1話「送別会……からの?」①
”組織とは、個としての人間一人ひとりに対して、
また社会を構成する一人ひとりに対して、何らかの貢献を行わせ、
自己実現させるための手段である”
ピーター・F・ドラッカー 上田 惇生 (訳)(2001)
( マネジメント[エッセンシャル版] - 基本と原則 ダイヤモンド社より引用 )
◆
「店長! お疲れ様でした!!」
パーティールームに歓声が鳴る。クラッカーの破砕音、ビールジョッキがカチリと合わさる小気味の良い音がそこらじゅうに響き渡った。
料理の山。思い思いに騒ぐ人々。しかし視線は一人に注がれていた。
カラオケの一室を貸し切り、今まさに行われているそれは、彼のための送別会である。
輪の中央。瞳に涙をためて堪えている彼――月島悠人は、今宵の主賓であった。
齢二十二。学生時代のアルバイト経験が功をなして、新卒と同時に大手ファミレスチェーンのマネジャー資格を取得し、着任。そして今、一年が経過した。
初の店舗経営ながらも優秀な仲間に巡り会えた悠人に、三ヶ月前、ついに辞令がおりた。
――月島悠人マネジャーに、七瀬大学前店への異動を命ずる。
「はやすぎますよお。まだ一年じゃないですか」
二十数の思い思いのざわめきの中。女学生のひときわ高い声が響いた。
この場にいる誰しもが感じていたことだった。しかし、栄転ともよべる辞令に、それを憚る風もあった。
こんな片田舎の店より、より売り規模の高い店に。
それが、この業界での出世の道なのだ。
すでに堪え切れず号泣していた者も幾人かいた。大学生の彼女もその一人だった。
泣きながら叫ぶ彼女に、悠人もついに堪え切れなかった。
抑えていた涙が止めどなく溢れだし、頬を濡らした。
「ごめんな、まだまだ教えてやりたかったのにな」
それは悠人の紛れも無い本心だった。
悠人自身が採用し、トレーニングをした彼女はディナーキッチンのリーダーだった。
お世辞にも偏差値が高いとは言えない大学に通い、濃い化粧をし、浅黒い肌にはランチタイムの主婦も眉を顰めていた。
悠人自身も彼女の勤務態度に諦めが見えた事もあった。しかしそれをしなかった。根気強く教え続けた。
それは妙な使命感だった。自分が見放してしまえば、こいつは終わる。
思い上がりも甚だしい。しかし悠人は本気だった。
時に叱咤し、時に励まし、彼女を本気で教えこんだ。その思いが通じたか、彼女の勤務態度は改善し、身だしなみ(アピアランス)も飲食店勤務最低水準にまで滑り込んだ。
ある日店舗に電話が入った。彼女の母を名乗る人物からだった。
お互い簡単な挨拶を済ますと、電話口の相手は語り始めた。
――娘をいつもありがとうございます。最近のあの子はいつも楽しそうで感謝してます。でも前までは煙草やら夜遊びやらで散々でした。あの子がまともになったのは、あなたのおかげです。本当にありがとうございます。
なかなかに要領をえない話しだったが、その必死さは悠人の心を打つものがあった。
聞けば彼女に父はおらず、母はフィリピンの生まれだった。
女手ひとつで娘を大学にまで通わせるのは、想像を絶する苦労だったろう。
娘を目にかける時間も少なかったに違いない。
誰が彼女を本気で怒ったか。本気で教えたか。
このときの悠人は察していないが、彼は彼女にとって初めて自分と真剣に向き合ってくれた人間だった。
教師ですら自分にはさじを投げた。しかし自分といくつも変わらぬはずの人間が、諦めなかった。
その体験が、失望させては申し訳ない、というものにいつしか変化し、気付かぬうちに彼女を変えていた。
それが恋慕なのか、信頼なのか、それとも崇拝であるのか。はたまたその全てか。
ついに気付かぬまま、この時を迎えてしまった。
「いっぱい、教えてもらいましたよ。最初は、敬語も、まともに喋れなかったのに」
「はは、そうだったな。あの時はホントに酷かった」
