表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/6

火に舞う雪、雲追いし少女

 火山は噴火の揺れの後、僅かに煙を吐いていた。足元では、岩肌の裂け目を灼熱の溶岩が流れる。時折火花を散らしながら、赤い川はどろどろと生き物のように蠢く。だが、その熱気は足元に留められ、体は身を切るような冷えた空気に包まれていた。

 ゴーグル付のガスマスクを装着した幼い少女は、天を仰いでいた。昼間だというのに日が遮られる程の分厚い黒雲に覆われた空からは、絶えず白い欠片が落ちてくる。雪だ。それは溶岩の熱で雨に変わることもなく降り注いでいるのだ。温かな大地の上でも溶けず、既に積もった雪は岩肌を白く彩り、炎と氷の共存する不思議な光景を作っている。

 溶岩が放つ光に照らされ、ほんのりと温かな炎の色味を帯びて舞う雪を見るのが、彼女は何よりも好きだった。


「ただいま、シュカ」

 雪がちらつく中、彼女は火山の麓にある自宅へと帰ってきた。庭にある簡素な柵の中、少女が声を掛けると、ハシリガラスの幼鳥が応えるように鳴き彼女を出迎える。子供とはいえ、大きさは少女の背丈ほどもある。黒い身体に斑を作る雪を払ってやると、シュカはぐるぐるとくすぐったそうに喉を鳴らした。少女にとって、この巨鳥は掛け替えのない大切な家族の一員だった。

 家の中をランプと暖炉の火が温かく包んでいる。ガラス戸の棚の顕微鏡やフラスコ、薬品の瓶や南国の鮮やかな蝶の標本も、物書き机の上に広げられた図鑑や羊皮紙の束も溶岩とは違った柔らかな灯りに微睡んでいるようだ。

 外で雪を払ってから、少女は暖かな室内へ足を踏み入れガスマスクを外す。幼いながらも利発そうな黄金の瞳。左目を囲むように出来た桃色のケロイドが、褐色の彼女の肌で痛々しく浮き上がる。

「早かったじゃないか。雪は採ってきてくれたか?」

 暖炉の前にあった影が動く。それは、揺り椅子と顔中に深い皺を刻んだ老人のもので、調子が悪いのか苦しそうに咳をしている。

「ただいま、お祖父様。雪ならここにあるわ」

 少女は老人の背をさすりながら、ポケットの小瓶を手渡す。白い雪は瓶の中でも溶けることなく、ガラスをすっかり冷やしていた。

 老人は眼鏡を掛けて瓶をしげしげと眺めた後、杖をついてよろよろと立ち上がり、棚から顕微鏡を取り出す。机の上の書物をどけて顕微鏡を置くと、慣れた動作ですかさず少女がガラス板とウサギの毛束を手渡す。ありがとう、と老人はそれらを受け取り、毛束からウサギの毛を一本引き抜く。細い毛先についた一片の雪をガラス板に乗せ顕微鏡を覗いていると、私にも、と少女がねだるので椅子の上へと乗せレンズを覗かせる。

「綺麗。まるで宝石のようだわ」

 中心から波紋が広がるように六角の図形を描く透明な結晶は、まさに自然が作り出した美術品だった。山が火を噴き大地を震わせると、雲がふるわれ雪が零れるとこの地では言い伝えられており、足の悪い老人の代わりに山へ雪を採取しに行くの彼女の役目となっていた。

「でも、お祖父様。これは本当に雪なのかしら」

 老人は少女の言葉に老人は一瞬息を飲んだ。

「どうして、そう思う。火山の熱でも溶けないからか?」

 そうじゃないわ。少女は椅子から飛び降りると、机に乗せられていた分厚い図鑑を老人に見せるように開く。

「だって、雪の結晶はこんなにたくさんの形があるのに、火山に降るのはいつも同じ形よ」

 彼女が開いたページには、様々な雪の結晶が描かれていた。六方に光の尾を伸ばす星のようなもの、樹木に似た複雑な枝を持つもの、大きな花弁を広げた花のようなもの。出来上がった場所の温度と湿度で形を変えるので、雪は天からの手紙とも称され気象を読む重要な手がかりとなる。だが彼女が持ち帰るものはいつ顕微鏡を覗いても、全てが全く同じ正六角形のものなのだ。

