0-3スキルはとても不思議なものだった
「遅参の、非礼を、お詫びします」
と言ってギーシュが土下座をした。いや、地面に倒れた。
よほどの苦労のせいか、若干二十歳にして白髪になっている彼は、本当に全力を絞りつくした後だったのだろう。
謝罪をした後、そこからピクリとも動かない。
それを当然のように見ていた従者が、力尽きたギーシュをテキパキと引き起こし、担ぎあげて椅子に座らせる。
そして水を飲ませると、彼の顔色が少し戻った。
悲しいことに、従者の手際は一部の隙も無いほど良すぎていた。
兄様の健康が不安になってくる。
「すみません。研究が大詰めで……」
「確か、世界に散らばる神器と呼ばれる力の解明だったかな?」
にこやかにエドワードが話しかけた。倒れたことを気にした様子はない。
以前も倒れたし、その前の前だって倒れたからだ。もう慣れてしまったのだ。
慣れていいとは思えないけど、それがロペス家なのだろう。
「はい。やはり推測通りあれは私達がスキルと呼んでいるものに非常に似ています。おそらく同種の物でしょう」
ここでイリーナがにやりと笑い、身を乗り出す。
「ほう、凄いじゃないか。つまりスキルこそが『神が世界に介入した』という証拠となる。教会が慌てだすぞ」
「あそこは……その意見に対して否定的ですからね。『神の信仰の総本山』にして『神を否定する総本山』なんて揶揄されてますし」
「抗議文は来たか? 来ただろう?」
「ええ。まあ。できれば穏便な対応を求める、と。ああ後、教徒が狂信に走らぬよう配慮してくれ、とも」
「くくく、何を言っているのやら。あそこは本当に面白いな。神を信じろと言いながら、すがるなとも言うのか」
たいそう満足したらしい。多分、お母様と教会に何らかの確執があったのだろう。
だがそれは今はいい。僕はたった今素敵な言葉を耳にしたのだから。
「兄様、スキルというのは何ですか?」
ファンタジーワードその二。スキル。これは胸が躍る。
「おや、今日は反応がいいね。でも、スキルを知らないのかい? ……いや知らなくて当然か、クロウはここで養生しているからね」
ギーシュが胸元からカードを取り出して、従者に渡した。
従者越しに受け取ったそれには、文字と数字が並んでいて……半分ほどしか分からない。
そもそも何のカードかも分からない。
「スキルとレベル。これが神が人を優遇する証拠の一つだという人がいるけど、そうじゃないんだ。ただの魔力の質の違いなんだよ。魔物を倒すと自分自身が強くなるのは知ってるね」
「知りません」
答えると、ギーシュが少し目を細めてシュリを見た。
「……シュリ?」
「暴発する好奇心を抑えるには情報を与えないに限ります」
「!?」
「ず、随分と過激な教育法だね」
メイドが何ら悪びれずに、主人に対する情報規制の事実を暴露した。
僕はとんでもない圧政の下で生きてきたらしい。
僕もギーシュも驚愕に目を見開いていたけど、彼はいち早く立ち直って、説明を続ける。
でもペースを乱されたらしい。
「人間は魔力的に非常に柔軟な生き物なんだ。倒した魔物の魔力を吸収できて、しかも自分のものに変換できる。これがレベルという概念につながるわけだ。が、この魔力は魔法使いが使うものとは別種であるから注意が必要だ。つまりここで増えるのは根源的な魔力といわれるものだね」
ここにきて僕の頭を考慮しない、複雑な情報が滝のように流れてきた。
魔力を吸収して、魔法使いとは別で、根源的な何某があって。
「ギーシュ様。クロウ様には難しすぎます。スキルの話をすべきかと」
「そうか。うーん。端的に言えば魂の質で決まって、魔法よりも簡単に発動できる、便利で不思議な力だな」
「おお」
一気にすんなりと理解できた。
でも魔法よりも不思議とはどういうことだろう。
「例えば、そこにアリアがいる。彼女は今、仕入れた宝石の詳しい鑑定をしている」
