おかあさんといっしょ ~溢れる愛のデスロード~
遠く教会の大聖堂から、朝を告げる鐘の音が常闇街の最奥にまで届いた。
ドナが肌の露出の少ないドレス姿に戻ったのは、俺のステータスが完成した翌日の事だ。
宮殿の中庭に見送りにやってきたドナに俺は握手を求める。
「ありがとうドナ。おかげで助かったよ」
手袋をした手をドナは差し出すと、俺の手を両手で包むように握り返した。
「もうぼうやをスリスリしたり出来ないなんて寂しいわ」
「俺にはやらなきゃならないことがあるんだ。このナビと一緒にな」
俺の足下でナビが前足で耳の裏を撫でるように顔を洗う。ドナは小さく息を吐いた。
「ぼうや……いいえ、ゼロ。何か恐ろしいことに巻き込まれているのでしょうね。あなたの母親として、とても心配だわ」
そう言うと、彼女は握った手を離すどころか、腕に抱きつくようにして身を寄せた。
「ずっとここで暮らしてもいいのよ。宮殿はあなたのおうちなんだもの」
「ドナにはたくさん愛してもらったからな。だからこそ、俺は旅立たなきゃいけないんだ」
ドナは吐息がかかるくらい顔を近づけて、俺に言う。あと数センチ近ければ、特大級のレベルドレインになりかねない。
潤ったぷるんとした唇を開いて、彼女は俺に告げた。
「だったら、あたしも一緒にいくわ。ゼロの事が心配だもの。あなたをこの宮殿に押しとどめておけないのなら、ついて行っちゃうんだから」
口振りは軽やかで柔らかく、優しく……それでいて揺るぎない決意の強さを感じた。
今までの俺なら「巻き込めない」と言っただろう。
俺は小さく頷いた。
「わかった。来てくれドナ」
短く返すとドナは瞳を細める。
「ようやく本当に甘えてくれるのね。嬉しいわ」
足下でナビが耳をピンっと立ててドナに訊く。
「本当にいいのかい? ボクらの旅は“真理に通じる門”を探す危険なものなんだよ?」
「それなら独りより二人、二人より三人の方が心強いでしょうナビちゃん」
宮殿の門までやってくると、門前でレパードが門番のグラハムと並んで待っていた。
もうドナの方では話がついているらしい。
二人は俺とナビとドナを通す。グラハムはじっと俺を見つめるだけだ。
レベルとステータスをカンストさせるまでに、グラハムとは三度宮殿の中庭で手合わせをした。今では酒を酌み交わす仲だ。
代弁するように女執事のレパードがスッと一礼した。
「行ってらっしゃいませご主人様。それに……おぼっちゃま」
「おぼっちゃまはないだろ」
「ご主人様の息子にございますからね。それにナビ様もどうかお元気で」
ナビはレパードの前まで歩み寄ると、その場でくるんと回ってから言う。
「うん! レパードもグラハムも元気でね」
宮殿に留まる間に、住人の少女たちはもちろん、グラハムたち強面の用心棒衆やレパードとも、ナビは仲良くなっていた。
「行くぞナビ」
「あ、待ってよゼロ!」
俺が歩き出すと、その両隣をドナとナビが挟むように並ぶ。
常闇街の静かな朝を、俺たち三人は旅立った。
といっても、次に向かう場所はもう決まっているし、階層をまたぐような遠出にはならない。
鐘の音がする方へと足を進める。闇の種族――淫魔のドナは勇者信仰が厚いのだが、この街に住んで以来、その場所に行くのは初めてだという。
天使族になりたての頃に世話になったあの場所だ。
大聖堂の中に入ると、正面のステンドグラスにドナは感動して涙目になっていた。
「本当に素敵だわ。こんなに綺麗なら、もっと早く来ればよかったわね」
ドナは尻尾をクネクネと揺らす。本当なら身体事もだえたいのを、大聖堂は神聖な場所だからとこらえているようにも見えた。
奥の祭壇にニコラスティラ司祭の姿がある。俺は歩み寄ると、目を細める人の良さそうな司祭に訊いた。
「おはようございます。ニコラスティラ司祭様」
「おはようございます。わたくしの名をご存知のようですですが、申し訳ありません。以前どちらかでお会いになったでしょうか」
「いや、初めてだ」
「そうでしたか。ええと……お名前を伺っても?」
「俺はゼロ。後ろの二人はドナとナビだ」
「二人……ですか? 女性がお一人のようですが……」
司祭は眉一つ動かさないが、その瞳が俺を警戒した。どうやらこいつにはナビは見えていないようだ。俺は構わず本題に入る。
「司祭様。ここにとても有能な修道女がいると耳にしたのですが、今はどちらでしょう?」
「有能という言い方は語弊があるでしょう。修道士も修道女もわたくしも、みな等しく敬虔なのです」
「平等というのなら、司祭様はなぜ壇上に上がられているのですか?」
司祭は小さく息を吐いた。
