第8話「魔女は怒る」
「クローディ、口を挟むことを許可して貰っても?」
「エディか良いぞ」
どこから現れたのか。金髪の美少女はカツカツと靴音を響かせて俺に近付いて来る。そして己の懐を探り、きらりと光る何かを顔の前に翳した。思わずギュッと目を瞑り身体を強張らせる。
「何をやっている。目を開けて早く確認しろ」
耳を突くのは、ほどよく落ち着いた少女の声。しかし、言葉選びは粗暴で少女というより破落戸のようだった。
恐る恐る瞼を持ち上げれば見た事もない金貨が俺の視界を占拠している。俺はソレが何か分からず暫く眺めていた。
「お前のような下賤の民が目にしたことは無いだろうが、これは王族の護衛を任されている近衛隊隊長の証だ。事実、王家の紋章が刻まれているだろう?
つまり、お前の心配はただの杞憂ということだ。あそこにいる甘党クソ王子は本物の王子で間違いない。私が保証する」
この少女は何を言っているのだろう、と瞬きすれば彼女は呆れたように目を細めた。
「お前が私達の存在を疑っていることくらい分かる。だがな、そんな疑いは杞憂に過ぎないと言ってるんだ。分かったらさっさと覚悟を決めて馬車に乗れ。クソ王子に使う時間はクソほどもないんだ」
「エディ、口が過ぎるぞ。クソクソ言い過ぎだ」
「これは失礼。大嫌いな王子を前にして思わず漏れた本音でございます。ただの戯れゆえお気になさいますな」
「言葉が無茶苦茶だ。それに心の籠ってない謝罪は要らない。時間の無駄だ、といつも言っているだろう」
「謝罪しようなどとは全く思っておりません。私は王子と過ごす全ての時間が無駄に値すると思っております」
「お前を引き留めて至極不機嫌だというのは分かった。少し口を噤んでおけ、命令だ」
「御意」
表情筋をピクリとも動かさない少女は平坦な口調で王子と減らず口を叩きあい。俺の前から退いた。
ふわりと揺れる金糸が俺の鼻先を掠める。陽光をそのまま鏡に映したような金色の髪と瞳に目を奪われていれば、彼女はそれに気付いたようで瞳に軽蔑の色を灯した。
「邪魔が入ったな。では交渉の仕方を変えよう。アジュール殿は〝バニラ〟という植物の鞘を知っているか?」
〝バニラビーンズ〟という言葉が浮かぶ。しかし、この国でのバニラという植物が、元いた世界のバニラである確証などない。
事実、同じ名前の物もあれば全然違う名称が付いていることもある。俺はその問いに答えず王子の言葉を待った。
「コレがまた、嗅いだことのないような甘くて芳しい香りがしてな。是非、菓子に使いたいと思ったのだが、匂いが強すぎる上、生地に混ぜると苦みが伴う。どうにかできないものだろうか?」
特徴だけを捉えれば間違い無いだろう。しかし。
「実物を見てみないことには、なんとも言えません」
「と、言うことは、何とか出来る可能性があるということだな。
では、こういうのは如何だろう。一度城へ趣き、バニラを使って菓子を作る。皆の舌を唸らせることが出来たら、アジュール殿を城に囲う話は白紙に戻そう」
「それは、俺にとって不利では? 人は嘘を吐きます。美味しいと思っても不味いと言うことなど簡単です」
「凄い自信だな。美味しく作るのは容易だと?」
「ここまでくるのに努力しましたから」
「では余だけでいい」
「ですから……」
「余は嘘を吐かん。政に関しては嘘も用いるが今回の件に関しては嘘を吐かない。それではダメか?」
「ダメです」
「何故だ?」
信じられません。そう言ったら俺は処刑されるのだろうか。暫し逡巡するも、いい答えなど浮かばない。
「逃げるのか?」
「そんなつもりは……!」
「本当はそんなに美味くないのかもしれないな、お前の作る菓子は。
美味なのは先程口にした菓子だけで、他はそうでもないのかもしれんな?」
見え透いた挑発だった。わざとらしく唇を撓らせる彼。目を眇め鼻で笑う彼のなんと分かりやすいことか。それでも怒りが湧いた。
口に合わないのなら仕方がない。菓子は嗜好品だ。好きな味。嫌いな味は様々で、それは俺の計り知れない事象。
けれど、口にしてない菓子を侮辱する権利がこの男にあるだろうか。王子だから何を言ってもいいとでも言うのだろうか。
手段は選ばない。国を統べる者にはその残酷さが必要だと聞いたことはあるが、俺が手を掛け、想いを込め、捻り出したオリジナルの菓子を馬鹿にされるのは嫌だった。
〝食べてもいないくせに〟そんな考えが身体中を駆け巡る。俺は奥歯を噛みしめ怒りを押し殺した。一つくらい文句を言ってもいいだろうか。怒りに任せ、口を開こうとしたその時——
*バニラビーンズ:バニラの青い実を収穫して、長時間の発酵と熟成・乾燥を経て香りを引き出したもの。フランディーゼでも、そこまでは出来たが煮出して使うと激しい苦味が伴う為、利用までは至っていない。(バニラビーンズは、縦に割いて種をこそげ出し、鞘ごと煮出して使うのが基本です)
バニラエッセンスを舐めてみると本当に苦いそうです。勇気のある方は是非(私は怖くて出来ません)