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浦島太郎と玉手箱

“あなたは、はじめの頃の愛から離れてしまった。

 あなたは、どこから落ちたか思い出しなさい。

 そして、はじめの頃の行いに戻りなさい。”






 大型の高速エレベータで降り立った『ワダツミ』と『竜宮』の連結ブロックは、壁面の一部が強化アクリルでできていた。

 透明度の高い海水が、太陽光を美しく揺らめかせている。

 尾木と准海尉のIDカードをそれぞれ手にしたフェンリルと夜刀は、はじめて見る光景に思わず目を瞠った。


 左腕一本で、大の男ふたりを引きずっているフェンリルが、ヒュウ、と口笛を吹く。


「竜宮城に到着ーって、本体はもうちょい先か」

「フェンリル。やはり、その男たちは自分が連れていきますから――」


 渡してください、と伸ばされた夜刀の手を、フェンリルは笑って押し返す。


「いいって。ゴミ虫の一匹や二匹、重くもなんともねーし。――つぅか、最初に見たときから気になってたんだけどよ。その両腕の装備って、どうやって使うんだ?」


 興味津々の問いかけに、夜刀はこのきらきら輝く瞳は彼が『拓己』だったときと同じだな、と思いながら軽く右腕を持ち上げる。


「これは、主に飛行タイプのネフィリムと戦うための高速移動ユニットです。地上からワイヤーアンカーを撃ちこみ、対象と同じ高度まで一気に上昇します」


 フェンリルは、不思議そうに首を傾げた。


「えっと……ひょっとしておまえ、空までぱたぱた飛んでいこうと思ったら、すげー大変?」

「大変というか、無理です。自分の体はネイティブに比べればかなり軽量ですが、よほど上手く上昇気流を捕まえなければ、ネフィリムが飛行する高度までは飛べません」


 そうなのか、とフェンリルが目を丸くする。

 夜刀は苦笑した。


「がっかりされてしまいましたか?」

「いや、別に。熱上昇気流なら、俺が作れるし。万が一そのユニットが破損しても、俺がおまえを飛ばせてやるから安心しとけ」


 当然のように返された言葉に、夜刀は思わず息を呑んだ。

 ――フェンリルの異能は、熱量支配。

 確かに彼ならば、夜刀が重力の鎖を引きちぎるための空気の流れを生み出すことができるだろう。


「フェンリル」

「なんだ?」


 ほとんど無意識での呼びかけに、少し前を歩いていたフェンリルが振り返る。

 夜刀は、ぐっと拳を握りしめた。


「あなたは……ご存じないでしょうが。『キメラ』は、短命種です。ほとんどの個体は、十歳を待たずに寿命で死にました。自分は例外的に成体となれましたが、残された時間はそう長くないでしょう」

「……それで?」


 フェンリルが、歩みを止める。

 彼の漆黒の瞳が、まっすぐに夜刀を見ていた。


「おまえの残り時間が短くて、だから?」


 その瞳を、正面から見返す。


「あなたのご迷惑になるのは、絶対にいやです。だから――約束していただけませんか。自分が飛べなくなったら、捨てていくと」


 静かに告げた願いに、フェンリルは少し考える顔になった。

 それから、ゆっくりと口を開く。


「悪いな、夜刀。俺は、自分のものを簡単に捨てられるタチじゃねぇんだよ」


 にやりと、笑って。


「おまえは死ぬまで、俺のモンだ。ぜってー、捨ててやんねぇ」


 夜刀は目を瞠った。

 心臓が、じわりと熱を持つ。

 大体なぁ、とあきれた顔でフェンリルが言う。


「短命種だかなんだか知らんが、ほかの連中が早死にしたからって、なんでおまえもそうだと決めつける? んなこと言ってて、俺より長生きしてみろ。地獄で指さして笑ってやるからな」

