第2話「魔女に女装」
この国で菓子職人は〝魔女〟と言う。
そして文字通り、菓子に携わる事を赦されているのは〝女〟だけだった。
逆にパン職人は〝男〟しかなれない。けれど、この世界でパン職人を〝魔法使い〟とは呼ばなかった。
そこで俺はやっと気付く。母が、菓子作りに携わることを許してくれなかった、本当の意味を。一人で菓子を作っていた俺を見つけて、泣き崩れた母の心持を。
全ては俺が〝男〟であるが故。嘗て日本に居た時も、異世界に来てからも俺はずっと男だった。
もしも男が菓子作りをしてしまった際は、悪意の有無で法を用い裁かれる。
悪意が無ければ刑罰を。悪意が有れば処刑を、ということらしい。
つまり、菓子作りをすれば何かしらの罰を受ける。けれど、俺にとって菓子作りが出来ないなんて死刑宣告も同然だった。
五年だ。とても長く永遠にも思える五年。菓子作りをする為と言語を磨き、レシピを忘れまいと書き溜めた五年。
それを〝死刑〟になるからと言って止められるか。答えは否である。
菓子作りが出来ないなんて死も同然。この国は死の国だ。ならば、例え死んでも俺は菓子が作りたかった。
もう一度、あのキラキラ輝く夢を売りたい。
そう決意した俺は更に我慢を重ねること八年。両親を説き伏せることに一年費やし、森の中で店を開くことを決意した。
両親には本当のことを告げず、一人立ちしたいから、と適当に理由を見繕ってある。勿論、所在は明かしていない。
男のままでは菓子作りに携われない俺は、女装をした。魔女らしく紺のローブを纏い、特徴的な空色の髪は腰まで伸ばした。より女性らしく見せようと、化粧品だって誂えたし、転生してからの中世的な容姿も相まって、どこからどう見ても女だ。
等身大の鏡の前でクルリと回り、微笑を浮かべる姿は間違いなく美少女である。
転生後の俺は日に焼けない真っ白な肌と、波のように靡く水色の髪、更には深海を映したような海色の瞳が特徴の美青年だった。
転生前の俺は平凡な容姿で、それに比べたら見慣れない空色は違和感を覚えるものの、美しいことに関しては単純に歓びを覚えた。
見た目だけは騙せても、完全に欺けないものが一つある。それは声。十四の自分はまだ声変わりを果たしていないものの、それは既に時間の問題。今はまだ少女と大差ない声音でも、じきに男の声になる。
そこで俺は〝話せない〟少女を演じた。常に鉛筆とメモ帳を持ち歩き、筆談で全てを熟す俺に人々は疑いの目すら向けない。それは何とも言えない優越感を誘い、良い案を思いついたものだ、と自画自賛した。
店を開くには国の許可が要る。その際も、筆談で許可を得た俺は役人に「可愛いのに苦労してんだね」と言われ、あっさり許可証を手に入れることが出来た。
勿論、実技込みの試験だった筈だが、同情を買ったことで甘い審査だったことに変わりはないだろう。
そんなこんなで紆余曲折あった俺の異世界転生だったが、割と平和に、そして順調にコトは進んでいった。
森の中にある一軒家を買い、店を開いた俺に訝し気な視線を向けていた村人達も、今では大切な常連客だ。
客達は稀有な水色の髪を隠したくて、俺がローブを被っていると思っているらしいが、正確には女にしては高すぎる身長をはじめた体躯を誤魔化す為だ。けれど、多くは語らず。俺が理由を語ることはなかった。
そんな客達はこの空色の髪と、海色の瞳を指して俺を『アジュールの魔女』と呼んだ。
語呂が気に入り店名を〝アジュール〟にした俺だが、名を名乗る機会が無かった所為か客は皆、俺を〝アジュール〟と呼ぶ。
店の菓子も見た事のないものばっかりだ、と喜んでくれる村人達は、俺の大切な家族になりつつあった。
夢が売れる。一つ。また一つ。売れた夢は笑顔を舞い込む。俺に優しく触れる。
大好きだった。菓子は、沢山の人々と俺を繋いでくれる。例えここが異世界でも人の優しさは変わらない。
再び取り戻した菓子作りの生活。平和だった。幸せだった。しかし、そればかりではいけないとでも言うのだろうか。
実際、恐らくそうなのだ。だからきっと、こんな男が店に来たのは、ある意味必然。
人生、山あり谷あり、とはよく言ったものだ。俺はこの時そう思っていた。