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『ラオデキア』

“私はあなたのすべての業を知っている。

あなたは冷たくもなく、熱くもない。

生ぬるい安寧と堕落に生きる者よ。

――悔い改めよ。”




 極東最大のシェルター、『ラオデキア』。


 かつて厚木基地と呼ばれた施設を中心に建設された、人類最後の砦のひとつ。


 その東西南北にブロック分けされた区画の最も外縁に、ハルファスの宿舎と訓練施設はある。


 東ブロックの防衛を担当しているチームは『ヴォルフ』。

 その名の通り、遺伝子に狼の特性を組み込まれた彼らは、優れた筋力・跳躍力・持久力を持ち、集団行動に最も適している。


 西ブロックのチームは『レーヴェ』。

 獅子の特性を持つ彼らは頑健な肉体、桁外れの膂力と体力を有しており、火器よりもコンバットナイフ一本での近接戦闘を得意とする。


 南ブロックのチームは『レオパルト』。

 豹の柔軟で強靱な筋力に加え、単独行動を主とするゆえの驚異的な集中力を誇る彼らは、遠距離からの狙撃を得意とする者が多い。


 北ブロックは『フォーゲル』。

 猛禽の目のよさと俊敏さに加え、圧倒的な握力によりネフィリムの頭蓋を素手で砕くこともできる彼らは、『ラオデキア』トップの討伐成績を叩き出している。


 一年前、ゲーム開始と同時に実戦投入された彼らのほとんどは、当時十五歳以下の少年少女だ。


 生まれたときから人類を守護する武器として育成されてきた彼らは、それまで普通の子どもと接したことは一切なかった。


 もちろん、記録映像の中で自分たちの庇護対象として学んだことはある。

 こんな脆弱な生き物、確かに自分たちが守ってやらなければすぐに死んでしまいそうだ、とひどく不安になったものだ。


 ハルファスとして生み出された子どもたちにとって、人類とは『親代わりの研究者』『武器の扱い方を教えてくれる指導教官』『教育映像越しに見る庇護対象の子ども』に分類されていた。


 今も彼らが、シェルターの中央区画で保護されているネイティブたちと接することは、ほとんどない。


 ――ただひとりの、例外を除いて。


「よう、犬っコロ。今日こそおまえらをこてんぱんに叩きのめして、俺たちが『ラオデキア』最強だってことを証明してやるよ。覚悟はできてんだろうな?」


 中央ブロックの第一訓練場。


 その日、合同訓練の前にいつもながらの軽口を叩いてきたのは、『レーヴェ』の第一位ファースト、陽人だ。


『ヴォルフ』の第二位セカンドである冬騎は、隣に並んだ相手の大きな体躯を見上げる。

 獅子の特性を持つ者たちは、総じて体格のいい者が多い。

 それをいつもうらやましく思っていた冬騎は、軽く鼻で笑ってやった。


「うちのフェンリルさまの前でいいカッコしたいって、素直に言ったらどうだ? 仔猫ちゃん」


 金髪金目の陽人が、くわっと目を剥く。


「誰が仔猫ちゃんか! つーか、いくらフェンリルを拾ったのがおまえらだったからっつってもだ! 実戦投入可能レベルまで調整が済んでんのに、なんっっで、いまだに俺らは組ませてもらえねーんだ!?」


 各国のネフィリム対策研究室を統括する最高意思決定機関、『バエル』からの通達を丸っとスルーしているとしか思えない言いようである。

 冬騎は思わず半目になった。


「あのなぁ、陽人。フェンリルが出るとき必ずオレらが出てんのは、別に『ヴォルフ』が贔屓されてるなんて話じゃねーぞ。――ただ単に、アイツがオレの指示じゃないと聞かねぇからだよ」

「……は?」


 目を丸くした陽人に、冬騎はだからな、と続ける。


「『フォーゲル』の連中じゃねぇけど、一種の刷り込み? みたいなカンジになってんの。アイツを拾ってからマトモに動けるようになるまで、ずっとオレが面倒見てたからかもしんねーけどな。つーか、今のアイツと共同戦線張るとか無理だから。オレ、まだ死にたくねーから」


 陽人が、ますますきょとんとした顔になる。

 冬騎はうんざりと溜息をついた。


「おまえ、それでも『レーヴェ』のトップか? アイツの能力は熱量の操作だ。発動半径は集中力次第だが、その気になれば対象を燃やすことも凍らせることも簡単にできる。――ただし、集中力が途切れた場合、周囲の被害は極めて甚大」


 はじめて実戦投入されたとき、ネフィリムの大群を目の当たりにした人類の希望 (精神年齢九歳)は、見事にキレた。


 おそらく、以前彼らに襲われたことがトラウマになっていたのだろう。


 外見年齢二十歳前後の青年が「うわあぁああぁあああん!」とぎゃん泣きしながら、おぞましい姿を持つ巨大な獣たちを消し炭にしたかと思えば瞬時に氷結させていく姿に、同行していた『ヴォルフ』のメンバーたちはどん引きした。


