第49話「医者の毒」
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俺を助けてくれたのはクロだ。恩は忘れていないし未だ感謝している。しかし、それと同時に俺の憎しみもまだ昇華されてはいなかった。
俺が王の落胤だなんて明かせるわけもなく、王子の推薦ということで召し抱えられた。どうやらクロの周りに居る者達は殆どがそうらしく、初めは心配した城での生活も、そんなに悪いことにはならなかった。
まだ免許を持っていない俺に下された始めの命は、一か月後の試験で医師の資格を取ることだった。まだ資格も何も無い俺では城医と名乗ることも許されない。猛勉強が課され、その他の時間はクロと共に過ごした。
一ヶ月、共に生活して分かったことがある。彼が非常に優秀であり、馬鹿であること。
馬鹿と言えば語弊があるが頑愚な性格は問題が多い。「ああ、こういうところが王子だ」そう思う俺は殺意を募らせ、張り付けた笑みの裏に隠し続けた。
表面上は仲が良かっただろう。エディちゃんとマディちゃんとクロの関係も三日も見ていれば把握出来たし、エディちゃんとクロの仲の悪さなんて一目瞭然だった。二人の喧嘩を仲裁するのがいつの間にか俺の役目になっていて、そのどちらと距離を詰めるのも難しいことでは無い。
居心地はけして悪くなかった。母さんと作った家族と形は違えど、こういうモノもあるのだろう。新しい家族を、俺は受け入れつつあった。
けれど、心の奥底で燻る憎悪は消えてくれる気配など無い。はじめは我慢できなかったら彼を殺してしまえばいいと思っていた。彼は俺を兄と思っているようだが、俺はそうじゃない。憎き敵として、寝首を掻いてやろうと思っていたのだ。
なのに、共に過ごすうちに馴染んでいく自分はそれを忘れていった。王族に対する憎悪は消えないのに、彼への殺意だけが薄らいでいく。自分の感情が分からなくなって、これでは駄目だと思った。王族と馴れ合うだなんて母さんに対する裏切りだ。これ以上、一緒に居たら絆されるのは時間の問題。そう気付いた時、俺は彼を殺す決意をした。
はじめは王族なら誰でもいいと思っていた。あわよくば王を殺したい、とさえ。けれど、ふと浮かんだのは、王を殺したところで、この憎しみは解消されないのではないかという考え。
そこで思い付いたのは、王の〝大事な人〟を殺すことだった。それならば俺と同じ苦痛を味合わせることが出来るし、王を殺すより身近にいるクロを手に掛ける方がよっぽど簡単だ。
医者の資格を取り、彼に祝いの言葉を貰っている最中。俺は今迄の礼に自分が茶を淹れる、と申し出た。勿論、それは彼を殺す為の行動。
クロの計らいでエディちゃんもマディちゃんも近くには居なかったし、信用しきっている彼に毒を盛るなど造作も無かった。
これで終わる。彼が紅茶の薫りを堪能する間。俺は一様に「早く飲んで死んでしまえ」と思っていた。
「本当に良かった。まさか本当に一ヶ月で資格を取るとはな、脱帽だ」
「ありがとう。クロのお陰だよ」
「ところでカロン。コレは何の戯れだ?」
「ん? なんのこと?」
「余の紅茶に毒を盛っただろう? どういう意図だ、と訊いている」
先程の朗らかな表情を消し事務的に彼は訊ねてきた。淡い群青の双眸に感情は読み取れず、彼の言葉に鳥肌を立てる。背筋は粟立ち額には冷や汗が流れた。
この事態を想定していなかった俺は当然狼狽する。けれど、笑顔の裏にそれを隠し必死で取り繕った。
「なんのこと? 俺がそんなことするわけないじゃん! クロも人が悪いなぁ!」
「お前がやったことじゃないと?」
「当ったり前じゃ~ん!」
何故、一口も飲んでいないのにばれたんだ。そんな疑問が脳内を占拠する。どう言い逃れすればいい。考えを纏めなければいけないのに焦りばかりが先行する。それがまた動揺を誘い指先が冷たくなった。
「兄上、戯れならもう少し上手くやりませんと。この毒は香りが微量ですが流石に分かります。ハーブティーに混ぜるなりしないとすぐ分かってしまいますよ」
何故この状況で俺を〝兄上〟と呼ぶ。彼がテーブルの上に置いたカップが微かな音を立てる。それにすら過剰に反応してしまう己に嫌気が差した。
自分の身体が震えているのが分かる。カチカチ、と音を鳴らす歯が憎くて仕方なかった。これでは「自分がやりました」と言っているようなものだ。震える身体を諫めることも出来ない俺は、どこかで諦めていた。
「そうだよ! 俺がやったんだ~、まさかばれるなんて思ってなくて。ま、安心してよ! 飲みそうだったら止めるつもりだったからさ~」
最後の笑みだった。無理矢理笑顔を作り、無理矢理言い訳を紡ぐ。苦しいのは自覚済みだ。俺の残念な頭では、もうこれ以上の手立てが思い付かなかった。頭の良い彼のことだ。あっさり見破られるのが関の山だろう。
「だろうな。お前が余を殺す謂れはない。たまにこういうのはよい。暗殺への心構えになる」
クツクツと笑んでいる彼が俺をどうするつもりか全く分からなかった。
暗殺だ。俺は今暗殺しようとしたのに、彼は〝戯れ〟でコトを済ませてしまった。
もしかしたら後でお咎めがあるのかもしれない。そう怯えていた俺は肩透かしを食らう。何もないことが不思議で不思議で堪らなかった。