出会いから結婚までの道のり
ご訪問ありがとうございます。
今回は、3話完結です。
宜しくお願い致します。
こんなふしだらな生活をしてから約半年以上が経過していました。
京香さんの衝撃的な告白にも頭を悩ましました。
私は、Brianとはバーで会話をしただけだったし、SMプレイ好きだなんて見えなかったのですごく驚きました。そんな事を聞いてしまったので、Brianに会わないようにしないと・・・と思いました。
こんなにも自分自身を大切にしない女を「嫁にしてくれる男性はいない。」と思って落ち込みました。
色々なアメリカ人男性との短い付き合いを繰り返していくうちに英語はある程度上達しましたが、この悪縁を振り切り、自分なりに更生しようと心に誓いました。
もう、2度とあのバーには行かない事を決めました。
それで、当時H駅のロータリー付近にあった英会話教室の基地の中にホームステイが出来るプログラムに参加しました。
紹介して貰ったお宅は、家族構成がアメリカ人男性のご主人とフィリピン人の奥様にお嬢さんが2人いる4人家族でした。ご主人は、出張中の為不在で、フィリピン人の奥様と色々な話をしました。
たった2泊3日のホームステイでしたが、奥様の温かなおもてなしに感激しました。
昼間は基地内のレストランで食事をしたり、公園でお嬢さん達と遊んだりしました。
公園で遊んでいる時に、アメリカ軍人と結婚をした日本人妻の方々が偶然いらしていて、少しだけ会話もしました。気が合ったので連絡先の交換もさせて頂きました。
ホームステイ先での最終日前夜に奥様と2人だけで、お茶を飲みながら話す機会がありました。過去の私の行為も奥様に打ち明けて、私は女性として恥ずかしい行為をしていた事も告白しました。
それで、「本当に好きになった人しか体を許してはダメですよ。知り合ったばかりの男性と体を重ね合わしても、それはあなたをトイレ扱いをしているだけ。初めはお互いに興味を持った異性に対して、自分の事を知って欲しいとか、もっとあなたの事を知りたい、と思うのが普通だからね。直ぐに体を許してはダメなのよ。」とアドバイスを貰いました。
私の基地内でのホームステイをした経験は、精神的に成長できたと思いました。
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数日後、公園で知り合った日本人妻の亜紀さんから連絡を頂いて、H駅で待ち合わせをしました。
日本の保育士の資格と幼稚園教諭の資格を持っていることを話していたので、数時間ほどベビーシッターを頼まれました。
その後も、亜紀さんが色々な人に口コミをしてくれたお陰で、アメリカ人のお子さんもベビーシッターをする機会がありました。
基本的にベビーシッターを基地内で頼むのは女子中高生で夕方からの数時間ほど頼む事が多いらしいのですが、私は成人しているし、時間的にも深夜まで引き受けていたので、結婚記念日や夫婦2人だけでデートしたい時は、時間を気にしないで楽しめるからと需要があった様で基地関係者の様々な人に頼まれるようになりました。
交流の輪が広がって、基地内に住んでいる米軍関係者の方々とも顔見知りになった方々も大勢いました。
ホームパーティやBBQ大会などに誘われたり、基地内にあるOクラブやEクラブのビュッフェスタイルの食事会にも誘われたりしました。
仲良くなった人達に基地内のボウリング大会にも数回程誘われました。
子供の誕生日会でボウリング場でパーティする時も、招待をして頂いた事が多々ありました。
そんな中で、アメリカ女性の友人 Christinaに「あなたに紹介したい人が居るんだけど・・・会ってみない?」と言われました。私は、「もちろん、会います。」と言って紹介をして貰いました。
彼女の家庭は、彼女が軍人でご主人が民間人、2人の間に4才の息子さんが居て、私が何度かベビーシッターを引き受けた事が縁で親しくなりました。
