1話「送別会……からの?」②
カラオケの駐車場で握手をひとりひとりとする。
門限が迫る高校生から先に、二言三言言葉を交わしながら最後の別れを告げる。
「頑張ってね。身体には気をつけるんだよ」
「はい。今までお世話になりました。これ、ありがとうございます。一生大事にします」
手縫いの手袋を抱え、悠人はようやく最後のひとりと挨拶を済ました。
ランチのフロアリーダーだった。この恰幅の良い女性は自分を息子のように可愛がってくれた。
長い握手のあと、自転車に乗って去る彼女を見送る。
何度も振り返り、手を振る彼女が、事故に合わないかとハラハラする悠人に、声がかかった。
黒髪の美少女。先ほどと変わらない無表情で、淡々と、
「店長。お疲れ様」
「ああ、ありがと。北見さん」
悠人は礼を告げ、少女の名を呼んだ。
北見楓。彼が着任する前から働いているフリーターの女の子。
年は悠人ふたつ下。仕事をそつなくこなす彼女に悠人は特になにか教えるでもなく、必然的に関わりは新人のほうが多くなっていった。
営業自体は一緒によくするのだが、私語もなく、淡々とこなす姿は、その美貌と相まって好印象だったのを思い返していた。
その接点の薄い彼女が自分に、最後の最後で何の用なのか。
悠人の疑問はその一点だった。
楓が悠人の思考の疑問に自ずと応えるまで幾拍もなかったが、その言葉は完全に悠人の思考の埒外だった。
「……え、なん……て?」
彼が聞き返したのは至極当然の反応だったろう。
楓もそれを予測していたのか、少し顔を赤らめると、息を大きく吸い込み、同じ言葉を告げる。
「連れて行って。わたしを。次の店に。あなたと同じ店に」
移動先の店舗はお世辞にも前の店と近いとは言いがたかった。
距離にして86キロメートル。完全に生活圏が変化するレベルである。
悠人は彼女の言葉の意味を反芻するように、思考する。
かつて、異動が言い渡された時、幾人かには共に来てくれないか、と声をかけようとしたこともあった。
しかし、家庭のある主婦、学校と家の位置が勤務先に深く繋がる学生には声をかけ辛かったし、何人かは実際に行きたい、と自分から言ってくれた。
しかし、彼ら彼女らの人生を背負う度量は悠人には無かったし、なにより悠人は後任に迷惑をかけることを嫌った。人を引き抜けば、そこのシフトに穴が空くからだ。スポーツと違ってバイトに二軍三軍は無い。必然的にそれらを埋めるのはマネジャーとなる。
人生という点においては、フリーターというのは実に身軽だった。学校や家庭に縛られないし、それこそ連れ回しても本人の意志さえあれば問題ない。
幸いにして、悠人の務めるファミレスには社員登用制度もあった。時期を見て、やる気があればこちらを勧める、というのもあった。
しかしながら、店舗に在籍しているフリーターは楓のみだった。
二言三言の挨拶はする。業務の指示も出す。しかしそれ以上の接点など全くない異性に、一緒に来い、と声掛けすることは悠人の想像の範疇では無かった。
それを、今、自ら、彼女が言っている。自分に頼んでいる。
確かに彼女の営業力は社員の自分と比較しても遜色の無いレベルである。いや、調理技術に関しては自分が遅れをとるだろう。そう悠人は思考するが、しかし楓の動機が全く不明であることに少々萎縮してしまっていた。
「かまわないが、どうしてだ?」
悠人は性格上、懸念事項を放置しておけなかった。店舗運営において、異常な状態が常態化してしまうことの恐ろしさを知っていたからだ。
だから彼は、今までと変わらずに、ストレートに疑問をぶつける。
楓は少し面食らったかのように、言葉を紡いだ。
「あなたがいなくなると、きっとわたしは排他される。……事実そうなりかけていたから。矢先あなたが着任したの。店舗全体が共通の敵として私を槍玉に挙げようとしていた所、あなたが颯爽と標的と成った。……そして、自分に向けられていた敵意を信頼に瞬く間に変えた」
悠人に自覚はなかった。しかし、彼のひたむきさが、コミュニティに入り込む異端者から、誰よりも信頼の置ける新任店長に、年月を経て変化していったのは純然たる事実だった。
楓はコミュニティの外にいたため、それを誰よりも客観視して捉える事ができた。
悠人は楓の台詞を黙って聞いていた。
「正直、あなたの求心力、コミュニケーション能力、マネジメントスキルは卓越している。興味があるの。その先に」
誰よりも自分を認めてなかったであろう人間が、誰よりも自分を認める発言をした。
悠人は妙なむず痒さを覚えた。年下の美少女にこうまで絶賛されて、喜ばぬ男はいまい。悠人も例外ではなかった。
「……買いかぶりすぎだ。でも、一緒にきてくれるのは助かる。まだまだ未熟だが、助けてくれるか」
「ええ、こちらこそ、よろしくね」
差し伸べた手を、楓は躊躇無く握った。
彼女の顔を見て驚く。それは少しの笑顔だった。
薄く微笑んだ、と呼べる程度もものだったのかもしれない。しかしそれは悠人の心に強く焼きついた。
なぜならそれは、彼がこの世に生まれ落ちて見た景色の中で、最も綺麗だったから。
月闇。俺の手を握る白磁の肌。翡翠の瞳。そして、微笑み。
鮮烈なそれは、悠人自身にこれからの激動を想起させた。
感じたのは畏怖でも、躊躇でもなく、期待。
楽しくなりそうだな。
そう笑む悠人の表情は、きっと作り物では無かった。