「わたくしが偉いというのではありません。誰かがここに立つことで、安心して祈りを捧げられる。その役割を担っているに過ぎないのです」
それなら案山子でも立てていればいいんじゃないか。と、言うのは少し我慢しよう。
挑発しに来たことには違いないが、あくまで彼女の名を出させるためだ。
「では、司祭様がお休みをとられる時はどなたが?」
俺のしつこさに呆れたのか、ニコラスティラはその名を口にした。
「シスターヘレンにお願いすることはありますが……失礼ですが、貴方は彼女の知り合いですか?」
「いいえ。きっとこちらの顔を見ても、覚えていないと思います」
司祭はじっと俺を見据える。
「ところで貴方はその……獣人族なのでしょうか?」
「俺は人間さ。こう見えて、司祭様が神事を執り行うこの教会に祭られた、勇者その人なんだ」
「ご冗談を」
感情を抑制する術に長けた天使族の司祭らしくもなく、表情が険しくなる。
天使族は人間によって生み出された新しい種だ。人間を守る。その命令は恐らく、天使族の命の螺旋に刻み込まれて永い時が過ぎるうちに、信仰という形に姿を変えたのだろう。
図星を突かれると本気で怒るように、真実を突きつけられたからこそニコラスティラ司祭は不快感を示した。と、俺は勝手に思いながら、司祭に微笑みかける。
「まあ、信じる信じないはどうでもいいんだ。ありがとう。ああ、ちなみにこれから教会の封印地域を探索しようと思う」
「貴方はご自分が何を言っているのかわかっているのですか?」
敵意。
司祭は俺に敵視の視線を注ぐ。
そりゃあ仕方無いだろう。神を祭る場に「私が神だ」と名乗り出たあげく、今から禁忌破りをしますと宣言されたのだから。
と、後ろに控えていたドナが俺の前に割り込んで司祭の視線を遮った。
「うちのぼうやをいじめないでちょうだい!!」
いやちょっと待ってやめてドナママ、いかに祈ること以外無関心な天使族信者ばかりの教会とはいえ、声高に言われたら俺の心が死んでしまいますから。
ドナの声は大聖堂の天井に響き渡り、瞬間――
祈り続けていた一般信徒たちがざわつきながら、俺に視線を向けた。
いやあああああああああああ!
死ぬ! 社会的に死ぬ!
もう何百何千と死んできたけど、こいつはどぎついぜ。
ドナママは司祭に対して続ける。
「ゼロはあたしの息子で勇者様なのだもの。それは紛れもない真実なのよ」
「……はあ、ええと……お気の毒に」
司祭はドナではなく俺に視線を移して告げた。
ええい。ともかくこれで挑戦状は叩きつけたぞ。
「ここは一旦退却だドナ」
「ぼうやは負けてないわ。悪いのはこの、真実を受け入れられない頑固な司祭様よ」
俺はしぶしぶドナの手を取り腕を引く。彼女は「んもぅ」と、吐息混じりに俺に従った。
ナビが先導するように大聖堂を出るまで、信徒たちの視線は俺とドナに釘付けだ。
司祭が壇上で「みな、心を平静にして今一度祈りを」と促したのだが、誰もが俺の顔を見る。見る。見る。恥ずかしいやめて。
「青い猫がいないか?」
「ああ、珍しいな」
「それにあのお方の顔を見ていると……」
「司祭様はどうしたというのだろう」
信徒たちの声がかすかに聞こえる。
え? 俺を見ているのってドナとの悲しみと恥ずかしさの親子漫才が気になったからじゃないのか?
外に出ると俺は大きく息を吐いた。
「ドナ。頼むから人前で母に戻るのは勘弁してくれ」
「ごめんなさいねぼう……ゼロ。あなたを守りたいと思うと、つい母心に火がついてしまうのよ」
司祭はドナを闇の種族とは思っているだろうが、まだ彼女が常闇街の顔役とまでは気づいていないか。まあ、気づいて刺客を送り込んできたところで返り討ちにできるんだが。
一方ドナもニコラスティラ司祭がマリアたちに呪いをかけたことを知らない。
ドナが信心深くニコラスティラが陰謀を巡らせるなんて、皮肉なものだ。
先導するナビが立ち止まってこちらに振り返った。
「次はどうするんだいゼロ?」
「そうだな。死霊沼地あたりで封印地域を散策といこうか」
「キミはどことなくだけど、まるで未来を見てきたように行動するよね。どんな意味があるのかわからない選択をしても、結果としてそれが正しい。失敗しない。だからボクはキミの判断や選択を信じるよ」
ナビの言葉に「ゼロは勇者様だもの。たとえ世界が敵になっても、母はゼロだけは信じるわ」と、ドナは上機嫌に笑った。
重たいからッ! 信頼が全幅過ぎる!
とはいえ、その信頼に応える義務が俺にはある。愛してくれた人を守るのは勇者の……いや、誰にだって当然のことだ。
このあとドナとヘレンを引き合わせることになるのだろうが……衝突しないようなんとかしないとな。
ドナは俺の母で、ヘレンは俺の姉だ。家族喧嘩は猫も食べないだろうし。