水曜日の夕方にChristinaとH駅で待ち合わせて、基地内にあるボウリング場へ連れて行って貰いました。ボウリング場に到着して、中に入ると彼女の息子のAllenとご主人、そして紹介相手の彼 Anthonyがいました。
彼は、身長180㎝の中肉中背で、手足が長く、手が大きくて指も長く手先が器用そうな感じを受けました。
目が大きく青い澄んだ瞳をしていて、キリっとした顔だちのハンサムな白人男性でした。
彼も子供好きで時々Allenと遊ぶ為にChristinaの家に来るとか・・・。
私も子供好きだから、話が合うかも知れないと、この機会を作ってくれた事を知りました。
大人4人とAllenとでボウリングをして楽しみました。
その後、ボウリング場内にあるタイ風レストランで食べ物を注文してくれて、皆で食事をしながら会話を楽しみました。Anthonyとは、気が合いました。
お互いの連絡先の交換をして、初のボウリング・デートはお開きになりました。
この時、私は24歳で彼は26歳でした。
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私も彼も交際を意識しながらも、まだ友達感覚の方が強かったと思います。
何度も健全なデートを重ねました。東京ディズニーランドに行ったり、サマーランドに行ったり、基地内のボーリング場で遊んだり、Christina夫妻の家に一緒に遊びに行ったり、春の桜の時期になると花見をしながらBBQをしたりと本当に楽しかったです。
お互いに相手をもっと知りたい、自分を知ってもらいたい、という気持ちが強くなってきました。
でも、彼は、私にすぐに手を出そうとはしませんでした。私をとても大切にしてくれました。
そして交際開始から1年が経過しました。
ある土曜日のお昼に、彼と基地の中にあるレストランで食事を終えた時に、きちんと結婚を前提として交際をして欲しいと申し出がありました。その後、彼が住んでいる寄宿舎の1室へ来てほしいと言われて彼に付いて行きました。単身者専用の寄宿舎が並んでいる棟へ一緒に行き、彼の部屋の前に到着しました。
以前にも1度だけ独身用寄宿舎の部屋には行った事がありましたが、全く別の棟で部屋のタイプも違いました。
彼の部屋は、約10~12畳くらいの広めのワンルームで、右側の壁に頭を向けてダブルサイズのベットが1台置いてあり、3人掛けのソファがベットに対して左側の壁に背を向くようにピッタリとくっ付けて置いてあり、その間を通ると窓際に勉強机と本棚が置かれていて、大きなクローゼットの隣に小さな冷蔵庫の上に電子レンジが置いてある質素な空間でした。浴室とお手洗いが一緒のユニットバスが備え付けてありました。(都内のビジネスホテルの広めの部屋のような感じでした。)
初めての彼の部屋に招かれた時には、感激しました。
部屋の中に赤色と白色の風船でデコレーションしてあって、1番大きい風船がハートの形でピンク色していて、真ん中に「Will you marry me.(結婚して下さい。)」と印刷表示で書いてありました。
そして、赤いバラの花束がベットの上に置かれていて、ベットの傍に近づいた時に彼がポケットから指輪を取り出して、片膝を着いて「Will you marry me.(結婚して下さい。)」とプロポーズをしてくれました。
私は「Sure(喜んで)」と答えました。
そして彼は私の右手の薬指に指輪をはめてくれて、優しく抱き寄せて私の額にキスをしてくれました。
彼が私の両親に会いたいと言ったので、その場で自分の携帯をカバンから取り出して母に電話をして「これから、家に帰るけど会って貰いたい人がいるんだけど・・・。」と伝えました。
赤いバラの花束を彼から受け取って、一緒に彼の運転する車で私は彼と一緒に自分の家に向かいました。
彼は、私と出会ってからのこの1年間、独学で日本語を勉強してくれていました。
片言の日本語ではありますが、両親との会話では通訳なしでも大丈夫になっていました。