「それは、ありえませんね」


 考えるまでもなくあっさりと返した夜刀に、フェンリルは不快げに顔をしかめる。


「あぁ? だからなんで、そう言い切れる――」

「申し訳ありませんが、前言撤回は認めません。捨てるつもりがないのなら、最期まで持っていきなさい」


 フェンリルが一瞬、虚を突かれた顔をした。

 夜刀は再び竜宮に向けて歩き出し、足を止めたままの主を振り返る。


「何をしているんです? 行きますよ」

「……へいへい」


『ワダツミ』と『竜宮』の連結ブロックは、二十メートルほどの長さだった。

 途中からオートスロープになっていた床を進み、カードリーダーにフェンリルが尾木のIDカードをかざすと、すぐに三重構造の扉が開く。


 ――そこから更に高速エレベータで地中深く潜ったところに、『竜宮』はあった。

 エレベータを降り、引きずっていた男たちを無造作に床へ放り捨てたフェンリルが、再び口笛を吹く。

 彼らの眼下に広がる景色は、かつて地上で富裕層の人間が多く暮らしていた街並みを、そのまま移してきたかのようだった。


 広大な庭付きの豪奢な建築物が整然と建ち並び、あちこちの緑豊かな公園では色とりどりの衣服をまとった人々がのんびりとくつろいでいる。

 洒落たブティックやカフェの集まる一角がいくつもあり、それらを繋ぐ煉瓦を敷き詰めた道路を、クラシカルなデザインの電動自動車がゆっくりと走っていく。


 天蓋からは、ところどころ海の青がのぞいていた。

 この広大なドーム型のシェルターは、完全に地底に埋もれているわけではないらしい。

 天気のいい日には、こうして上部のシャッターを開いて太陽光を取り入れているのだろう。


 壁に貼られた金属製のパネルで内部構造を確認してみれば、現在フェンリルたちがいるのは、『ワダツミ』への最終中継点と記されている。


 ここから見える人々が日々の生活を営む空間のほかにも、遊園地などの子ども向けの遊興施設を集めたブロックや、スポーツ関連施設、カジノや酒場といった大人たちの交流の場を集めたブロック等々――ここに暮らす者たちを楽しませるための空間が、多数存在しているようだ。


