第38話「魔女と修羅場」
「『サナさん、すみません。お腹が一杯なので食べれません。デザートがくることを知らなかったもので……あとで食べるので部屋に持って行っても構いませんか?』と言っている。
悪いな、サナ。彼女は小食で、普段もあまり食べないんだ。デザートがあることを知らせなかった私のミスだ。心から詫びよう」
「一口で構わないので、どうか感想をお願い出来ませんか?」
「『あと一口でも食べたら戻してしまいそうなので……ごめんなさい』と言ってる」
「良いではないか一口くらい。サナも後学の為にと言っている。人には別腹なるものがあるしな」
(お前はちょっと黙っとけ!)
追い打ちを掛けるように、ニマニマと気味悪い笑みで声を掛けてくるクローディに悪態を吐き冷や汗を流す。思いの外食い付いてくるサナさんは、どうしても俺に菓子を食べさせたいらしい。
「王子も仰ってますし、一口だけでも」
もう頭を下げるしかない。身体を彼女の方に向け、座ったままとはいえ俺は誠心誠意、頭を下げた。
「サナ、アジュールも申し訳ないと思っている今日のところはこれで勘弁して……」
「何よ……!? 私の菓子が食べれないって言うの!? 自分が作る物以上に美味しい菓子はないから、お前のなんて口に出来ないってこと? 馬鹿にしないでよ!! この城の大魔女は私よ!! 小娘が偉そうにしてんじゃないわよ!?」
「サナ様、王子の御前です! お鎮まりください!」
金切声を上げる彼女を近くに居たメイドが必死で宥める。それでも止まらない彼女の口は荒い呼吸を携え、怒りを顕わにした。
「うるさい! アジュールの魔女だかなんだか知らないけど、早く出てってよ! 私だって菓子作りに命を掛けてるの!! 一生懸命作った菓子を嘲笑う小娘なんて大っ嫌い!!」
嘲笑ったつもりなんて無かった。髪を振り乱し、涙の膜を張ったワインレッドの瞳が怒りを宿して此方を睨み付けてくる。
作った菓子を食べて貰えない侘しさ。不味いと言われた時の悲哀。分かる。痛いほど分かる。矜持を持って誠心誠意、手を掛けた菓子だ。何が悲しいのか俺には一番分かる。食べて貰えないことが何よりも心に刺さるということが。
一度、深呼吸をし。「大丈夫」と自分に暗示を掛ける。彼女の方に向けていた身体をテーブルの上にあるグランケーキに向き直し、俺はフォークを手に取った。
「おい、アジュール……何を……」
目を瞠り此方を眺めるエディに向かい。口を開いた。
——大丈夫。
読唇術を心得ている彼女にしか分からない言葉。俺は呼吸を止めて、一口大に切り分けたケーキを口に運んだ。
味合わなければきっと大丈夫。彼女の意思に添うことは出来ないけれど、食べて欲しいという彼女の願いは叶えてあげられる。
結果から言うと大丈夫じゃなかった。
吐瀉物を巻き散らした俺は今後どうやって城の中を歩けばいいのだろう。消えたいほどの羞恥心で一杯だ。いっそ消えてしまえたらどんなに楽だろうか、とベッドで横になりながら俺は虚ろな目で天井を仰いでいた。
「アハハハハ!」
与えられた自室のベッド脇で高らかに笑い声を上げる男が一人。
「ブヒャヒャヒャ!」
いや、その後方で不細工な笑い声を上げ腹を抱えている男がもう一人。
「お願いだからどっか行ってくれないかな。俺、心が折れそうだから」
ゲラゲラと笑い。目尻に溜まった涙を拭う男二人を力なく睨み付ける。ベッドに横たわった俺を笑い者にしているのは、寝室に運んでくれたクローディと診察をしてくれたカロンだった。
当然、この部屋には王子の護衛であるマディと、俺の護衛であるエディもいる。女達は二人仲良くドア前で姿勢を正しているというのに、この男達は俺の特異体質……もといい不幸体質を嘲笑っていた。
「すまない。知っていればあんなこと言わなかったんだが、エディも何も言わんし」
「私にも話さなかったくらいだ。知られたくないんだろうと思って言わなかった。まさか、あそこで食べて吐くとは思わなかったがな」
「ホント凄いわ、リク君! なんで食べたの?」
「というか、お前そんな体質なのに魔女になるとか、よっぽど菓子作りが好きなんだな」
「サナさんが悲しそうな顔したから……それに好きじゃなきゃ、やってらんねぇよ」
「リク君、イッケメン!!」
「嘔吐したからマイナスになったけどな!!」
「エディ、この二人ヤッちゃっていいよ」
「了解、リクの命だ。二人ともご愁傷様」
エディの拳骨を食らう王子なんて天然記念物だな、とベッドから皆を見る。散々騒いだ後、冷静になった二人は「お前男だな!」と言ってくれた。
思わず笑みを零した俺はその時〝友達っていいもんなんだな〟と強く思ったんだ。