難しい日本語は、まだ解りませんが優しい日本語で話せば理解が出来るようになっていました。
自宅に到着した私達は、両親と向き合ってリビングルームのソファに座っていました。
彼は真っ直ぐ私の両親の方を見ながら「私のナマエ ワ、アンソニー デス。カノジョとシンケンにコウサイしてます。今日、カノジョにプロポーズしました。ワタシタチのケッコンをミトメテクダサイ、オネガイシマス。」と言った後に私の両親に軽く頭を下げていました。
母が「プロポーズをOKしたの?」と私に聞いてきたので、右手の薬指が見えるように甲を両親に向けて自分の顔辺りで婚約指輪を見せびらかすようにしながら「うん、そう。」と言いました。
父は、無言のままテーブルの上にあった新聞紙を広げて、こちらには無関心を装ったままでしたが、母が「良いんじゃない?頑張ってね。」と言ってくれました。
彼に「母はOKだって。でも父が・・・今日は取り敢えず、帰ってまた次回会って話をしてみよう。」と伝えて彼を玄関まで見送りました。
彼が帰った後に、「どうしてあんな態度したの?」と父に聞きました。
そしたら、「どこの国の奴だ?」「何歳だ?」「交際って何年付き合ってるだ?」「日本で何の仕事してるんだ?」「収入はいくらだ?」「酒・タバコは呑むのか?」と質問攻めに遭いました。
それらの質問に全部私が答えました。
「俺が許さんと言っても、お前は奴と結婚する気満々なんだろ?・・・・勝手にしろ。」と父は捨て台詞を言って、奥の部屋に引っ込んでしまいました。
それを見た母が「大丈夫よ、お父さんも少し驚いただけだから。お母さんに任せて、ね。」と言ってくれました。
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それから、彼とは結婚に向けての準備が始まりました。
彼が婚前旅行で2泊3日で京都・大阪に行きたいと言ったので、それに同意して京都に1泊、大阪に1泊の旅行に行きました。
京都では、金閣寺や由緒あるお寺回りをして、日本の旅館に宿泊しました。
大阪では、USJに行きアトラクションを楽しみました。
そして、大阪で宿泊したホテルで彼と初めてHしました。
彼も初めてでは無かったらしく、以前交際した彼女との思い出話を少しだけしてくれました。
私は、彼に自分の過去を離せませんでした。あんな過去を話したら彼の気持ちが冷めえてしまうと考えたからです。
その夜は、2人でお互いの傷を舐め合うようにして過ごしたかも知れません。
婚前旅行から東京に戻って来てから、彼は私に既に自分の上司に結婚の承諾を得ている事を告げられました。そこから、私の戸籍謄本を日本語から英語に翻訳して貰ったり、マレッジカウンセリングを受けたり、健康診断を受けに行ったり、歯科検診を受けたり・・・とスケジュールが組まれていて忙しかったです。
約3か月間ほど掛かって、全ての工程を終えて、彼の上司からの承諾書を持参して市役所へ行き、婚姻届けを提出しました。その戸籍謄本を日本語から英語に翻訳して貰って、アメリカの婚姻証明書を発行して貰いました。
私のミリタリーIDを発行して貰いに彼と一緒にパスセクションへ行きました。
それから、住居を探しに基地内の不動産屋らしき場所に彼と一緒に行きました。
私たちの新居は、基地内のタワービルの1室で、3KDKの広々としたアメリカンスタイルのマンションでした。
2人の住居が決まり、今度は私が基地の中で運転が出来るように運転免許交付の事務所へ向かって、半日の講習を受けて、免許証らしき証明書を発行して貰いました。
彼が長期休暇を貰って、一緒に彼の実家があるメリーランド州に向かいました。
軍人関係者が利用出来る飛行機でMac Flightと言う基地から基地の間を飛行している軍用機を利用して日本からアメリカへと長い旅が始まりました。
片道3~4日間も掛かる場合があるとかで結構大変な移動でしたが、初めての体験で楽しかったです。
