1-2 長閑な町の悪人共
俺が目を覚ました頃、おんぼろの窓の外では夜が白み始めていた。
予定ではもう少し早く目を覚ます予定だったのだが、どうやら寝坊したようだ。
農場から借りた馬小屋は、意外にも俺を熟睡させるだけの居住性を持っていたらしい。
藁敷で適当に家財道具を持ち込んでいるだけなのだが、人は所詮それで満足できるということか。
「でも、コーヒー飲む時間ねえなこりゃ」
本来ならば、よしそれだけ快適ならここでもうひと眠り、と行きたいところだがそうも言っていられない。
なんせ、今日は遂に何ヵ月か越しの仕事が完遂する日だ。
いつもは自他共に認めるグウタラぶりを発揮しているものの、この日ばかりは時間がものを言う。二度寝は許されない。
特に違法団体のバイトとしては失敗などしたくはない。経歴に傷がつくし、命をもって、なんて話にも繋がりかねない。
気を引き締めていかねえと。
「おいてめえら。仕事の準備始めろや」
そこらの酒瓶をそこらの膨れ腹に投げつけて、発破をかけてやる。
この、俺よりも自堕落な有象無象は手下らしい。が、実際はただ上から押し付けられたクソガキだ。
暴力が好きで悪がかっこいいと思っている、幼稚な子供だ。使いようがない。
俺は違う。こんな否定こそ幼稚なのだろうが、そこだけは譲れない。
俺はもっとスマートに仕事をこなす。リスクを最小限に、リターンを最大に。それが信条だ。
何せこれはビジネスなのだから。暴力を基盤にした、法律を少し逸脱したビジネス。
このビジネスはとてもいい。手っ取り早く金になる。
捕まるリスクも少し逃げ方を勉強さえしてしまえば、限りなくゼロに出来てしまう。
リスクもなく、労もなく、金が大量に舞い込んでくる。これだから悪の道はやめられない。
「いよいよ、あの嬢さんを質に出せる日が来たか」
スーツを着込み、黒い手袋をはめ、そしてシルクハットを被って決め込む。チャームポイントは束ねた髪の毛である。
全ての準備の結果を決めるのだ。一張羅を下ろさずして何を着ようか。
何せ、この仕事の為に別動隊がそこの親の商売を邪魔したり、脅しまくったり、返済期日を早めたり、色々としたらしい。
遂にその努力が実を結ぶのだから、これくらいはしないと。
「しっかし、時間をかけたなあ。それも納得だが」
遠目から見たが、あれはかなりの上玉だ。上手く売りさばけば数千ミールは下らない。
が、少しでも何かあればすぐにそれは二束三文になってしまう。そして裏ではその色々が起こり得てしまうのが難点だ。
しっかり統制し、傷一つ付けずに確実に送り届けてやろう。
責任を持ってな。
俺が長々と思いを馳せていると、ようやく準備を整え終えたウスノロが俺の前に整列する。
列が整う、とはとても言い難いが、時間がない。目をつむってやろう。
「さて、野郎ども。日の出と共に家に突撃するぞ。確か奥さんが居たが、あれは多少痛めつけていい。だが娘は傷つけるなよ。というか俺が捕まえる。てめえらは指一本触れるな」
言いつけて、何か起きない内にさっさと件の家の前に立つ。
そこは情報と同じで、白い二階建ての家だ。少し前までパン屋をやっていたらしいが、俺の上司がきっちり潰して今は借金五百万。
それも家を売れば返せる額だが、家の価値など伝えていないのだろう。田舎者ほど騙しやすいと言っていたから間違いがない。
騙されて、娘を取られるというわけだ。
それは何とも後味の悪い話に違いない。が、俺は人生とはいかに強者になるかというものだと思っている。
情報だって武器だ。集めれば集めただけ力になる。
そして情報集めを怠ったのならば、強者になるための努力を怠ったのならば、泣き寝入りするしかあるまい。
「まあ、今回は多少逸脱した感が否めないけどなあ」
これだけ無茶に動けば首根っこが閉まりかねない。
強者の中の強者である国王側の人間が介入しない内に、とっとと仕事を終えよう。
さて、すべての手筈は整えた上で、夜が明ける。
心残りがあるとするなら寝坊して、ゲン担ぎのコーヒーを飲めなかったことだけだ。
俺は山を見上げてその秒読みを開始し
一瞬の嫌な気配に仰け反った。
「うへあっ!?」
