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英雄譚の結末

 シルフィは宮殿の空き部屋のベッドに横たわったままだ。


 空室といっても、ベッドにクローゼットに机など家具一式揃っている。


 誰かが転がり込んでくるのにも、ドナはもちろんレパードを始め、宮殿の住人たちは馴れているようだった。


 もう一度、エルフの少女をじっと確認する。


 集中して“視る”が、魔法や呪いの痕跡は見当たらない。


 レパードに許可をもらって、俺はシルフィに微弱なレベルの初級回復魔法を使った。


 強力すぎる回復魔法は負荷も高い。扇で優しく扇ぐような回復の波動を送ると、苦しげだったシルフィの表情がいくらか落ち着いた。


 女執事が俺とドナにスッと頭を下げる。


「あとは私にお任せください。彼女が目覚めましたら、すぐにお知らせに参ります」


「ええッ!? あたしもそばにいるわ!」


「その必要はございません」


 ぴしゃり!


 と、部屋を半ば追い出されるような格好で、親子共々一旦退散させられた。


 宮殿の廊下を肩を落として歩くドナが、少しだけ気の毒だ。いつも不思議な踊りでも舞っているように、ゆらゆらヒラヒラと動いていた尻尾まで、だらりとうなだれていた。


「ね、ねぇドナママ? レパードお姉ちゃんだけで大丈夫かなぁ?」


「それは大丈夫よ。レパードは執事として優秀だもの」


 弱っているシルフィが気がかりで仕方ないと、ドナの顔には書いてあった。


 何か別の事で気を紛らわせてあげた方がよさそうだな。


「あっ! そうだドナママ! ご本の続きを読んでよ! 勇者様のお話のやつ!」


 ドナはスッと立ち止まると「そういえば最後まで聞かせてなかったわね」と、思い出したように目を丸くした。


 白紙の本の秘密もついでに訊いてしまおう。


「あのね、実はあのあと僕、お話の続きが気になって本を読もうとしたんだけどぉ……」


 ドナはそっと膝を折って俺に目線の高さを合わせて。


「そうだったのね。じゃあ、驚かせちゃったかしら」


「うん。びっくりしたよ。本の中身がまーっ白なんだもん」


 ドナはかすかにうつむくと、眉尻を下げた。


「実はあのお話は、ぜーんぶ聞いた話なの。自分でも、どこでそれを知ったのか、よく覚えていないんだけど」


「そ、そうだったんだ!? すっごーく長いお話だよね。覚えてられるのかなぁ」


「だから所々は曖昧だったり、あたしなりに味付けがしてあるのよ」


「どうして本を読むフリなんてしたの?」


「あんなに長いお話を覚えてるなんて、ちょっと変だと思われるんじゃないかと思って。だからあの白紙の本を作ってもらったのよ」


 読み聞かせに見せかけた語り聞かせだったというわけか。白紙の本の謎も解けてみれば大したことは無かった。


 驚くべきはドナの記憶力だ。


 ただ――


「へー。不思議だね。お話は記憶してるのに、いつそのお話を知ったのかはわからないんだ」


 ドナはゆっくりうなずいた。


「ええ。あと……実はね」


 言いかけてドナは口ごもる。


「どうしたのドナママ?」


「ぼうやは物語がどうなったと思う?」


 どうなったって言われてもなぁ。こんな質問が飛んでくるとは思わなかった。


「ええぇ! もったいつけないで教えてよぉ!」


「うふふ。そうね、意地悪な質問だったわね。実はあたしも知らないのよ。物語が最後にどうなったのか、わからないの。だから本に記すことができないのよ」


「知らないって……む、無責任だ!」


 つい素が出そうになった。


「そうね。邪神に最後の力で挑んだ勇者様がどうなったのか……勇者様は力も知性も、信仰心も敏捷性も、魅力も運もすべてが完璧だったみたい。そんな勇者様だもの。きっと邪神に勝ったと思うわ」


 そうでなければこの世界は終わっていた。


 世界が存続し続けているのも、勇者が邪神に勝利したおかげだ。


 ドナは俺にそう言いながらも、付け加えた。


「だけどね、もしかしたら勇者様は邪神にも手を差し伸べたのかも……って、あたしは思うの」


「ど、どうして? 邪神は悪いやつなんでしょ?」


「あたしみたいな闇の種族が滅びなかったのは、勇者様が救ってくれたからなのよ。もしそうでなければ、邪神が世界から去ったあとも戦乱はずっと続いていたでしょうね」


 どうやら勇者というのはとんだ博愛主義者のようだ。


 おかげで俺は、こうしてドナとも出逢うことができたわけだが……。


「今も闇の種族は怖がられてしまうことが多いけれど、区分けがあるのはエルフやドワーフも同じだし、こうして街で暮らせるようになったのも、勇者様が闇の種族と光の種族を和解させてくれたから……みんな神様の子だって」