『ヴォルフ』のリーダーである六花など、即座に「子守はアンタの仕事でしょ」で冬騎に対処を丸投げし、自分は仲間たちを率いて現場放棄――もとい、戦略的撤退を即時選択した。


 お陰で仲間たちのことを気にせず拓己の説得に当たることができたとはいえ、本当に死ぬかと思ったものだ。


 おまけにその一件で、どういう刷り込みが入っているのか、暴走状態に陥った拓己に声を届けられるのは、現状では冬騎だけなのだと確認された。


 そのため、この『ラオデキア』所属の人類の希望は、『ヴォルフ』のメンバーとして登録され、『フェンリル』のコードネームを与えられたのだが――


(代われるモンなら、マジで代わってくれっての……)


 ――自分よりもデカい図体をしているくせに、中身はてんでお子さまな人類の最終兵器なんてものに、現在唯一『全力で甘えていい存在』だと認識されている冬騎は、再び深々と溜息をついた。


 はじめて出会ったときには、ただの保護対象だった。


 それが、狼の脚力を持つ自分でも容易には追いつけない速度で走る姿を見た瞬間、全身がびりびりと震えたのを覚えている。


 存在する可能性ではゼロではないと、けれどまず存在を確認することはできないだろうと教えられていた、人類の希望。


 冬騎たち最終世代のハルファスを生み出すための実験体として、多くの先達が礎となった。

 彼らの中には自分たちと同等、或いはそれ以上の能力を生まれ持った者もいる。


 けれど彼らと自分たちの間には、決定的な断絶がある。


 ――ゲーム開始時、十六歳のボーダーラインを越えていたか否か。


 たったそれだけの差で、自分たちよりも前の世代に生まれた者たちは、一生阻害剤に頼って生きていかなければならない。

 それははじめからわかっていることだったし、時折胸の奥で何かが澱んで息苦しくなることはあったけれど、仕方がないことだと割り切っていた。


 けれど、拓己がいた。


 もちろん、最初から彼が自分たちの求めるような『人類の希望』になると思っていたわけじゃない。

 それでも彼は、そこにいた。

 冬騎の手の届く場所に、生きて、存在していた。


 だが、一般人類の子どもにはあり得ない速度で駆ける小さな体は、ネフィリムの前ではあまりに小さく弱々しく、か細かった。

 すぐに死んでしまいそうで、怖くてたまらなかった。


 狼の特性を色濃く継いだ『ヴォルフ』のメンバーにとって、自分よりも上位の者の命令は絶対だ。


 リーダーである六花に拓己を「守れ」と命じられたときも、当然のこととして受け入れた。


 暴れないように薬で眠らせ、本部中央の研究室に運び込めば、親代わりの研究員たちに「目が覚めたときに、少しでも知った顔がいた方が落ち着くだろうから」とそばにいるよう命じられた。


 ――命令、だった。


 小さくて、弱くて、すぐに死んでしまいそうな『人類の希望』。

 自分よりも上位の存在に口を揃えて守れと命じられたから、守ると決めた。


 本当に、最初はそれだけのはずだった。

 目を覚ました途端、姉の姿を求めて壊れそうなほどに泣きわめく子どもに感じたのは、同情より哀れみより強い困惑だった。


 なぜ、すでに喪われた可能性の高い命に、そこまでこだわるのか。

 肉親というのは、それほどまでに大切なものなのか。


 自分の体を育んでくれた母胎の持ち主がいることは知っていても、明確な血縁というものが存在しない自分たちに、その感覚はわからない。

 不思議で、それでもなぜだか胸が痛んで、泣きじゃくる子どもの体をただ黙って抱きとめた。


 彼が人類の希望だろうと、ただの庇護対象の子どもであろうと、自分が守るべきものであることには変わりない。

 もしこの子どもが正しく人類の希望にはなりえなかったとしても――周囲から期待はずれだと言われたとしても、最初に手を差し伸べた自分だけはそばにいてやろうと思った。


 だがその後、彼の血液から精製されたウイルスの完全抗体は、『ラオデキア』に収容されていた者たちすべてを発症の恐怖から解放した。


 抗体を培養するには、もちろんそれなりの時間が必要だ。

 それでも、現在『ラオデキア』に備蓄してある阻害剤――大人たちが定期的に投与されることが義務づけられているそれらが無くなるまでには、彼らの体内からウイルスを駆逐することができるだろう。


