100%絶対有罪確定運命線
地上世界にあるという聖地から、教皇庁直属の異端審問官と護衛となる銀翼騎士団が最果ての街にやってきたのは、俺がヘレンと和解してから一ヶ月後の事だった。
各所への根回しも済み、逃げ場を完全に塞いである。その間、標的に悟られないよう充分に注意を払いつつ、先日ギリギリのタイミングでリチマーンの不正を曝いて失脚させたところだ。
正直、胸のすく思いだった。が、本番はこれからだ。
銀の鎧に身を包んだ天使族の女騎士が、執務室の椅子の主を見据える。
俺もヘレンも同席しての審問だ。
ニコラスティラの表情は穏やかなままだった。
「さて、私には心当たりはございませんが。遠路はるばるご苦労様とだけしか……」
女騎士は小さく息を吐いて、執務机の上にいくつか資料を並べた。
「教皇庁の目の届かないことを良いことに、ずいぶん好き放題してくれましたわね。監査の結果、錬金術ギルドからの寄付金と収支報告に誤差とは言えない誤差がありましてよ?」
数字をまとめたのはヘレンだ。ニコラスティラの表情から余裕が消えて冷淡な顔が浮かび上がった。
「それは何かの間違いではありませんか? 錬金術ギルドからの寄付の額に誤りがあったのやもしれませんね」
女騎士は首を大きく左右に振った。
「それはありませんわね。先頃失脚した、前ギルド長のリチマーン氏はお金には几帳面で帳簿に間違いが無いことも確認済みですの。使途不明金はどちらにございまして?」
「…………」
ニコラスティラは黙り込む。
「例えばこれらの本は私物ですわよね。詳しく調べさせていただこうかしら?」
「ま、待てッ!」
ガバッと司祭は立ち上がる。声を張るなんて天使族の司祭らしくもない。
俺は壁を埋める書棚の中から、無数にあるうちの一冊を手にした。
見た目はどこにでもある、古ぼけた装丁の本なのだが……エルフの目にはその本がかすかに魔力を帯びているのが見て取れた。
ニコラスティラが俺をにらみつける。
「例えばこの本なんて古くて値打ちがあるんじゃないか?」
女騎士に手渡すと、彼女もすぐにその本がただの書物ではないと気づいたらしい。
「魔法がかかっていますわね。それもずいぶんと特殊なものでしてよ」
どうやら女騎士にはその本の正体まではわからないらしい。
足下でナビが丸くなっている手前、直接的な解答はしづらいのだが、俺に代わってヘレンが告げる。
「……魔物との契約書の可能性あり」
何者でも無かった俺が知り得ない情報であっても、ヘレンが言う分にはナビも反応しなかった。
「それが本当であれば聖職者にあるまじき行為ですわ」
ニコラスティラは口を半分開けたまま、唖然としていた。言葉を失った。そのまま口から魂がはみ出したようだ。
木を隠すなら森ということか。どこかに厳重にしまうのではなく、蔵書に紛れ込ませるという方法で隠蔽したつもりらしいが、まさかエルフの目の所持者が現れるとは司祭も思っていなかったというわけだ。
無論、タイミングが悪ければ隠すなり契約破棄なりされていただろうが、審問官と銀翼騎士団の到着をニコラスティラが知ったのは、つい先ほど。それまでヘレンが監視するという徹底ぶりで、司祭の証拠隠滅も逃亡も先手を打って阻止したおかげである。
何回か失敗してやり直したのはご愛敬だ。
ハッと我に返ってニコラスティラはヘレンを凝視した。
「裏切りましたね」
「……否定。貴方のした事は教会への背信」
「命令を無視するなんて許されざることです」
「……否定。すでに私への命令権限は上位存在に移行」
「人形は人形らしくしていれば良かったんですよ」
「……否定。私は人形ではない。自身の理想と意志を持ち、それを遂行する義務を負う」
司祭の表情に焦りが浮かぶ。それは自身が今、状況的に追い詰められていることよりも、心の中を見透かしたかのような、ヘレンの言葉への狼狽からだ。
「な、なにを知ったような事を」
磨き上げられた鏡のように、ヘレンは司祭に返す。
「命じられた通りに司祭の任を全うすることのできない貴方は、人形以下……」
「ふ……ふ……ふざけるなああああああ!」
キレた。司祭がその手に黒い風を纏わせる。
が、同時に閃光が煌めくように女騎士の剣が司祭の喉元に突きつけられた。
「そこまでですわ。あなたの魔法が早いか、わたくしの切っ先が喉元を貫くのが早いか、試したいと仰るのでしたらお付き合いいたしますけれど」
「くっ……本当に……本当に本当に本当に本当に……使えないクズばかりですよ。私がどれほどこの街に尽くしてきたか! この街の平穏を守ってきたか!」
女騎士の合図で他の騎士たちが入室し、ニコラスティラの両腕を拘束具で固定した。
恨み節を呟き続ける司祭にヘレンは目も合わせない。
「まさかエルフと組んで私にこのような仕打ちをしようだなんて……絶対に許しませんからねシスターヘレン」
「……否定。彼はエルフではない」
ぼそりとヘレンは呟いた。その言葉を最後まで聞くこともなく、屈強な騎士たちに「ほら、とっとと歩け」だの「詳しい話は教皇庁で訊かせてもらう」と、せっつかれるようにニコラスティラは大聖堂を去る。
残った女騎士はヘレンに視線を向け直した。
「それにしても、よく司祭の陰謀に気がつきましたわね。この契約書はどうなさいますの?」
「……煮るなり焼くなり」
「わかりましたわ。こちらで処分いたしましてよ。けれど困りましたわね。司祭のいない大聖堂というのも様になりませんし……当面はシスターヘレン、あなたに運営をお任せしますわ」
ヘレンの肩を軽くぽんっと叩いて、女騎士は颯爽と執務室を出る。
俺の出番はほとんど無かったな。
取り残されたように棒立ちのままのヘレンに俺は訊く。
「ええと、おめでとうって言っていいのかな。出世じゃないか」
「……条件付きにて肯定」
そうだった。このあとしばらくは、司祭がいなくなったことで大聖堂も混乱する。
それが落ち着いてからになるが、俺たちには死者王討伐が待っていた。
前回は最後にニコラスティラの邪魔が入ったが、司祭が捕縛されたからにはトラブルも起こらないだろう。
すでに死者王の不死の秘密と弱点も把握している。王冠を杭打式杖で射貫けば一撃で沈められそうだ。
すでに倒した炎竜王と氷神の鍵と合わせて、黒い鍵で三つ。
真理に通じる門には最初から解放されている昇降機も含めれば、合計四人まで巨大な神兵と対峙することができるはずだ。
俺とガーネット、シルフィ……そして覚醒したヘレン。最初にガーネットと二人で挑んだ時の絶望を覆すには、充分な戦力じゃなかろうか。
更に言えば、天使族の俺よりもエルフの俺の方が総合的な戦闘力は高い。というか、天使族の階位を得てエルフを超えた存在になりつつあるのだ。
恐らくここまでヘレンは計算に入れていたのだろう。
エルフに戻ったことで、ドナや常闇街の面々との繋がりは薄まってしまったが、ヘレンが教会の代表となったからには、常闇街への圧力や排斥は起こらない。
互いの領域、領分を侵犯しないような棲み分けができるはずだ。
錬金術ギルドもリチマーン体制が崩壊したしな。
ようやく最果ての街は、一つにまとまろうとしていた。