表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
106/163

突如、興奮する母者

 ドナとの格闘訓練は宮殿の中庭で行われた。


 宮殿のどこから引っ張り出してきたのか、サンドバッグがスタンドに下げられていた。


 本日はコレを使っての打撃訓練である。


 俺は呑み込みが早い良い“生徒”だった。ドナ曰く乾いた海綿スポンジだそうだ。ドナの店で入浴のお手伝いをするサービスをする時に使う、特製海綿よりも吸収率抜群――


 って、どんな例えだよ。


 ともあれ、俺が憶えが良いのもドナの教え方の上手さにあった。


 レパードにはレパードに適合ったやり方で教えたのがうかがい知れる。


 俺に先生クインドナが教えた基本の構えは、拳闘士スタイルではなく自然体だ。


 猫の構えというらしい。いついかなる時にも反応しやすく、攻撃も防御も特化したものはないが、不意打ちなどを受けにくい。回避型といったところか。


 構えは基本、自然体だ。構えらしい構えのなさは、極めれば天衣無縫の領域になる。


 どこか一点に力を入れるというのではなく、常に全身にバランス良く気を巡らせるというのが、猫の構えの基本理念だ。


 敵と相対し戦闘モードに入った際には、相手との距離によって、かかとをどれほど浮かすかを変えるのだという。


 遠ければ高く浮かして“足技”を使う。レパードが俺に見せたような拳闘士の戦い方に寄せる。


 一方、近接時に掴まれたり組み敷かれそうであれば、ふんばりを効かすために足をかかとまできっちりつける……と、重心の置き方一つとっても覚えることは多い。


 クインドナの教える護身術の極意は、相手の側に立ち、その呼吸を読むことにある。


 敵が何をしたいのか。何を欲しているのか。それを感じ取って先回りするというのだが、体得するには相当な修練が必要そうだ。


 突き、蹴り、掴み、投げ、極め――と系統別に技も無数に存在した。


 ただ、魔物相手に投げ技や関節技は極めにくいため、打撃中心でドナに手取り足取り教えてもらっている真っ最中である。


「おもてなしの気持ちが大切なのよ。戦いは一人ではできないの。相手がいて自分がいる。二人の共同作業ね」


 と、ドナは穏やかに優しく俺に言い含めながら、サンドバッグの裏手に回った。


「さあ、教えた通りに打ってみてちょうだい」


「う、うん! やってみるね!」


「ダンスと同じでリズム良く反復練習が大事なのよ」


 左右の連打。基本のワンツーをリズミカルに放つ。少年の肉体はリーチが短いため、いかに相手の懐に飛び込んで手数で押せるかに勝敗もかかってくる。


 サンドバッグの中身は粘性のある水のようで、打てば衝撃が散ってしまった。後ろでドナが支えているのもあるのだが、スライムに打撃という感じで、サンドバッグ本体を揺らすことさえままならない。


「ぼうやの腕力だと、この特製ヌルヌルバッグが動かないわね。そういう時は拳速を上げるの。威力は重さと速度の掛け算よ。足りない分は速度を極めて補いましょうね」


 力で押す前々オークの頃とは真逆のアプローチだ。


 教えられた左右の連打を繰り返す。少しずつだが、ドナが後ろで軽く支えるサンドバッグが揺れ始めた。


「とっても上手よぼうや。もっと早く突いてちょうだい。ええ……そうよ。最初は浅くてもいいから、激しく! もっと激しく! はぅん! 今、ちょっとだけ深くてイイトコロに入って、ブルンブルンって感じちゃったわ」


 パンッ! パンッ! パンッ! パンッ! と拳を打ち込む音が誤解を招きそうだ。


 母君殿、サンドバッグの後ろで身もだえないでください。というか声! 子供に聞かせるにはなまめかしすぎるから!


