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2話「異動休暇。ガチ同棲」②

「お疲れ様、馬鹿じゃないの、上司に喧嘩売って」


 どうやら一部始終を見ていたらしい。精神的に疲弊し、店を出た瞬間に伸びをしていた悠人にかかった涼やかな声は、すぐ背後からだった。

 振り返る。春風に躍る可憐がそこにいた。


「……北見さん!? 全部見てたのか?」

「ええ。かっこ良かったわよ、あんなに啖呵切っちゃって。もう後に引けないじゃない、どうしてくれるんだか」


 そう言う楓の表情はどこか明るく、声には親しげな色が宿っていた。カーディガンとフレアスカートに身を包んだ彼女は、その色の淡さも相まって、可憐な雰囲気で悠人をどきりとさせた。

 楓は重々しいリュックサックを背負っていた。この期に引越をするらしい。家族のことなど心配したが、両親はすでに他界し、元々前の店舗からひとり暮らしをしていた状況もあって、深くは追求しなかった。

 その後悠人に振りかかる状況を鑑みれば、詳細をこの時詰めておくべきだったのだが。


「いや、あいつマジ無理だわ。おそらくマネジャーやバイトを物としか見てない。多分同じ空気は吸えない。下手に慣れ合いも嫌だから、こっちから突き放しとこうと思ってな」


 悠人は駅までの道を歩き始め、話しを続けた。もとよりマネジャー同士の慣れ合いが、彼はあまり好んではいなかった。旧エリアのマネジャー会議の後の懇親会も誘われない限り直帰していたし、これからもそうだろう。自店舗のメンバーと飲んでるほうが余程有意義だった。

 苦虫を噛み潰したような表情を繕わず、悠人は楓に向き直り、続けた。


「……どうした、何か間違ってるか、俺」


 言葉尻が問うような雰囲気となった。楓の反応が気になったからだった。

 彼女は納得出来ない、といった風で唇をつんと尖らせ、その愛らしい顔を歪ませていた。

 世渡りが下手だ、と言いたいのだろうか、と悠人は思った。楓は悠人の疑問に応えるかのように、桜色の唇を開いた。


「……別に。あなたの人生よ、好きにしたらいい。でも、損しないかしら、そんな生き方」

「気に入らないものを気に入らないと言って何が悪い」


 楓の言い分も大いに理解できた。ただ、悠人はこの一点に限り、譲る気はなかった。必然的に語気は強くなった。やり過ぎた、と気づいたのは彼女の怯えるような表情が一瞬見て取れたからだっだ。

 しかしそれはすぐに元に戻り、悠人も錯覚だったのか、と思案するほどの一瞬の出来事だった。

 そのため、咄嗟の謝罪すら出てこなかった。

 楓の翡翠の瞳は変わらず輝いていて、その意志を表現するかのような眉でキッと悠人を睨んだ。


「……心配してあげてるのに」



 ぼそりと楓が呟いた音は、5月の強い風に掻き消された。先ほどの加藤の言葉を悪い意味で反芻していたのは、ほかならぬ楓自身だった。

 楓が悠人に二日前伝えた気持ちは虚飾では無かった。紛れも無い本心だった。

 才満ち溢れる若き萌芽を、理不尽な上司の気まぐれで汚泥にさらわれるのは看過できなかった。

 しかし悠人は、はっきりとした意思のもと、楓に告げた。


「……仮に、だが」


 先ほどの声が聞こえたのか聞こえてはいないのか、悠人はぼそりと、しかしはっきりとした声で話し始めた。

 それははっきりとした風格を持って、楓の意識を釘付けにした。


「俺が上司にヘラヘラ媚び売って、指示されたことをはいはいとやるんだ、それはまあいい。ただ、メンバーの大多数はアルバイトやパートタイマーだ。自分の店のトップが、上司に頭を下げているんだ。そいつがもしいけ好かない上司だったとしたら? そいつにペコペコした結果、回り回って自分たちの負担が増えるとしたら? 本当に気持ちを込めて仕事に取り組めるか?」



 楓は悠人の語りに意志を挟まなかった。ただ先を促すように、悠人の本質を検分するがごとく、その音の一切を聞き逃さまいと、黙った。

 悠人は楓の姿勢に気づいたのか、そのまま続けた。

 ――どうせこれから一緒に仕事をするのだ。価値観が合わないなら、早々に見きっておく必要がある。

 楓は思考の片隅にそういった可能性を常に置いていた。悠人が愚策に身を任せ滅んでいくのに、一緒になる義理は毛頭無かった。


「それが、もしマネジャー自身の評価のため。上司へのご機嫌取りの為ってメンバーが気付いた日にゃ終了だ。もうそいつには誰も着いて行かない。……上っ面は言うこと聞くよ。相手はマネジャーだしな。ただ、俺がもしバイトなら、絶対に親身になって仕事に取り組もうとはしない。表向きは良好な関係を構築して、後は腹のさぐり合いだ」


 しかし、悠人が語ったのは、自分がいちアルバイトだったら、という仮定の話だった。しかしそれは明確な根拠を持ってして、それこそ異様なまでの説得力で、楓の心を震わせた。


 ――やはり、私の眼に狂いは無かった。


 プライドの高い楓をもってして、そう思い込ませるだけの風格があった。


「俺はマネジャーだ。当然指示された業務の中にはメンバーに依頼しなければならないものも含まれてくる。だからこそ取捨選択の義務がマネジャーにはある。自らとメンバーの力量を把握せずに評価の為、ご機嫌取りのため、はいはい仕事を受けると、その店はいつか破綻する」


 息をするのも忘れている自分がいた――、と楓は気づく。まるで王者の魔力だった。

 これほどまでに。これほどまでに人を惹きつける人というものが存在するのか――。

 否。それはもはや衆生ではなく、王だ。

 万民の上に立つ王。群衆を導く王。

 王の名は、月島悠人と言った。


「そうしない為にも、自分自身のなかでもきっちりと線引をしておく必要がある。上司の指示には絶対服従……なんざ古い仕事の考え方だ。そんなトップダウン、上が無能なら崩壊するさ。自分で納得してやるんだ。納得出来ない事はやらない。自分が必要と思ってしていることだから、メンバーに対してだが、仕事の動機、意味の説明も容易だしな。何よりそのほうが俺が楽し……」


 悠人はその語りを止める。話が終わったわけでは無かった。驚愕により、強制的に会話を中断させられたのだ。

 楓は傅いていた。眼前の才能へ敬意を称さずにはいられなかった。


「……感服したわ。あなたを私の主人と認める。どうか、傍に置いてください」


 記憶にあるかぎり、楓が悠人に対して初めて使った敬語だった。しかし楓にとってそんなことはどうでも良かった。

 自らの選択に間違いが無かったことを確信すると、自然と笑みが零れた。

 

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