「……もう鑑定する意味がなくなったわね」
何かを察したのか、父が来ようと兄が来ようと顔を上げなかったアリアが手を止める。
「でも、僕の手にかかれば、そら」
ギーシュが指を鳴らすと、赤い宝石の上に何かが浮かび上がった。
それは文字で、『ガーネット:レベル三』と書かれている。
紛れもない。物理法則を無視した不思議な力だ。
「こんな風に簡単に素材がわかってしまう。どれだけのレベルか、どんな特殊能力があるか、僕は全部お見通しなのさ。魔法には儀式や下準備が居るけどこれは必要ない。いわば魂が魔法陣なんだよ」
「す、すごいです! 兄様!」
思わず立ち上がってしまい、シュリに無理やり席に押し付けられる。
でもその肩への圧力にも負けないほど心がワクワクする。
この全く物理法則を無視している不思議な光景。これがスキルというものか。
「僕にもあるんですよね!」
「もちろん。魂があるなら誰しもが、ね。近いうちにそれを調べる調査があるはずだよ」
「っ!!!」
言葉にならない歓声と、飛び上がりたい衝動が駆け抜けた。
だってスキルだ。僕だけの力なのだ。胸が躍らないはずがない。
一体どんな力が僕にあるのだろう。もしかしたら転生者ボーナスがあるかも知れない。
それがもうすぐ分かる。
胸が躍る。胸が高鳴る。
「楽しみだね! シュリ!」
「左様ですか」
全く反応が変わらないけど、それでも構わない。
僕は叫びたいのだ。
「むぐむぐむううううう!?」
「はしたないです。お坊ちゃま」
でも直前にそれは遮られてしまった。シュリは僕の行動を読めるらしい。
このままだと、大切な質問が出来ない。何とか気を落ち着けて、シュリの手を引き下げる。
「ぷはっ。いつですか? いつ来るんです?」
「ああ、それは私から説明しよう。連絡が王城から来たからね」
エドワードが執事から封筒を受け取り、取り出して、広げる。
「一週間後、ロペス卿が息子、クロウの素養調査を行う。場所は王城。尚ほかの貴族も参加する為、時間を要することに注意されたし。とのことだ」
簡略したのだろうが、かしこまった文言に益々動悸が早くなる。
もう他の言葉は届かなかった。
「一週間、楽しみだなあ」
僕の心は既に一週間後に飛んでいた。
多分、僕はその後で食事会をしたのだろう。でも料理の味は、全くわからなかった。
そもそも浮足立ちすぎて、覚えていなかった。
飛んで、一週間。いよいよその時が来た。
僕は父に連れられ、シュリと一緒に馬車で都まで走って、橋を渡る馬車から底を見上げる。
巨大な堀を渡って行きついたそこは、とても豪華で何より大きく高かった。
多分、小さな山の上にそのまま城郭を築いたのだろう。
「ここからがまた長いんだ」
エドワードが笑いかける。
彼が言った通り、ここからが長かった。
一番外には大きな塀と門がある。馬車がそこを通ると一時的に広間があった。
そこで暫し待たされ、何かの確認が終わるとまた馬車が走り出す。
お次は、敷地いっぱいに描かれた迷路のような上り坂。両脇の塀には彫刻や、小さな穴が並んでいる。
上には数多の連絡通路があってそこを潜り抜けて進むと、その先にはまた兵と門。
でもここが最重要な場所なのだろう。重厚な門と屈強な兵士だった。
その中には、ここで一番大きな建物。尖塔と丸い屋根が見える。
「ここが王城」
「ああ。今から入る場所だよ」
けど、僕達はそこからでなく、馬車を降りて横道にある比較的小さな門を通った。
小さいと思ったけど、近付くにつれてやはり豪華だと分かる。
この門にもしっかり飾り付けがされていて、天使の羽が交錯したような文様と、蔓のような彫刻が彫られていた。
「行くよ」
天使の羽をぼんやりと見上げていたら、エドワードに背中を押される。
鑑賞する時間はないみたいだ。シュリを伴って中に入る。
「騒いだら、気絶させますので」
