正体不明のレベル0
目を開くとそこはジメッとした洞窟の中だった。薄暗い。顔を上げると入り口付近から光が射し込んでいるのが見える。
光の中に小動物がちょこんと座っていた。猫だろうか。逆光で影を纏った猫の額には大きな赤い宝石が埋め込まれており、同じく赤い瞳はじっとこちらを見つめている。紅蓮に燃えた双眸には、知性が宿っているようにすら感じられた。
魔法生物か合成魔獣あたりだろう。そいつは俺が目覚めたのを確認して、小さな四肢を早く速く動かして俺の元までやってきた。
「やあ、目を覚ましたようだね」
開口一番そう告げて猫は目を細める。洞窟の入り口から射し込む外の光に照らされた体毛は美しい青だ。青い猫なんて見たことが無い。しかも人語を解するのだから、もうただの猫ではないことは明白だった。
ルビーのような赤い瞳を丸く見開いて猫は続ける。
「自己紹介をさせてもらうよ。ボクはナビ。キミを導く者さ」
「俺を……導く?」
「そうだよ。だからまずは名前を教えてくれるかい?」
訊ねられて、はたと気づいた。自分の名前が思い出せない。記憶にモヤがかかったように、どうして自分が洞窟の奥に倒れていたのかすらわからなかった。
青い猫――ナビはじっと俺を見つめたまま言葉を待つ。
わからない、わからない、わからない。
焦りと混乱で心臓が早鐘を打ち呼吸が荒くなる……ことは無かった。じっと手を見たつもりがその手が無い。腕も足も区分がない。
身体がまるでスライムのようにグズグズの透明な半液体状なのだ。
つい先ほどまで自分には四肢があり頭部があり胴体があるという風に思い込んでいたが、どうやら錯覚だったらしい。
「名前は……わからない。というか俺は俺がなんなのかわからない。知っているなら教えてくれ」
ナビは小さく首を傾げた。
「それはボクにも……ただ、キミの使命はこの迷宮の奥にある『真理に通じる門』を開くことさ。それだけは間違いないんだ」
「迷宮? このちっぽけな洞穴が迷宮だって?」
振り返っても扉や門の類いはなく、浅い洞穴はすぐに行き止まりだ。ナビは小さな鼻をピクピクとさせた。
「ここはただの洞穴さ。迷宮かどうかは外に出ればわかるよ。ただ、その姿のまま出るのはおすすめできないね。なにせ迷宮だけあって魔物がうようよいるから」
今の俺は地面を這いずるのがやっとという、出来損ないのゼリーだ。ナビはこんな俺に門とやらを開けという。真理に通じるなんて大層な名前からしてお門違いも良いところだ。
「なあ、頼む相手を間違っていないか? 俺はその……見ての通りだ」
自分の事すら解らないのに真理もクソもないだろう。
「そうだね。今のキミは不定形で自分がなんなのか定義することさえできない。これを見てくれるかな」
青い身体をブルッと振るわせたナビに変化が起こった。額の宝石が光り輝き洞窟の壁に映し出されたのは――
名前:????
種族:unknown
レベル:0
力:????
知性:????
信仰心:????
敏捷性:????
魅力:????
運:????
文字列に加えて今の俺の姿も表示される。溶けた蝋よろしく、崩れて形を失った水色の形容しがたいなにかだ。
洞窟の壁に俺の姿と「????」で埋められた単語を羅列してナビは呟いた。
「とにもかくにも、まずはステータスを確定しないとね。最初が肝心だよ? それで大まかにだけど種族が決まるんだから」
表示された文字列の種族欄には「unknown」と書かれている。
「俺はunknownなんだろう?」
「そうだね。何者でもないという意味さ。ボクはそんな何者にもなれないキミを手助けするためにやってきた。ボクがいればキミは別のなにかに変わることができるんだ」
「このグニャグニャな状態から脱することができるなら、なんだっていい。やってくれ」
今の姿のまま暗がりでコケのようにへばりついて蠢くだけの人生なんて、生きているのか死んでいるのかすらわからない。
ナビは嬉しそうに目を細めて小さく頷いた。
「それじゃあ契約成立だ。キミにこのステータストーンをあげるよ」
額の赤い宝石から投射されていた光が一つに集まった。それは小石ほどの大きさになって実体化する。綺麗な立方体で、一つの面につき数字が一つずつ描かれていた。
真っ赤な六面体ダイスである。ゆっくりと回りながら、ダイス――ステータストーンは宙にふわりと浮かんだ。
「レベルアップごとに出た数値を自由にステータスに割り振っていくんだ。さあ、振ってみて」
腕を伸ばすイメージをすると触手のように身体が伸びた。ステータストーンを掴む。光が溢れて触手の先を赤く染めた。
何も考えずに放り投げる。石はコロコロと地面を転がり、4の目が出たかと思うと砕け散った。その砕けた粒子が光を帯びて俺の身体に吸収される。
どうやら上手くできたようで、ナビは満足そうに尻尾と耳をピンと立てて上機嫌だ。
「良かった。平均値以上だから出だしとしては上々だね。さあ、ステータスを決めよう」
再び壁に俺のステータスが映し出される。が、先ほどとは一カ所だけ違っていた。
名前:????
種族:unknown
レベル:1
力:????
知性:????
信仰心:????
敏捷性:????
魅力:????
運:????
「レベルが1になったな。ところでステータストーンはこれっきりなのか?」
「魔物を倒して経験を積めば生成できるんだ。これからキミは自分でどうなりたいのかを決めて、それに合わせて魔物と戦い成長していかなきゃいけないんだよ。ちなみに一度振ったステータスは基本的には変えられないから、慎重にね」
迷宮には魔物がわんさかいて戦闘は避けられない。むしろ戦って強くなれ……ってか。
ナビは続ける。
「ステータスによってキミの姿は千変万化するんだ」
ダイスの出た目と身の振り方で「unknown」ではない別のなにかになることができる――ということだろうか?
結局自分が何者なのかはわからないままだが、ひとまずナビに協力しよう。
親切にしてくれたのだから、それに応えるのは当然だ。
と、なぜそう思うのか自分でも不思議だった。もしかしたら「unknown」になる前の俺は、存外律儀な性格だったのかもしれない。