前夜祭の再会(後編)
流石に無いだろうと油断していたのだが、農作業姿の天使族――ヘレンが葡萄酒の瓶を並べて出店の前に立っていた。
彼女は看板を掲げている。教会の十字架があしらわれた看板を見ると封印地域を思い出して、反射的に警戒してしまった。
ヘレンは呼び込みなどはしていないのだが、売れているらしい。出店の裏手で修道女たち樽から瓶にワインを詰めて、新しく並べると売れていく。
つい、俺は呟いた。
「教会は闘技大会に否定的じゃなかったのか?」
「……ガス抜きと認識。近年は容認傾向」
行き交う人混みを掻き分けるようにして、透き通った声が返ってきた。
言葉を口にしてから、どこを見ているかもわからない、虚空を見上げたようなヘレンの視線が俺に向く。
この雑踏の中、良い耳をしてるよ、まったく。
「容認というわりにがっつり儲けてるみたいだな」
「新酒を格安で出している。共同体とは相互互助の関係」
収穫時期になると畑仕事になれた修道士や修道女が獣人族の手伝いをして、その逆もまたしかりってところか。
ヘレンは不思議そうに俺の顔をのぞき込んだまま、固まっている。
「あ、ええと……まあ中級天使様もがんばってくれ」
「疑問。なぜ私が中級天使と判別できたのか?」
ローブ姿なら位が高いのもみてとれるのだが、今夜のヘレンは作業着だ。
背中の翼が六枚あれば超級天使と一目瞭然なんだがな。
俺は咳払いしつつ返す。
「雰囲気だな。まあ、なんとなくの印象でそう思っただけだ。まさか本当に中級天使だったとは、当てたこっちが驚いてるよ」
「……理解不能」
これ以上、関わるのはよそう。つい、懐かしさすら覚えて立ち止まってしまったが、知り合えばいずれ巻き込んでしまいかねない。
立ち去ろうとする俺の背中にヘレンが告げる。
「一瓶700メイズ」
「こっちはただの冷やかしだ。それに酒は麦酒の方が好みなんでな」
「…………」
それ以上言葉が返ってこなかったことに、かすかな寂しさと安堵を覚える。
そろそろナビと待ち合わせした櫓に戻ろうか……と、思った矢先――
「はいどうぞ! ハハッ! 黄色い風船に赤い風船! 可愛い坊やには青い風船をあげるね!」
ピンクの毛玉が大量の風船を配っていた。地下迷宮世界には子供がいないのだが、もし子供たちがいるような場所なら、きっともみくちゃにされていただろうな。
常闇街のセクシー親善大使マスコット――キューの口振りからして中身はドナだ。
生きていることにホッとするのはどうしてだろう。
「こっちの坊やも風船が欲しいのかな?」
しまった絡まれた。
「赤い風船がいい? それとも緑? 常闇街に来れば風船よりもふわふわでやわらか~い女の子と仲良くできちゃうよ! もちろん、お金を払えばね!」
ビシッと親指を立ててポーズを決めるキュー。頼むから教会のワイン売りの出店方面にはいかないでくれよ。
ドナにはしばらく会っていない。マリアの治療に常闇街を訪れた時は、ドナは不在でレパードに案内されたのだ。
後に感謝の手紙をもらったくらいで、直接の面識はまだ無かった。
キューから青い風船をもらう。
「これは無料なのか?」
「もちろんだよ! 本当は外の世界向けの新型避妊具なんだけど、手違いで風船になっちゃったのさ! ハハッ! 使い方が気になるだって!? 膨らます前の風船をキミの熱くたぎった欲望にかぶせるのさ! これまでにない薄さ! まるでつけていない感覚!」
ぶっちゃけやがるな、この着ぐるみ。
「そういうのいいから」
「ノリが悪いねゼロ!」
「な、なんで俺の名前を?」
「キューはなんでも知ってるのさ。決勝戦がんばってね!」
あ、ああ、びっくりした。キューは今の俺を知ってるだけだ。
ぬううっと俺に近づいてキューは言う。
「ところでゼロはどこの誰に体術を教わったのかな?」
「試合……見てたのか?」
「グループリーグ戦からこっそりとね。知り合いの女の子から強い獣人族がいるって耳にしたんだ! ハハッ! それがびっくり! 知り合いとそっくりな動きで!」
甲高い声で笑っているのに、妙にドスが利いている気がする。
レパード経由か。まさか本人に「あなたから教わりました、前世で」とは言えないよな。
かといって我流で通りもしないだろう。俺の動きは自ら編み出したと言うには洗練されすぎている。
無言のままぐいぐい近づいてくるキューに、俺は言いよどむ。
説明すれば場合によっては、根掘り葉掘り聞かれかねない。
そこから新しい道が生まれることもある。その誘惑に口が開きかけた。
鼻先まで顔を近づけたかと思うと、キューはスーッと音も立てずに後ろに下がる。
滑らかな重心移動。ぶれない体幹はまさにドナの動きだ。
「ま、いっか! 決勝戦がんばってね!」
キューは風船を手に軽やかな足取りでスキップして行ってしまった。
ハァ……。
あと五秒、見つめられたらドナと呼んでいたかもしれない。
危ないところだったな。
とりあえず、これ以上は顔見知りとも出くわさないだろう。
こちらから接触しなくとも、引き寄せられる“流れ”がある。
それに乗ることは簡単だ。だが、今回はそうしない。
魔法を使わないことで不思議な感覚を掴みかけている。
頼らないという選択肢も必要だ。
「チョイチョイ。ちょっといいですかな?」
ハイトーンな少年っぽい声に俺は振り返る。
が、誰も居なかった。
「下! こっちこっち!」
声に誘導されて視線を落とすと、小柄なネズミ種の青年が俺に笑顔を浮かべていた。
明日の対戦相手――闘技大会の開幕スピーチをした前回優勝者の剣士チューラだ。
「こ、これはその……どうも」
直接話すのはこれが初めてだ。
周囲の視線がギュッと集まったのを感じた。明日の決勝を戦う二人が出逢ってしまったのだから。
「偶然とはいえ、こんなところで会うとは驚きですな」
「え、ええ。そうですね」
相手の口振りがどことなく丁寧なこともあってか、こちらも相応の返しになる。
「おやおや、そんなにかしこまらないでほしいであります。当方の口振りはこれが普通ですが、そちらも普段着感覚でどうぞどうぞ」
「それはご丁寧にありが……あ、ああ。そうさせてもらう」
俺を無視して行くこともできただろうに、声を掛けてくるなんてどういう了見だろうか。
鞘に収まった剣を背に、チューラは尻尾を揺らした。
「ここで我々が明日の試合前に、なにやら遺恨になりそうな舌戦などすれば大会はさらに盛り上がるのでしょうが、そういうのは苦手なもので」
感じの良いヤツだな。まあ、油断はできないが。
「用件は?」
「静かなところで少し、お話を希望するのであります。もちろん闇討ちなど警戒なさるのであれば、無理にとはもうしませんから」
そんなことしようものなら、魔法で全力の反撃をかますまでだ。
「人目を避けるような話か。あんまり楽しくなさそうだな」
「かもしれませんね」
本当に誘う気があるのか、こっちが疑うくらい素っ気ない。それが逆に興味を惹いた。
「行こうか」
「おお、申し出を受けてくださってありがたいでありますよ。ですが借りとは思いませんので、明日は全力で戦わせていただくのであります」
さて、鬼が出るか蛇が出るか。
そこそこ時間も経ってしまったし、ナビに遅れた言い訳も考えておかないとな。




