第9話「魔女は決める」
「いや、美味いぞ全部」
声のした方に顔を向ければ、先程俺が見繕い王子に売ったケーキを口一杯に頬張る金髪の少女がいた。
壮絶な悲鳴を上げ、王子は少女の元へ向かうと箱を持ち上げ逆さまにする。空箱の中を凝視する王子は酷く滑稽だった。
「何で全部食べたんだ!? 馬鹿者!! 城に行ってゆっくり味わおうと!!」
「アジュール、全て美味かった。この茶色いのが一番好きだったんだがコッチも同じ味か?」
ショーケースを眺め、モンブランを指差す彼女の瞳は心なしか輝いているように見える。
先程箱に並べたのは、ガトー・アン・フレーズ、オペラ、チーズケーキ、苺のタルトの四つだ。「茶色の」と言っていたということは、オペラが気に入ったのだろう。事実、少女が指差しているのは茶色のケーキ。しかし、残念ながらそれはモンブランで少女が望むチョコ味ではない。
「それはモンブランだからオペラとは違うかな。多分、君が好きなのはコッチだと思う」
「モンブ……?」
「モンブラン。栗のケーキなんだ。君が好みだと言ったのにはカカオが使われている。
だからきっとチョコレートタルトの方が好きだと思うよ。因みにこれね」
少女の元へ向かいながら説明を繰り出し、隣に立つと同時にショーケースの上方を指差す。俺の指先を辿りショーケースを眺める視線はどこか訝し気だ。
「確かにこれも茶色いが、モンブランとコレは味が違うのか?」
「うん、全然。食べてみる?」
「ああ、金はそのクソ王子にでも払って貰え」
「おい! エディ狡いぞ! 余はまだ一つしか……」
「さっき美味くないって言いましたよね」
「いや、あれは……」
「俺は菓子を馬鹿にされるのが大嫌いなんです。菓子好きの風上にもおけません」
ショーケースからケーキを取り出しながら非難の声を浴びせれば、王子は焦った様子で言葉を紡ぎ出す。一瞥をくれてから、笑顔で少女にケーキを出せば彼女は嬉しそうに受け取った。
「美味い。本当に味が違うんだな。こっちの栗のも悪くない。こんなに甘い栗は、はじめて食べた」
「ああ、コレはマロングラッセと言って栗を甘く煮たやつなんだ」
「そうなのか」
口一杯頬張る少女に頬が緩む。「美味い」と口にしながらも終始無表情の彼女。それでも口の端に食べかすを付けながら食べているあたり口には合ったらしい。
幸せだ。〝美味しい〟と言って貰えるだけで、こんなに満たされた気持ちになる。先程の王子の言葉など、もう気にならなかった。
「先程の話、お受けします」
「何!? 本当か!?」
「ええ、ですが王子が自分から申したこと、お忘れではありませんよね」
「勿論だ。嘘は吐かない」
「では……」
——この勝負、正式にお引き受けします。
そうして俺は城へ赴くことを決めたのだった。
*オペラ:パリのオペラ座がモチーフといわれる、フランスの伝統的なケーキ。コーヒー風味のチョコレート菓子で、ガナッシュやコーヒーのバタークリーム等で層を為しており、表面はチョコレートでコーティングされています。
※モンブラン:栗をふんだんに使った〝白い山〟という名のケーキ。ヨーロッパ・アルプス山脈の最高峰の名を冠しています。