 ぐるりと見回してみれば、最終中継点は円柱状の展望台のような造りをしている。

 円周の半分は上から下まで強化ガラスが嵌め込まれ、残りの半分はエレベータの開閉口がいくつも並んでいた。

 それぞれのブロックへ向かうには、ここからまたエレベータとムービングロードをいくつか使わなければならないらしい。


 パネルに指先を滑らせたフェンリルが、小さく笑う。


「この最終中継点は、VIPオンリーなんだな。道理で、『人類の希望』サマのお出迎えがないわけだ」


 そうですね、と夜刀はうなずく。


「『人類の希望』という、誰の目にもわかりやすいカードを独占できれば、『竜宮』内での地位を盤石にするのも容易いでしょうから」

「実際、拓己は九歳のガキだしな。口先で丸めこんで言うことを聞かせるのも、簡単だと思ったんだろうが……」


 フェンリルが、億劫そうに前髪を掻き上げて息をつく。


「なーんか、ばからしくなってきた。こんな引きこもり連中を相手にしているヒマがあったら、ネフィリムの一体でも潰してた方がよっぽど有意義ってモンだろ」

「ええ。このまま戻られますか?」


 夜刀の問いかけに、フェンリルはいや、と首を振る。


「俺の仲間を侮辱した落とし前だけは、キッチリつけさせてもらわねぇと――」

「――失礼します」


 言いかけたフェンリルの体を夜刀が左腕一本で抱え上げるのと、右腕のワイヤーアンカーがすぐそばの強化ガラスを砕くのが、ほぼ同時だった。

 強靱なネフィリムの外皮や鱗をも容易に貫くアンカーが、きらめくガラスの破片をなぎ払いながら瞬時に元に戻る。


「動くな! 侵入者ど……っ!?」


 各ブロックへ通じるエレベータから現れた、武装した男たちがふたりに銃口を向ける。

 彼らが警告を言い終えるより先に、夜刀は翼を広げて最終中継点から飛び出した。

 力強い羽ばたきの音。

 唖然とした顔で固まる男たちにひらひらと手を振りながら、フェンリルは苦笑した。


「悪いな」

「いえ。閉鎖空間で麻痺ガス等を使用されては、厄介だと思ったもので――申し訳ありません。人質を放棄してきてしまいました」


 夜刀の言葉に、フェンリルは首を傾げる。


「おまえ、人間ふたりも抱えて飛べんの?」

「安全高度まで降下した時点で人質を落とし、あなたとともに着地するくらいは可能です」


 つまり、長距離の飛行は不可能らしい。

 おまけに、人質がなんの訓練も受けていない人間だった場合、骨折のひとつやふたつは免れないだろう。


 まぁ、人間ひとり抱えて飛べるだけでも立派なもんだ、と思いながらフェンリルは口を開いた。


「あっちの端にある、白い建物の前まで飛べるか? たぶんあれが、総合健康管理研究棟だ」

「はい。――ですが、フェンリル。『竜宮』の人々は、大崩壊以前からこちらに移住しているはずです。『キメラ』を知らない者が自分の姿を見たら、パニックを起こすかもしれませんが……」


 パニック状態に陥った集団を御するのは、容易なことではない。

 このまま彼らの前に降りて構わないのか、という問いに、フェンリルはけろりと応じる。


「平和ボケした人間がおまえを見たって、本物の翼を背負ってるなんて思わねぇよ。何かのイベントかって面白がられるのが精々だろ」


 そういうものか、とうなずいた夜刀は、フェンリルの指示した建物の前に舞い降りた。

 エントランスには、確かに『総合健康管理研究棟』と記されている。

 ウイルス阻害剤の製造プラントが隣接するそこには、地上の対ネフィリム研究室から引き抜かれてきた研究者たちがいるはずだ。


 足下の柔らかな緑は人工物ではなく、本物の芝生だった。

 この維持管理だけで、一体どれほどの手間暇がかかるのだろう。

 建物周辺に、武装した男たちの気配はない。

 夜刀は、首を傾げた。


「あちらの監視カメラで、自分の姿を確認しているでしょうに。随分、無防備ですね」

「まぁ……。向こうさんも、空を飛べる人間が侵入してくるとは想定していなかっただろうからな」


 苦笑まじりに言ったフェンリルが、すぅ、と大きく息を吸う。

 両手で口の前にメガホンを作り、緊張感のかけらもない声で口を開く。


「おーい。ここに、ウイルスの完全抗体っつって意味がわかるヤツ、いるかー? いたら、ちょーっと顔出してくんねーかなー!」


 なんとも気の抜ける呼びかけだが、内容が内容だ。

 少しして、あちこちの窓からおそるおそる様子をうかがう顔が現れた。

 白衣を着た者もそうでない者も、ハルファスの戦闘服を着たふたりに訝しげな視線を向けてくる。


 フェンリルはそんな彼らに、再び声を張り上げた。


「おまえらん中にー、地上でネフィリムと戦ってる連中のために、完全抗体の培養を手伝いたいってヤツ、いるー? 周り中から白い目で見られるかもしんねーし、二度と『竜宮』には戻れねぇだろうけどー。ひとりでも多くの人類を救いたいー、って研究者のプライドがー、ちょびっとでも残ってるやつなー」


 ざわ、と建物内の空気が揺らぐ。


「あー、ちなみにー。このおまえらの勧誘は、俺個人が勝手にやってることだからー。『ワダツミ』のトップには、全然話通してねーしー。もちろん、あっちの研究所がおまえらを歓迎するとか、ありえねーしー。ここにいる連中、みーんな地上の連中を裏切って、見捨ててきたようなもんだもんなー?」


 嘲るでもなく、ただ淡々と事実を並べるだけの口調で。

 それでも――と。


「――地上に戻りてぇってやつがいるなら、俺と来い。俺は、『竜宮』の連中を人類の指導者とは認めない。俺が認めるのは、自分の意思でネフィリムと戦うことを選ぶやつだけだ」


