第43話「医者の後悔」
俺は酷い人間なんだろう。母の教えを裏切り、弟を裏切り、仲間を裏切り。人を救うこの手を、人を殺める為に使ってしまった。
けれど、後悔はしていない。血塗られた王族に、少しでも歯牙が立てられたのだから。否。これは嘘だ。本当は後悔している。しっかりと爪痕を残せなかったことを俺は悔いていた。
俺が生まれたのはスラム街の小汚い屋根の下。母さんは風除けもまともに出来ない自宅でたった一人、俺を産み落とした。城に比べたら小屋とも言えないほど些末な家。それでも当時の俺にとって母さんがいるだけで、そこは帰るべき場所だった。
物心付いた頃に、母さんがスラムの住人を無償で治療していることを知った。とは言っても、母さんは医者ではない。元看護師だったらしく、医者のような本格的な治療は出来なかった。それでもスラムに医者は居ない。自然と集まってくる人達は、皆、一様に母さんの助けを求めた。
別に無償で治療を施していたわけではない。それでも払う金もない住人達は治療費を止む終えず踏み倒す。親子二人暮らせないほどの金繰りに母はいつも頭を悩ませていた。
「ゴメンね……お腹空いたでしょう」
「ううん! 大丈夫!」
俺の痩せ扱けた頬を包み込み眉を寄せる姿に、俺はいつも胸を痛めていた。
母さんは悪くない。お金が無いのが悪いのだ。なのに母は、いつも自分が悪いかの如く腹の虫を諫めることの出来ない俺に謝る。それが酷く心苦しく、腹が空かない身体だったらいいのに、と当時五歳の俺は思っていた。
「母さんは悪くないよ! おじさん達もおばさん達も、母さんは偉い人だって言ってる! 俺の友達も優しい母さんでいいな、って言うんだよ! だからね、俺が母さんを守るんだ! お医者さんになれば、お金が一杯もらえるんだって! 俺、絶対お医者さんになるから、母さんは看護師さんやってね!」
「カロン大好き!」
「俺も母さん大好き!」
夢の話をする度、母は嬉しそうに俺を腕に抱く。人の身体を治す手は俺に触れる時一層優しくなる。貧乏だったけれど母さんが居れば気にならなかった。
腹は減ったけれど何とか凌げたし。寒い日は、いつもより母さんにくっ付いて寝た。暑い日は暑いねって話をして、患者さんの病気が治った時は二人でハイタッチを交わした。
助けられなかった日は母さんの腕の中で二人で涙を流し、野に咲く花を摘んできて飾るのが常だった。〝亡くなった方のご冥福を祈るのよ〟そういって泣くのを我慢して笑っていた母を俺は今でも尊敬している。
一人で何でも出来るような年頃になると、俺も仕事に出て金を稼ぐようになり生活は大分楽になった。母さんが持つ医療の知識を学び、なけなしの金で買った医学書が擦り切れるまで読み返す。暫くして現実が理解出来るようになると、俺は医者になるのにも免許がいると知った。勿論その為には金が要ることも。
結局、世の中全て金なのだ。どれだけ頭が良いとか、どれだけ努力したとか、そんなことでは無い。まず、金がないとスタートラインにすら立たせて貰えない。それが酷く悔しくて、哀しくて、この国が恨めしく思えた。
それでも母さんと誰かを救う度、医者になりたいという想いは日に日に増していく。けれど、あらゆる面でそれが無理だと分かると俺は必死に働いた。医者になるのを諦めたわけではない。それでも、母さんに楽をさせる方が俺にとっての優先事項だった。
成長した俺は誰かが亡くなる度に涙を流すことは無くなったけれど、母さんは未だに故人を悼んで頬を濡らしていた。薬さえあれば。そう悔やむ母の泣き顔を見るのが嫌で、俺は治療に必要な物を工面する為、仕事を増やしていった。