その瞬間に、シュリに釘を刺されてしまった。相変わらずの言い草で。
そして多分、シュリなら絶対やると分かってしまい、身震いした。
流石に感動の瞬間を意識を失ったまま過ごしたくはない。僕は肝に銘じて、改めて入った。
「……?」
王城内部はなんだか思っていたものとは違った。
外部同様、豪華絢爛にされていると思いきや、あるのはシャンデリアと等間隔でおかれた金属製の壺くらい。
その銀色の輝きすら、白い床と壁も相まって少し寒々しい。
「……」
でも王の住んでいる城に対してに『なんか質素』と言ってしまうと不敬罪になりかねない。
何よりシュリが動きかねない。
僕は口を閉ざしてエドワードの後をついていった。
長い廊下の先にあったのは彫刻がされた木製の扉。門と同じ羽が二つ合わさった文様だ。
そこをエドワードが叩くと中から人が出てきた。
黒いローブを着た、痩せた男。手に聖典らしきものを持っているから、多分教会関係者だ。
「ロペス卿、お会いできて光栄です」
「これが我が息子だ。クロウ・ロペスという」
「クロウ様。……はい、確かに確認致しました。もう始まっているのですが人数が人数でして、終わるのは二時ごろになります」
「分かった」
どうやらエドワードはここに残らないらしい。なんともあっさりと僕を預けて背を向けて、来た道を戻ってしまった。
残された僕とシュリに、教会の人は入室を促す。
「どうぞクロウ様。お付きの方も」
入ると、そこは大広間らしい。長椅子が並べられていて、演説台のような部分もあり、でもやっぱり質素だった。
教会関係者の話通り、他の子どもが座って話しているから、一瞬、孤児院みたいと思ったくらいだ。
でも話している皆は豪華な服を着ていて、すぐにその一瞬の印象が払しょくされる。
とりあえず、空いている席に座って待とう。
「そういえば僕って友達いないんだよね」
「左様ですか」
「でも貴族って友達いないイメージだからいいか」
「左様ですか」
「いるのは協力者か傍観者か敵対者、みたいな」
会話する気がないシュリを引き連れて、僕は長椅子の一つに座る。
何気なく上を見ると、どうやらそこだけにはお金をかけたらしい。見たことある宗教画が天井に描かれていた。
確か、何かの絵画集を見せられた時にあったはずだ。
王城内部の教会の天井画という説明だったけど、やっぱりそれで見たときに感じたことが口をついた。
「見辛い」
せっかく描くならもっと見やすい壁画にすれば良かったのに。
精密な絵なのにとても勿体ないと思う。
「初めまして。見ない顔ですわね」
ぼんやりと天井を見ていると、誰かが隣に座った。
巻き毛が凄い、同年代の少女だ。
ふわふわの服を着ているけど、その表情のせいでどこか腹黒そうな印象を受けてしまう。
でも挨拶されたからには挨拶しないと。
座ったまま挨拶しようとして、シュリの気配に気づいた。
マナーの授業の時の、あの殺気にも近い寒気だ。
まるでスイッチが押されたように、体が勝手に動いていた。
「初めまして、レディ。私はクロウ・ロペスと申します」
僕は颯爽と立ち上がり、跪いて手を取り、そこにキスをする。
これが一番丁寧な礼である。何処と無く前世での騎士を思わせているが、それはこれが騎士の誓いを元にしたかららしい。
これをシュリ相手に散々し、挙句にぎこちないだの、クサ過ぎるだの言われ続けたのだ。三日位くらい。
「は、初めまして。セシル・エリアスですわ。……ロペス」
どうやらその三日間の成果は出たらしい。セシルという少女は顔を赤らめ、背けた。
けど、背ける途中でロペスの名前を反芻して、首をかしげ出す。
そして、顔を真っ青にさせた。
「ロペスの次男! 奇人クロウ!」
セシルが飛び上がり、絶叫した。
その途端、皆が一斉にこちらを振り向き、飛びのいた。
まるで打ち合わせしたような、息ぴったりの反応だった。
「ロペス?」
