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2話「異動休暇。ガチ同棲」④

「遅かったじゃない。結構待ったわよ」


 たっぷり時間をかけて駅のトイレで用を足した後、その場から全く動いた気配の無い楓に、悠人は非難の眼差しを向けられた。

 完全なる先走りだったことに悠人は気付き、妙な気恥ずかしさを覚えた。

 ――ただのうんこが長い奴じゃねえかあああああああああ!

 ぐおお、と頭を抱え唸る悠人を急かすように、楓は言い放つ。


「急いで、もう電車が来るわ」

「……はいよ」


 先ほどの態度は何だったのか、と疑問を挟む猶予などあるはずもなく、悠人と楓は車内に駆け込む。冷房の効いた車内は心地よく、妙な汗をかいていた悠人の火照りを冷ました。

 中は空いていた。二駅程度でだらしないか、と思ったが、楓から受け取った荷物が思いの外重く、悠人は楓を先にシートに座らせ、自分も隣に続いた。

 拳ひとつの距離をはさみ、悠人は楓に話しかけた。


「北見さんは、もしかして七瀬駅の周辺も詳しかったりするのか? 安いスーパーあったら教えてくれよ、俺、自炊はできないけど食費は抑えたいんだ」

「ええ、いいわよ。荷物おろして軽く片付けたら案内してあげる。……といっても私も軽くネットで地図みただけだけど」


 二十一時前後のスーパーに颯爽と現れ、半額弁当と惣菜を買い占める悠人にとって、近隣スーパーの存在は死活問題だった。本当はもっと入念に下調べをしたかったのだが、なにぶん引っ越しまで猶予がなく、店舗近くの社宅が限られていたこともあり、あまり選択肢は無かったのだが。


「ありがとう! 連絡先は随分前に交換してたよな、あれから変わってないか?」

「それで問題ないわ。でも片付けてからね、引っ越し最優先でね」


 悠人はスマートフォンの画面を見せ、楓に番号とアドレスを確認してもらった。マネジャーという職務上、彼は全従業員の連絡先は把握していたし、全従業員も彼の連絡先を登録していた。

 業務上仕方のなかったことだったのだが、優秀な彼女は、ついぞ悠人に連絡することは無かった。

 ――これからはこまめに連絡をとらないとな。

 そう思案する悠人を気にするふうもなく、楓は元通りの淡々とした表情で電車内の広告を物珍しそうに眺めていた。シートを落ち着きなく触ったり、何もない地下鉄のトンネルをじいと見たり。


「どうした、北見さんはあまり電車は乗らないのか?」

「うん、在学中は自転車通学だったし、あまり都市部に買い物も行かなかったし。……そういう店長はどうなのよ」

 

 何か恥ずかしいのか、繕うように長い髪を触りながら問う楓。

 店舗以外で「店長」と呼ばれることに妙な違和感を覚えつつ、悠人は返した。


「ああ俺か? 大学の時は電車だったな。毎朝一時間かけて通ってたよ」


 悠人は少し昔を懐かしむように言った。しかしそれ以上話題を続けるようなことはしなかった。

 彼の回想を断ち切るかのように、駅のアナウンスが鳴り響いたからだ。

 悠人の引越し先へ向かうには、そこで乗り換える必要があった。

 顎で合図すると、彼女も察していたか、シートからその華奢な腰を上げた。もとより、仕事以外の悠人にはさほど興味が無いようだった。

 楓がそれでいて、感情を表に向けず、淡々と言い放った言葉は、何故か悠人の胸をざわつかせた。


「……大学、行きたかったなあ」



 悠人は店舗においてありとあらゆる情報を仕入れることを信条としていた。何かあった時「知らなかった」で済まされないことのほうが多いからだ。

 その情報の種類は多岐にわたり、当然アルバイトやパートタイマーのデータも、悠人は事細かに脳内に記憶していた。

 家族構成、血液型、好きな芸能人、学歴、誕生日、趣味、在学中であるなら部活動の有無、成績、交友関係、家族関係など。神経質かもしれないが、その全てに価値があると悠人は感じていた。

 当然、楓の情報もあった。しかし、積極的に関係を保つほど、劣悪なものではなかったし、彼女自身の交友関係が非情に狭いこともあり、履歴書より少し詳しい程度の情報しか、悠人は知り得なかった。


 曰く、北見楓は勤続年数三年目、高校在学中からアルバイトに勤しみ、そのままフリーターとして働く。もし大学に通っていたなら二回生の年齢となる。

 両親はすでに他界。親戚の世話にならず一人暮らしをしている。おそらく彼氏は無し。

 血液型はB。誕生日は6月21日。趣味、好きなものは不明。


 こうして思い返してみると、頼りない情報だった。いかに今まで薄っぺらい付き合いをしていたかがわかる。……言い訳じみた話となるが、そもそも彼女以外に手のかかるメンバーが沢山いたのだ。

 必然的に仕事遂行能力的に遜色の無い楓とは、関わりがあまり無かった。


 駅を出るまで、悠人は先程の楓の言葉を、ずっと頭で反芻していた。特に理由はないが強いて言うとすれば、普段あまり感情を見せない彼女が、ぼそりつぶやいた一言に寂しさの一端を僅かに感じとったからだろうか。


 仕事だけの関係というのは非情につまらないものだ。勿論勤務上、一切の考慮をする気はないし、する必要もない、と考えている悠人だったがその人の背景を知った上での物言い、ニュアンス、は出来るし、する必要があるとも信じていた。

 人間とは感情で動く生き物である。組織の中での役割、というのはあくまで”枠”であり、押し付けられれば必然的にストレスが生まれる。考慮がない分かり易い例で言えば「部下の親が死んだのに、仕事に来い、と怒鳴る上司」が良いだろうか。

 突飛な喩えではあるが、この小規模なパターンなら日常で絶えず起こっている筈である。


 ――彼女に振られた翌日に、仲の良い女友達から慰めのメールが来たとしたら。


 男性諸君にはこの喩えのほうがしっくり来るかもしれない。不謹慎ではあるが、それらを考慮できる上司は、できない上司と比較して抜群に部下に好かれる。勿論業務の手を緩める必要はない。ただ、今指摘しようとしたことを、わざと遅らせたり、見逃したり。普段より少しやさしい言葉をかけたり、一言多く話したり。それだけでも弱った人の感情というのは大きく動くものなのだ。

 当然だ、と考える者も多くいるだろが、世俗にはこれができない上司があまりにも多い。


 繰り返す。人は感情で動く生き物である。決して物や奴隷ではない。時には非情にならざるを得ない時もあるだろが、正論だけでは人は着いて来ない。黒が黒と言い張れる場面は、この社会化においてあまりにも少ない。


 これは悠人の師匠の受け売りだった。悠人は踏み込むべきだ、と思った。しかしそれでいて、時期を待つべきだ、とも思った。逡巡の結果、徐々に外堀を埋めていくことに決めた悠人を現実に引き戻したのは、やはり楓の涼やかな声だった。


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