√Nの終焉
俺とナビが行き着いたのは、獣人族たちが集まる森と大地の共同体だった。
もともと獣人族とひとくくりにされてはいるが、様々な種族が集まっている。
青い毛並みの猫族は珍しいというだけで、ナビもすんなり受け入れられた。
「やあ友よ。ようこそ共同体へ」
最初に偶然話しかけた牛族の青年が、共同体地域を案内してくれたのだが……ここは平和そのものだ。
裏で陰謀が渦巻いてやいないかと思ったのだが、牧歌的でのんびりとした雰囲気である。
森で狩りを行ったり、家畜を殖やしたり農園で様々な作物を育てる。それがこの街での共同体の役割だそうだ。
先日宿泊した常闇街の宿で出されたごちそうや、岩窟亭の料理の食材のほとんどが、共同体の作物や収穫物だった。
料理に感動を覚えたというナビが、その素材を作るこの地域を気に入るのに、さほど時間はかからなかった。
牛族の青年の紹介で、その日のうちに小さな家を借りることができた。街から離れているが家賃は破格というか、あってないようなものだった。
二週間ほど前まで暮らしていた男女が、子供を授かるため地上に戻って空き家になってしまったのだとか。
家具一式も前の借主たちのものがそのまま残っており、すぐに生活を始めることができた。
ベッドは大きいものが一つだけで、最初はナビに譲っていたが、いつのまにか枕を並べるようになってしまったのは誤算である。
ベッドで丸くなったり、俺にすり寄りくっついて眠るナビは、猫だった頃と変わらない。
問題は小動物が女の子になってしまった部分にある。
二晩ほど中々寝付けなかった。三日目からは少しだけ平常心を取り戻せたものの、ナビの発する女の子らしい匂いに鼻が反応してしまいがちだ。
今までが今までだっただけに、複雑な心境である。昼間の心地よい労働のおかげでなんとか眠れるようになったが、毎晩生殺しにも近い気持ちだ。
二週間が経過した。
街ではいくつか、俺が介在しないことで事件が起こったが……食材の納品に岩窟亭に荷馬車を走らせたついでに、俺は常闇街が治癒魔法の使い手を募っているという情報を岩窟亭で手に入れた。
どうやらドナの宮殿で石化病の兆候が出たらしい。
すぐに常闇街に向かうと、宮殿にドナは不在だった。応対したのは女執事のレパードだ。
どうやらドナはマリアを治そうと、ほうぼう手を尽くし、地下迷宮世界では無理とふんで一時的に地上に戻ったのだとか。
もう心配はいらない。と、心の中で呟きつつ俺は病床のマリアと面会した。
病状の進行は最初に治療した時よりも軽度だった。
マリアの症状は二の腕までが硬直するというものだったが、それを白と黒の合成魔法で除去する。
七色の光を発した合成魔法に、使った俺自身がかすかに恐怖心を覚えたのだが……無限色彩が暴走することはなく、無事治療に成功だ。
石化病が呪詛であると女執事レパードに告げ、まもなくエルフの才女が助けを求めて常闇街にやってくるので、彼女を錬金術師として雇うことを薦めた。
報酬を受け取った時に、ふと気づく。
そういえばナビが獣人族になって以来、こうして別行動をとっても大丈夫になったのだ。
獣人族は外見も性格も様々だが、他の種族に比べても多様性を認める開放的な空気が間違い無く存在する。
ドワーフほどとは言わないが、酒好きも多い。ガーネットが愛飲する麦酒も、ドワーフ族の指導のもと、この共同体で作られて樽詰されていた。
魔物から手に入れる以外の、街の暮らしに必要なあれこれをまかなえるのも、獣人族がそれぞれに得意なことで貢献しているからだった。
平野一面に広がる麦畑で、俺とナビは鎌を手に刈り入れを手伝う。
魔物を倒して得られる素材を売却した方が、正直なところ実入りはいい。
ナビはリズムをとるように尻尾を揺らしながら、麦をサックサックと刈っていく。
「これがパンやお酒になるなんて、すごいことだよねゼロ」
「今日はいつになく、ずいぶんと楽しそうだな」
「そんなことないよ。楽しいのは毎日さ。明日は畑で種まきでしょ。それから苗を育てるお仕事も手伝わせてくれるんだって」
赤い大きな瞳をぱちくりさせて、鼻歌交じりに上機嫌なナビに俺は訊く。
「このまま暮らしていく分には充分すぎるな。ここの連中はみんな気の良いやつらばかりだし」
「まるで他を知ってるみたいな言い方だね」
知っているさ。ただ、他の地区のしがらみと比べるまでもなく、共同体の居心地は良かった。エルフこそいないが、オークなどの闇の種族やドワーフに、天使族も麦の刈り入れを手伝いにきていた。
あと三年で全てが終わるなんて信じられない。信じたくも無い。
俺は不思議そうに首を傾げるナビに返した。
「どこと比べなくても良い場所だってことくらいわかるって。魔物と戦わなくても食っていけるし、その食べ物を自分たちでつくって食べて、美味いんだからそれだけでも幸せだろ?」
「うん。ゼロの意見をボクも全面的に支持するよ」
麦の穂を一本つまみあげて、ナビが作業の手を止める。
「ねえゼロ。ボクは最初にキミに言ったよね。この世界のどこかにある“真理に通じる門”を目指すって」
「あ、ああ。そうだな」
となるとやはり、ここのぬるま湯に浸ってもいられないのか。ナビは思い詰めたような顔で、そっと瞳を閉じた。
「導く者がこんなことを言うのは良くないかもしれない。けど……」
「けど、なんだ?」
「ボクはずっとこのままでもいいような気がしてきたんだ」
ナビはゆっくりと息を吐いてから目を開き、地下世界の天井に輝く真昼の天球を見上げた。