お互いに泣きながら笑い合う。
彼女も今の状況を理解できぬほど、もう子供ではなかった。
店長を見送ろう。ありったけの祝福を。
「今まで、ありがとうございました」
万感の思いが篭った一言。そう告げると、彼女は悠人のもとを去り、輪の中に紛れた。
泣き顔をこれ以上見られるのが嫌だったのだろう。思えば、プライドの高い彼女だった。泣いているのを見たのは、初めてだった。
――自分も、人のこと言えないな。
鼻をすする音は悠人のものだった。その音を聞いて自嘲するように笑った。
悠人は辺りを見渡した。老若男女。よくぞここまで集まってくれたものだ。
苦楽を共にしたメンバーだった。本当にいい人達に恵まれた。
宴もたけなわである。未成年者もいる。すっぱり定時解散でいこう。
こんな時も悠人は真面目だった。
しかし着任一年で、彼の性格はメンバー全員が周知するところだった。
だからこそ、短い時間で楽しもうとなかには羽目をはずしすぎたメンバーもいた。具体的には、”友情一気”の後トイレにいったきり帰ってこない者が数人。
「皆さん」
悠人が発言すると辺りは静まり返った。人々も、そろそろか、と予想出来ていたのだろう。
青白い顔のトイレ組がぽつぽつとパーティールームに帰還してきた。
皆が頬に笑みを浮かべ見守る中、悠人は続けた。
別れの挨拶だった。
「……ありがとうございました。こんな若輩を受け入れてくれて。至らぬ点、見苦しいと所、多々あったことでしょう。一緒に仕事をしてくれるだけで有難かった。でも、皆さんは僕をマネジャーとして受け入れ、認めてくれた。いろんな事を相談してくれたり、こちらも相談したり。チームで仕事をする楽しさを、教えてもらいました。楽しかった。本当に」
辿々しいものだった。事前に纏め上げてきていたつもりが、この場において感情が先に出てしまった。
しかしそれだけに、彼の本心が滲み出るようで、幾人かは堪え切れず涙を流した。
「次の店でも、ここで学んだことを活かして、頑張りたいと思います」
最後は無難に締めた。瞬間、歓声と拍手が鳴り響いた。
それは長く、長く、鳴り止まなかった。
皆が真っ赤になるまで手を叩き、彼の門出を祝福した。
栄光と祝福に満ち溢れた、誰もが羨む旅立ちの瞬間。
ひとり、無表情の少女がそこにいた。
人の輪から少し外れたパーティールームの角。
淡々と、見方を変えれば、億劫そうに。
ぽんぽんと、周囲に合わせるかのように、動作こそ同調させているが、その実は全く以て冷め切っていた。
悠人は気付いていた。気付き、気にせぬように、視界にいれぬようにしてきた。
腰まで届く長い髪。夜を溶かしたようなその黒は、艷やかで、照明によって星空のように光っていた。
髪の色と対極をなすようにその肌は白く、きめ細かく。
翡翠色の瞳を長い睫毛が淡く覆う。ぷっくりとした桜色の小さな唇。
顔立ちは恐ろしいほどに整っていた。
笑えば誰もが振り返る美少女だろう。
ただその表情は、冷め切っていて、この高揚した空間において、異質な存在感をはなっていた。
今回の送別会とて全員参加ではない。
用事であったり、時間の都合がつかなかったりで参加できなかったメンバーもいるにはいる。
悠人は彼女が参加してくれたことに少なからず驚愕しており、それでいて少し不気味にも感じていた。
間違っても祝福しにきたようには見えまい。というか最初からいなかったのではないかこの少女は。
悠人がそう思考するのは当然であり、その想定は間違っていなかった。
彼女はついさっき来たのだ。終了15分前に幹事に参加費の全額を支払って。
ふわふわと浮いたような感情に水をさされたかのような違和感。
しかし、自分の送別会に参加してくれて文句をいう無粋な者はいない。悠人も不思議と悪い気はしなかった。
そのままメンバーの寄せ書きを渡され、花束を受け取り、会はつつがなく終了した。
僅かばかりのしこりを残して。