魔法使いの弟子
湖畔でナビが屈んだまま、困ったように俺に言う。
「ねえゼロ。なんだか力が出ないんだ」
「もしかしてお前……腹が減ってるのか?」
「これが空腹なんだ。とってもつらいね」
そういえば、こいつは今まで“食べる”ということをしていない。ステータストーンを使ったことで、ナビは変わったのかもしれない。
観察者としての立場から、当事者になる……ってのは、変な言い方だが。
俺は「ちょっと待ってろ」と言い含めて、森に入ると果実をいくつか収穫に行った。
腕に黄色い柑橘類やベリーを抱えて戻ると、ナビは瞳を潤ませている。
「どうしよう。ぼく、このまま死んじゃうのかな?」
「心配するなって。ほら」
黄色い果実を一つ渡すと、ナビは笑った。
「これが食べ物だね」
「ああ、皮を剥いて食べるんだ」
黄色い実を割るようにして、中に詰まった可食部分の薄皮を剥いだ。
「こうやって中身を食べるんだ」
「わぁ。キミはなんでも知ってるんだねゼロ」
ナビも俺の真似をして皮を剥こうとするのだが、手がすべって黄色い実は逃げるようにコロコロと転がり、湖の中にぽちゃんと落ちてしまった。
「ああああああ」
声を震えさせるナビに、俺は自分が剥いた果実を半分渡した。
「まだたくさんあるから、泣くなよ」
「ありがとうゼロ。ええと、お願いがあるんだ」
「なんだ?」
「ボクはゼロみたいに器用にできないから、食べさせてほしいんだよ」
「お前なぁ……」
「お願いだよゼロ」
潤んだ赤い瞳がじっと俺に懇願する。額の紅玉まで曇り気味だ。
「わかった。ほら、あーんしろ」
「口を開けるんだね。あーん」
黄色い果実を食べた瞬間――
「うわああああああああ」
「酸っぱいだろ」
口を押さえてナビは後ずさった。
「食べ物ってこんなに刺激的なのかい?」
「まあ、果汁が豊富で喉の渇きも癒やせるし、慣れれば悪いもんじゃないって。それに酸っぱいばかりじゃないしな。ベリーやナッツも探せばあるし」
ナビは呼吸を荒くしながら「そっか、だから街では農場や果樹園を作って、より食べるのに適した植物を育ててるんだね」と、独り納得した。
それから目を細めて俺に言う。
「けど、酸っぱいのは苦手だよ。ゼロが食べさせてくれたから、とっても嬉しかったけどね」と困ったように眉尻を下げた。
環境も安定していて食える植物も豊富なうえ、強い魔物もいない十階層は格好の修行の場だ。
レベルの壁はすぐに迫ってきたが、無視してナビに“構え”を教える。
ドナから伝授された猫の構えは、元々猫だったナビにはしっくりくるらしい。
脱力こそがこの構えの極意だが、すでにナビはそのスタンスを体得しているようだった。
そこから、流れるように攻撃へと移行する。力を込めるのはインパクトの瞬間など、洋書要点に絞るのだ。
たった一日でナビは基本的な動きを理解した。あとは戦いながらの反復練習に三日を費やし、レベルの壁付近で成長が見込めなくなっても繰り返し練習を続けた。
四日目の朝――ナビは祭壇の守り手である獅子ウサギを難なく撃破した。
俺が最初に挑んだ時の死闘ぶりが嘘のように、獅子ウサギの俊敏な動きを見切ってかわし、的確にカウンターの打撃を積み重ね、魔物を仕留めるとナビは俺にVサインをしてみせる。
「ゼロが言う通りにしたら簡単に勝てちゃったね。弱い魔物だったのかな?」
「お前の呑み込みの早さには驚かされるよ」
「教え方が上手いのさ」
お互い褒め合うのは少し気恥ずかしいというか……そもそもナビに心を許すのはどうかと思う。
