握り返された感触が消えると、周囲を包む常闇がゆっくりと旭光に溶けていった。

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