初めての友好祭・横田基地
ご訪問ありがとうございます。
今回は3話完結になってます。
宜しくお願い致します。
私は、現在 フロリダ州のタンパ近隣のブランドン在住です。
日本人とアメリカ人のハーフの8か月の息子がいます。
夢が叶って国際結婚をして、夫の転勤に伴って日本からアメリカに来たばかりです。
夫の職業は、米国軍人で空軍に属しています。
現在はタンパにあるMacDill空軍基地に勤務しています。
夫は30歳で勤続年数が約10年、階級は、Staff SergeantのE5で、給料がそんなに高くはないので贅沢は出来ませんが、アパートなどの住居費用は軍が支給してくれているので、何とか生活はできています。
夫は高校を卒業後、ワシントンDCで一般企業に就職をしたけど、入社後1年しないうちに軍に入隊したと言ってました。
夫と知り合った切っ掛けは、友人の紹介でした。
交際期間約1年を得て結婚しました。
厳格な父で国際結婚に対して何となく反対されましたが、子供が生まれてから父も許してくれました。
しかし・・・ここまでの道のりは、本当に辛い思い出も沢山ありました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私は、両親と兄と4人家族で、普通の家庭で育ちました。
高校を卒業後、短期大学へ進学し、幼児教育学科のある短期大学を卒業と同時に保育士と幼稚園教諭2級免許を貰いました。保育園に就職したのですが、女の園で先輩の先生方と馴染めずに人間関係が上手くいかずに2年半で退職しました。その後は、市役所や派遣会社などに保育士として登録して、パート派遣で児童館や保育園で子供達と関わりを持てる仕事を続けていました。
就職する前は、先輩の先生方との関わりの中で、あんな酷い態度をされるとは思っていなかったので、安心していたのですが、新入社員に対するイジメみたいな行為があった保育園で、本当に苦悩の連発でした。
自分が教育実習(実技研修)でお世話になった保育園や幼稚園、児童養護施設などに就職した方が、その園の雰囲気や先生方の性質も把握出来るので、大体は研修先で良い印象があった園に就職を希望する人が多いのですが・・・。
私の第一希望は研修先だった幼稚園でした。第二希望は、児童養護施設の養護員(保育士)でした。
しかし、どちらも結果は不採用通知だったので、幼稚園と養護員(保育士)を諦めてました。
保育園で働いても初任給は、手取りで約12万円前後と安月給なのに重労働で保育園の就職は希望していなかったのだけど、就職浪人するのも両親に悪いと思って・・・隣街にある保育園の欠員保育士の募集を見て応募しました。
入社1年目は、1歳児クラスの担任の保育士の補佐でした。2年目は、3歳児クラスの担任の保育士の補佐でした。季節の変わる節目の時期になると壁画制作(窓や壁に飾る絵を画用紙で作る作業)は、遅くまでの保育園に残って作ったり、自宅に持ち帰って作ったりします。そんな事をしても時間外労働費は出ません。
新入社員の保育士に1番酷い扱いをする先輩は、入社5~6年目の中堅の保育士で上からも下からも挟まれている状態の人達でした。中堅の立場で後輩 保育士の指導をしながら毎日の保育をしなければならない状態なのですが、その指導に一貫性が無くて、私がその先輩の指導通りに行動をしてミスすると、そんな指導をしてないからあなたが悪いと批判し蔑むのです。そんな事が多発して、私に責任を負わせるように仕向けたのです。
そこの保育園では、卵アレルギーの園児・小麦粉アレルギーの園児が居たので、給食の配膳に大変気を使わなければならないのに、先輩の保育士の不注意でアレルギーの園児に与えてはいけない普通食を与えてしまったのに、私が与えたとか言い出したんですよ。私が直ぐに気が付いて、そのアレルギー持ちの園児から普通食を取り上げたのに対して、私が悪いと言われました。
アレルギー持ちの園児に、誤って食事を与えると呼吸困難で死に至る場合もあるので、本当に大変なことなんですよね。園児は全く口にしていなかったので事故は未然に防げましたが、その場で大騒ぎになってしまったんです。
もう疲れちゃって自己都合で退職しちゃいました。
意外と保育園っていう職場は異質かも知れません。短大時に、同級生が教育実習でお世話になった保育園がハズレだったのか、もう保育士や幼稚園の先生になるのは諦めると言って一般企業に就職した友人も多数いますので、ある意味 職場環境(人間関係)が良い『アタリの保育園』は少ないと思います。
人間関係を省けば、子供達と接することが好きな私は、時給制で責任が掛からない派遣又は、早番・遅番のアルバイトにしました。
アルバイトで勤務した保育園は、在日米軍基地から割と近かったので、アメリカ人の園児やハーフの園児も多数通園していました。
そこで、知り合った子供達との出会いが私の転機だったかも知れません。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
アメリカ人の園児は、既に保育園に通園して3年目や4年目の年中児や年長児で、日本語が流暢に話せる園児が多数いました。
日本人のパパとアメリカ人のママのハーフの園児も、家では英語で会話していても、園では日本語を話せるようになってました。
まだ小さい2歳児クラスの園児は、英語が母国語で、日本語を習得中って感じでした。
ある時、アメリカ人のお母さんがお迎えに来た時に、「今日はどうだったのかしら?」って話し掛けられたのですが、私は英語が全く理解出来なくて、バイリンガルの園児に通訳をお願いしたのですが、その園児が「問題ないよ。」って言ったので、会話も出来ずに歯がゆい思いをしました。
それで、私は独学で英語の勉強を始めました。