 ドナは時折、光の神の思し召しという言い回しをする。


 種族がどうであれ、ドナ自身は信心深いのかもしれない。


 俺は確認した。


「だから勇者様は邪神とも仲良くしようとしたって、ドナママは思うの?」


「ええ。けど、それはあたしの想像で、きっと勇者様は立派に邪神を討ち果たし、世界を救ったのだと思うわ」


 真相はわからないが、俺もその意見で間違い無いと思う。


 ゆっくりと腰を上げてドナは立ち上がった。


「そっかー。えっと、ともかく勇者様って強いんだね。ドナママよりも強いのかな?」


「ぼうやを守るためなら、あたしは勇者様くらい強くなれるわ」


「じゃあ僕もそうなるよ!」


 少しだけ悲しげな目をしてドナはそっと首を左右に振った。


「目標は高い方がいいけれど、ぼうやには勇者様みたくはなってほしくはないの」


「あー、やっぱり僕なんかじゃ無理だよね。あははは」


 ドナの話を訊く限り、勇者のハードルは険しく高い大深雪山よりもさらに高い。


「あのね、ぼうや……なんでも一人で全部できるようになってしまったら、一人ぼっちになってしまうのよ。足りないところを補っって、助け合う気持ちが消えてしまうわ」


 俺の手を手袋越しに握って、ドナはそっと引いた。


「だからぼうやが大きくなって、どれだけ強くなっても甘えてほしいの」


「う、うん」


 うつむき気味に俺はうなずいた。面と向かって言われると恥ずかしさもひとしおだが、有無を言わせぬくらいにドナは真剣だったのだ。




 中庭でドナと訓練の続きをしていると、次第に天球の色が赤らみ始めた。


 今日はここまで。と、思った矢先の事だ。


 レパードが中庭に姿を現すと、ドナにうやうやしく一礼した。


「先ほど保護した少女が目を覚ましました。いかがなさいますかドナ様?」


「すぐに会いに行くわ」


「お召し物はいかがいたしましょう?」


 お召し物って……ああ、着ぐるみか。


「そうね。エルフの女の子はオークが苦手だというし、闇の種族を怖がるかもしれないわ」


 きちんと話せばシルフィはわかってくれる。むしろ着ぐるみの方がギョッとして、上級雷撃魔法サンダーフレアを条件反射的にぶっ放す可能性すらあった。


 俺はドナとレパードの間に入って告げる。


「ぼ、僕はドナママのまんまがいいと思うなぁ」


「あら? どうしてかしら?」


 不思議そうに首を傾げるドナに俺は笑顔で返した。


「だってドナママはとっても美人だもんね。キューも可愛いけど、目が覚めていきなりじーっとベッドの脇から見下ろされたら、きっとびっくりしちゃうと思うんだ」


 レパードが「なるほど。前々からお坊ちゃまと同じような意見を持っていましたが、やはりそうでしたか」と、独り納得してみせた。


 ドナはと言えば――


「ぼうやってば本当に可愛いんだから!」


 俺をぎゅーっと抱きしめて胸の谷間に顔を埋めさせると、挟んでもみくちゃにする勢いだ。


 服の布漉しであっても、顔の毛穴から経験と記憶を吸い上げられそうな気がしてならない。


「うぷ……く、苦しいよぉ」


「あらあら、ごめんなさい」


 あと数秒遅れていたら、なし崩し的にキスの嵐が吹き荒れていたやもしれない。


 すぐに解放こそされたものの、不用意にドナを喜ばせすぎるのは危険だと再確認した。


 もし魅力が少しでも高ければ、この危険性はさらに増す。


 黒魔法の威力を維持するため、ある程度は知性を高めつつ、本来得意な白魔法の力を司る信仰心を鍛えながら、力はほどほどに敏捷性を上げていこう。


 運と魅力は後回し……というか、成長させるための余力はきっと残らないだろうな。




「いやぁ……美味しいッス。お腹が温まると幸せッスね」


 互いに自己紹介を済ませたシルフィは、ドナが用意した薬膳がゆをスプーンでひとすくいずつ口に運んでは、幸せそうな溜息をこぼし続けた。


「レパードさんもドナさんも命の恩人ッスよ」


 ベッドに腰掛けたまま、シルフィは頭をふらふらとさせる。まだ快復とは言えないな。


 ドナがスツールに腰掛けて微笑んだ。


「この子も……ゼロもあなたに回復魔法をしてあげたのよ。小さいけど、すごく白魔法が上手なの」


「ほ、本当ッスか! 感謝しかないです……っていうか、天使族!? しかも美少年ッ!? ここ、常闇街の奥地なんスよね?」


 キョロキョロと落ち着かないシルフィに、俺は心の中で苦笑いするしかない。


 当然のことながら、彼女はエルフのゼロには出逢っておらず、当然、俺のことも憶えてはいなかった。


 いや、知らなかったが正解か。どうして今のこの世界で、俺を憶えていられよう。


 部屋の入り口付近に立った女執事がじっとシルフィを見据える。


 その視線はかすかとはいえ、疑いの眼差しを孕んでいた。


「それでシルフィはなぜ常闇街の前で気絶していたのでしょうか?」


「じつは……」


 尖った耳の先まで赤くしながら、シルフィは深くうつむいた。


「お腹がペコペコだったんスよ。あはは……我ながら情けない」


 ドナが涙目になって「おかわりもたーんとおあがりなさい」と、母性本能全開だ。


 お粥のお代わりをもらいつつ、シルフィは顛末てんまつを語った。

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