真理に通じる門の先には……
開かれた門の先へと踏み入る。
眩しい光の中に身体が溶けていくようだ。
白い世界をしばらくナビと歩き続けると、はるか後方で巨大な扉の閉まる音がした。
ゆっくりともやが晴れるように、白い世界を埋め尽くした霧のような光が引いていく。
俺とナビは世界を“越えた”のだろうか。
完全に白い闇が払拭されると、俺は空を見上げて呟いた。
「ここを……この場所を……俺は知っている」
世界を越えたはずなのに、空には天井が蓋をしていた。
光を降らし地下世界を照らす天球がある。
白い床のような継ぎ目の無い地面が続き、壁も真っ白だ。
俺たちを待っていたのは“何も無い”が存在する、地下迷宮世界――十五階層だった。
なんだよ。拍子抜けだな。
と、思った反面、なぜか安堵してしまった。
いつの間にかナビが俺の手を離している。
隣に立っていたはずの彼女は俺の目の前に立った。
「ああ、そうだったんだ」
俺が話しかけるでもなく、ナビはぽつりと呟く。
「そうだったって、まあ確かにこれはひどいオチだな」
「違うよゼロ。キミが思っていることと、ボクが感じていることはまるで違うのさ」
「急にどうしたんだナビ?」
「もう、違うんだ。ボクはナビじゃない。キミを導く者でもなんでもないんだよ」
言うなりナビは星剣を抜き払った。
何も無い十五階層で。
俺しかいない、この場所で。
「怒ってるのか? 結局、真理に通じる門の先がこんな場所だったからって」
ナビは首を左右に振る。
「怒ってないよ。納得したんだ。この地下迷宮世界はね……ボクを封じ込める檻だったんだよ。記憶を奪われ、存在を奪われた。だからボクを認識できたのはキミだけだったんだ」
「なあ、落ち着いてくれ」
「落ち着いているさ」
「俺にわかるように話してくれないか? 剣なんて抜く必要ないだろ?」
ナビは星剣を握ったまま、じっと俺を見据える。
「そうだね。うん……これはゲームなんだ。ボクとキミとのゲームさ」
「ゲーム?」
「真理に通じる門というのも本当だよ。ボクは記憶を取り戻した。自分の真理と真実にたどり着けたからね」
「記憶って……」
「最果ての街にある大聖堂のステンドグラスを見たことあるかい? あれはボクさ……勇者と邪神の戦いを描いた……勇者に倒されたのがボクなんだ」
背筋に冷たいものが走る。
ナビが嘘や思いつきでこんなことを言うとは思えない。
「この額の紅玉も、ボクの赤い瞳も同じ色だろ?」
「偶然……だろ」
「だったら良かったのにね。こんなことなら、ボクは自分が何者かなんて気づきたくなかった。キミと一緒ならそれもできたと思うよ。この地下迷宮世界の外に出て、一緒に暮らして……幸せなまま死んでいけたかもしれない」
「な、なら今からそうしよう」
「できないことはわかってるはずだよ。キミの手はボクと話しながら聖剣の柄にかかっている。どうしてそうなるか、キミはまだ理解していないみたいだけど」
ナビに言われた通りだった。俺の意識とは裏腹に、本能は危険信号を鳴らし続け、身体はそれに呼応するように剣を抜こうとしている。
ナビは一度深呼吸をしてから、俺に告げた。
「ボクは邪神でキミは勇者さ。宿敵同士が一緒に手を取り合い、一つの目標に向かって旅をしてきたなんて滑稽だよね。そして終着地点は“何も無い”場所なんだから、皮肉が効いてるよ」
「俺が勇者だって?」
「そうだよ。思い出せないみたいだから、教えてあげるね。キミは勇者だった」
「だった……か」
「あろうことか、キミは使命をなげうってボクに慈悲を与えたんだ。あの時、ボクにとどめをさしていれば、今日まで何千回と死ぬこともなかったのにね。キミはボクに言ったのさ。自分自身のすべてを失ってでも、すべてを救うとね」
そうして俺は自分が何者かもわからない。何ものでも無いunknownになった。
自分から望んで。そんなことがあるのだろうか?
まったく思い出せない。そんな約束をしたことさえも。
「なあナビ。お前は邪神だったかもしれない。だが、今は違う。ナビはナビだ。世界を滅ぼそうとか……もう、いいんじゃないか?」
「そうだね。けど、思い出しちゃったから。ボクはずっと星の空を孤独に飛び続け、ようやくこの惑星を見つけたのさ。だけどこの惑星に住む人類はボクを恐れた。だから絶滅させて従う者だけの生存を許し、支配してボクの住みやすい世界にしようとしたんだ」
ナビの声には抑揚が感じられない。久しく耳にしていなかった、猫の頃のような口振りだ。
俺はただ、黙って訊くしかなかった。
「人類はボクを恐れて、この地下迷宮世界を作ると引き籠もろうとしたんだよ。ここは地下だと思われているけど、実は違う。星の空に浮かぶ箱船なのさ。第九界層から先は惑星の地下なんだけどね」
ナビの言っていることがわからない。
「ああ、ごめんね。ともかく人類は地上を去る時にキミを……勇者となる最後の人類だけを残したんだ。最強の力を押しつけられて、人類から捨てられたんだよキミは。残された地上の他の種族とともにね。
そうそう、天使族っていうオマケはいたけどね。彼らは眠りについた人類を守るために、人類によって作られた種族なのさ。キミは天使族を統べるものでもあるんだ」
ナビは嬉しそうに目を細めた。
「キミは強かった。ドワーフやエルフや獣人族をまとめあげて、天使族とともにボクの配下となった闇の種族と戦ったんだ。いつしかその闇の種族すらも仲間にしてね。最後はボクに一騎打ちを挑んだんだよ。他の誰も巻き込めないって……実に、英雄的だ」
記憶すら残っていない。思い出せない。ナビが言っているすべてが嘘かもしれないというのに、心はその言葉を拒絶するよりも、すんなりと受け入れていた。
「そして一騎打ちの前にキミは言ったのさ。“どうしてこんなことをするのか?”って。そして手を差し伸べたんだ。“やり直せないか?”って。嬉しかった。心の底から涙が溢れそうになったよ。だけど無理なんだ。ボクはたくさん殺したからね」
「それは……今のお前じゃないだろ? 邪神のした事だ」
「今のボクは自分を取り戻したんだ。それに罪だとは思ってないよ。ボクを苦しめた人類を滅ぼして、この惑星をボクのものにするんだ」
「そんなことしなくても、お前を受け入れてくれる世界はここにあるじゃないか?」
「そうだね。楽しかったよ。キミと旅を始めて、最果ての街を目指して、一緒に共同体で過ごした日々も、闘技大会やお祭りも。ガーネットの事も好きだよ。チューラやほかのみんなも……殺したくはないけど、ボクは邪神なんだ。ずっとずっと昔、この宇宙の果てから別の惑星に降りたって広がる種の一粒。それがボクなんだ」
「お前が……何を言ってるのか全然わからないんだ」
「植物と一緒だよ。その地に根付いて他の植物を枯らしてでも、花を咲かせるだろ。まあ、ボクの場合は花をつけ実る前に、キミに刈り取られちゃったんだけどね。
これは本能さ。だから世界を新たに支配しようという侵略者と、それに抵抗する抗体とは、戦う以外無いんだ」
ナビの切っ先が俺の心臓に向けられた。




