カウンター
急に一人で飲む羽目になった居酒屋のカウンターで書きました。
焦ってはいない。
しかし、イラついているのは、間違いない。
約束の時間を12分過ぎて、仕方なく、酒のお代わりを頼んだ。
なんで、昼下がりの午後1時半から飲んでる奴が、こんなにいるんだ。そして、このような店が待ち合わせ場所なんだろう。
「へい、熱燗、お代わり一丁」
「熱燗一丁」
店内に、俺の頼んだ酒が連呼される。
『あー、確かに居ましたよ、熱燗お代わりしてる奴が』
なんて、半分ほど埋まった、この店の酔客が覚えていないとは限らない。しかし、
『あー、居ましたよ、酒も頼まずに粘っていた奴が』
と、シラフの店員に覚えられるほうがまずいと判断した訳だ。
自分の商売柄、努めて目立たないように心掛けている訳だが、よりによって、こんな昼から飲めるような居酒屋で待ち合わせとは、エージェントである奴は、なにを考えているんだ。
「へい、お待たせいたしやした、熱燗一丁」
「へい、熱燗一丁」
またも、俺の頼んだ酒が連呼される。個人情報保護なぞ、あってないようなもんだ。
俺は置かれた徳利のクビを摘んで、お猪口へあったかいのを注ぐ。
一口、酒を含むと、一切れ残しておいた燻りがっこを口に運んだ。
この秋田名物の燻された沢庵は、口の中で酒と混じり合って、鼻腔にたまらない香りが抜けていく。
思わず目を閉じた途端、耳元で大きな声がした。
「お下げしやしょうか、空き皿を。喜んで」
「へい、喜んで」
俺は思わず頷いてしまった。
せっかく酒のお代わりが出てきたばかりなのに、つまみの皿すら無くなってしまった。
さすがに空酒では、間が持たない。
お通しの小松菜と油揚げの煮浸しを先に片付けてしまった事を悔やみつつ、一応、「今日の一品」と書かれた押し付けがましいメニューを見る。
トップには「店長自慢のコロッケ」、その次に「定番!一番!鳥唐揚げ」と並んでいる。さらに、「裏のウラ」欄には「たっぷり肉汁!メンチカツ」とある。
店内の客層は、若くて40歳代後半。ほとんどが50歳代後半から60歳代で、明らかに70歳オーバーも見うけられる。
誰が、こんな脂濃いもん頼むんだ、と思い周りを見回すと、全部の卓に「店長自慢のコロッケ」「定番!一番!鳥唐揚げ」「たっぷり肉汁!メンチカツ」のいずれかが載っており、それだけで胸が焼けてきた。70歳オーバーのカップルの卓には、3つとも載っていた。
俺は、壁に貼られた燻りがっこのとなりに、エイヒレの炙りを見つけ、店員を呼んだ。
「あー、エイヒレの炙りを一つ」
「へい、揚げ出し豆腐、一丁」
「揚げ出し、一丁」
なんで、エイヒレが揚げ出しになるんだ。
あー、って言ったからか。
「ちょ、ちょっとお兄さん。揚げ出しじゃないよ。違っているよ」
角刈りの頭がこっちを向く。
「スンマセン、あわてんぼうで。そうですよね、うちにいらっしゃったらこれだ! 直りです。店長自慢のコロッケ、一丁」
「へい、コロッケ、一丁」
「あーちがう、ちがう」との俺の声を背中に、右手にホッピーの中を5つ、外を5つ持った兄さんは、奥の座敷に消えていった。
「へい、こちらから失礼します」との声とともに、一抱えもありそうな毛むくじゃらな大きな腕が、カウンターから伸びてきて、からりと揚がったコロッケが目の間に置かれた。
明らかにちがうオーダーが出されたことに文句を言うか考えた。
『エイヒレが揚げ出し、揚げ出しがコロッケになったかわいそうな奴が』
なんて、半分ほど埋まった、この店の酔客が覚えていないとは限らない。しかし、
『エイヒレだろうが、揚げ出しだろうが、店長自慢のコロッケを断って、違うものを頼んだ奴だ』
と、シラフの店員に覚えられるほうがまずいと判断した訳だ。
そのくらい、俺は自分の仕事に神経を使っている。
ところで、なぜ、奴はまだ来ないのだろう。
すでに、約束時間は18分24秒を過ぎようとしている。
俺たちの業界では致命的な遅れだ。
もちろん、いろいろなアクシデントはあろう。
しかし、それをなんとかするのも、プロとしての役割であろう。
時計を視界の隅に見ながら、お代わりの徳利から最後の酒をお猪口に注いだ時、俺の後頭部に痛いほどの視線が刺さった。
俺は、何気なく、銀のライターを手に取り、タバコに火をつけた。
その際に、自分の後方をライターの銀盤に映し出す。
そこには、こちらを凝視している角刈りの店員の顔が映っていた。
なぜだ。
俺の商売がばれたのだろうか。
この稼業に入ってから、20年が経つ。
表の車のグローブボックスにはブローニングハイパワーが隠してあるが、今日はやつとの打ち合わせだけと思ってきたため、丸腰であったことを悔やんだ。
ここまで背筋に冷や汗が流れた記憶は、久しく、ない。
ゆっくりとタバコの煙を吐き出す。
俺は、ライターの底面のつまみを右手の中で、ゆっくりと回した。
これで安全装置が外れ、一発だけだが22口径ショートの銃弾が発射できる。
銃身長はほとんどないので、よほど運が良くなければ当たらないかもしれないが、脅しにはなろう。
もう一度、凶器に変わったライターで店員を見る。
すると、角刈りは俺ではなく、俺の卓上を見て厳しい顔をしているように見えた。
あ! コロッケか!
『店長自慢のコロッケを頼みながら、冷めるがままにしている客』
なんて、半分ほど埋まった、この店の酔客が覚えていないとは限らない。しかし、
『俺が頼んでやった、店長自慢のコロッケを、冷めるがままにしているわがままな客』
と、シラフの店員に覚えられるほうがまずいと判断した訳だ。
俺は、ライターを左手に持ちかえ卓上のソースに手を伸ばし、コロッケにザブザブと掛けると、まだ、湯気の上がるその身にかぶりついた。
肉や魚が臭う油は、容赦なく俺の口を焼く。
それでも、俺は吐き出すことなく、一口目のコロッケに勝つことができた。
その時に、突然、気配が俺の右後ろで濃厚になった。
「お客さん、お代わりは」
「へ? お、お代わり? あー、じゃあ同じものを」
「へい、熱燗お代わり一丁いただきました」
「へい、熱燗、一丁」
やつは、いつになったら来るんだ。
お隣に座っているにいちゃんがイラついているようだったんで。