だが、ナビは笑顔になったり泣きそうになったりと、表情が豊かで受け答えもこれまでより普通に思えた。
こいつが時折、空気の読めないおかしなことを言ったり感覚のズレがあったりしたのも、もしかすればこういうことなのかもしれない。
ものを“食べる”という行為自体は知っているが、体験したことはなかった。
誰かを愛するという行為も知識として理解しているが、体感したことがないのだ。
unknown――何ものでも無い俺には、知識が欠けていたが、不思議とそういった“生きる”ことに直結する感情やなんかは備わっていたっけ。
ナビは俺に抱きついて笑う。
「強くなるって、なんだろう……不思議だよ。気持ちが揺さぶられるというか、高ぶる? ううん、違うね。うまく言葉にできないや」
「それって『楽しい』じゃないか?」
ナビはうんうんと何度も頷いた。
「それだよ。成長するのは楽しいんだ。ボクはとても楽しいよゼロ」
「ああ、そうだな」
辛いことにもぶち当たるし、自分の成長に限界を感じて無力感に苛まれることもあるが、それでも新しい事を覚えるのは楽しい。
ナビにもそういう気持ちがあるなら、次は別のことを教えてやるか。
「次の階層に行ったら、魔法を教えてやるよ」
「本当かい? ボクも魔法を使えるようになるんだね」
俺の身体を離すと、万歳しながらナビはピョンピョン跳ねる。
「まあ、使えるようになるかは才能次第だけどな」
「「初級炎撃魔法ッ!!」」
使えるようになりました。
ナビは初級レベルの黒魔法をあっさりと体得し、廃虚の地下通路を根城にする火付けネズミも難なく撃破した。
俺とハイタッチを交わしてナビは尻尾をゆらゆらフリフリさせる。
「今みたいに、同じタイミングで魔法攻撃をすると威力が上がるんだね」
「まあな」
思い出したくはないが、ナビは俺を焼き殺したこともある。あれができるのなら、黒魔法が使えても不思議じゃない。
「次はどんなことを教えてくれるんだい?」
「できるかどうかはわからんが……白魔法かな」
流石にこれは難しいだろうが、次の階層で砂漠越えの前に出発地点のオアシスで、少しだけ教えてみよう。
「初級回復魔法! どう? 気持ち良くなった?」
「気持ち良くっていうのはちょっと違うが、まあ、傷もふさがったし痛みも取れたよ。ありがとう」
ナビに魔法を教えるのに夢中で、砂の中に隠れていたトカゲの不意打ちを食らってしまったが、腕を噛まれた傷をナビは治してくれた。
ちなみにトカゲの方はすぐさま、改編版の初級炎撃魔法で撃ち抜き済みだ。
「これで治ったかちょっと心配だね」
不意にナビは俺の腕をペロペロと舐め始めた。
「お、おい大丈夫だって。くすぐったいからやめてくれ」
舌がざらざらとしていてこそばゆい。
ナビは「いいから遠慮しないで」と、ナビ自身が満足するまで俺の腕を舐め続けた。
こういうところは猫なんだな……お前。
いつもは“戻し作業”で、道中に新しい発見もなくなり、淡々と街に戻ってばかりだったが、今回は初めて最果ての街を目指した、あの時の新鮮な気持ちが甦ってきた。
ナビは俺の教えることをなんでも吸収して、冒険者らしくすくすくと成長していく。
難所も二人いれば乗り越えられるし、元々ナビと二人で同じ道を進んでいることには変わりないはずなのに、ナビがする初めてのあれやこれやにリアクションも含めて、今までにない楽しさを感じられた。
「ナツメヤシって甘いんだね。ボクは柑橘よりこっちが好きだよ」
「雪山ってこんなに寒かったんだ。小屋があってよかったね。ねえゼロ。もう少しキミのそばに近づいてもいいかな。くっつくとお互い暖かいと思うんだ」
