目撃者は口封じ
今日は午後から、シルフィの部屋で錬金実験だ。
お題はドナのための新しいシャンプーだった。ウェーブがかった長い髪をいたわりつつも、優しい香りがするものというのが目標だ。
「ゼロくんのおかげで、ようやく自分の居場所ができたッス!」
嬉しそうに語りながら、シルフィは香水や化粧品の開発に没頭した。
前世の時も、防寒素材で作られたシルフテックという肌着の評判は、クインドナ経由で宮殿の女の子たちに広まり、それがきっかけで最果ての街を席巻したっけ。
口コミの力は侮れない。
三角フラスコに二種類の液体を混ぜて、ボウッ! と、紫色の煙をガラス管から噴き上げさせながら、シルフィは「あはは~失敗失敗」と苦笑いだ。
「ね、ねえシルフィお姉ちゃんはどうして地下迷宮世界にきたの?」
「それはッスね~~秘密ッス! 大人の女性の秘密を知りたかったら、ゼロくんは早く大きくなることッスね」
最強魔法を探すという夢を彼女は語らない。
「何か探してるんじゃないのかなぁって思うんだけど」
「冒険者は未知なるものを探すのが使命ッスからね。そうだ! もし、ぼくの探しているものがなんなのか当てられたら、ゼロくんにご褒美をあげるッスよ」
知っているだけに当てるのは簡単だ。
「わかった! 超美味しいキノコとかでしょ!」
「ぶっぶー! ざーんねん。ハズレッスね」
「ちぇー」
不意に、シルフィの顔が近づくと彼女の吐息を感じる前に、ほっぺたにぷにっと柔らかいものがふれた。
「残念賞はほっぺにチューッスよ」
言いながらエルフの少女は照れる。これはきっと家族への愛情表現だ。
今の俺では、これ以上彼女に踏み込むことはできないと、キスされた自分の頬をそっと撫でながらぼんやり思った。
宮殿の住人たちは住み込みの錬金術師をすっかり気に入って、錬金術の依頼は一ヶ月先まで埋まっている。依頼料はシルフィの腕前を考えれば破格だが、それでは悪い安すぎると、依頼した女の子側がお金を余計に積んでいくくらいだ。
ある夜のこと――
俺はドナの部屋に呼ばれると、彼女にものっっっっすごく褒められた。みんなを幸せにするアイディアだと、ハグにキスに頬ずりとレベルドレインフルコース。
ドナママは僕のことがだーいすきみたいで……やばいいかんいかん。ここ数日分の経験とともに、記憶まで吹き飛ばされかけた。
「く、苦しいよドナママぁ」
「あ、あらあらごめんなさいね。ぼうやがあまりにも愛おしすぎて、ついギュッとしすぎちゃっったわ」
彼女の胸に顔を埋めていると、薄いドレスの布越しでも意識が混濁しそうになる。
吸い尽くされたようにフラフラ、よろよろになりながら俺はなんとか自分の部屋に戻ると、部屋の明かりを消して窓を開けた。
眼下に常闇街の魔力灯の明かりがチカチカと星のように瞬く。
スウッと音もなく、黒翼の天使が舞い降りた。
「……少しは注意を」
「ごめんねヘレンお姉ちゃ……じゃない。済まないヘレン。ドナも悪気は無いんだ」
「……察します」
テラスに降り立ち膝を折って俺の目線に高さを合わせると、ヘレンは無言でそっと唇で唇を塞いだ。
情緒もなにもないのだが、彼女から俺に欠けた記憶が流れ込んでくる。
壊れていく自分が、自我が修復されるようだった。それにヘレンはドナやシルフィとも違う、清らかな水の流れのような匂いがした。
心地よい。今ならヘレンは俺を簡単に殺せるな。
(――そのようなことしませんから)
そうだった、意識は繋がっているんだ。というか、この状態で喋れるのか?
(――……)
心を閉ざすなよ! あからさまに距離置かれると傷つくだろ!
まあ、彼女から流し込む状況なので、ある意味一方通行なんだよな。俺からはヘレンの心は見えない。
正直、見たいという気持ちはあるんだが……ダメ?
(――不許可)
わかってるって。まあ、こんな状態だから口じゃ言えないけどさ、ありがとうヘレン。いつかお前が困るような事があれば、俺にできることはなんでもするよ。
(――……この状態では私も無防備。集中を途切れさせるのは得策ではない)
つまり大人しくしてろってことだな。承知しました。
って、何も考えないっていうのは存外難しいな。
ぷはっ……と、ヘレンの唇がそっと俺から離れた。
「……7%の修正を完了」
「けっこうもってかれてたな」
と、息を吐いたその時――
「ゼロくん、その人……誰ッスか?」
ティーポットとカップのセットを二つ。それに焼き菓子をトレーに載せて手にしたまま、シルフィが廊下からじっとテラスで顔を寄せ合う俺とヘレンを見つめていた。
見られた。足下からするするとナビがシルフィの方に向かっていって「シルフィはゼロと紅茶を飲むつもりみたいだね」と、見ればわかることを言う。
想定外だ。
シルフィが口を金魚みたいにパクパクさせる。
「ちゃ、ちゃ、ちゃんとノックしたんスよ! 返事が無いから寝ちゃったのかと思って……けど、鍵が開いてたからつい!」
瞬間――
ヘレンが俺の部屋を突っ切って廊下に立つシルフィめがけ、一直線に飛んだ。
やばい。やばいやばいやばいやばい!