せっかく内心で独白を決め格好つけていたのに、妙な格好で変な声を出してしまった。
目の前を袋が飛んで、隣にいた手下に当たる。
ずいぶんと重かったらしく、手下はその場に崩れ落ちた。
「なん」
だ、という前に俺の前にまた何かがやってくる。
それは大人を担いだ子供だった
鉄の兜をかぶって体の至る所に短剣を付けて、異様な奴だった。
「たった今をもって、借金の返済を宣言する」
それは、鉄に遮られくぐもった声でそう宣りやがった。
その異様な気配に、その行動に、その奥の眼差しに俺は強者の風格を見た。
そして計画が全てご破産になったことを確信した。
「コーヒー、飲んどきゃ良かったな」
つくづく、寝坊したことを悔やんだ。
僕達は夜通し走り続けて、何とか間に合ったみたいだった。
恐らく借金取りだろう奴らに金を投げつけて、僕達も家に立ちはだかって、そして返済を宣言した。
これが出来たなら一先ずこれで安心だ。問答無用での破壊工作をしづらくなるし、したとしても反撃できる。
ここを取り仕切っている奴は……あの、悲し気に空を見上げている男か。
少し汚れたスーツと帽子を被った、三十代くらいの男性だ。中肉中背、顔立ちはいい方だけど、どうもモテそうにない。
何処となくひょうきんな様子も見えるのが油断を誘う。……が、それは禁物だ。裏の人間なのだから。
でもその前に
「てめえ何してくれてやがんだオラア!! 頭骨折しちまったじゃねーか慰謝料祓やコラア! アアン!」
僕はこの絵に描いたような恫喝をする不良を何とかする必要があるみたいだ。
というか、頭骨折した割には元気すぎるだろう。演技しなくていいのだろうか
「おい待ててめえら」
「死ねやこらあああ!!」
スーツの男の制止を待たずに自称頭蓋骨骨折の不良とその仲間たちが走ってくる。
どうやら本人提案の『慰謝料』の話とかは全部なかったことになったらしい。
敵は四人。筋骨隆々ですさんだ目をしていて、武器は普通の木の棒。言う所の棍棒だ。
でもなんて数の差だろう。
「彼らが可哀そうだ」
まさか、血みどろ鉄仮面の容赦ない戦闘術の生贄が出るなんて、僕は思いもしなかった。
先ず一人目。上から大きく振りかぶっている。隙は逃さず刺すのが鉄則だ。
からそのがら空きのお腹に遠慮しないで殴りつける。
「がっは!」
崩れ落ちる敵から木の棒を取って、鎖骨に蹴りで壊して、その上で二人目の攻撃を受け止める。
「なっ!」
子供が攻撃を受け止めるのが驚愕らしい。でもその一瞬が闘争では命取りだ。
戦いは常に冷静にすすめるのも鉄則である。
手首を握って砕いて、棒を落とし、体を回転させて、引き倒す。
その上で顎を蹴り抜いてやれば敵は動かなくなった。
「てめえ!」
「やろう!」
二人がかりの攻撃の際はまず体の移動が鉄則。
横にずれて攻撃をかわし、懐に入って短く持った棒で突く。
そして動けなくなった敵を盾にして、更に肋骨を折る様に蹴りつけて突き飛ばす。
その結果、僕の前には四人の不良が横たわり悶える光景が広がっていた。
きちんと手加減してこの状況なのだ。シュリの殺人術とか怪力をそのまま技術の転用したなら大変だっただろう。
転がる人がピクリとも動かないとか、血反吐を吐いているとか。
「さてと」
言ってはいけないだろうけど、頭の悪い不良という前座は終わった。
次は大将戦だ。
こういう時は先手必勝が一番だと聞いている。今こそ夜の話し合いの成果を見せるとき。
先ずは舌戦を制する。
「何も言わないなら返済が済んだと判断する」
「ま、待て待て待て。返済には手続きがだな」
それは想定済みだ。
「手続きはそちらの問題だ。それで遅延した場合の不利益はそちらで処理しろ」
「あー。こりゃ不味いなあ。俺も何」
それも想定済みだ。
「無駄な会話等の遅延行為の場合も、発生した不利益を我々は払わない」
「ちっ。てめえ取り立て屋を舐めてるなら」
当然、想定済みだ
「暴力にはさらなる暴力で応じよう。治療費、その時間で発生した負債は払わないが」
そう言って、手近に寝ている不良を蹴ってそちらに転がした。
僕は、いや僕達は何もかもを対策していた。