 目を赤くした担当研究者からそう告げられたとき、冬騎は自分の腕の中で泣き疲れて眠る子どもが、本当に『人類の希望』だったのだと知った。


 ネフィリムが、元は自分たちと同じ人間であったことなど、いやというほど知っている。

 彼らが変貌していく様を、目の前で見てきたのだから。


 だが、一度そうして発症してしまった者たちは、おぞましい化け物としかいいようのない体を持って、自分たちを捕食する。

 たとえ彼ら自身が望んだものではなくとも、大昔の頭のおかしな科学者によって歪められた運命のゆえだったとしても、巨大な化け物となった彼らは人類を喰らう天敵だ。


 殺さなければ、殺される。

 殺され、喰われて、何もかもが終わりになる。


 己の生命の停止に、恐怖しない生き物などいない。

 人類の手で、ネフィリムから彼らを守るための生物兵器として生み出された自分たちだって、それは同じだ。


 怖かった。


 自分たちが、喰われることも。

 ともに時間を過ごしてきた年上の同胞たちが、いつ恐ろしい敵に変貌して襲いかかってくるかわからないことも。


 阻害剤は、決して百パーセントの安全性を保証するものではない。

 現在使用されているそれが、効きにくい体質の者だっている。


 けれど拓己は――彼の命が生み出した奇跡は、彼らの未来に重くのしかかっていた軛をきれいさっぱり消してしまった。


 仲間たちの体内からウイルスの消滅を確認した多くの大人が、声もなく涙を流す姿を見た。


 自由だ、と。


 シェルターの外にはネフィリムが山のようにうろついていて、ほかのシェルターとの行き来もままならない。

 けれど確かに、この『ラオデキア』に所属している人類は、ずっと焦がれ続けた自由を手に入れた。


 研究者たちは、急がなければならないと言った。

 拓己の血液を精製・培養して作り出される完全抗体は、今なら生き残った日本人の多くに自由を与えることができるだろう。


 だが、ウイルスは日々変容するもの。

 いつ彼の抗体が効かない形に進化するかわからないのだ。

 一刻も早く、ほかのシェルターに抗体のサンプルを届けなければ――


 しかし、日本各地に建設されたシェルターのほとんどが、子どもたちと前もって阻害剤を投与されていた生存者の移送のために、航空燃料をほぼ使いきっていた。

 陸上高機動車用の燃料は残っているが、それとて決して余裕があるわけではない。


 冬騎は、ふっと息をついた。


「なぁ、陽人。今日の訓練の成績次第では、お望み通りフェンリルとの合同任務に参加できるかもしんねーぞ」


 どういうことだ、と視線だけで問い返してくる相手に、小さく笑う。


「この『ラオデキア』周辺のネフィリムは大方駆逐した。少なくとも、中位種最大のアズラエルタイプはすべて排除した。その辺をうろついているザピエルタイプやサムキエルタイプには、シェルターの隔壁は越えられない。――知ってるか? 横須賀のシェルター『ワダツミ』には、まだ運用可能なあさぎり型の護衛艦が残ってるらしいぜ」

「何?」


 陽人の足が止まる。

 一歩進んで、冬騎は肩越しに彼を振り返った。


「『ワダツミ』の護衛艦なら、海路を使って沿岸部のシェルターに抗体サンプルを最速で輸送できる。だが、三浦半島はネフィリムの巣窟だ。高機で出ても、連中と戦いながらじゃ保冷ケースが保つ間に届けられる保証はねぇ。人類を救う完全抗体のモトになるのはフェンリルの血液。この条件で、おまえならどう動く?」


 少しの間のあと、金色の瞳がすぅっと細まる。


「……フェンリルを、直接『ワダツミ』に向かわせる?」


 冬騎は、皮肉げに唇の端を吊り上げた。


「『ラオデキア』の人類は、すでにウイルスの恐怖から解放された。アイツがここにいる必要は、もうねぇんだよ」


 陽人の顔が、わずかに歪む。


「彼は、オレたちの希望だぞ」

「ちげーよ。アイツは、人類の希望だ。オレたちが、独占していいモンじゃねぇ」


 もの言いたげな視線を振り払い、前を向く。

 顔を上げれば、遮るもののない空がやけに澄んでいた。

 太陽が、やけに眩しい。


(誰か、代わってくれよ)


 本当に、心からそう思う。

 あの図体ばかりデカくなってしまった哀れな子どもに「戦え」と命じる役が、なぜ自分でなければならないのか。

 誰かに命じられるまま、人類を守るために戦っていればいいだけだったはずの自分が、なぜ庇護対象の子どもを戦わせなければいけないのか。


 冬騎自身だって戦うことしか知らないガキで、小難しいことを考えて命令するのは大人たちの役割だったはずなのに。

 いまだに毎夜のように悪夢にうなされている彼が、目覚めるたびに「怖かった」と泣きじゃくる姿を知っているのに。


「なぁ、陽人」

「……なんだ」


 ハルファスは、人類を守る最後の砦。

 そのためだけに、生まれてきた。

 人類を守るために戦って、戦って、そしていつか戦いの中で死ぬ。

 自分たちとは、そういう生き物だと思っていた。


 けれど――


「オレが死んだら、フェンリルは壊れると思う」


 だから、と冬騎は陽人を振り返る。


「オレを、アイツの前で死なせないでくれ」


 ――本当に、めんどうだ。

 もう、自由に死ぬことさえできないなんて。

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