第56話「魔女と王子」
クローディの執務室。来客用のソファに向かい合うように腰かけた俺達は、テーブルの上に鎮座したチェス盤に睨みを利かせていた。
チェス盤の上を行き来する駒たちは、ただ己の役目を熟している。そして今まさにクローディが「チェック」と唱えたばかりだった。
「また負けたー!」
「お前弱いな」
「十五分前までルールも知らなかった俺にそれ言うの!?」
「そのように些末なこと余は知らぬ」
「ちょっとは手加減しろよ」
「無理だ。全く、カロンならいい腕前だったと言うのに」
あの事件の日から今日で一週間。カロンは未だ尋問を受けているらしい。詳しい経緯を話してくれるというから、菓子を届けに来たついでに声を掛ければ、俺の言い分など碌に聞かずチェスを強要された。
この国でも同じ名前でボードゲームの一環となっているチェス。皆が出来て当たり前とばかりのそのゲームを俺は一度もやったことが無かった。
元の世界でも友達は居なかったし、相手を要する遊びなんて当然やったことがない。クローディに手解きを受けるも、ルールを覚えるので手一杯の俺が作戦を立てられる筈も無く。三戦三敗。一試合、五分弱という何とも不名誉な成績を残してしまった。
「カロンはどうなるの?」
「本人は『全て話す』と言っておったが、余の殺人を企てたことに関しては固く口止めした。でなければ、その時点で極刑だ。あとはお前に意見を仰ごうと思ってな」
「どういう意味?」
「そのままだ。余としてはカロンに重い罰を与えたくはない。それはサナも同様。けれど、王族が一度それをしてしまえば民に示しが付かないし、今回の被害者は余ではなくリクだ。
だから、刑罰を決めるとまではいかなくとも、お前が彼らをどうしたいか訊きたいと思ってな」
チェス盤を避け、エディに紅茶を注がせたクローディは真剣な眼差しで此方を見据える。
〝罰を与えたくない〟彼からすれば、それは至極当然であろう。彼の『腹違いの兄』にあたるという事実には衝撃を受けたが、二人の話ぶりから察するに仲は良かっただろうし、お互いが家族として思い合っていた。
俺からすればカロンの行動は理解し難いし、命を狙われたという点では若干恐怖を抱いたのも事実だ。まさか殴られるとも思っていなかったし、あの時、激高するカロンに言葉を紡ぐのは正直怖かった。
けれど、彼はやはり優しい人間で、あの行動は彼の弱さが招いてしまっただけ。ただ、道を踏み外したに過ぎない。暫し逡巡し俺は口を開いた。
「俺は……カロンに罰を与えなくてもいいと思ってる」
「何故だ」
「不安定な精神状態だったわけだし、俺は全く被害を受けてない。あの日、そんなことがあったって知ったくらいだしね。それにカロンの育ってきた環境は情状酌量の余地があると思う」
「成る程な」
「でも、これは俺の主観。クローディは王子だからこそ余計カロンを贔屓しちゃいけない。
だから今回は誰も被害者が出なかったって点で、毒を盛ったことに関しては、きつく取り締まる必要はないと思う。未遂だったわけだし。けれど殴ったことに関しては刑を執行するべきかな」
「そうか。それなら二、三年で刑罰は終わるな。良い意見だ。参考にさせて貰う」
「うん」
「余が城に招いた所為で余計なことに巻き込んでしまった。すまない」
「もういいよ。それに今更だし」
「確かにそうかもしれんな。勝負はお前の勝ちだ。余は魔女のお前を利用しないと約束しよう。それと、詫びとして一つだけ望みを叶えてやろうと思っておる。何か思いついたら申せ」
「分かった。ところで城の大魔女はどうなるの? サナさんは捕まったし、俺は城を出る。リンにするの?」
「それがなぁ……リンでは少々心許ない。新しい人間を探すしかないだろうな……」
「じゃあ、望み、今言ってもいい?」
「構わないぞ? なんだ?」
「俺を城の大魔女として雇って欲しい」
「それは……構わないが……お前はそれでいいのか? あんなに城を出たがってたのに」
俺の言葉に瞠目したクローディは、肘掛に預けていた身体を起こし問うてくる。その瞳は心なしか輝いていて動きもそわそわとしていた。
「リンだけじゃ可哀想だろ。だから後任が見付かるまでの期間限定な」
「ああ! 助かる! これでお前の菓子が暫く食せるな」
若干前のめりになり、歓びを露わにするクローディのなんと無邪気なことか。本当に甘党なんだな、と心の中で呟き苦笑を浮かべた。
そんな彼のやや上方を仰げば、そこには目を瞬かせるマディと微笑を浮かべるエディがいる。二人にニッコリ笑いかければ、柔らかな空気がその場を包み込んだ。
「ということで、まだもう少し宜しくな。エディ、マディ」
「ああ。此方こそな。たまには執務室に顔を出してクソ王子のケツでも引っぱたいてくれ」
「それは面倒だな……」
「もう少しの間、宜しくお願い致します。リク様」
「うん。マディもよろしくね」
和やかに会話を交わしたのは麗らかな午後三時過ぎ。おやつの時間に添うような、楽し気な空間で俺は笑みを深めていた。