自宅で、動画サイトを視聴して英語の会話術を聞き流し、海外旅行の英会話の本を購入して丸暗記をしました。独学でも努力すれば、話せる気がしたからなのですが、実際に日本語から英語にする翻訳が頭の中で出来なくて、全く話せませんでした。
意を決して、貯めたお金でハワイに約2か月間ほど旅行に行き、実際に英語を話せる機会を作ろうと、カイルアビーチ近隣のB&Bに滞在して、毎日毎日英語漬けの状態にしました。
B&Bのご夫婦は、60代後半のご老体で子供達は成人し、独立してアメリカ本土にいる為に、空き部屋を利用してB&Bを経営しているそうです。今まで色々な国の人達がこのB&Bを利用していて日本人も沢山来たと仰ってました。
初めは、ホストの人が言っている事すら理解出来ませんでした。
B&Bに到着後、ご主人が「君に部屋を見せてあげるから付いて来て。」って言ったのですが、私は「しょうゆー?」って感じで全く解りませんでした。それには、ご主人も苦笑いしていました。ご主人はジェスチャーを大きくして私に解りやすいように工夫してくれました。
そのうちに、B&Bのご主人や奥様が話している事が理解出来るようになり、私の拙い英語でも一生懸命に聞いて理解をしてくれるご夫婦に感謝しています。私が言いたい事を正しい英語に直してもくれました。
その甲斐あって、頭の中で英語を日本語に、日本語を英語にと変換しなくても、話せるようになりました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ハワイから帰国後、英語を忘れないようにと、再度、同じ保育園で早番・遅番のパート保育士をしました。
お迎えで2歳の女児のアメリカ人のお母さんが来て「今日はどうだったのかしら?」と聞かれても「彼女は、朝少し泣いたけど、その後いっぱい遊んで大丈夫でしたよ。」と言えるようになりました。そして、会話にも少し自信が付いたので、私も将来的には国際結婚をしてハーフの子供が欲しいと思うようになってました。
子供は、皆 可愛いです。純粋な日本人の子供達も可愛いです。でも、お人形さんのような可愛いハーフの子供や、天使のような可愛いアメリカ人の園児達を見てしまった私は、自分の子供がハーフだったらイイなぁ・・・と憧れを抱くようになりました。
不純な動機かも知れませんが、国際結婚がしたいとの欲望に駆られました。
年に1度だけ夏に行われる在日米軍横田基地の友好祭が2日間開催されていることを知って、中学時代からの友人を誘って初めて友好祭に行きました。
その期間だけ16号沿い近くのスーパーや車屋の駐車場が臨時駐車場を開設して1日2000~3000円で車を駐車出来るようになっていて、その空き待ちで16号沿いは渋滞していました。
1時間程待って、車を駐車出来たのでそこから徒歩でゲートまで向かいました。
ゲートまで向かうベースサイドストリートは人混みで溢れていました。
初めて見た米軍基地内は、日本にあるのに、足を一歩踏み入れると、そこはアメリカでした。
友好祭の期間中だけは、一般開放される入場ゲートが一箇所だけあり、そこで簡単な荷物検査をしてから基地内に入れました。天気も良く日中はアスファルトの照り返しで物凄く暑くて、長時間外に居るのは耐えられない程でした。子供連れで来ていた人達は、早々に帰ったのだと思います。だから、駐車場の回転率が良かったのかも知れません。
基地の中は、一般客が通行できる場所に制限があり、自由に歩き回れませんでしたが、それでも飛行機の格納庫みたいな場所を開放して、ステージがあってステージ上で行われていたイベントを観ました。
ボディビルダーコンテストとか、フラダンスショーとか、日本人の芸能人を招いたトークショウなどがありました。
格納庫の前には滑走路が広がっているのですが、その滑走路には露店が無数に並んでいて、ホットドックやハンバーガー、Tボーンステーキやフライドポテト、アメリカのスナック菓子、コーラーやエナジードリンク(モンスターやレッドブル)、友好祭オリジナルのTシャツ、ワッペン、帽子やカバンなどなど・・・が販売されていました。
私は、Tボーンステーキを友人と2人で1つだけ購入してテント下で2人で分けて食べたり、ヤードグラスビール (ストラップ付で長い花瓶のような形をした容器にビールを注いである)が売られていたので、それを購入して首から下げてビールを飲みました。暑い日差しの中のビールは最高でしたが、直ぐにビールが生ぬるくなってしまうのが難点でした。
露店をウロウロとしてる時に、名刺を配っている年配の人に声を掛けられてその人の名刺を手渡されました。その人は、元軍人でリタイア後に駅の近くで英会話教室をしている黒人の男性でした。
取り敢えず、名刺だけ受け取ってその場を去りました。
色々な航空機の展示がされていたので、友人と2人で実際に飛行機の中を観覧しました。
人混みの中、人気のある航空機は長蛇の列が出来ていて、暑いのに皆さん行儀良く並んでいました。
(これは、日本人ならではの光景だと思います。)どこも大抵1時間待ち状態でした。
当然ながら、米兵が沢山いる場所で迷彩服を着た勤務中の米兵さんと記念写真を頼むとフレンドリーに対応してくれました。
最終日の夜だけ、花火が打ち上げられてかなり盛大な花火でした。
花火が終わると、徐々に人が帰るので物凄く混雑しました。16号沿いの駐車場まで歩くのに1時間半も掛かりました。その間、見知らぬアフリカ系の外国人に日本語で声を掛けられたりの珍道中もありましたが、友人と2人でずっと無視して車に乗り込んで逃げました。
最後まで読んで下さってありがとうございました。
2016年の横田基地・友好祭の予定は、9月17日(土)・18日(日)の様ですので、もしご興味を持たれた方は、是非足を延ばして行ってみて下さい。