「二男? 幽閉されてたやつか?」
「俺はもう死んだと聞いたが」
「へえ、魔法に狂って妙なものに手を出したという噂もあるが」
「いや、近付くと嚙まれるとか言ってなかったか?」
ざわめきを聞く限り、僕はとても変な人間だと思われていたらしい。
中には失礼な噂も流れていて、少し嫌な気分になる。
これはシュリ流会話術を使って、本格的にイメージ改善を図らないと。
……図らないと貴族社会からはぶられて、死ぬかもしれない。
「こもりがちだっただけなのですが、少し心無い噂が流れていたみたいですね」
外用スマイルで笑いかけると、再びセシルが頬を赤らめる。
もしかしてこの顔は、魅力的な部類なのだろうか。
ひょっとしたら、女性には困らないかも知れない。少しにやけそうになる。
「ええ。その……少し特異な方と聞いていたものですから。こんなに礼を知っている方と知っていたなら直ぐにでも文通をしていたでしょうに」
お世辞なのだろうけど文通は駄目だ。読み書きなんて今の僕にはボロが出てしまう。
もしもの時も考えて、文通の可能性は徹底的に潰しておこう。
「私も貴女をもっと早く知っていたなら、お茶会の一つでも開いて、招待していたでしょう。まあ子供の身ですから難しいですけど」
「そうですか? 私は三時にはいつもお茶会していますけど」
「へえ。淑女はお茶会も勉強の一環なのですね」
多分、毎日お茶の品種を勉強しているのだろう。
そちらもある意味地獄だ。お腹がお茶で満たされて苦しかっただろう。
「恥ずかしながら私はお茶に疎くて、マナーも難しいのは苦手なのですよ」
「へ、へえ。そうなのですか」
……表情が少し硬くなったような気がする。
どうやら減点対象だったらしい。話題を変えよう。
「そういえば今回の調査、一体何をするのでしょうか。私は詳細を聞かずにここにきてしまったのですが?」
「調査というほどではありませんわよ。神器『資格者を審判する目』というものでスキルを確認するだけですから。それは球体なのですが、それを掴むと自分の現在のレベルとスキルが下の紙に焼き付くらしいですわ」
「ほう、それはすごい。楽しみです」
「ええ。でも少し不安です。私もお姉様みたいなスキルが来るといいのですが」
そこからどんなスキルがいいかスキル談義に花開いた。
セシルとの会話は会食とも会合とも違って、とても楽しくて、初めての感覚だった。
淑女との交流がこんなに楽しいなんて、結婚もいいかもなあとぼんやり考えるほどだった。
でもそんな楽しい時間はすぐに終わりを告げる。
「クロウ・ロペス様」
僕は名前を呼ばれて、名残惜しくも彼女と別れた。
教会の人はどうやら別室に案内するらしい。
端にある小さな扉に案内されて、細長い廊下を通ると、小さな部屋があった。
入ると、赤と金が僕を出迎えた。どうやらここだけは豪華であるようだ。
下には真っ赤な絨毯、壁には金の槍がずらり。
一番奥には鎖で繋がれた古びた剣が飾られていて、その手前にはセシルが言っていた球があった。
球は台の上に乗っていて、金の刺繍がされた赤い布がその球と台を飾り立てている。
槍と剣と、球。それが構成する空間は独特な雰囲気だった。少し緊張してしまう。
用意された椅子に座ると、球と台の間には紙が敷かれているのが見えた。多分これに結果が書かれるのだろう。
「どうぞ。手を」
言われて、僕はそれに手を置いた。
痛みはない。熱も感じない。ただ、ひんやりとした感触もしない。少しの歪もない球体があるだけだ。
そして、変化は球でなくやはりその下の紙に起きた。
端からどんどん焦げ付いて、その焦げが文字を描いていく。
僕はそれを見ていた。心が躍り、躍り出しそうになるのを必死に抑えていた。
それが、僕の人生を決定づけるとも知らずに。
『レベルディーラー』
この文字が紙に焼かれた瞬間、僕の人生ががらりと変わった。