彼の実家で彼のご両親と兄弟や親戚に歓迎されて、数日後に小さな教会で結婚式を挙げました。
約2週間程の滞在期間でしたが、とっても気さくなご両親と彼の兄弟に会えて充実した日々を過ごせました。
日本に帰国後、私の両親に報告をしたら、母が「日本でも和式の結婚式を挙げたら?」と言ってくれたのですが、日本では2人で着物姿の写真を撮って終わりにしました。
この時、私は25歳、彼は27歳でした。
私は、引き続き派遣やアルバイトで保育士を続けました。
更に、時間がある日はベビーシッターも時々引き受けました。
彼の収入だけでは、貯金が出来ない状態だったので、昼間は働き、夜は基地内のカレッジのESLコースで英語の勉強しました。普段の生活では問題はありませんが、やはり難しい英語の表現になったり、正式な英文の手紙には頭を傾げる事があったので、彼に相談して英語の勉強をすることを決めました。
彼もカレッジで日本語の勉強をしてくれました。
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彼は、なるべく日本での駐留期間が長くなるようにと延長してくれて、私達は2人で力を合わせて貯金しました。結婚してもう1年半が経過しようとしていました。周囲から「子供はまだ?」と聞かれる事が度々あり、彼のご両親にも何度か聞かれました。彼も私も子供好きなので早く欲しかったのですが、経済的なことを考えて子供よりも貯蓄を優先にしてきました。でも、何度も同じ質問をされるのも懲りたので、そろそろ子供を迎える準備をしようと云う決断をしました。
私の27回目の誕生日を目前に、ようやく第一子を妊娠しました。
基地内の病院で無痛分娩を希望して息子を無事に出産しました。
それから、息子を連れて両親に会いに実家にも行きました。父が孫にメロメロで色々と買っては準備をしてくれていて私に手渡してくれるようになりました。
延長願いもそうそう続かずに、夫の転勤の辞令が届きました。
次の勤務先は、薄々アメリカ本土に決まりそうだと分かっていたので、夫と2人で在日アメリカ大使館へ行き私のグリーンカードの申請を済ませました。新居だった住宅を引き払わないとならなかったので、引っ越し準備を済ませた後に夫は先に転勤先へと旅立ってしまいました。私は息子と半年間ほど実家でお世話になりました。
ビザが下りてから、私は息子と2人で夫が待っているフロリダへと向かいました。
色々とありましたが、今は見知らぬ土地で息子と夫の帰りを待っています。昼間は自宅で息子と過ごしたり、近くの公園で遊んだりするだけの毎日です。まだフロリダ州の運転免許を取得していないので、移動は夫頼みで何かと不自由しています。
時々、日本が恋しくなります。環境の変化で精神的に参っています。多分、ホームシックかも知れません。
国際結婚をしてみて、分かった事があります。
日本での生活が1番良かったです。勿論、夫は私と息子を大切にしてくれていますが、何かと夫に頼ってばかりいる自分が許せない時があります。
私の夢が叶って、ハーフの息子を持つ事が出来ましたが、それだけでは今後の将来的なモノが見えなくて不安になります。日本国内での国際結婚生活は何かと都合も良く楽でしたが、海外生活となると話が変わってきます。今後は私にでも出来る仕事を探して少しずつでも貯金をして置かないと、万が一の時が不安で仕方がありません。そして、こちらでも私自身が友達を作れるように努力しないとならないと思いました。
国際結婚の海外生活って精神的にも金銭的にも本当に大変です。
最後まで読んで下さいましてありがとうございました。
米国軍人との結婚に関しては、私なりに調べた記述を参考にして書きました。
詳しい情報は、私には分かりませんので、事実とは異なる場合があると思います。
その点は、ご理解とご了承をお願い致します。
『人生は人それぞれ。』のシリーズになっています。
もし宜しければ、他の作品も読んでみて下さい。
宜しくお願い致します。




