第3話「魔女は話さない」
「アジュールの魔女なる者は貴様か?」
俺の店は木造の温かい家だ。自宅も兼用しているのであまり大きくはないが、木漏れ日が差し込む光溢れる店。
木造りのドアを乱暴に開け放ち、暫し物色した男は藪から棒に問い掛けてきた。
見た事ない顔だ、そう思ったのは数分前までの話。来客を告げるベルが鳴り響き俺は店先に顔を出した。
本来ならば売り子が店番でもやっているのだろうが、全て一人で切り盛りする俺に売り子を雇う余裕などない。仮にあったとしても自ら懐に誰かを招くような真似はしないが。
ローブを目深に被り、レジの前に腰を下ろす。闖入者は身形の良い青年で、とても菓子に興味があるようには見えなかった。
それでも物珍しそうに焼菓子やショーケースの中のケーキを眺めている男は買う気があるらしい。じっくり吟味しているかと思えば、突然、顔を上げた男は再び口を開いた。
「口が利けないとはあったが耳も聞こえないのか? それでどうやって店をやっている?」
沈黙を肯定と受け取ったらしい。男は唇を真一文字に引き結び俺の返答を待っている。
意図が分からぬ質問だが、答えぬわけにもいかない。俺は懐からメモ帳を取り出し文字を書き連ねた。
【耳は聞こえます。申し遅れました。アジュールの魔女は私です。何か御入用ですか?】
差し出したメモ帳を訝し気に眺め、次いで男は「そうか」と漏らす。
フードで良く見えなかったが本当にいい身形の男だ。詰襟のシャツに、所々刺繍が施されたスラックス。漆黒のクロークは艶々と輝き、一目見ただけで高級な生地で認められた物だと分かる。歳は十八前後だろう。どこか気品を漂わせた男は貴族なのかもしれない。
しかし、整っているのは身形だけではない。顔立ちも端正だった。少し長めの前髪が特徴の清潔に整えられた烏の濡れ羽色の髪。漆黒から時折覗くコバルトブルーの瞳。通った鼻梁。
それだけならばなんてことない美青年なのだが、常に意地悪く歪む唇が男の性格を表しているようだった。
「ココは御前一人で切り盛りしていると聞いた。本当か?」
コクリと頷けば男は楽しそうに唇に弧を描く。
「こんなに沢山の果実を用い赤字にならんのか? 随分安価ではないか。それに見た事も無い華美な雰囲気の菓子ばかり。魔女殿の出身はどこだ?」
【菓子は基本上質小麦を使います。有名店や貴族の方の料理番なら一等粉を。一般の菓子店、パン屋なら二等粉を。ですが私は三等粉を使っているんです。より多くの方に食べてもらいたいので。
出身は町はずれの小さな村です】
「ほう……粋な心意気だな。御前の村ではこういう菓子が主流なのか?」
【いいえ。これは全て私のオリジナルです】
「これ全てお前が考えたのか?」
先程まで興味深そうに話をしていた男が目を瞠る。実際には全てではないが、この国の菓子と俺の作る菓子では殆ど物が違う。オリジナルと言っても大差ないだろう。
この国——フランディーゼでの菓子は質素なものが多い。時代背景が大きく影響しているのだろう。十九世紀の北欧の雰囲気が一番近いこの国では、貧富の差もそれなりにあった。
俺の生まれた家は食べるのに困らない一般家庭ではあったけれど、けして金持ちでは無い。菓子は贅沢品であるし、そうそう作りも買いもしなかった。
店で売られている菓子は所謂ドイツ菓子に近かった。家で食べる素朴な菓子。パウンドケーキに似た長方形の〝グランケーキ〟というものが主流で、少し華美な物になればクリームが塗ってあり上に少しの果物が飾られている。しかし、一気に値段の跳ね上がるそれは、けして安易に手は出せなかった。
誕生日を祝う習慣はこの国でも同じで、そういった贅沢品は祝い事に用いられる。
ケーキを小分けにして売る、という発想もないらしく。どれもこれも大きなケーキばかりが店先に並んでいる。それもあって〝菓子は高級な物〟というイメージが定着していた。
けれど、俺は自分が作りたい物を作った。昔のケーキ屋のようにフルーツで盛り付けを行い、華々しく、見目も良く仕上げる。
勿論、小分けにして売り出せばそれだけ安価で済む。一人一個が主義の俺のケーキ屋は、それだけで話題になっていた。