 凜と響く声で、告げる。


「選べ。俺とともに、地上でネフィリムと戦うか。それとも、ハルファスをけだもの呼ばわりする連中と、この海の底で無為に腐っていくのか」


 しんと静まりかえる中、フェンリルは小さく笑った。


「悪いが、俺たちには時間がない。――一分やる。俺と来る覚悟ができたやつは、出てこい」


 窓辺に立ち竦む人々は、凍りついたように動かない。

 それはそうだろう、と夜刀は思う。

 フェンリルは、己が何者なのかを語っていない。

 鼻の利かないネイティブの中に、ハルファスの制服を着た彼が『人類の希望』であるとわかる者はいないだろう。


 もし彼が名乗っていたなら、その名に希望を見出し、縋る者はいたかもしれない。

 しかし、名もなきハルファスに「ともに戦え」と言われ、その手を取れる者などいるだろうか。

 この海底の楽園を捨て、いまだネフィリムの闊歩する地上の地獄に戻ろうと決意できる者など――


 そして、残り時間が十秒を切ったときだった。


「……お?」


 フェンリルが、愉快げに唇の端を吊り上げる。

 何やら騒がしい物音と人々の怒鳴り声を突き破るようにして、建物の裏手から飛び出してきたのは、一台のオープンカーだった。

 スポーツカータイプのそれは、上層部の人間の個人的な所有物なのか、傷ひとつない真っ赤な車体がぴかぴかに磨き上げられている。

 黒い革張りのシートも、実に座り心地がよさそうだ。


 オープンカーは、急ブレーキでフェンリルたちから少し離れたところに止まった。

 そのハンドルを握っているのは、ひょろりとした白衣姿の青年だ。

 眼鏡をかけた顔は真っ青で、血の気の失せた唇はぶるぶると震えている。


 フェンリルは、腕組みをして首を傾げた。


「俺は、覚悟のできたやつは来い、と言ったはずだが?」

「覚、悟……なんて……っ」


 ハンドルに顔を埋めた青年が、上擦って掠れた声でわめくように言う。


「できるわけが、ないじゃないですか……! でも……っ、ずっと、後悔してたんです! 毎朝目が覚めるたび、苦しくて仕方がなかった! ここであなた方と行かなかったら、きっと僕は一生、後悔し続けるんです! ずっと、自分に卑怯な言い訳をしながら、でも、そんなの……!」


 支離滅裂な言葉の羅列に、フェンリルはそうか、とうなずいた。


「おまえ、名は?」


 静かな声で問われた青年がびくりと固まったあと、のろのろと顔を上げる。

 何度か口を無意味に開閉してから、掠れきった声で口を開く。


「長谷川……広也、です」

「そうか。俺は、フェンリル。おまえたちが望んだ、人類の希望だ」


 は、と長谷川の目が丸くなる。

 フェンリルは、くくっと肩を揺らして軽く右腕を持ち上げた。


「安心しろ。おまえは、俺を選んだ。その選択を、後悔なんかさせねぇよ」


 ぶわり、とその右腕にまとわりつくように現れたのは、紅蓮の炎。

 揺らめく黄金を孕んだそれを掲げ、フェンリルは児戯のように右手で拳銃を形作った。


「BANG」


 次の瞬間、建物内部のあちこちで悲鳴が上がる。

 そちらを振り返った長谷川が、声をひっくり返してフェンリルに問う。


「な……っ、なな、何をしたんです!?」


 炎を消したフェンリルが、ひょいと肩を竦める。


「ん? 『竜宮』のトップが俺の仲間を侮辱しやがったから、その報復措置をちょっとなー。その辺の機材をいくつか溶かしてやったから、スプリンクラーが作動してんだろ。――夜刀、こいつと運転代われ。十時方向、非常脱出艇ポイント」

