委ねられた未来
旅立った手前、宮殿に戻るのもなんだか恥ずかしいと、ドナの提案で俺たちは拠点を街の宿に決めた。
大聖堂にも使える部屋はあるし、修道院で寝泊まりもできるのだが、ヘレンも戻るつもりはないとドナの意見に賛同し……現在、三人と一匹が同じ部屋である。
「血が繋がってない姉弟だもの。間違いが起こったら母は困ってしまうわ。ほらナビちゃん。ちゃんと寝たふりをしましょうね」
「そうだね。本当に寝てしまったら何が起こったのか把握できないよね」
何も無いからね。うん。
「……ゼロの望むままに」
ベッドの上で枕を抱いて熱い視線を向ける姉よ。しっかりしろ。
錬金ギルドの不正については、それを曝くべき人物を俺は知っている。
教会のゴタゴタはヘレンが解決することで自浄作用を及ぼしたのだ。
ニコラスティラ更迭で火の粉が飛んでくると、錬金ギルド長のリチマーンが逃げるなりニコラスティラに成り代わって、街の実権を握りにかかるなり動き出すのは時間の問題だが……。
「……ゼロ……どうか私と一緒に来てほしい」
宿の一階にある酒場でドナとナビと食事を楽しんだあと、唐突にヘレンが俺を誘った。
ドナはナビを抱っこして「それじゃあ、あたしたちは少し早めに休むわね」とニッコリ笑う。
ナビは寂しそうな顔をしたが「ちゃんとボクの元に帰ってきてね」と、俺に告げた。
「ああ、お前を置いてどこか遠くへいくなんてしないさ」
「よかった。二人とも楽しんできてね」
ドナもナビも俺とヘレンが夜の街に繰り出してデートでもしようと思っているのかもしれない。
ヘレンの方からそういった誘いをするのは珍しい。
「……行きましょうゼロ」
横に並ぶでもなく手を繋ぐわけでもなく、先導するようにヘレンは外に出た。
暗い空にぼんやり浮かぶ月のような天球を見上げてから、振り返るとヘレンは俺に告げる。
「……ニコラスティラはあれでよかった?」
感情をあまり見せないヘレンにしては、どことなく弱気な口振りだ。
隣を並んで歩く。夜の街が視界の端を流れていった。
「司祭のことは俺も嫌いだ。だけど……約束しちまったんだ」
「……すべてを救うと?」
「すべてなんて言い過ぎだよな。せいぜい自分の手が届く範囲内でいっぱいいっぱいだ。目の届くところにあっても、伸ばした手が届かないことの方が多いし。視界に入らなければ、俺は気づきもしないんだ。すべてを救うなんて大それたことだよ」
ヘレンは小さく息を吐く。
「……勇者だから……救うのですか?」
「正直わからないんだ。最初は本当に……何もわからなかった。次第にこのままじゃ世界が滅ぶってわかって……」
ナビがいないこともあってか、本音がぽろぽろ口からこぼれ落ちる。
「……私は……邪神に敗北した」
「敗北……って、記憶があるのか?」
少年天使としてドナの庇護下におかれた俺を戦いに巻き込むまいと、ヘレンは独り邪神に――ナビに挑んだことがあった。
「……その時の私は、ナビが邪神と突き止め倒した。恐らく、他の世界線においてもいつか……私はナビに行き着き倒す。それが世界崩壊の引き金。邪神の振りまく“死”は、この世界で広がるとそのまま地上にも祭壇を通じて漏れ溢れ……切り離すことは不能」
まるで自分さえいなければ、世界は存続するとでも言いたげだな。
「……このままでも世界は存続する。今の私は貴方からすべてを知った。もう、惨劇の引き金にはならない」
「かもしれない。だが、お前がしなくとも、起こりえるんだ。放っておけば世界は死で溢れる」
「……可能性の未来を見た?」
「見ていないし見に行くつもりもない。まあ、なんつーか……そうならなかった未来もあるのかもしれないんだが……」
天使族の少女は俺の言葉を待った。
淀みなく決意をこめて俺は言う。
「この旅で決めてみせる」
ヘレンは足を止めるとこちらに向き直った。
いつの間にか目抜き通りを抜けて、最果ての街の入り口付近までやってきてしまったようだ。
周囲に人通りもなく、静かな夜だった。
「……ゼロ。私には貴方の知らない情報がある。それを知ることで考えが変わってしまう可能性を示唆」
「心配してくれるんだな。ハァ……ってことは、かなりやっかいな情報なのか」
コクリと首を縦に振ってヘレンは背中の翼をゆっくり広げる。
「……私は人間の居場所を知っている」
軽く握ったつもりの拳が、次第に力を込めすぎて痛くなるほど強くなる。
「そうか。人間はこの世界のどこかに隠れているんだな」
「……元々……私はこの世界の守護者。私自身も他の天使族とは違う特機型だから」
地下迷宮世界と呼ばれているが、ここは星の空に浮かぶ箱船だと邪神の記憶を取り戻したナビは言っていたっけ。
「会いに行こう。どこにいるんだ?」