 やはり、同じ血が流れているのだな。老人はぽつりと呟いてから引き出しから一枚の写真を取り出し少女に渡す。

「少し、昔話をしよう」

 そこには、柔らかな笑みを浮かべ赤ん坊を抱く女性と、褐色の肌に金色の目、左頬に竜の刺青を施した男性の仲睦まじい姿があった。


 雲医者と名乗る男がこの村を訪れたのは今から十数年前のことだった。今では人もほとんどいない寂れた村だが、当時は火山に降る熱で溶けない「奇跡の雪」により栄えており、希少な雪を手に入れるために多くの旅人が訪れ活気に溢れていた。特に雲医者と呼ばれる流浪の旅人たちは、自然の知識を豊富に持ち、動植物から天候すらも治療すると言われている。そんな彼らにとって新たな薬の材料になるやもしれん不可思議な雪はさぞ興味深く映っていただろう。

 しかし、彼は違った。古くから伝わる予言を聞くと、すぐに村人を集めこう言ったのだ。

 早くこの村を捨てろ、と。

「どうして雲医者はそんなことを言ったの?」

 不思議そうに尋ねる少女の頭を撫でながら、老人は微笑む。

「お前と同じさ。彼も、雪が雪ではないと気付いたんだ」

 雪華晶と呼ばれる世にも珍しい鉱物がある。火山から採れるガラスに似た透明な鉱物だが、地中に埋まっている時や溶岩に溶け混んでいる間は普通の鉱物と変わらない。しかし掘り出されたたり噴火により地上に出て空気に触れると、たちまち酸化が始まる。酸化により生まれた余分なエネルギーを熱として放出する物質は多いが雪華晶はその逆だ。酸化によりエネルギーが減るので、それを補うために周囲の熱エネルギーを吸収し温度を下げる。火山に降り注いでいたのは、噴火により火山灰として上空に舞った雪華晶の結晶だったのだ。

 山が火を噴きし時、氷の華が降り注ぎ全てを奪おう。予言の結びの一文は、大噴火による災害を暗示していた。

 だが、雲医者の言葉に村人は耳を貸さなかった。むしろ、噴火により雪が大量に手に入る事を喜び、感謝をささげたのだ。事態はそんなに甘くないと分かっていた雲医者は、なんとか噴火を食い止めるために村へ留まり雪華晶の研究を始めた。そして、彼の言葉を信じ献身的に研究の手助けをしたのが、老人の娘であり、少女の母親だった。


「でも、それなら、どうして私にはお父さんもお母さんもいないの?」

 それは、少女が今まで決して口に出せなかった言葉だった。親もおらず、村人とは違う肌や目の色により遠ざけられ友達もいなかった少女を、ただ一人、愛し育ててくれたのが祖父である老人だった。火山に降る雪の美しさに、思わず言いつけを破りマスクを外し突然噴き出した蒸気で右目を火傷した時も、怒りもせずに急いで手当てをしてくれたのも彼だ。そんな唯一の血縁を悲しませる訳にはいかなかったのだ。

 老人が口を開こうとした直後、どんっと大きく地が揺れた。この所、噴火の頻度も揺れの激しさも日に日に増していたが、この揺れはその比ではなかった。立っているのも儘ならない震動により棚のガラスは砕け、様々な物が音を立てて床に散らばる。

「すまない、どうやらこれまでの様だ。早く、シュカと共にここを離れなさい」

「どうして?お祖父様は一緒に来ないの?」

「私や村に残った者は、この山と命を共にすると定めと決めていた。だが、お前は違う」

 父の元へ向かいなさい。写真を手渡しながら老人は少女を強く抱きしめる。それでも不安そうな少女へ、逃げることを促すように背中をそっと押す。

「さあ。行くんだ、シエラ」

 力強く少女の名を呼び優しく笑みを浮かべる老人を、一度だけ振り返ってから少女は別れを告げ外へ出る。シュカに手綱と鞍を取り付け、ガスマスクを装着する。

「さようなら、お祖父様」

 シエラはシュカに跨り綱を強く引いた。黒い影が風のように静まり返った村を駆け抜ける。走るシュカの背で、シエラは考えていた。雪のこと、祖父のこと、両親のこと、そして雲医者のことを。

 村を出て森を走っている時だった。突然立ち止まったシュカの様子にシエラが戸惑っていると、突き上げるような地震とともに聞いたこともないような轟音が空気を震わせた。揺れの中、咄嗟に伏せた身を起こし振り返ると、山から吹き出す雪によって全てが白く染めあげられている所だった。

 鳴き声を上げ、思わず引き返そうとするシュカをシエラは引き止める。

「行っては駄目よ。お祖父様の思いを無駄にするわけにはいかないわ」

 父を見つけ出さねば。そして、全ての真相を聞かなくてはならない。

 シエラは涙を堪えながら、祖父と故郷に背を向ける。黄金の眼差しはまだ見ぬ父へと真っ直ぐに向くのだった。

他所に掲載していない、オリジナル作品です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