予選開始
一週間で入念に準備を整えて、俺は闘技大会の予選会に参加した。
予選第二ブロックのエントリーだ。本戦に出られるのは八名のトーナメント方式だが、予選会場はなぜか森の中だった。
今回の予選会の参加者は過去最高で、トーナメント方式では間に合わないため急遽、別の方法で予選を行うことになったのだとか。
森に入る前に渡された手甲の感触を確かめつつ、左手首に巻いたリボンを見る。
ナビがお守りとして俺にくれたものだ。
朝に日射しすら遮るような、鬱蒼と茂る森のどこからか、響く声に獣の耳がピクンと反応した。
女の声だ。森の各所に発声機能のある魔導器が設置されているらしい。
『えー! これより予選会を開催します。ルールは簡単。遭遇した相手を倒してください。二時間後に花火を上げるので、その時まで無事だった参加者は森から出てきてくださ……あの、ちょっと急になにするんですか』
発声器越しに聞き慣れた声が響いた。
『ゼロがんばってね! ボクはキミの勝利を信じてるよ! わ、わああああ』
ナビのやつ、実況席にでも飛び入りしたのか? あとで謝りに行かなきゃな。
ナビが取り押さえられて声が遠のき、再び女の声でルールが説明された。
時間まで生き残った者だけでトーナメントを行い、ブロック代表者を決定するというのだ。
決勝進出は八名。くじ引きで四名ずつのグループに分けられて、グループ総当たり戦から上位二人が準決勝に。
準決勝はグループトップと二位同士の対戦。そして勝ち残った二人が決勝で当たるという。
複雑だが、要は負けなければいいのである。
そうこうしているうちに、予選開始を告げる合図の花火がパンッ! パンッ! と、打ち上がった。
さっそく森の各所から剣檄の声が響きだす。
優勝を目指すだけなら隠れてやり過ごすのも手だが、今回は少しでも手合わせして経験を稼がないとな。
と、不意に茂みから殺気をまとった蹴り足が跳んできた。巧みな足捌きで俺の頭部に蹴りを食らわせようとする。
冷静に上段ブロック。が、蹴り足がピタリと止まったかと思うと、カクンと折れるように俺の上段ガードをすり抜けてアバラのあたりに左斜め四十五度から突き刺さった。
地面に打ち付けるような蹴りのため、後ろに跳ぶなど衝撃を逃がせずモロに食らってしまったな。
即座に回復……と、魔法は御法度だった。
ガードを下げずに前を見ると、そこには――
「おや、奇遇ですね。白魔導士殿ではありませんか。まさか大会に参加されているとは思いませんでした」
森の中だろうと執事服をキリッと着こなした、黒い女豹が目を細めた。
レパードだ。奇しくも初陣が同じ師匠を持つ同門対決になろうとはな。
まあ、今回の俺はクインドナに直接手ほどきされてはいないんだが……。
レパードは軽快なステップを踏み始めた。手にはナックルガードをつけている。俺の手甲は前腕も覆うタイプのもので、開いた手も使うことができる汎用的なものだが、レパードのそれは握った拳を重さを増やし打撃力を高める攻撃重視の装備だ。
とはいえ、一応、手を開けば指は動かせるようではあるな。
ならレパード得意のアレも仕掛けてくるだろう。
「マリアの件ではご尽力いただいき、感謝の言葉もありません。ですがそれはそれ、これはこれ。今年こそ優勝の誉れを手にするためにも、貴方にはここで敗れていただきます」
女執事とはマリア治療のために常闇街に行って以来だ。
俺はニヤリと口元を緩ませる。
「そいつは残念だったな」
俺はガードを下げてレパードを誘う。寝技組み技も得意というレパードだが、今回の俺は少年天使の時と育成方針が違うのだ。
レパードの身体がブレるように不可思議な動きをした。
「誘っているのですね。しかしその構えないという構え……いえ、私の気のせいでしょう」
言葉が終わるよりも早くレパードは間合いを詰めて俺に左の牽制打を放った。
目にもとまらぬ攻撃だが、俺はレパードと手合わせしたことがある。彼女のクセも呼吸も読めていれば、予備動作の極端に少ない攻撃ですらかわすことは可能だ。
俺にガードさせるために放った左ジャブを最小限のスウェーバックで避けられて、レパードの表情に緊張が走った。
焦りとともに右の拳が俺の顔面を打ち抜こうとする。
それに合わせて俺は自身の左腕を絡めるように伸ばして、レパードのあごを先に捉えた。