「はい」


 フェンリルの命令と同時に、夜刀が長谷川の襟首を掴んでオープンカーの後部座席に放りこむ。

 ふぎゃっと奇妙な声が上がったが、それには構わず夜刀は運転席に、フェンリルは助手席に飛び乗った。


「出します」

「おう。――そんじゃーなー」


 フェンリルが、揃えた人差し指と中指を火災報知器の鳴り響く建物に向けて、ぴっと振る。

 あきれたことに、彼らが乗り込んだ真っ赤なオープンカーは、ガソリンエンジンのままだった。

 その辺を走っている移動用車両とは比べものにならないスピードで、非常脱出艇ポイントまで一気に突っ切る。


 オープンカーが停止するなり飛び降りたフェンリルが、薄いプラスチック板に保護された赤いボタンを押す。

 白い壁と一体化していた扉が、瞬時に開く。


「夜刀。中、あんまり高さがなさそうだ。気ぃつけろよ」

「はい」


 フェンリルは、いまだ青ざめたままの長谷川を振り返り、にやりと笑った。


「今なら、まだ引き返せるぞ?」


 びく、と長谷川の白衣に包まれた肩が震える。

 それから、覚束ない足取りで車から降りてきた彼は、ぐっと両手を握りしめて顔を上げた。


「あなたと、いきます」

「よし。これからはおまえを、ウラシマと呼んでやろう」


 厳かにうなずいたフェンリルに、長谷川は何度か瞬きをする。


「……は?」

「冗談だ。来い」


 夜刀は、すでに先頭の脱出艇に乗りこみ、システムを起動させていた。

 数十人は乗れそうなそれは、つるりと丸いフォルムの白い潜水艇だ。

 先に行け、と長谷川を促したフェンリルは、振り返って赤いオープンカーを燃やした。

 ガソリンに引火し、すさまじい勢いで発する熱と煙を感知したのだろう。開かれたままだった非常扉が閉じ、完全にロックされる。


 フェンリルが脱出艇に飛び乗ると、夜刀が苦笑を浮かべて振り返る。


「まったく、行き当たりばったりもいいところでしたね」

「臨機応変と言え。出せるか?」


 はい、とうなずいた夜刀は、硬く鎖された扉の方を見ながらあんぐりと口を開いている広也を見た。


「シートベルトをしてください」

「玉手箱……」


 ぼうっとした口調でつぶやいた長谷川に、夜刀が眉をひそめて繰り返す。


「シートベルトを。地上に出る前に、頸椎骨折で死にたくはないでしょう?」

「は、はいっ」


 長谷川が、壊れた人形のように首を縦に何度も振る。

 フェンリルと長谷川がシートベルトを装着したのを確認し、夜刀は脱出艇をシェルターから射出させた。


 一瞬、息が詰まるほどのGがかかったが、浮上ポイントとして設定した『ワダツミ』外縁に向けてゆっくりと進みはじめれば、側面の窓から見える海は何度見ても変わらぬ美しさだ。


 自動操縦の脱出艇は、射出させてしまえばもう操作する必要はない。

 夜刀は、翼を圧迫されて苦しくて仕方がなかったシートベルトをさっさと外した。

 それに気づいたフェンリルが、同じくシートベルトを外して近づいてくる。


「羽根、痛めてねぇか?」

「問題ありません。大丈夫です、これはそれほど柔なものではありませんよ」


 夜刀が笑って応じると、フェンリルはほっと息をついた。

 そんなふたりに、長谷川がおそるおそる片手を挙げる。


「あのー……。ものすごく、今更なのですが。その翼は、やっぱり本物なんですか?」


 どうやら長谷川は、『キメラ』の存在を知らないらしい。

 彼が好奇心で瞳をキラめかせているのを見て、フェンリルはびしっと宣言した。


「こいつの翼は、俺のもんだ。勝手に触ってみろ、死なない程度にじっくりこんがりあぶり焼きにしてから灰にすんぞ」

「脅し方がえげつない!」


 悲鳴を上げた長谷川に、夜刀がすまなそうに告げる。


「申し訳ありませんが、自分は今まで、育て親以外の人間に翼を触られたことがないもので……。迂闊に触られると、反射的に相手の手を切り落としてしまうかもしれません」

「わかりました! 絶対に触りませんので、そーゆーことを剣に手をかけながら言うのはやめてください、怖いです!」


 蒼白になった長谷川が、ぷるぷると震えながら座席の背もたれにひっついた。

 フェンリルが困ったように首を傾げる。


「俺も、触れねーの?」

「いえ。あなたは、私の主です。お好きにどうぞ」


 夜刀はにこりと笑って言ったが、フェンリルは少し考える顔をしてから首を振った。


「や、いい。触られて気分のいいモンじゃねーんだろ?」

「……どうでしょう? あなたなら、平気のような気がするのですが」


 そう言って、夜刀は軽く開いた翼をフェンリルに向ける。

 まったく気負いなく差し出されたそれに、わずかに戸惑った顔をしたフェンリルがおそるおそる手を伸ばす。

 指先で軽く触れ、感嘆の声を上げる。


「おおー。さすが、羽毛百%。あったけー」

「……その感想は、少々想定外でした」


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