「やめろヘレン!」
目撃者を消す。それくらい黒翼の死天使が考えてもおかしくはない。
シルフィの腕をつかんで薄暗い部屋に引き込んだ。
ガシャンと音を立ててトレーの上のものが床にぶちまけられる。
ヘレンは小柄なシルフィを壁に押しつけるようにして、淡々とした感情の無い声で確認する。
「……見ましたね」
「あ、あわわわ。壁ドンッスか!?」
前世で声をかけた時の「ナンパッスか!?」を彷彿とさせるシルフィに、ヘレンは無表情で迫った。
言われたヘレンは一度、俺に目配せしながら告げる。
「……口封じの許可を」
「す、するわけないだろ!」
腕を掴まれ壁際に組み敷かれたまま、シルフィは「い、言わないッス! 自分はなにも見てないッス! だから許してほしいッス!」と懇願した。
「……許すわけにはいかない。独断にて口封じを実行」
一度は許可を求めておいてそりゃないだろ。
「やめろヘレン! シルフィを傷つけるのは俺が許さないッ!!」
俺がヘレンを止めようと魔法を構築した瞬間――
チュ……ぷは……ん……んッ!?
二人の少女の唇が重なりあい、くぐもった吐息が甘く部屋の中に充満した。
シルフィは最初、目をまん丸くさせたのだが……不意にその目尻がトロンと恍惚の表情を浮かべて落ちた。
いや、堕ちたというべきか。ともあれ抵抗もせずシルフィはヘレンにされるがままだ。
ヘレンもそっと目を閉じてシルフィの唇を愛おしむように、自身の合わせたそれでなぞる。
「な、何してるんだヘレン?」
「……口封じを実行中」
一瞬だけシルフィから唇を離してヘレンは言う。それからは、じっくりと時間をかけて二人は甘い時間を過ごし、蚊帳の外の俺は呆然とその行為が終わるのを、見続けるしかなかった。
こぼれた紅茶をぞうきんで拭い、割れたカップの破片を集めるとトレーに載せて、シルフィは俺をじっと見つめた。
彼女の唇を奪った黒衣の死天使は姿を消して、今は二人きりだ。
「だ、大丈夫? ヘレンお姉ちゃん」
「もちろんッス。え、ええとッスねゼロさ……ゼロくん。今はその……どうしていいかわからないから、部屋に帰るッスね」
様子のおかしいシルフィに俺だけでなく、ナビも首を傾げた。
とんでもないことをされたにも関わらず、どことなく上機嫌でシルフィは部屋を後にする。
ヘレンのやつ、俺の知らない白魔法でシルフィを洗脳でもしたんだろうか。
とりあえず事なきを得たということでいいのかもしれないが、どうにも釈然としなかった。
翌朝、ドナが宮殿に戻っていたので朝食はドナとシルフィと三人で摂った。
給仕を務める女執事レパードは、シルフィの顔をみるなり「何か良いことでもあったのですか?」と訊く。
「え、ええと。良いことならここで暮らせる毎日以上に、嬉しいことなんてないッスから」
「左様ですか。食後の紅茶はレモンティーでしたね」
レパードはポットから紅茶をカップに注ぐと、薄くスライスした柑橘をそっと浮かべた。
「あ、ありがとうッス!」
シルフィを錬金術ギルドのスパイと疑っていたレパードも、この数日でシルフィの実力を認め、人柄についても信頼に足る人物と思ってくれたらしい。
当初のツンとした態度はすっかりなりを潜めたな。
紅茶を口にしてシルフィが目を細める。
「今日はゼロくんと、もう少し奥のテーブルまで行って新しい素材を探すッスよ」
ドナが「あらあら、シルフィはとっても元気みたいね。あまり心配のしすぎもよくないとは思うけど、くれぐれも気をつけていってらっしゃいね」と、穏やかな口振りで言う。
「僕がシルフィお姉ちゃんを守ってあげるんだ!」
「それは心強いッス。本当に……」
一瞬、シルフィの瞳が潤んだ。ドナは「ぼうやが天然のジゴロに育っていくなんて、母親冥利に尽きるわ。うふふ♪」と、楽しげに笑う。
昨日までのシルフィと変わらないといえば変わらないのだが……。
ともあれ約束通り、ヘレンの存在についてシルフィはドナにもレパードにも漏らしてはいないみたいだ。
また、前世の時のようにヘレンに殺されてしまうんじゃないかと不安になったが、どうやら杞憂で済みそうだな。