腕の長さも身体の大きさも俺の方が一回り上手だ。
絶妙なタイミングのカウンターに、レパードは寸前のところで顎を引く……が、俺は拳を開いて彼女の整った襟元を掴んだ。
そのまま背を向け身をかがめ、腰を跳ね上げるようにしてレパードを背負い、投げる。
レパードの身体はなすすべなく宙を一回転した。そのまま地面に叩きつける。
「――ッ!?」
仰向けに倒れたレパードの顔面に拳を打ちつける……が、寸止めだ。
「驚きました白魔導士殿」
「勝負ありだろ?」
俺はそっと手を差し伸べた。が、そこはレパードも首を縦に振っていない。すかさず俺の腕に巻き付いて関節技を極めようとしてくる。
得意のアレ――腕ひしぎ十字固めだ。
まあ、わかっていたので腕の腱を伸ばされる前に、レパードに組み付いて距離を詰め、耳元に「フッ」と息を吹きかけてやった。
「ひゃんッ!」
凜としたレパードらしくもない、愛らしくもなまめかしい声が出た。彼女の力が一瞬抜けたところで、腕から引き剥がすと告げる。
「どうした女執事? お前の力はそんなもんか?」
「ま、まさか私が寝技も使えると見抜いていたのですか?」
至近距離で、再びレパードはガードを上げた。が、足は止まってべた足だ。
軽快なステップも掴まれては踏ん張りがきかない。この間合いでは足技を封印して、俺の掴みや投げに反応しやすいようにしている。
ドナの教えに忠実だ。
俺は無防備に腕を下げたまま返す。
「完全に手を覆うタイプのナックルガードじゃないからな。拳打も蹴りも一流だからこそ、関節技まで使ってくるとは思わない相手の心理の死角をつく……ってな」
レパードを知っているから言えるだけだが、この一言で女執事からフッと闘争心のようなものがかき消えた。
「これは……本当に私の完敗のようです」
レパードがガードを下げた――瞬間。
風斬り音が左上方から迫った。とっさにレパードを突き飛ばしながら、手甲を振るって弾く。
見上げると樹上に天使族(?)の姿があった。
「ヒュー! 庇うとは思わなかったけどやるじゃんよ」
ツンと尖ったように立った赤黒い髪の青年だ。余計な筋肉をそぎ落とし、弓を引くだけに特化したようなしなやかな肉体の持ち主は、背中の羽を小さく羽ばたかせて隣の木へと滑空しながら、こちらに矢を放つ。
今度はその矢を首をそらして避けながら右手で掴んだ。
弓使いの天使族は目を丸くする。
「なっ……なんでぇバケもんかよ」
森の中の乱戦は必ずしも一対一とは限らない。戦っている二人を横から撃つのも立派な戦術だ。
天使族を見上げながら俺は訊く。
「あんた名前は?」
「オレはリンドウ。おっと勘違いすんなよ。天使族だが信徒じゃねぇ。自称鳥人族さ」
一緒にすんなよ! と、何やらリンドウにはリンドウなりのこだわりがあるようだが、詳しく話を訊いてもいられないな。
レパードが立ち上がって俺に確認する。
「よく狙撃に気づきましたね。それに……私を庇う必要など無かったのに」
「かもな」
「卑怯に思うかもしれませんが、白魔導士殿がやれとおっしゃるのなら、狙撃手への囮も望んでさせていただきましょう。不思議と貴方と手合わせしていると、弟弟子がいたような懐かしさを感じてしまって……貴方との勝敗は決しましたから」
レパードは俺に言い終えるなり、キッと樹上のリンドウを睨み上げた。
「助太刀はありがたいが、気持ちだけ受け取っておくよ」
「左様ですか。では……ご武運を」
まだ戦う余力は充分に残しているのだが、レパードは自ら森の出口へと向かった。俺に席を譲るようなリタイアだ。どうもレパードから温情を受けてしまったような格好だな。
リンドウは弓に矢をつがえたまま、その眼差しで俺を射貫く。
「タイマン上等! やろうか犬の兄ちゃん」
「おっと、悪かったな。名前を訊いておいて自己紹介が遅れた。俺はゼロだ」
「ゼロねぇ。オレに勝ったらその名前、覚えてやんよ!」
再び、戦いの口火を切るように矢が空気を切り裂いて俺に飛ぶ。
魔法が使えれば遠距離戦で撃退するのも楽なんだが、ダメージを負ってすぐに回復しようとしたりと、何かと便利に使って魔法に頼りっぱなしだったな。
魔法を使えない状態――そういえば、オークの頃に武器スキルを覚えた時がまさにそうだったと思いながら、俺は矢を弾き地を蹴った。