これは夜通し走る際に、論戦で封じてしまえないものかと、素人の考えを何とか煮詰めて完成させたものだ。
でも、やっぱり非社会的団体の手口はどこも全部似たようなものらしい。彼は口ごもり、困ったように空を見上げていた。
世界は違えど人は同じというわけか。
「もう直ぐ日が昇るが、どうする? 返済を認めないか? くだらないお喋りをするか? 戦うか?」
僕が逆に迫ってみると、取り立て屋は視線を下ろし、不意にこちらを見てきた。
値踏みをしている……というものに近いけどそれよりももっと酷い視線だ。
人を人と思わない、凄まじい目だった。
でも、ふと思い出す。
どちらかと言えば、国の方針に逆らい逃げ出した僕の方が、余程の極悪人なのだ。
手配書もこちらの方が懸賞金が高い設定になるだろう。
そう考えると少し可笑しかった。
僕は案外大それたことをしたのだ。と、今更実感が湧いて楽しくなったのだ。
「……あー。駄目だなこりゃ」
すると取り立て屋は不意に表情を緩めて、落ちた袋を拾い上げる。
袋から金を取り出して、五百枚の金貨を適当に見て頷いた。
そして、予想外のセリフを言い放った。
「あいよ。確認した。返済おめでとう。帰るぞてめえら」
男は何ともあっさりと引き下がった。僕達はともかく、転がっている不良まで拍子抜けするほどだった。
ここに居る全員が、彼の急な態度の変化についてこられて居ないのだ。
だって、彼らは今までここの娘を浚うためだけに何か月も準備を進めて来たはずなのだ。
それがお金をもらって引き下がるなんて、絶対に出来ないはずだった。
なのに彼はさっさと引き下がって、帰ろうとしている。
特に手下共はその手のひら返しに恐慌状態にすらなっている。骨が折れた者も慌てて立ち上がり、例の男に走り寄る。
どうやら彼方でこそこそと会議をしているらしい。
その度に例の男が首を大げさに振って見せたりと反応して見せ、否定しているのだけど。
「いやあれは手こずるぜ。間違いない。絶対何か裏の手持ってるって」
「まあ、怒られるだろうよ。でも時間かけても無駄だって分かってて、なのに引き下がらねえのも怒られるだろ」
「次に行くんだよ次に。ここは諦めるしかねえのっと……そうだ」
彼は不意に僕に向き直って、何かを飛ばした。カードだ。
地面に落ちたそれには、僕の語学力でもわかる文字が書かれている。
『裏専門何でも屋:カロン』
「普段は裏専門だが、そこの鉄仮面なら表の仕事も歓迎だ。何かあれば呼んでくれよ」
そういってウィンクすると今度こそ彼はその場を後にした。
それは第一印象と合致するようなひょうきんな態度だった。
油断なくその後姿を見届けて、見えなくなって、僕は息をゆっくりと吐く。
「危なかった……かな」
多分、彼はごねようと思えばごねられたし、戦おうと思えば戦えただろう。そして苦戦を強いられるのは間違いなかった。
裏の手を持っていると言われたけど、それはあちらもそうだったに違いない。
それでも戦って益にならないと判断を下した。
それは彼が機に敏で、金やら時間やらに厳しい性格だったからの結果に違いない。
「ある意味、相手があれでよかったのかもね」
切れ者でなかったら少し血を見たかもしれない。
一人呟いて、僕は改めて依頼者に向き直る。なんにせよ、妙なものを貰ってしまったにせよ、これで問題解決だ。
「依頼達成でしょうか?」
「え、ええ。勿論です。ありがとうございました。ああ、本当に、本当にありがとう!」
僕に言われて、彼はやっと実感が湧いたらしい。僕の手を握って何度も頭を下げる。
人に感謝されることの喜びは、とても言い表せないものだ。
初めて魔法を見た時とも違い、クリスマスプレゼントをもらった時とも違い、じわじわとくるものだった。
けど、それは置いておこう。ここで重要なのはそこではないからだ。
ここで重要なのは、僕が冒険者として全く違和感なく王都から抜け出せた、ということだ。
一先ず僕は、あのゴブリンの悲鳴から難なく逃げおおせることができたのだ。
こちらこそありがとうと言いたい。そして開放感に叫び出したい。
そんな気持ちを何とか抑え、僕は内心ほくそ笑んだ。