「巨石平原のエレメンタルには、別の属性の魔法を当てるといいんだね? わあ、次々と誘爆して綺麗な花火みたい」
「海はどこまで続くんだろうね。潮の匂いって独特だけど、波はおもしろいね。こうやって水際に立ってると、波がきて足下の砂が流されていって……なんだかクラクラしてくるよ」
「最初に通った時よりも、空気が悪く感じるね。死毒沼地っていうんだ。なるほどなって思ったよ」
「火山の近くは砂漠や地底湖島の浜辺とは違った暑さだね。水浴びがしたいなぁ……え? 温泉? 温かい水に入るのかい? 行きたい行きたい。うわぁ気持ちいいね。ここでずーっとのんびりダラダラしてたいねゼロ」
「この大きな樹を登っていくと祭壇があるんだ。最果ての街までもう少しだよ。がんばろうね」
階層を進む度にナビの感情表現も一層豊かになっていった。
このまま街に着いたら、どうなるだろう。
ずっと誰にも認識されずにきたナビには、刺激が強すぎるかもしれないな。
それでもナビはきっと、かつての俺のように様々な刺激を受けて色々なものを吸収するに違いない。
ただ、一カ所。何も無い十五階層でのナビは様子が違っていた。
十五階層を通過する時、ナビは何も言わずぼんやりと虚空を眺めているだけだった。
こちらから話しかけても「うん」とか「そうだね」と、妙に反応が薄くてこっちが困惑したくらいだ。
まあ、あれだけ何もない空間じゃナビでなくとも反応できないか。
二人並んで世界樹上を登っていく。ナビにアレコレ教えて時間はかかったが、そのぶんたっぷりと換金できそうな素材集めもできた。
気づけば俺自身のレベルはけっこう低いままだが、ナビと連携して戦うことでこの階層も悠々乗り越えられそうだ。
――ステータス――
名前:ゼロ
種族:獣人族 シヴァ種
レベル:30
力:F(30)
知性:E(33)
信仰心:E(33)
敏捷性:F(27)
魅力:G(1)
運:G(1)
白魔法:中級回復魔法 中程度の傷を癒やし、体力を回復する
中級治癒魔法 猛毒などの強力な状態異常を治療する
操眠魔法 対象を眠らせる&眠っている対象を目覚めさせる
精神浄化魔法 混乱状態やパニックになった精神を鎮める
火力支援 腕力を強化して武器による攻撃力を上げる
肉体硬化 肉体を硬化させ防御力を上げる
氷炎防壁 炎と氷から身を守る
即死魔法 対象の命の灯火を消し去る
蘇生魔法 失われた命を取り戻す奇跡の力
黒魔法:初級炎撃魔法 初級氷撃魔法 初級雷撃魔法
中級炎撃魔法 中級氷撃魔法 中級雷撃魔法
上級炎撃魔法 上級氷撃魔法 上級雷撃魔法
超級雷撃魔法
脱力魔法 対象の力を下げ攻撃と物理防御を弱める
鈍重魔法 対象の敏捷性を下げ速度や命中率を落とす
魔法障壁 敵意ある魔法による攻撃を防ぐ盾
呪封魔法 魔法を打ち消し封じる魔法殺しの術
流派:女傑流格闘術 猫の構え
学習成果:黒魔法の最適化 学習進度によって魔法力の効率的な運用が可能となる。
弟子:ナビ
――隠しステータス――
特殊能力:魂の記憶 力を引き継ぎ積み重ねる選ばれし者の能力。
:無限色彩:左右両手で別の魔法を繰り出す能力 白魔法と黒魔法の純粋な力を合成可能
種族特典:エルフの目 魔法によって隠されたものを見つけ出す探求の眼差し。
:雄々しきオークの超回復力 休憩中の回復力がアップし、通常の毒と麻痺を無効化。猛毒など治療が必要な状態異常も自然回復するようになる。ただし、そのたくましさが災いして、一部の種族の異性から激しく嫌悪される。