「……城塞廃虚。あの地域の魔物……ヘカトンケイルを始めとした機械系は人間を守るために配備」
「あんなところに人間が住んでたなんてな。まさか地下道のネズミ型の魔物じゃ……」
一瞬、チューラの姿が思い浮かんだ。
城塞廃虚の地下で松明を使うネズミの魔物がいたが……いやまさか。
「……否定。説明は困難。私自身も……記憶の再生に困惑している」
「わかった。まずは案内してくれ」
一度、街の方に向き直る。今から出発しても戻ってこられるのは数日後だ。城塞廃虚までノンストップで駆け抜けても、距離はそれなりにかかる。
「……管理者権限により祭壇を設定。起動」
突然、俺とヘレンの足下に光を帯びた魔法陣が発生した。祭壇で転送される時と同じだ。
「なんでもありだな」
「……貴方が言うと皮肉」
ヘレンが言い終えたところで、俺の視界は光の柱に呑み込まれた。
次に目を開くと、目の前に巨大な塔がそびえたっていた。
城塞廃虚から次の階層へと続く祭壇に、俺たちは出たらしい。
便利なものだ。
白亜の巨塔を前にヘレンが俺に告げる。
「……ついてきて」
俺たちがやってくれば騒がしく群がるはずのドグーラたちが、ヘレンの姿にひれ伏すように、ゆっくりとその場で隊列を成して沈黙する。
まるで女王を迎え入れるかのようだ。
そして――
継ぎ目の無い塔の前に立ち、ヘレンがその外壁に触れた途端、壁の一部がスッと消失した。
奥へと道が続いている。
くりぬかれたような通路は薄ぼんやりと明るい。
「この中に人間が住んでるってのか?」
「……否定。生きる営みは行われていない」
「もう少しわかりやすく頼む」
「……死んでもいなければ生きてもいない」
導かれるまま俺はヘレンに続いた。
長い長い通路を抜けた先で、ついに俺は自分以外の人間と再会する。
それは冷たく暗く、悲しくひどく味気ないものだった。
巨塔の内部は空洞で、見上げると無数のカプセルが内壁に設置されていた。
中には俺と同じ人間がいる。老若男女バラバラだ。
「……9999人。この惑星に現存する人間種」
「そりゃあ多いのか少ないのかわからんな」
「……記録上、七十億まで人間種は膨れ上がった」
「じゃあ、ずいぶんへっちまったってわけか」
「……同意」
俺も含めて一万人。邪神の脅威に怯え、世界を捨てて逃げ延びた。生み出した天使族たちと、勇者が世界を救うと信じて眠るうち、世界から忘れ去られた人々。
ニコラスティラが人間を守ろうとしたのも、造物主に対する、天使族にかけられた呪いなのかもしれない。
眠る人々は果たして無辜だと、罪がないと言えるのだろうか?
かつての俺を外の世界に追放したのも彼らだ。
塔の中央にあるガラス管のカプセルが、一つだけ開いている。
内壁を埋め尽くす保存用のそれらとはちがい、無数のパイプがつなげられていた。
近づいてみると、なぜか懐かしく思えた。
「……勇者の生まれた場所。聖杯……貴方は人間種が持つ才能をすべて注ぎ込まれ誕生した」
「なるほど。俺は俺で人間の特機型だったってことか」
瞬間――
ズキンと頭に鈍痛が走った。
「……だいじょうぶ?」
ヘレンらしくない口振りに驚きながら「ああ、ちょっとめまいがしただけだ」と返す。
「……貴方は選ぶことができる」
「選ぶって……なにをだよ?」
鼓動が早まり息苦しい。俺は邪神と戦って、決着はつかず邪神と……ナビとゲームを始めた。記憶も過去も自分自身も、すべて失った俺がすべてを救うかどうかという賭けだ。
だが、本当にそうだったのだろうか。
――違う。
思い出した。曖昧だった記憶が甦る。
頭の中で、認識の歪みが正されていくのがわかる。
邪神は俺の命を救いたいと申し出たんだ。
勇者と邪神はぶつかり合って消え去り、世界は救われる。
それが、人間たちの計画だった。
俺はその通りに行動し、邪神を追い詰め……トドメをさせなかった。
自分が消えるのが……怖かった。
ヘレンはスッと視線をあげる。無数のカプセルはどれも薄ぼんやりと光を帯びていた。
「……人間種は時間の檻の中にある。もし、魔法力の供給が断たれればカプセルの中の時間は動き出し、眠りについた人間種は静かに緩やかに眠ったまま絶える。私は人間の守護者。けれど、勇者の……貴方の心を知ってしまった」
「何を言いたいんだヘレン?」
「……人間は貴方を苦しめた。貴方が望めば人間を滅ぼすとも可能。すでに世界は亜人種のもの。人間に帰る場所はない。もし邪神を倒し人間が覚醒すれば、天使族は人間を守り……他の種族と戦うことになる」
ここで人間という存在を断ち切ってしまうこともできる……か。
滅ぼそうとした邪神の願いを勇者が叶えるなんて皮肉なものだ。
老人も青年も子供もいた。小さな女の子だけでなく、赤子までカプセルには並んでいる。 彼らの未来は今、俺の手に委ねられた。