「「ハァ……ハァ……」」


 親子そろって息が上がる。こっちは普通にスタミナ切れだが、ドナまで呼吸が乱れるのはええと完全に興奮してます本当にありが(以下略)


 ドナがサンドバッグの後ろから顔をのぞかせた。


「あら? 疲れちゃったのかしら? ほらほらがんばって! もう一回戦ワンセット! 一秒間に三回ピストン! ぼうやならきっとできるわ! もし辛くなったら声を上げると、もうちょっとだけイケるから」


 優しい顔して息子を酷使である。


「うおおおおおッ!」


 最後の一滴まで絞り出すようにして、俺は連打を続けたが……限界だ。


 目の前に立ち塞がるサンドバッグに手が出なくなった。


 ドナが再びその後ろから顔を出す。


「あらあら、最後まで出し切って気持ちよさそうな顔ね。今日はこれくらいにして、一緒にお風呂にでも入りましょう。汗を流してさっぱりしたら、お昼寝にしましょうね。そうそう、勇者様のお話の続きを聞きたいって言ってたものね」


 二度目のドナとのやりとりでも、なぜかあの話――白紙の本を開いてドナが読み聞かせてくれた、勇者の英雄譚サーガは、決まって最後まで聞くことができなかった。


 レパードがドナを緊急の呼び出しで連れ去ったり、宮殿住まいのお姉さんたちが部屋に乱入してきて、俺をさらおうとしてはドナにお仕置きされたり……。


 物語の結末は気になるが、俺は呼吸を整え直してもう一度サンドバッグ相手に身構える。


「まだまだできるよ僕!」


 ドナが心底嬉しそうに目を細める。


「とっても素敵。遠慮はいらないから、ぼうやの熱いのを好きなだけ突き込んでいらっしゃい。全部受け止めてあげる」


 ドナが愛おしそうにサンドバッグを背後かだまさぐるように抱く。指先が細やかに怪しく蠢き撫でた。


 お尻を∞の字に揺らして、先がハート型になった細い尻尾はビンビンだ。


 すっかり頬が上気して、視線も熱っぽく吐息まで甘くしびれるようだ。


「息子がグングン大きくなるのを見守るなんて、母親冥利に尽きるわ。さあぼうや。早くシテちょうだい! 中をえぐるように突いて暴れて! もっと乱暴にモノみたく扱ってちょうだい」


 サンドバッグはモノだからね、仕方ないね。


 というか、荒ぶりすぎだ。


 突っ込みたいのは拳じゃなくてドナの行動及び言動全般である。


 こうなったらドナが満足するまでガンガンに突きまくってやる。


 と、拳を握りカチカチに硬くさせたところへ――


「ドナ様、いやらうらやまうるわしい親子のふれあいタイムのところ、大変恐縮なのですが……」


 宮殿の正門からレパードが姿を現した。


 誰かを背負っている。小柄なローブ姿に俺は唖然となった。


「シルフィ……なのか」


 つい、素の口振りがいて出る。庭園の花畑で蝶を追い回していたナビが、じっと俺を見つめて首を傾げた。


 しまった。今回はシルフィとは出逢ってないんだ。


 どうしてレパードの背中に彼女がいるのかさっぱりわからないが、もとから細かったエルフの少女はすっかり憔悴し、やつれてしまっていた。


 ドナはそっとサンドバッグから離れると、レパードの元に歩み寄る。


 レパードは「エルフですから教会も頼れなかったのでしょう。常闇街の入り口付近で倒れているところを保護いたしました」と、小さく会釈混じりに報告した。


 ドナがじわっと瞳に涙を浮かべる。


「大変だったのでしょうね。頼る相手のいない孤独は心を凍らせてしまうわ」


「いかが致しましょう?」


「まずは温かいベッドが必要ね。食事とお風呂も追って準備しましょう。故郷に帰りたいというのであれば、力になるわ」


 ドナの店で働くかどうかは、また別の話なのだ。


 俺もレパードの元に駆け寄った。


「わ、わぁ! シルクかなぁこのローブ」


 シルフィのトレードマークとも言える、青い差し色の入った白いローブもすすけたように汚れている。


 女執事がそっと首を左右に振った。


「良い品のようですがシルクではないようですお坊ちゃま」


 ドナも「武器や防具の材料には詳しいけど、服の素材はぼうやもあんまり知らないみたいね」と目を細めつつ、そっと俺の頭を撫でる。


 青い猫はいつの間にか、再び花畑の蝶を追いかけだしていた。


 俺から迎えに行かずとも、一度ひとたび結びついた運命のほうから、こちらに転がり込んでくるみたいだな。


 しかし……シルフィのやつ、こんなにボロボロになるまでどうしちまったんだ。


 一瞬、錬金術ギルドを牛耳る成金趣味なエルフのリチマーンの下品な笑みが脳裏によぎった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