僕と彼女
夕暮れ迫る美術室で僕はスケッチブックの描きかけのページを開いた。目の前に座っている女子生徒を見つめながらオレンジ色に照らされた紙に鉛筆を走らせる。緊張はしていたが調子は悪くない。流れるように線を引くことが出来た。
「調子はどう?」
同じ姿勢で座っているのが疲れたんだろう。奥田穂香は少し腰を浮かし、椅子に掛け直していた。
「うん、まあまあだね」
僕は手を止めて奥田と絵を交互に見比べながら曖昧な返事をした。別に出来が悪かったわけではなかった。しかし、どんなに上手く描けていたとしても僕は彼女に対して自信のある返事をしたことがないのだ。以前は僕の態度に対して小言を言っていた彼女も、僕が一貫して同じような返事をするので何も言わなくなった。今日もそれが分かっているからこれ以上会話を続けようとはせずにモデルとしての役目を果たしていた。
僕は鉛筆を持って再び奥田の絵を描き始める。ショートカットの黒髪、軽く結ばれた薄い唇、真っ直ぐにこちらを見つめている大きな目。それらを丁寧に描いていく。僕と彼女だけしかいない美術室では鉛筆が紙を擦る音だけが静かに響いていた。
描き始めてどのくらい時間が経ったのだろうか。下校時間を告げるチャイムが美術室の静寂を破った。
「どのくらい描けた?」
モデルとしての役目から解放された奥田は伸びをしながら言った。
「大体は完成したかな。あとは細かいところを修正して完成」
「意外と早かったね。見せてよ」
「いや、まだ完成してないし......」
そう言ってスケッチブックを閉じた。本人の前で似顔絵を見せるのは恥ずかしく、気が引けたからだ。しかし、彼女はそれでは引き下がらない。
「その手には乗らないよ。人を何時間も椅子に座らせておいてそれはずるい。私昨日、今日同じ姿勢でいたせいで腰が痛くて困ってるんだから」
そう言いながら睨まれてしまっては見せないわけにはいかない。僕はゆっくりと彼女にスケッチブック差し出した。受け取った彼女は自分の顔の描かれた絵をじっと眺めて何かに納得したかのように頷いた。
「よく描けてるじゃん。でも私こんなに美人じゃないよ」
と笑いながらスケッチブックを渡された僕は耳がとても熱くなった。バレただろうか。そんな気持ちを抱えたまま窓の夕日の方を向いた。赤い夕陽で僕の赤くなったであろう顔を隠すために。しかし、人の心配をよそに奥田は帰り支度を始めている。僕もため息をついて荷物をまとめることにした。
「じゃあ帰ろうか」
リュックを背負った彼女はドアへと向かう。僕は彼女の後を追った。部屋の外へ出るときにふと振り返って彼女の描きかけの絵を見た。キャンバスには窓の外から見える街の風景が描かれていた。その絵と自分のさっきまで描いた絵とを思い返しながらまた溜息を吐いた。今度はさっきよりも大きな溜息だった。