「このままって……お前、大丈夫か?」
「やっぱりおかしいかな? おかしいよね。だけど幸せなんだ。ゼロ……朝、目が覚めると、すぐ隣にキミがいる。一緒に朝食を食べるのも、こうして働きに出るのも楽しいよ。みんなボクらに親切にしてくれて、ボクもみんなのためにできることをしてる。この収穫した麦が、誰かの空腹を満たすんだ」
ナビは俺にしか認識されない存在だった。それが今は、別の誰かとも繋がりを感じられるようになったのだ。
ナビは真剣に俺に訴える。
「ねえゼロ。ボクを……キミのお嫁さんにしてよ」
「は……はあっ!?」
「ダメ……かな?」
しゅんっと尻尾を下げて耳を伏せるようにしてナビはうつむいた。
「お前、いきなりそんなこと言われてもこっちだって……」
「みんなが言うんだ。ボクとゼロはお似合いだって。一緒になるなら結婚式は盛大に祝ってくれるって。え、ええとね、みんながそう言うからだけじゃないんだよ。ボクも……ゼロとなら……ううん、ゼロだから一つになりたいんだ」
あのナビが顔を真っ赤にさせて俺を見上げる。
涙で赤い瞳を潤ませて、熱い視線を注いだままじっと俺の応えを待つ。
俺は――
三年後に世界が滅ぶ。それを言えばナビはどうなるだろう。
やはりコード66が発動してしまうのだろうか。
俺自身の気持ちはといえば、ナビにそこまで想われているなんておもってもみなかった。
ナビが先に進むのではなく、ここにとどまるのを望むというのも、まったく考えにない選択だ。
「わかった。ええと、その……これからもよろしく頼む」
ナビの不安げで、今にも崩れだしそうな表情が明るい晴天へと変わった。
「ほ、本当に? ボクをキミのお嫁さんにしてくれるのかい?」
「男に二言はな……」
言いかけた俺の口をナビは飛んで抱きつき小さな唇で塞ぐと、そのまま俺は麦の穂のように倒れた。
乾いた枯れ草の匂いの中でナビと抱き合う。
そっと顔を離すとナビは俺に言う。
「地下迷宮世界では子供はできないけど、ボクは……ゼロと……今すぐにでも結ばれたいよ」
広い広い麦畑の真ん中で、俺は仔猫のように甘える少女と一つになった。
最果ての街での日々は変わらず続いている。
ドワーフの女名工が街を去り故郷に戻ったという噂を耳にした。
錬金術ギルドは相変わらずリチマーンの圧政が続き、共同体にも逃げ出してきたエルフたちの姿が見られるようになった。
常闇街に流れ着いたエルフの少女は、今ではクインドナの側近として取り立てられているらしい。
それでも大きく体制は変わらず、ほとんどのエルフが錬金術ギルドの手足となって働かされている。
教会は平穏そのものだ。今日もニコラスティラ司祭が大聖堂で祈りを捧げていた。
三年が過ぎる間に、ナビは俺に「地上世界に出て一緒にどこかの国で料理店を出そう」と、提案するようになった。
俺は幸せな日々に浸りきれない。
終わる世界だ。どのみち、どうあれ、どうあがいても。
そして――
三年の月日が流れても、世界はそのまま存続し続けた。
最初は日数の計算を間違えたのかとも思ったが、誤差にしても何も起こらない。
ナビは少女からすっかり女性らしく成長した。
初めて結ばれて以来、ナビの口から“真理に通じる門”という単語は出なくなったのだ。
三年半が過ぎて、俺は恐る恐る怯えながらも……地上世界の土を踏んだ。
ガーネットと共に地下世界を脱して以来だ。
本物の太陽を浴びて、ナビとともに地上世界を歩く。
「なあ、ナビ……その……外に出ても大丈夫なのか?」
「大丈夫もなにも、念願の地上世界だよ。最近ゼロは物思いにふけってて心配だったんだ。ねえ、地上の風の匂いはどうだい?」
緑の平原に出て俺はゆっくりと深呼吸する。
見上げる空は青く、白い雲が遠方に小さな山のように膨らんで見えた。
日射しは眩しい。
「地下世界と大して変わらないかもな」
「そうなんだ。ボクはとっても新鮮に感じるよ」
俺の腕に抱きつくようにして歩き出す。
立ち止まらず、振り返った。
洞窟の入り口から今にも黒い風が吹き出して、世界を包み込んでしまうのではないかと心配になる。
気づいて立ち止まりナビが俺に確認した。
「やっぱり外に出るのは不安なのかい? ボクにもゼロにも頼れる人はいないからね」
「あ、ああ。本当にこれでよかったのかって気はするんだが」
「何か気がかりなのかい?」
「いや……いいんだ。さてと、獣人族は比較的どの国にもいるっていうからな。どこに根を下ろそうか」
「まずは世界を巡ってみようよ。エルフの大学とか見てみたいし。それから教皇庁の大聖堂でしょ。あとドワーフの国にも行ってみたいなぁ。地上には魔物もいないっていうから、いっぱい旅ができるね」
「気に入ったところに腰を落ち着けるとするか」
「うん! さあ、新しい冒険の旅に出発だよ!」
ナビは俺の腕を引いてかけ出した。
導く者の本能がそうさせるのか、俺の前を行く。
どうして世界が終わらなかったのかはわからない。
だが、それならそれでいいじゃないか。
「ほら早く早く!」
「メタリックゼラチナムじゃあるまいに、そんなに焦らなくても世界は逃げないって」
「ボクはキミとの時間を一秒たりとも無駄にしたくないんだ!」
ナビの笑顔に俺もようやく、この三年半の不安が消えて心の底から笑うことができた。
Nルート END
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